13 佐条家当主
総助と対峙したあの日から数日が経ち、睦実は佐条家本邸を訪れていた。
そびえ立つ黒い門を抜け、広大な庭園を歩いてようやくたどり着いた大きな瓦屋根の建物に、睦実は息を吐く。
いつ見ても圧倒される存在感だ。ピリピリとひりつく緊張感は何度来ても慣れるものではない。
その緊張感の源泉には敷地内に身を潜めている幾人もの侍や忍の存在がある。すべて佐条家当主を護るための護衛部隊の者たちだ。この土地の広さも護衛部隊も総じて当主一人を護るための措置だということが、佐条家の家格の重さを示していた。
「おかえりなさいませ、睦実様」
玄関から響いた優しい声に、ようやく睦実は気を休める。
(相変わらず元気そうだな)
立っていたのは、小さい頃から祖父のように慕っている家臣だ。しっかりした体格でまさしく威風堂々といった様相のじいさん。かつて睦実に剣を教えた師でもある。
未だ衰えを知らない風格に、尊敬の念は増すばかりだ。
睦実が本邸を訪れるのは月に一度、当主への挨拶のためだ。師匠は当主の護衛を務めているため、挨拶の度に顔は合わせるが、こうして玄関で出迎えてもらうのは初めてだった。
随分と当主に心配をかけたらしい。
いくつものふすまを抜け、たどり着いた当主の部屋はひと月前に来たときとは別の部屋だ。当主は敵襲に備え、こまめに部屋を変えている。
師匠がふすまを開けるや否や、睦実は平伏した。
「佐条睦実、ただいま戻りましてございます」
たっぷりな沈黙ののち、
「よく戻ったな、睦実。顔をあげて、元気な面を拝ませてくれ」
当主から穏やかな声がかかった。
睦実はゆっくりと顔をあげる。
ひと月前よりもずっと疲れた顔をしている当主に睦実はわずかに唇を噛んだ。
「おや?」
当主が心底不思議そうに首をかしげる。
「頬に傷ができている。睦実に傷をつけるとはいったいどこの誰の仕業かな?」
睦実は頬の傷に触れつつ、視線を下に落とした。
「見廻り組の仕事で少々。あれは敵というわけではありませんので、お気になさらず」
当主はそんな睦実の様子に疑念を抱く。
(いつも目を見て話す睦実が視線を逸らすとは、なにか理由ありか)
「敵ではないのに傷がつくのか」
「……味方でも、ありませんので」
いつも淡々と事実だけを報告し、表情を崩さない睦実が、こうも人間らしい表情をする相手がいるのだということが当主は嬉しかった。
「睦実がそんな顔をする相手とは、、兄としてぜひ会ってみたいものだな」
「……兄上」
困ったような顔で視線をあげた睦実に、当主はふっと笑いをこぼした。
そう、佐条家の現当主は睦実の兄――智弥だ。
睦実と智弥の父親、つまり前当主は暗殺によって亡きものとなった。
その頃、まだ20代手前だったというのに、佐条の家を背負わなければならなくなった兄の心痛は計り知れない。親が死んだことを悲しむ暇もないまま、挨拶に来る他家の人間の相手をし、神経をすり減らした。
さらには、常に暗殺者に狙われ、眠ることすら簡単ではなくなった。道を歩けば浪人に襲われ、毒味役の人間は何人死んだか数えるのも億劫なほどだ。
兄はどちらかというと気弱で、だから、そういう状況に耐えられるほど強くなかった。だんだんと食が減り、眠りも浅くなり、目に見えて衰弱していく。
そんな兄に睦実ができることは、月に一度の挨拶を欠かさず、忠誠を示し続けることだけだ。
見廻り組隊長が認め、忠誠を尽くすほどの当主なのだと、周囲にわからせる。それが少しでも兄を狙う人間を減らし、兄の安寧に繋がればと。
そのためなら、こんなに居心地の悪い本邸を訪れることも苦ではない。
「して、見廻り組の派閥争いの件が私の耳にまで届いているが、睦実はどうするつもりだ」
「安心院家の者が拐かされた一件で犯人を取り逃がしたため、私はしばらく謹慎です」
「安心院飛鳥からは私のもとにも抗議が届いた。謹慎で済むように取り計らったが、彼は粘着質な男だからね、気を付けた方がいい」
「ご迷惑をお掛けし、申し訳ございません」
安心院家は佐条家でさえ頭を下げねばならぬほどの相手。だが、異を唱えたいことあらば唱えずにはいられない睦実はこれまで何度も安心院飛鳥に苦言を呈してきた。ゆえに、目をつけられるのも仕方のないことではあった。
兄に迷惑をかけるのは忍びないが。
「それで、大人しく謹慎するつもりか」
「見廻り組のことは副長に任せてあります。そつなくこなすでしょう」
「その副長が敵対派閥の人間と噂される筆頭ではなかったかな」
「あれは私や周囲の人間の思惑に乗るような男ではありません。敵対するとしたら彼自身の意思で、そのときは私も覚悟を決めます」
「覚悟とは、副長を殺す覚悟か。それとも、副長に斬られる覚悟か」
「……見廻り組は守ってみせます」
睦実は深々と頭を下げ、部屋を出た。
最後に視線が交わったとき、兄は私から何を感じ取っただろうか。
睦実がいなくなった部屋。
智弥は立ち上がることなく、先程まで弟が座っていた場所を眺めた。
睦実は安心院家と事を構えるつもりだろうか。
「当主様、これ以上睦実様を庇うのは」
おずおずと声をかけてきたのは、先々代の頃から佐条家に仕える老齢の忠臣。智弥のことも睦実のことも大切にしてくれている、祖父のような存在。
睦実が師匠として慕う男だ。
「お前まで何を言う、私に何かあれば家を継ぐのは睦実だぞ」
「しかし、このままでは佐条家自体が無くなってしまいます。どうかご決断を」
頭を畳にすり付けて、叫ぶかのように切実に懇願してみせる忠臣に智弥は息を飲む。
いつも落ち着き払ったこの男が叫びをあげるほどに、切羽詰まった状況なのだと、それは智弥も嫌というほど理解していた。
睦実には言えない、佐条家の現状を――。
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