6話
ミアの両親にミアの想いを伝え、私は晴々とした気分で学校に登校した。
これで、少しはミアの役にも立てただろうか。
手紙を渡すということもあり、いつもより余裕を持って、早く起き、支度をしていたのだが、父親の出勤時間もあり、想定よりも早く家を出て、学校に着いてしまった。
門をくぐると、校庭で剣を振るっている少年が見えた。
「イーノク!おはよう!」
私は剣術の練習をしているイーノクの方に駆け寄り、挨拶をする。
しかし、イーノクは側に来ても、一心不乱に剣を振り、こちらの声は聞こえていないようだ。
「イーノク?」
「うわ!」
私は不安になり、ぽんと肩を叩くと、イーノクは驚いたようにこちらに剣先を向けた。
瞬間、私の前髪が少しだけ切られた。
どうやら真剣で練習をしていたようだった。
「ミア……!わ、悪い!ぼうっとしていて、怪我してないか?……!あ……お前、髪!」
イーノクがすぐに剣を自身の方に引いた為、前髪あたりが数センチほど切られただけだ。
しかし、これはミアの身体。
私ももう少し慎重になるべきだった。
顔が傷つけられては、ミアに顔向けできない。
私は心の中で、ミアに謝罪した。
今日もまたミアに謝罪すべき事項が増えてしまった。
「気にしないで、アタシも急に触ったのがいけなかったし……」
「女に剣を向けるなんて……最低だな、俺。」
こんなに動揺し、落ち込んでいるイーノクは初めて見た。
先程もそうだったが、いつもと様子が違うように思える。
「……イーノク、何かあったの?しかも、これ真剣じゃない。先生のいるところで、かつ本番じゃないと使えないでしょう?」
「……何もねえよ……いや、こんなこと言える立場じゃねえな。ほら、もうすぐ学校で剣術の大会があるだろう?それの練習していたんだ。本番と違うレプリカじゃ重さが違うしな。それで、練習していたら、ちょっと色々考えちまって……悪い、髪は戻してやれねえけど、何でもするから!」
イーノクは申し訳なさそうに目を伏せて、私に謝ってくる。
滅多にないイーノクの様子に私は少し戸惑ってしまう。
「大丈夫よ、本当に気にしなくて良いから。」
「でも……『髪は女の命だから丁重に扱え』って俺の兄ちゃんが言っていたんだ。」
イーノクらしからぬ発想だと思ったら、お兄さんの受け売りか。
「アタシは平気。今回はアタシにも非があるし、不問よ、不問。ところで、お兄さんがいるの?」
私はイーノクの気持ちを少しでも変えるため、この話題を終わらせるようにした。
「ああ!俺の兄ちゃん。アルベルトって言うんだ。剣術の間に写真が飾られているんだけど、見たことあるか!?昔、兄ちゃんがここの学校にいた頃は剣術大会でも魔術大会でも毎年優勝していた凄いやつなんだぜ!」
イーノクはキラキラした目で自分の兄の素晴らしさを語り始めた。
こんなに自分の兄弟を敬愛している人は元の世界でも見たことがない。
「今は都会に出て、働いているんだ!あんまり会えないけど、兄ちゃんは優しくて、何でもできて……」
途中から急に声が小さくなり、何かを考え込むように押し黙ってしまった。
私は突然のイーノクの感情の変化についていけず、ただ戸惑いながら、イーノクの様子を伺う。
「ごめん、俺、練習しなきゃだから。」
尋常じゃない汗をかいたイーノクは何かに取り憑かれたような目で、再び剣を手にする。
なんだかそれは、昔の自分を見ているようだった。
「待って!ねえ、少し休もう?数分休んでも、支障はないと思うし……」
「…………」
イーノクは不満を露わにしたが、私の前髪を切ったのを気にしているのだろう、反論はせず、私の言う通りにベンチに座った。
「優勝、したいの?」
私はイーノクにそう尋ねる。
こんなに練習をしているのはそれしかないと思ったからだ。ただ、一番になりたいと言うこの年頃が思う純粋な動機とは少し違うように感じた。
「ああ……俺さ、知っていると思うけど、村長の息子じゃん?」
衝撃が走る。
イーノクは村長の息子?
そんな設定、原作では描かれていなかった。
なんだろう、この違和感。歪みのようなものを感じる。
私は話を促すため、頷いてみせた。
「優秀な兄が都会に行っちまって……いつ帰ってくるかわからない。だから、次の村長になるのは、兄じゃなくて俺になったんだ。それから、家族の俺に対する躾みたいなものも変わったし、周りの大人達の見る目も変わった。なんというか、変に厳しくなって、変に優しくなった……気持ち悪くなった。変なこと言っているよな、俺。」
なんとなくイメージはつく。
やんちゃな次男坊が、この村を統べる次期村長になる少年になった。
次期村長としての期待や、村人にとって都合が良い存在にしたい……そんなことを考えて、近づく大人達がいるのだろう。
「大会もその一環だ。俺はノーランが来るまで、剣術と魔術は一位だった。でも、ノーランが来てからは二位のまま。それに、あいつは神の子と持て囃されても、変わらない。村人の期待や好奇の眼差しで色んなことを言われて、されても、いつも通りだ。嬉しそうにもしないし、困ったそぶりも見せない。そんなあいつが俺は羨ましくて、悔しくて……時たま憎く感じる。」
なんとなく、原作のイーノクの思惑がわかった気がする。
自分と同じ境遇にある部分があるイーノクとノーラン。イーノクはそれに応えることに必死になっており、周りも異変に気がつくほどだ。
一方で、ノーランは変わらない。それどころか、イーノクの欲しい一位の座を欲しがりもせず、ただその座に鎮座している。
近くに居るからこそ、見えるのだ。ノーランという等身大の存在が。それが、不幸なことにイーノクの憎悪を増長させた。
どうして、こいつに勝てない?その暗い思いがハンクの死によって背中を後押しされ、結果的にイーノクは憎悪の念に支配され、ノーランの敵となったのだろう。
「村人達もなんだかんだ言って、ノーランには好意的だ。ミア、お前もそうなんだろう?」
イーノクの言葉に私は先日の爆弾発言を思い出す。あの一言は意外にも様々な人に影響をもたらしてしまったのか。
「あれは……あの場を収めようと思って言った言葉で他意はなかったの。私はみんなのことが好きよ。」
「でも、そうであったとしても、お前はその相手にノーランを選んだ。潜在意識の中で、ミアはノーランに一番好印象を抱いていたからだ。俺が次期村長になっても、きっとみんなはノーランの言うことに従うだろう。そんな予感がするんだ。」
「そんなこと……ないと思うけれど。」
イーノクは俯いてしまった。
私のその場での思いつきによる発言が、イーノクの地雷を踏んでしまった。
イーノクが抱えているこの悩みは、こんな一人の少女がどうこう言って、解決するような問題なのだろうか?
「確かにノーランは珍しい存在よ。でも、神の子と呼ばれたノーラン、次期村長のイーノクでは役割が違うと思うわ。大会でノーランが一位だとしても、イーノクの価値が下がることはないと思うわ。」
「分かっている……あいつにそう言う意図がないのも。俺があいつを僻んでいるだけっていうのも。あいつの存在を言い訳にして、ただ燻っているのも……分かっているんだ!」
イーノクは悔しさに顔を歪ませ、ついには泣き出してしまった。
「イーノク……私はあなたを努力家だと思うわ。ノーランは確かに天才よ。でも、ノーランと互角に闘う努力家のあなたを私は凄いと思うわ。並々ならぬ意志と胆力がなければ、持続して、研鑽を積むことはできないもの。あなたが毎朝早く来て、練習をしているのは、アタシだけじゃなく、先生や色んな人も気がついていると思うわ。見えないところで、あなたの気がつかないところで、あなたの言動が評価されていることだってあるのよ。」
私がそう言うと、イーノクは複雑そうな顔をして、こちらを見た。
「…………ミア、お前、変わったよな。そんな先生じみたこと言うやつじゃなかったのに。」
「そ、そうかしら?」
どうしても、私はミアになりきれないようだ。私はつい、私が考える最大限の励ましを口にしていた。
「…………ちょっと独りになりたいから、先に教室行っている。ありがとな、気ぃ遣わせて悪かった。」
イーノクは剣を仕舞い、私の頭をわしゃわしゃと撫でると、校舎の方へ歩いて行ってしまった。
「あ……イーノク……」
「ほっといてやってくれ。あいつ、ああやって独りになりたがる時があるんだ。」
イーノクとは反対側の方から声がした。
振り向くと、そこにはノーランとハンクが立っていた。
ハンクは困ったように苦笑いを浮かべており、ノーランは何か考え込むように目を伏せていた。
「ノーラン、ハンク……いつからここに?」
「二人がベンチで話し始めたところあたりからかな。立ち聞きする気はなかったんだけど、出るに出られなくて……」
ちらりとハンクはノーランの方を見る。
そこから聞いていたと言うことは、イーノクのノーランに対する気持ちも聞いてしまったんだろう。
「ノーラン、あんまり気にしすぎるな。」
ハンクはノーランの肩を軽く叩いた。
「……うん。でも、俺こういうの鈍いから、ちゃんと考えないと、と思って。俺はイーノクのやりたいことを邪魔したくないし。」
ノーランは落ち込んでいるというよりはイーノクのために何ができるかということを熟考しているようだった。
「……たまにあるんだ。イーノクも大変なんだよな。周りからのプレッシャーに押しつぶされそうになっている。」
ハンクはイーノクが向かった校舎を見つめながら、そう言った。
「もちろん、俺達にできることがあれば、手伝うけれど、無闇に人の事情に土足で踏み込むようなことはできないから。今はそっとしておいた方が良い。」
ハンクはそう言って、ベンチに座った。ハンクも隣を叩き、私に座ることを促した。
今はイーノクの言った通り、少し独りにしてあげよう。私達はベンチで他愛もない話をした。ノーランはどこか心ここに在らずといった形でイーノクのことを気にしていることが伺えた。
少しずつ、原作の方向になるよう歯車が動き出した気がした。
これを違う方向に動かすことができるのは、きっと私の役目だ。
数日後、教室に近づくとざわめきが聞こえた。
「ふざけるなよ!どういうことだ!」
何事かと思い、教室の扉を開けると、イーノクはノーランに怒鳴っていた。
「……俺は大会出場を棄権する。それだけだ。」
ノーランはいつもと変わらない表情で淡々とそう答えた。
「どうしてだよ、みんなが出るのがルールだろ!?」
「辞退する事は禁じられてはいない。」
「……この前、俺の話聞いていただろ?木の影でお前とハンクがいたのは気がついていたんだ。変な同情でおかしなことすんなよ!」
「……そんなんじゃない。俺が辞めたくて辞めただけだ。」
ノーランが何か考えているとは思っていたが、こんなことをしては逆効果だ。
よりによって、ハンクは昨日から熱を出して不在だ。
これは、私がこの場を収め、取り持たなければ……!
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