16 安心院家財務担当
「総助さん、なぜあなたほど強い人が……」
消え入るような声で呟いたのは安心院家の財務を担当している男だ。
その先を言えば首が飛ぶとわかっていて、それでもせめてここまでは口にせずにはいられなかったらしい。
言いたいのはこういうことだ――なぜあなたほど強い人が、安心院飛鳥に従っているのか。私は今すぐここから出ていきたいというのに――。
ここは安心院家豪邸の中庭。
夏に差し掛かり暑いとはいえ、サワサワ揺れる木の葉と涼やかな噴水、カラコロと響く風鈴が心地よい。総助のお気に入りの場所だ。
邸内はとんでもなくセンスがないというのに、中庭だけは美しい。というのも、飛鳥ではなく、もう亡くなった飛鳥の母親が整備した庭なんだそうだ。
当主になってすぐ、飛鳥は前までの日本建築の邸宅を引き払い、巨大な西洋建築の豪邸を建てた。
まぁ、色々と思うところがあったらしい。飛鳥はあまり自分のことを話さないので、正確なことは分からないが。
こうして中庭の端にあるベンチに腰を掛け、ただボーっと過ごしていると、安心院家で働く人間に時々声をかけられる。特に、この財務担当の男は悩みが尽きないらしく、まるで愚痴をこぼすかのように毎日話しかけてくるのだ。
今日もベンチの隣に座って、俯く。
「なぜ飛鳥様は私などを重用するのか」
「優秀だから気に入られてんだろ? ああ見えて人を見る目に優れてやがるから、あんたは多少間違えても許される気がするけどな」
総助は首を背もたれに預け、空を見上げながら太陽の眩しさに目を眇める。
「私が許されても、、」
「ああ、そういうことな」
この財務担当の男は家族を人質に取られている、と思っているのだ。本当に人質に取られているわけではなく、飛鳥にそう匂わされている。
「もうすぐ息子の陽太の誕生日なのに、今年もまた何もしてあげられそうもありません。最近はたまに家に帰れても陽太に睨まれるんです。陽太に寂しい思いをさせていることが本当に申し訳なくて、妻にも苦労ばかりかけてしまっています、。それでも私は逃げてばかりで」
逃げてばかり、か。
教会跡地での盗賊団とのやり合いのあと、晋悟に同じようなことを言われたな。
『逃げたってことじゃないの?』
斬り合いの最中のことは血が沸騰したようになって覚えていない――そんな俺に、晋悟は笑ってそう言ったが、その真意は『いつまで逃げてるつもりなの?』だ。
教会跡地に俺を誘導したのだって、同じ意味だろう。
わかってはいる、けれどずっとごまかしている。
「いつか、逃げるのやめなきゃいけねぇのかな」
「……総助さん?」
財務担当はどうしたのかと首を傾げる。
「あんたはさ、家族を守りたいから逃げてるわけだろ? いいじゃねぇか。戦うことが必ずしも正解じゃねぇさ」
「意外です。総助さんは逃げずに立ち向かってみたらいいって言うかと思ってました」
「はっ、言わねぇよ、そんなこと。俺だって逃げてばっかりだ」
空を見上げたままで答える総助を財務担当はじっと見つめた。
男から見れば、総助は安心院飛鳥相手でも物怖じしない強い人間に思えて、逃げてばかりなど到底信じられなかった。
「あんたは俺のこと強いって思ってるんだろうが、そりゃ嘘だ。ここにいるのだって、逃げてきたからだよ。俺にとって飛鳥の側は安心できる場所だからな。あいつは俺のこと何があっても守ってくれるし、俺がどれだけ逃げようと認めてくれる。ま、性格は最悪だけども」
男には明確なことはわからなかったが、安心院飛鳥には自分の知らない側面があるのかもしれない、と俄に思えた。
だからといって彼を好きになることは絶対にないだろうが。
(ん!)
総助は人の気配を感じて、財務担当の口を手で塞ぐ。
近づいてきたのはいつも飛鳥の隣にいる執事だ。
「総助様、飛鳥様がお呼びです。一緒にお食事されたいと」
「……わかった、」
いつもは一緒に食事など断っているのだが、ここで断ると財務担当のこの男がとばっちりを食らう未来が見える。仕方なく、総助は食事の誘いを受け入れることにした。
気色悪い邸内の一室に、とんでもなく長い金の机が鎮座している。
飛鳥はその短辺ではなく長辺の中央に陣取っていた。
いつもと違う座り方に微妙に違和感を感じるが、向かい合ったときに距離が近くなる座り方をしたんだろうと思い至った。
だが、総助は机の椅子には腰掛けず、部屋の端の床に座り込む。飛鳥が横を向けば目が合う場所だ。
飛鳥は気を悪くすることなく、むしろ予想通りとばかりに笑みを浮かべた。
睦実なら、『なぜ床に座る』とか、『ご飯を食べなければ健康的な身体にならない』とか、グチグチ言ってくるんだろうなと思うと、やっぱり飛鳥と一緒にいるほうが気は楽だ。
飛鳥が食事をする間、総助はただ窓から外を眺め、ときどき飛鳥から振られる話題に応えていった。
そして、食事も終盤に差し掛かった頃、
「貴様はあの男を気に入ったようだな」
飛鳥はそんなことをほざき出した。
あの男ってのは財務担当のあいつのことだろう。
ここで気に入ったと答えると、飛鳥が今以上にあいつに興味を持つので避けたいところだが、まあ、この質問をしてくる時点で終わってるよな。
「気に入ってんのは飛鳥の方だろ」
「ふ、そう思うか」
そう思うか、じゃねぇよ。
飛鳥は気に入ったやつとしか遊ばないだろ。
嫌いなら殺すか、社会的に抹殺する。
興味がない相手には目も向けない。
だからまあ、そういうことだ。
「もう少し手を抜いてやったら? ああいう人間は追い詰めすぎると、牙を向くぞ?」
総助は飛鳥に顔を向け、忠告を述べる。
「ハハハハハハッ、牙を向くのが楽しみなんじゃないか!」
「ちっ、趣味悪すぎだろ」
「アハハハハハハハハ」
飛鳥は食事を終えたらしく、赤ワインを仰いでいる。
狂ったような高笑いだが、酔っているわけじゃなく平常通りだ。第一、飛鳥は酒をいくら飲んでも酔わない。
「さて、総助。本題に入ろうか」
一気に部屋の空気が冷える。
(なんなんだよ。調子の変容が激しすぎだろ)
総助の小さなつぶやきは飛鳥に聞こえていたが、いつも言われることなので構いはしない。
「そろそろ見廻り組の反隊長派閥と合流しろ。面白い結果を期待している」
ジージージージー
蝉の声がよく響く。
総助は頷くでもなく立ち上がり、部屋を出た。
それは彼が一つ調子を変えた瞬間。
その空気の変わり様に飛鳥は苦笑する。――私のことを言えた義理か、と。
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