39 戻りゆく日常
第1章の最終話です。
総助が安心院家からの帰路につくのを眺める二つの影があった。時計台の上、影の一つである小柄な女は片膝をつき、隣に立つもう一つの影を見上げている。
「安心院家の社交界での地位に揺らぎが芽生えました。見廻り組も半壊状態。すべては流様のご意志のとおりに」
ながれ、と呼ばれた男は女の方を見ることなくじっと総助に目を向ける。総助は安心院飛鳥を護る盾として裏の世界では有名だ。
「あの人斬りが気になりますか」
女の問いかけに男は答えない。
しかし、視線は総助から外されることがなかった。
「流様の計画は問題なく進行しているように思います。それでも憂慮されることがあるというのならば、私がこの命に変えても対処いたします」
女は頭を下げるでもなく、男に向かってただまっすぐ言い放つ。
気負いはない。
ただ事実としてそう述べたに過ぎない。
「世界の理を曲げるにはまだ足りないか、、」
小さな男のつぶやきを残して、二つの影は虚空に消える。
時計台の床には小さな四ツ葉のシロツメクサがひらりと落ちた。
◇
男は小さな子どもたちを数人引き連れて、隣町へと勇み足で歩いていた。
「親父、どうしてもこの町を離れるのか?」
「ああ、俺は見廻り組がごたついてるうちにこの町を出なきゃならねぇ。お前たちは残りたいなら残ってもいいんだ」
「嫌だ、親父と行く」
「そうだよ。もう離れないって決めたもん」
男には辻斬りをしていた過去があり、捕まれば死刑になってしまう。もともと協力するなら無罪放免だと言われ見廻り組の反乱に加担する羽目になったが、最後の最後で逃げ出した挙句、反乱側が負けた以上、その約束はなくなったものと見ていいだろう。
だからこそ、捕まる前にと逃げている。
鬼が出るとの噂がある西を避け、東へと進んでいる。
「いいのか。友達とかいたんじゃねぇのか」
「総助には昨日会えたからいいんだ。最後の思い出にって花火したけど、まさかそこで総助に会えるなんて。友達ってのは不思議な縁だよな」
「あいつしか友達いないのか」
「うるせぇよ、親父。いいんだよ、友達なんていなくたって俺らはみんな兄弟だから、寂しくねぇもん」
子供らに血のつながりはない。みんな男の辻斬りによって親を亡くした者たちである。だが、親に愛されなかった子らは、愛をくれなかった親よりも愛をくれた辻斬りを好きになった。
子どもを連れたやさぐれた男は町の中では目立っていたが、だからといって誰が声をかけるわけでもない。見廻り組は昨晩の一件で町外れになど目が向いていないし、彼らの行く手を阻むものはなかった。
◇
「次の日になっても回復しないなんて、よほど無理をしていたんだね、兼近は」
見廻り組の屯所内、大広間で司馬武虎はごちる。
「隊長殿もしばらくはこちらに顔を出さない様子。副長殿に仕切っていただかなくては、数多いる敵につきいる隙を与えましょうぞ」
暢気な武虎に、先代の頃より隊長の側近を務める相談役の男どもは、きつい言い回しで迫る。
今回の一件、佐条睦実には仔細を伝えていなかったが、相談役の男たちにはすべてを話し、静観させていた。彼らを敵に回しては、謀反などということがうまく行くはずもない。
兼近は思案していたようだが、それだけは武虎が譲らなかった。
新しきを作るのに古きを邪魔とするのが兼近であるとするなら、新しきを作るために古きをとことん利用するのが武虎である。
とはいえ、口うるさい相談役たちに嫌気が差して、武虎はため息をついた。
睦実は隊士たちからはあまりよく思われていないが、相談役たちとはなぜだかうまくやれている。口うるさい彼らも睦実の言葉には静かに頷く。
先代、あるいは先々代の頃より見廻り組を見てきた者たちには何か感じるところがあるのかもしれない。
武虎がいなければ見廻り組が瓦解すると睦実は考えていたが、武虎もまた睦実がいないと面倒だと改めて思った。
「さて、どうしたものか」
つぶやきはセミの声にかき消され、相談役たちには届かない。
◇
「高輪さん、本当になんと感謝をしたらよいか」
「そう頭を下げないでくださいな、智弥さん。力になるのが遅くなって、申し訳ないと思ってますのよ」
「いえ、高輪さんが力を貸してくださらなければ、佐条家は、、社交界で孤立し、たちゆかなくなっていたでしょう」
佐条家の座卓を挟み、会話を展開する当主二人。
少し離れた壁際に座って佐条睦実は静観する。
神社系の家を束ねる高輪家の当主と言われてしっくりくる芯の強さと、まだ若いゆえの快活さ、そして、淡い桃色の着物が似合う可愛らしさ。彼女の性質は好ましいものだし、兄がそれを心地よく感じているのも睦実には理解ができた。
外は敵だらけと言わんばかりに、これまで他家と深い関わりを見せてこなかった当主がようやく信頼できる隣人を見つけられたのだと、少しばかり息を吐く。
「しかし、安心院飛鳥は穏やかではないでしょう。今回の件にどこまで関わっているのかは存じませんが、安心院家の絶対的立場に揺らぎが生じたのは事実でしょう。高輪家に報復がいかないとも限らない」
「覚悟はしておりますわ。けれど、私は成すべきことをしたと思っておりますし、いざとなれば頼れる者もおります。だからそう気にしないでくださいな」
高輪家当主は笑みを浮かべる。
そこに恐れはまるでない。
気の弱いところがある兄上とは正反対であるが故に、とても相性がいい。そんな二人のやり取りを眺めて、佐条睦実は、改めて、兄が生きていることの喜びを噛み締めた。
◇
「へぇ、ついにここに総助が帰ってきたのかい」
「ええ、口いっぱいに頬張って、美味しいって食べてくれたわ」
開店準備中の店の椅子に、一人の男が座り、ゆっくりとお茶をすする。ねずみ色の着流しに身を包んだ男は、いつもより少し浮足立った様子の店主に静かな笑みを向けた。
「それは羨ましいことだ。私の神社にはまだ帰ってくるつもりはなさそうだというのに」
「この前はおにぎりを食べてくれたのでしょう。少しずつほどけているものはありそうよ」
「そうだねぇ。しかし、総助は神社を神聖な場所だと認めている節がある。自らが足を踏み入れることを許せるかどうか、難しいところだ」
遠い目をする男に店主も曖昧な目を向けた。
「だが、私のもとに八千夜を預けているのだから、ずっと目を背けたままでいることもまた、総助には難しかろうな。気長に待つとするよ」
「ええ、大人っぽくはなったけれど、根っこの部分は昔と変わってなかったわ。優しい子だもの。いつかあなたのもとへも帰るわ、きっと」
「ああ、楽しみにしておこう」
コツンと湯呑みを合わせ、静かなときの流れを噛みしめる。
ずっと同じ待ち人をしてきた二人は、店主と客の関係を超えて、同志とも呼べる関係に落ち着いていた。
◇
カンカンカン
刀を打つ音が響く。
ここのところ瑠璃姫と向き合っていた晋悟も通常業務に戻っていた。
常連たちがいつものように駄弁っているのに耳を傾ける。
「しかし、まさか高輪の嬢ちゃんがああも思い切ったことをするとは」
「高輪殿は豪傑ですからなぁ。結果、家格を上げたのでは?」
「ああ、勝馬に乗るのはさすがとしか言えんな」
「さて、それはどうじゃろうな。報復があるとすれば、これからだろうさ」
常連たちを束ねている長老のような爺さんは、苦い顔で呟く。自らの派閥の人間が安心院家に刃向かったことを誰よりも重く受け止めていた。
「お姉さんなら大丈夫だと思うけどな」
いつの間にか刀を打つのやめて、晋悟は常連たちの会話に割り込んだ。
「けしかけたのは坊じゃろう」
「けしかけたなんて酷いなぁ。勝算があったから背中を押してみただけなのに」
爺さんは呆れた笑みを浮かべた。
「しかしなぁ」
「むしろ飛鳥さんの怒りは俺に向いてると思うし。多少はお姉さんにも突っかかるとは思うけど、じゃれつく程度だよ、きっと」
常連たちがみな顔を見合わせる。
集まりの中ではわりと若い方の男が恐る恐る声を上げた。
「坊、大丈夫なのか。安心院家当主は容赦のない暴君だ。潰された家は数知れないし、殺された人間もたくさんいる。坊が考えてるよりずっと怖い人なんだよ」
「ははっ、何言ってるのさ。たとえ俺が大丈夫じゃなくたって、みんなは動かないんでしょ? 今回、安心院家の報復を恐れて一切動かなかったもんね。そんな人たちの心配なんていらないよ。いざとなったらお姉さんに頼るから。ね、だから心配しないで」
ニコニコ笑顔でそう言った晋悟に、常連たちは揃って冷や汗を流した。
.。o○
「やっぱりここだったか」
「ああ、晋悟か」
世界が朱色に染められる夕刻、団子屋に2つの影があった。
それは町ゆく人にとって日常の風景で、誰も気に留めたりはしない。ただ、そこにあるのがあたりまえの光景が戻ってきたのだと、なんともなしに思うだけ。
でも、実は少しだけいつもと違うのだと誰も気づきはしないのだ。
知らず知らず世界は移ろう。
今日もまたどこかでなにかが起きていることを知らないまま、人々は日常と信じた日を生きていく。
変化に気づかないふりをして。
ざわついた心を無視して。
それでも朱色の空は優しく光り包むのだから。
お読みいただき、ありがとうございました。
第1章が完結したということで、毎日投稿は一旦停止させていただきます。
また第2章が書き上がった頃に顔を出しますので、よろしくお願いします。
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その他拙作として
『白鷺のゆく道〜一味の冒険と穏やかな日常〜』も連載中です。
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これからも唯畏をよろしくお願いします。




