08 温情
部屋に入り、布団から少し離れた位置に座ると、睦実はじっと総助を眺めた。目を逸らした総助の気持ちを慮って、覗き込むようなことはしない。
「まだ顔色は悪いな。もう少し寝てもいいが、体を清めたければ行水でも……いや、傷口にさわるか。濡れ手拭いで拭くくらいにとどめておくか? あと、食事の用意もできているから、そっちの方がよければ」
「は?」
総助は思わず、逸らしたはずの視線を睦実に戻してしまった。何故こんな甲斐甲斐しく世話しようとしているのか、混乱せずにはいられない。
「死刑の前は温情でいい思いをさせてやるのが慣習なのか?」
素直な疑問は
「何を言っているんだ?」
睦実に一蹴される。
怪訝そうに眉をひそめた睦実だったが、いま思い至ったとばかりに納得の表情に変わった。
「ああ、なるほど。捕まったと思ったのか。それは誤解をさせて悪かった。ここは私の家だ。捕まえたのではなく、治療のために連れてきただけだから、ゆっくり静養するといい」
総助は目を丸くする。
「なんで捕まえてないんだ。ってか見廻り組の隊長ともあろう人が、罪人を家に匿ったりしていいのかよ」
「今の見廻り組に貴様ほどの人間を相手にする余裕はない。どうせ捕まえたところで、暴れられたら私以外では抑えきれないだろうし、晋悟あたりが出張ってくるのも厄介だ。だから、私の家に匿って、事情聴取くらいで終わらせるのが最善だろう」
確かに捕まったところで大人しく死刑にされるつもりはなかったが、睦実がそういう判断をすることに総助は意外性を感じた。もっと規則や形式に凝り固まった男だと思っていたんだが。
こいつ、本当に睦実か?
あやかしが化けてるんじゃないだろうな。
「なんだその疑うような目は。総助は私のことを堅い堅いとよくいうが、私だって柔軟な対処くらい心得ている」
「本当かよ」
「そこまで疑うか」
目で肯定する。
睦実は眉をひそめ、深く息を吐いた。
「そうだな、晋悟が絡む案件は柔軟な対応をせざるを得ない……という方が正確かもしれない」
「ああ、それは、ご愁傷様」
晋悟を本気で怒らせたら、見廻り組壊滅くらいやりかねないし、下手すれば隊員の周りの人間にまで報復が待っていそうだ。
いつも穏やかなやつほど、怒らせたら怖いってな。
睦実もそこのところよく理解しているらしい。
「で? どうする。もう少し眠るか?」
睦実の問いに
「いや、」
総助は再び視線をそらし、
「お腹すいた」
と、ぽつり呟いた。
寝たらまたあの日に囚われそうで、怖かったのだ。
「わかった、用意する。待っていろ」
睦実はひときわ優しい声で応えると、部屋を出ていく。
障子が閉まる音に、ほんの少しの寂しさを感じたのはきっと気のせいだ。
耳を澄ましても睦実の足音くらいしか聞こえない。
睦実は昔から見廻り組の仕事に邁進していて、遊び歩くようなこともない堅物だったから、とうとう今の今まで独身を貫いてしまっていた。
決してモテないわけじゃない。
剣の腕はあるし、名家である佐条家の人間だ。
さっきの甲斐甲斐しさからもわかる通り、人柄だって悪くないから、女性人気も本当は高い。
だが、睦実はどんな女性も取り合わず、お見合いの話もすべて蹴っているという話だった。
恐らく、恨まれやすい立場の自分が妻など娶ったら、妻が危険な目に遭うに違いない……とか考えて、諦めているんだろう。
どこまでも真面目で優しいやつだから。
総助はかつて道場に巡回に来ていた頃の睦実を思い起こしていた。勝負を申し込む度に、それはもう丁寧に腰を折って断られたものだ。
そんな真面目じゃ生きづらいだろうと、年下ながらに見つめていた。
(ふっ、それで結局嫌いな罪人の世話する羽目になるなんて、かわいそうなやつだ)
総助は天井の木目を見つめながらそう思った。
「は? これ全部睦実の手作りなのか?」
睦実に体を起こしてもらうと、目の前に並べられた一汁三菜に総助は口をひきつらせた。
ふっくら炊かれたご飯。
味噌と出汁のいい香りが立ち込める味噌汁。
椎茸やお麩など具だくさんの鶏の煮物。
鰹節がこんもり乗ったほうれん草のおひたし。
柚子の皮が白によく映える大根のおつけもの。
どれも料理を作り慣れた人でしか作れない、家庭的だが、手の込んだ料理達だ。
「独り暮らしだから、料理くらいする。総助はやらないのか?」
いや、そんな料理するのが当たり前みたいに言われても。刀振るようなやつは大抵料理しないんだが、。
「うん? いつもご飯はどうしてるんだ? ちゃんと食べているのか」
「団子食ってるから」
「おい、まさか団子がご飯だなどと言わないよな? 野菜やお肉も健康な体のためには必要なのだぞ」
「……最近は、晋悟がおばんざいとか買って来てくれてたから、問題ない」
「む、そうか、ならいいが」
説教モードに突入しそうな睦実が面倒くさくて、総助は無難にごまかす道を選んだ。
実際は野菜や肉なんて週一回食べればいい方である。
「まだ体調が悪いなら無理はしなくていいから、食べれる分だけ食べればいい」
そうは言われたものの、なかなか箸を動かすことができない。なにかが胸に引っ掛かっている。
「すまない、普通の食事ではやはり食べる気が起きないだろうか。おかゆとかの方がよかったか?」
睦実から心底申し訳なさそうに言われて、総助はより気持ち悪さを感じた。
ああ、そうか、
自分の不快感の原因がわかり、睦実を睨み付ける。
「なぁ、なんで罪人の俺にここまでする。何をたくらんでるんだ」
「何もたくらんでなどいない。斬って怪我をさせてしまったのだから、治るまでは世話をしようと思っているだけで」
「はっ、斬られたのは俺が弱かったからだろ。てめぇのどこに落ち度があるのかわからねぇな。帰る」
布団に片手をつき、なんとか立ち上がろうと試みる。
猛烈な腹の痛みでどうにかなりそうだったが、ここに留まるよりはずっとマシに思えた。
「おい、無茶をするな。傷口が開くぞ。私の抜刀術を受けたのだ。貴様が考えているよりずっと傷は深い」
抜刀術だと?
睦実がもっとも得意とする必殺の技だ――いつも峰打ちの睦実が、敵を殺すときだけに使う……。
「そうか、殺し損ねたってわけか。だったら、傷口が開いて俺が死んだ方が都合がいいだろ」
「そうじゃない、待て」
ようやく立ち上がった俺は布団の脇に用意されていた着替えの着物を肩に担ぎ、傷口から血が滲むのを手で押さえ、息を乱しながらも部屋を出る。
最後に目に入った料理たちに、言い知れぬ恐怖を感じたのは何故だったのだろう。
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