モブな弟は溜息をもうつかない
【悪役令嬢って何のことでしょうか?】のサイドストーリーです。
「ルビーナ・フェアリーライト! 貴様との婚約を、この場で破棄する!」
兄上は結局愚かなままだったな……僕は心の中でそうつぶやくと、一つ溜息をついた。
僕には物心がついた頃からというより、生まれたときから前世の記憶があった。
ここではない、どこか他の世界での記憶が。
けれど前世の僕はどこにでもいる平々凡々な人間で特殊な技能も知識もなかったのと、兄がいると分かった時点でこちらでも凡庸にのんびり生きていこうと決めた。
何故なら弟という存在は、上の兄姉に虐げられて当然というか、出る杭は打たれるのが常だと分かっていたからだ。
しかしある日のことだった、いつも通り弟らしくのんびり過ごしていると、兄上の婚約者という少女を紹介されてしまった。
一つ年上の、艶やかで黒い見事な巻き髪に乳白色の卵型の顔、すっと通った鼻に少し大きめだけど赤くかわいい唇、そして意志の強そうな目には唇よりも赤く輝く瞳が収まっていた。
「フェアリーライト侯爵家のルビーナ・フレイアと申します。よろしくお願いいたしますわ」
まだ幼いその声は、僕にはまるで天使の声のように思えたのだった。
だがそれと同時に、兄上の『トーマス』と彼女の『ルビーナ』の名前に覚えがあった……というか思い出してしまった。
前世で姉が聞いてもいないのに内容をべらべら喋り、僕に攻略方法を探せと言ってきた乙女ゲームの攻略対象と悪役令嬢が同じ名前で、しかもイラストで描かれた容姿も金髪碧眼と黒髪紅目とカラーリングが全く同じだった。
(偶然ということはないだろう。ゲームの世界に転生って安易すぎませんか?)
そう心の中で、神様への愚痴とともに溜息をこぼしてしまった僕がいた。
そのがっかり感を表に出さなかった自分をほめてもいいだろう。
「初めまして。私はトーマスの弟で、セオドア・セオドリク・サディアスと申します。以後お見知りおきを」
平凡な侯爵家の次男らしく、凡庸に挨拶を述べることができた。
それから数年後、偶々庭を散策していたらガゼボのテーブルセットに一人で座っているルビーナ嬢を見かけた。
どうしたのだろうと思ったが、私は婚約者である兄ではないので声をかけるのを戸惑い、踵を返してその場を去った。
しかしその日の夕方、兄上が父上から叱責を受けているのを書斎の前を通りがかった時に聞いてしまった。
「婚約者とのお茶会をすっぽかすとは、どういう了見だ!」
父上の言葉に驚いた。
兄上にドタキャンされたために彼女は一人でいたのだと、その時ようやく思い至った。
だがあの時の彼女はまっすぐ前を、目の前のきれいな庭を眺めているように見えていた。
悲しいそぶりは何もなかった。
実際に悲しみは無かったのかもしれないが、さすがに悔しさはあったのではと推測したが、思い出せる彼女はそれらを包み隠す微笑しか浮かべていなかった。
その時に兄上は「二度とするな」と叱られていたが、嫌な予感がしたので次のお茶会の日にティーラウンジを覗いてみた。
やはりというか、彼女はお茶と茶菓子が二人分用意されたテーブルセットに、またもや一人ぽつんと座っていた。
家令に確認したところ、兄上はまた逃げるように馬でどこかに出かけてしまったらしい。
2回連続ともなれば大きな問題になる。
侯爵家同士とはいえ、我が家の立場が悪くなると分かって……いないのだろうな。
家令とともに大きく溜息をついてしまったが、
「これ以上フェアリーライト侯爵家に無礼な真似はできない。今日は僕がお相手をしておくよ」
と、兄上は急病ということにするように言い含めて、ティーラウンジの中に入っていった。
「お久しぶりですフェアリーライト嬢。申し訳ありませんが兄は急な発熱で寝込んでしまいましたので、今日は兄より容姿がいささか劣る弟で我慢して頂けませんか?」
そう挨拶をすると、ルビーナ嬢は目を瞬かせてから花のような笑顔をこぼしてくれた。
「こんなきつい顔立ちの女でよろしければ、ご一緒してくださいませ」
「御名前の通り宝石のように美しい女性のご相伴にあずかれるのは、とても光栄なことです」
「ふふ、お上手ね。さあ、そちらへどうぞ」
誘われるまま席に着き、二人分の紅茶を入れ直させていると、
「ありがとうございます」
と彼女に言われ、申し訳なさでいっぱいになった。
その後も、兄上が約束の時間から15分経っても現れない場合は、僕がルビーナ嬢のお相手をすることになった。
母が同席することもあったが二人きりの時が多く、色々な話をすることができた。
ルビーナ嬢はとても才覚溢れる女性だった。
女性らしいファッションや刺繍のことだけでなく政治や経済にも通じており、僕が一応唯一得意としている魔法機械工学についても興味を示してくれた。
二人でかわす言葉は有意義であり、とても楽しいものでもあった。
しかし、それでも彼女が兄上の婚約者であり、私の義理の姉になるお方というのは変わらなかった。
僕が特別仲良くなることは許されないし、何より兄上がお相手をすべきだと思っていたので、何度か兄上に進言した。
「兄上。フェアリーライト侯爵令嬢とのお約束をお守りください」
「うるさい! お前には関係ないだろう!」
「ことはサディアス侯爵家全体に関わってきます。兄上が跡取りなのですから、家のことも考えて行動を……」
「お前まで家のために私に犠牲になれというのか!?」
「兄上?」
その瞬間悟った。兄上はルビーナ嬢を気に入っていないのだと。
家のことよりも自分のことを優先していると。
(ならば全て兄から奪ってしまえばいい)
そんな悪魔の囁きが心の中に落ちてきた。
けれどそれからも僕は兄に、兄上が侯爵家の跡取りとしてふさわしくなるようにと助言をし、ルビーナ嬢と仲を深めるためのヒントも与え続けた。
時折「確かに兄上の言う通りではありますが」と兄上の愚かな考えを擁護することも忘れなかった。
そしてとうとう兄上は出会ってしまった。
ゲームのヒロインであるシャーロット・ミラ・マーシャル男爵令嬢に。
兄上の言葉を肯定した日は、兄上は機嫌よく色々話してくれた。
その話の中に“マーシャル男爵令嬢”が混ざり始め、半年もたたないうちに“シャーロット”という言葉がどんどん増えていった。
そして時折フェアリーライト侯爵令嬢のことを聞くと、「学年が違うので学校ではあまり会わない」と言うので、(ルビーナ嬢と同じ学年のシャーロット嬢とは会っているのに?)と心の中だけで疑問視しておいた。
しかしついに、
「あの悪役令嬢はシャーロットをいじめているようだ」
という台詞が出るようになった。
「悪役令嬢……とは?」と聞けば「何でない、言葉のあやだ!」と言っていたが、たぶんシャーロット嬢に吹き込まれているのだろう。
(やはりシャーロット嬢も転生者で、これほどちょろい男なら落とすのも楽だったろうな)
というのが僕の素直な感想だった。
そしてその年の王都高等学院主催のパーティの日、とうとう兄上は『ルビーナ嬢のパートナーはしない』と当日の朝にフェアリーライト侯爵家に連絡を入れるという暴挙に走ったのだった。
もしかしてと思っていた僕は念のためにと前夜から準備をしていたので、慌てることなくフェアリーライト侯爵家に赴き、ルビーナ嬢のエスコートを買って出た。
侯爵は怒りのあまり顔が真っ赤になっていたが、夫人と令嬢は落ち着いた態度で出迎えてくれた。
「もしも今後も娘のエスコートをお願いしたいと申し出たら、どうなさるのかしら?」
「フェアリーライト侯爵のお許しが頂けるのなら喜んで、とお応えいたします」
僕の言葉に、ルビーナ嬢は昔と変わらぬ花がほころぶような笑顔を返してくれて、僕も嬉しくて照れ笑いを返してしまった。
「兄が本当に失礼なことをいたしましたが、二度とはさせませんので」と言い終えてから二人で馬車に乗り込むと、侯爵の眉間には未だにしわが寄っていたが、怒りは落ち着いたようだった。
そして今……。
「ルビーナ・フレイア・フェアリーライト侯爵令嬢。わが愚兄がご迷惑をおかけいたしまして、申し訳ありませんでした」
「セオドア・セオドリク・サディアス侯爵令息。本日はエスコートをありがとうございます」
僕は今、ずっと思い慕っていた方とこうして踊る権利を手に入れた。
ありがとう、愚かな兄上。
令嬢のついでにサディアス侯爵家は私が頂きます。
「悪役令嬢のくせにいいいいいい!!!!!」
「悪役令嬢って何のことでしょうか?」
「さあ? きっと私たちが気にすることではありませんよ」
私たちは誰にはばかることなく、心からの笑顔を交わしあいながら、楽しくくるくると踊り続けるのだった。
お読みいただきありがとうございます。
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こちらは短編『悪役令嬢って何のことでしょうか?』 https://ncode.syosetu.com/n8061ia/ のサイドストーリーになります。
またその続編にあたる愚かな兄とヒロインの話『どうしてこんなことに……』 https://ncode.syosetu.com/n5978ib/ もありますので、あわせてお読みいただけると嬉しいです。
普段はぽちぽちと「乙女ゲームをもとにした異世界で悪役令嬢が主人公」のうんちく長編を書いております。
もしよろしければ、そちらものぞきに来てくださいね。
どうかよろしくお願いいたします。
「ドラゴンの使者・ドラコメサ伯爵家物語 ドラゴンの聖女は本日も運命にあらがいます!」
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