09 安心院家へ
「総助。その怪我で外に出たら殺されるぞ」
「はっ、知らねぇよ。どうでもいい」
「おいっ」
睦実の家の廊下を玄関があるだろう方に向かって歩く。
睦実は追いかけてはきているが、俺の傷を気遣ってか、無理矢理止めるようなことはしない。
さっきは『何たくらんでるんだ』なんて詰めてしまったが、睦実が画策なく本気で心配してくれていることはわかっている。
抜刀術についても、仕方なく放っただけで、できれば殺したくないと思ってくれたであろうことは想像に難くない。
だって、睦実は心配したふりとかそんな器用な演技ができるやつではないのだ。
だからこそ、総助は早くここから居なくなりたかった。
睦実に甲斐甲斐しく世話されて、美味しいご飯を食べて、安穏とそのぬるま湯に浸る。それが総助にはとても恐ろしいことに感じられた。よくわからないが、それを許したら自分が崩れていくような気がするのだ。
バッと振り向き、睦実と向き合う。
なぜか睦実が息を飲んだ。
それから10秒ほど経っただろうか、
「どうしてもか」
睦実は静かに問うてきた。
「ああ、どうしてもだ」
答えれば、いまだ納得いかないようではあったが、渋々といった具合に睦実は頷いた。
もう追いかけてはこない。
腹は血だらけだったが、頭はスッキリしていた。
総助のために用意した食事を、もったいないからと自分で食べながら、睦実は畳に落ちた血を見つめる。
傷は開いていたが、手で押さえて止血しようとしていたところから察するに、べつに死ぬつもりはないようだった。
それにあの目――振り向きざまの総助の目にはなにか強い意思が宿っているように見えた。
そう、まるであの頃のように―――。
だから、睦実は追うことをやめたのだ。
あの怪我で、刀も持たずに出ていったことは心配ではある。総助を恨んでいる人間は少なくないのだから。
だが、総助は直情型に見えてそうではない。
本人は頭が悪いと思っているようだが、そんなこともない。晋悟と比べているからそういう評価になっているだけで、冷静で先々まで考えて動ける人間だ。
気持ちに任せて無謀なことをしたりはしない。
昨夜斬られた頬の傷を撫でながら、睦実は静かに目を閉じた。
総助の目の前にそびえる大きな西洋建築のお屋敷。
外観は立派だが、中身はド派手で趣味が悪いことを総助は知っている。
安心院家――古くからの伝統を持つ名家で、この国の政治経済を裏で牛耳ると言われるほどの権力を持っている三家のひとつ。
この辺りだとその三家の一角、天保院家も近くにあり、昔から互いを牽制しあってきたそうだ。しかし、何年か前に天保院家の当主が亡くなって、後を継いだのがまだ齢九つの少女だったことから、いまや天保院家の力は衰退の一途をたどっているらしい。
そうなると勢いづくのが安心院家だ。
現当主、安心院飛鳥がその権力を否応もなく振るい、好き勝手やっていることは一部では有名な話――そして、思い通りにならない堅物の見廻り組隊長を毛嫌いしていることも。
ただ、睦実自身の優秀さと、佐条家の家柄のおかげで、安心院家は睦実を潰しきれないでいる。
それがいま見廻り組の派閥争いを起こさせることで、睦実を追い落とそうとしているとしたら……総助はそう考えていた。
その考えに至った理由のひとつとしては、この前の教会跡地を根城にしていた盗賊団が挙げられる。
そいつらに聞き出した黒幕も安心院飛鳥だったのだ。
あれも総助が対処していなかったら、のちには見廻り組の派閥争いに関わったのかもしれない。
ただ、黒幕とわかったところで容易に手を出せないのが安心院家の面倒なところだ。あの晋悟でさえ対処をしあぐねていた。
しかし、相手が権力者だろうと晋悟が泣き寝入りをするわけがない。睦実の護衛を俺に頼んできたのだって、この派閥争いに安心院家が絡んでいると掴んでいたからだったのだろう。
安心院家が睦実を殺したがっているなら、それを防ぐことが、一番のいやがらせになる、と。
「おい、安心院飛鳥に話があって来た。通せ」
門番らしき二人組に声をかける。
門番たちは腹が真っ赤に染まった総助に怪訝な顔を向けるが、門を開いた。
「ようこそ、おいでくださいました。総助殿」
開かれた門の奥には待ち構えたように腰を折る執事。
いつも安心院飛鳥の隣に立っている男だ。
総助が来ることは当然のごとく把握していたらしい。全部筒抜けてやがる。
執事に続いて豪邸内に入ると、前よりも気持ちの悪い装飾が増えていて、げんなりとする。
金の壁に赤い絨毯、よくわからん甲冑に、よくわからん絵画、よくわからんツボ――とにかく値段の高いものを集めたって感じの品のないお屋敷だ。
こんなところにずっといたら精神がおかしくなりそうだが、睦実の着物を着ているおかげで、どうにか逃れられている気がする。あいつの堅物力なら安心院家光線に勝てそうだもんな、なんて。くだらな。
長いこと歩いて、屋敷の奥、ひときわ重厚な扉が開く。目に入った男は豪奢な椅子に座り、足を組んで、ニヤリと笑っていた。
背が低く華奢な体格でまるで子供のような容姿なのだが、これでも四十近いというのだから驚きだ。せめて精神的には成熟していてほしいものなのだが、精神まで子供のようなやつなのでたちが悪い。
部屋を歩いて、その男――安心院飛鳥の前に立つ。
飛鳥が座っている場所は床が高くなっているので、立っている俺と座っている飛鳥の目線がちょうど同じくらいになった。
(元気そうだな……)
総助はがしがしと髪をかき、
「相変わらず図太く生きてるのな、あんた」
呆れた目を向けた。
「ふっ、久しいな、人斬り総助。血まみれのお前もそそるものがあるっ」
ぐっ、
飛鳥に腹を掴まれて、意識が真っ白になるような痛みに襲われる。
だが、悲鳴などあげようものなら、飛鳥がより愉悦を感じるだけだと総助はよく知っているので、歯を食いしばって耐えた。
床に血がこぼれる。
「フハハハハッ、ふむ、貴様の血で汚れた。どうしてくれるんだ」
大きな声で笑っていたくせに、手を放した途端にそれを不愉快そうに眺める。
お前が勝手に汚したんだろ、と言いたいのを我慢して、グッと睨んだ。
この男のこういう狂ったところ本当に嫌いだ。
それなのに、こんな男でも生きていると嬉しいなんて呆れた話だ。
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