30 信詠の呪い
(飛鳥から借りた刀だっていうのに、やっぱり折れてしまったか。)
総助は折れて床に転がった刃を眺め、絶望に似た空虚を感じる。折れた刃はまるで胸に突き刺さったかのような痛みをもたらし、世界を黒く塗りつぶす。
俺は刀に嫌われる。
いつからかと問われれば、信詠を斬ったときからだ。
あれ以来、俺が刀を振ればことごとく折れる。
信詠は刀に愛されていた。
だから、刀は俺を嫌うんだ。
晋悟の祖父、名匠とうたわれた光善さんの打った刀ならもしかして、と思ったが、いまさら許されようなんて、そんなうまい話あるわけなかった。
ならば、と総助は刀を床に放り投げ、うずくまっていた老人を蹴り飛ばす。
グハッとうめき声を上げ、老人が横たわった。
必死で抑えていた衝動も、もはやどうでもいい。
俺がどれだけ刀とうまく付き合おうとしても、刀がそれに応じることがないのなら、努力になんの意味がある。
もういい。
もう終わらせよう。
老人の瞳は今にも襲いかかりそうな勢いを見せているが、体はとうに限界を迎えている。もう動けもしないくせに、強い瞳で睨んでくることか、たまらなく不快だ。
いい加減諦めてくれよ。
わかっただろ、俺との実力の差は。
体に力が入らない。
こんな男に負け、当主様を守れないなど。
冷たく見下ろしてくる人斬りを睨む。
睨んでも怯むような相手ではないが、それでも睨んでしまうというもの。
一つも傷をつけられなかった。
不甲斐ない。
まだ幼い頃、小間使いとして佐条家に仕えるようになった私は、当主様の見様見真似で刀の振り方を覚え、いつしか剣の腕を認められるようになった。ただの小間使いだった私は数年も経つと護衛部隊の一人となり、十数年も経つと当主様のそばに侍る護衛の要にまでなった。
だが、私はいつも護れない。
先々代の当主様は奥方を喪ったことで心を壊され自殺なされた。その苦しみを知っていたのに、私はどうにもできなかった。
先代の当主様は彼方より射られた矢で討たれた。
私が気付いて刀を抜いたときにはもう矢が当主様に刺さっていた。私に睦実様ほどの実力があれば護れただろうに。
今度もまた護れない。
現当主、智弥様のことこそはこの身を賭して、護り抜くと強く強く誓ったのに。今度こそはと誓ったのに。
くっ
人斬りに手首を踏まれ、あまりの痛さについぞ刀から手が離れる。そして、こともあろうか、その地面に横たわった私の刀を人斬りは拾い上げた。
まさか、。
まさか、私の刀で当主様を。
やめろ。
やめてくれ。
人斬りの雰囲気が変わった。
刀が折れた瞬間、洗練されているように見えた風格が、まるで暴れ馬かのような荒々しさに飲み込まれた。
刀が折れた音はきっとこの男のタガが外れる音だった。
忠臣を蹴飛ばし、刀を奪って、だがそこになんの愉悦も覚えることなく、人斬りはただただそこに在った。
彼の目には何も写っていない。何も見ていない。
怖いと感じなければいけないだろうここで、私は胸を掴まれるような悲しみに襲われていた。
斬られることに自身が怯えているのかとも思ったが、そうではないらしい。光を写さぬ彼の瞳があまりにも切なくて、彼の人生を思ってしまったのだ。
弟よりも若く見える彼が、一体どうしたらそんな眼をすることになるのか。なぜにそこまで諦めているのか。
私は幸せとは言えない道を歩んできた。
若い頃に父を殺され、常に命を狙われる日々で、外に出ることもままならない。
だが、仕えてくれる優しい人と、誇らしいほど立派な弟がいるから、生きることに意味を見いだせた。
彼はどうなのだろう。
何か一つでも、生きる意味を持ってはいないのだろうか。
暗闇の中でふと、視線を感じる。
視線の先にはまっすぐ俺を見る眼があった。
恐怖に怯える人のそれではない。
殺意を持って射抜くそれでもない。
ただただまっすぐ俺を見ている。
もう何もかもどうでもいいと思っていたはずなのに、その目には心を奪われる。心を直接撫でられたかのような気持ち悪さをも覚える。
そうだ、俺は睦実の兄に会いたくて、ここまで来たんだった。
佐条智弥―――。
この状況で刀を抜きもせず、まっすぐ立っていられるほどの器。なるほど、若くして佐条家を治め、安心院飛鳥と敵対してなおここまで生き残っただけのことはある。
さすが完璧超人である睦実の兄だ。
「刀、抜かないのか。俺ごとき相手じゃ抜く必要もないってか」
俺の問いかけに、佐条智弥はわずかばかり目を見開き、そのあと視線を落とした。
なんだ? 思ってなかった反応に混乱する。
「ひとつだけ聞いてもいいだろうか」
今度は俺をまっすぐ見て、恐る恐る聞いてくる。
「なんだ」
「睦実の頬に傷をつけたのは君か」
睦実の頬に傷?
そういえば、睦実の家で目を覚ましたとき、たしかに頬に傷がついていた気がする。
記憶にはないが、、
「、、おそらく」
「そうか」
んっ、なぜそんな笑顔を浮かべる。
佐条智弥がまるで子供を見る母親のような笑顔を俺に向けるものだから、思わず1歩退いてしまった。
「なんだよ」
「私の弟は強いだろう。だから、対等に渡り合える者が少なく、いつも一人でいることが多い」
わかるけど、自慢かよ。
だが、誇らしそうに語るものだから、兄として弟を想っていることがよくわかる。
兄弟仲は良好なようだ。
「嬉しかったのだ。頬をつけた相手のことを聞いたとき、睦実がなんとも言えないいじらしい態度を見せたことが」
なんだよ、いじらしい態度って。
気持ち悪。
「弟にあんな顔をさせる君に斬られるなら、悪くないのかもしれないな」
恐怖も気負いもまるでなくまっすぐ立ち、背後の壁にかけてあった刀を手に取り、抜いた。
まさしく凪。この局面で、揺らぎなく。
すげえな。
俺がずっと追い求めてきた強さそのものだ。
さっきまでどうしようもない衝動に、諦めに、身を焦がされていたというのに、この男を前にすると、俺も揺らがぬ自分で向き合いたいと思わされる。
総助は刀を持つ自分の手が僅かに震えるのを感じ、にやりと口角を上げた。
武者震いか、悪くない。
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