5話
「おかえりなさい、ミア。夕飯できているわよ。」
家に戻ると、ミアの母親が笑顔で迎えてくれた。
「ありがとう。今日は何?」
「シチューよ。貴女、好きでしょう?」
「ええ、好きよ。」
ミアの両親との関係は至って良好だ。
最初は、私の存在がバレるのではと思い、ヒヤヒヤしたが、杞憂に終わった。
いくら魔法が使えるとは言え、別の人間が自分の娘の体に棲みついているとは思わないようだ。
「ただいま、ミア。お!いい匂いだなあ。」
食卓の準備をミアの母親としていると、ミアの父親が帰ってきた。
「そうだ。ミア、これ。」
ミアの父親は上着から可愛らしい小さな包みを取り出す。
「何かしら?」
包みを開けると、そこにはリボンが入っていた。
「わぁ、リボンだ。可愛い。」
「いつも髪をリボンで結んでいるだろう?ミアに似合いそうなリボンがあったから。」
「ありがとう!」
ミアの父親は少し驚いた後、嬉しそうに笑みを浮かべて、私の頭を撫でた。
ミアの両親は良い両親だ。
温かい家庭……なのに、原作のミアはどうして、ああなってしまったのだろうか?
いや、原作のミアはほんの一部に過ぎない。
私は原作のミアに良いイメージを持っていなかったが、意外と幸せに暮らし、良いところもあったのかもしれない。
こういう偏見で物事を考えるのは、私のよくない癖だ。
私はこういう偏見で何度も苦しめられたというのに……
ミアはこの世界では、あの仮想空間でしか会えない。話をするものの、ミアが周りとどう接しているのか、よく分かっていない。
ミアはどんな子なのだろう?
そんなことを思いながら、私は重くなっていく瞼をゆっくり閉じた。
「アンタ、今日のアレは何よ!?」
眠りにつき、いつもの仮想空間に来た私に、ミアは開口一番にそう叫んだ。
「あ、アレって?」
「ノーランが一番好きって言っていたアレよ!アンタ、アタシの身体を一時的に借りている身って分かってんの!?」
「い、一番好きって恋愛的な意味で言ったわけじゃ……」
ミアの勢いに私は思わずたじろいでしまう。
「アンタの心や考えは読めているから、何も考えていない言動だということは分かっているわ。それにしても、後先考えなさすぎ!ちょっとした悪戯心でアタシの身を滅ぼさないでよ!」
ミアは頬を膨らまして、怒っている。
それは当然だ。私は全然ミアを演じきれていない。ノーランのコロコロ変わる表情を見て、純粋に喜んでいただけだ。
私が何か言動を起こすたびに、周りは一瞬戸惑いや驚きの表情を見せる。
先程だって、ミアの父親は驚いた様子を見せていた。
プレゼントを受け取った時のリアクションがミアらしくなかったのだろう。
「……あー……それは、多分、アンタの方が正しい反応だったんだと……思うわ。」
ミアは途切れ途切れ、そう口にした。
ミアは私の心が読める。つまり、『それ』とは先程のミアの父親に対する私の反応だろう。
「……普段はどんな反応しているの?」
「アンタ、変なところ図々しいわよね。アタシの態度見て分からない?」
はあ、とあからさまに大きな溜息を吐いた。
言いにくいことなのだろうとは思ったが、ミアのことを知るきっかけになると思い、私は図々しいことを承知で尋ねる。
ミアは観念したように項垂れてから、ぽつりぽつりと話しはじめた。
「……アタシ、養女なの。あの人達とは血が繋がってない。」
ミアが口にした答えは、私の想定外のことだった。
「アタシの本当の父親はクズでさ、酒に溺れて、女に溺れて、どっかに消えちゃった。アタシの本当の母親はそんなクズが本当に好きで、どんどんやつれて、ある日、自分の手でお空に行ったの。アタシの今の母親は本当の母親の古い友人。今の両親は子供に恵まれなかった。私を不憫に思ったこともあって、引き取ってくれたの。」
とても十二〜三歳の少女が話す内容とは思えない一方で、どこか子供っぽいちぐはぐな表現に私は表現できない重く、苦しい気持ちになった。
「今の両親……あの人達はアタシに勿体ないくらい良い人達。あの人達に拾ってもらえなかったら、アタシどうなっていたか分からないから。だから、あの人達に恩返しがしたいの。拾って良かったって思えるようにしたかった。だから、神の子とか持て囃されるアイツに勝てば、少しはアタシの価値も上がるかなって思った!だけど……」
ミアは興奮しているのか、目は焦点が合っておらず、肩を揺らしながら、捲し立てるように喋り続ける。
「アタシはアイツに勝てない……それに、アンタの記憶に居たアタシはアタシが嫌いなアタシになっていた……」
ミアはさらに顔を伏せる。
表情は見えないが、泣いているのがわかる。
私はただ黙ってミアの話を聞いている。
「アンタはアタシがバーテンダーであることに不満があると思っていたんだろうけど、そうじゃない。バーテンダーという職業が嫌いなんじゃない。アタシ自身が嫌だったの。毎日整えたお客様を迎えるための店構え、お客様の気分を上げるお酒や会話。映画や小説で見たバーテンダーは好印象を持つ人達ばかりだったわ。でも、アンタの記憶のアタシはそうじゃなかった。趣もへったくれもない、ただ廃れたバーで、適当に作った不味い酒、あちこちから仕入れた本当かどうかわからないような色んな人の悪い噂。人の不幸を嘲笑って毎日を過ごしている……そんな未来、絶対イヤ!そんなの、アタシが目指しているアタシじゃない!不貞腐れて、強請り屋みたいなことして……あの人達に誇りに思ってもらうどころか、顔向けできるような生き方してないもの!」
ミアはそう言うと、膝から崩れ落ちて、泣き出した。
本当のミアを垣間見た気がする。
「ミア……」
私は何と声をかけて良いか分からず、ただミアの背中を摩る。すると、ミアはミアの背中を撫でていた私の手を払い除けた。
「慰めはよして……悪かったわ、ちょっと感情的になった。つまり、だからこそ、アンタにはアタシを、アタシの家族を幸せにする手伝いをして欲しいの!」
ミアはまだ止まらない涙を必死に目を擦るように拭いながら、睨みつけて言う。
「アタシはあの人達にどう接して良いか分からない。恵まれていると思うわ。でも、どこか私の心には穴が空いているみたいで、幸せだと感じられない……それが申し訳ないの。」
こんな小さな身体でそんな大人でもすぐに解決できないような大きな悩みを独りで抱えていたのか。
ノーランへの謎の決闘バトルも、そういうことだったのか。
「ミア……話してくれてありがとう。私、ミアのこと分かってなかった。勘違いしていた。あなたは傲慢で自信家な子だと思っていた。でも違ったのね、本当は家族想いな子だったのね。」
「な、何を言って……」
私がミアを抱きしめると、ミアは戸惑った様子を見せた。
「自分の価値を過小評価しては駄目。そんなことをしなくても、ミアはミアの両親にとって、必要な存在よ。」
ミアは黙って聞いている。私はそんなことを言いながら、なぜか胸が痛むのを感じた。
「少しずつ、時間があなたを癒してくれるわ……」
私は赤子をあやすように、優しい声で、ミアの頭を撫でながら言う。
ミアは啜り泣きながら、私に身を委ねている。
まだ、この子は小学生くらいの小さな子だ。この小さな身体にどれだけの不安を溜め込んでいたのだろうか。
「ミアは今の家族ともっと仲良くなりたいのよね?私が手伝うわ。仲良くなるコツは本音を話すこと。ねえ、手紙を書くのはどう?」
「手紙?アンタがアタシの身体を奪っているのにどうやって?」
「ここでの記憶はちゃんと覚えているわ。ミアの伝えたいことを私に伝えてくれれば、現実世界に戻った時に、それを文字にして、手紙を代筆するわ。」
「アタシの本当の気持ちをアンタに言わなきゃいけないじゃない!」
「そうだけど……私はミアのこと馬鹿にしたり、揶揄ったりしないわ。大事なことだもの。恥ずかしがらないで。」
ミアは何言か文句を言ったが、最終的には、それ以外方法がないと思ったのか、私の提案を受け入れた。
ミアは途中恥ずかしがり、話すのをやめて、照れ隠しで私の腕を叩いたり、睨んだりしたが、揶揄わずにミアの想いを預かった。
「ちゃんと伝えるから、大丈夫よ。」
「……アンタのこと、ノーランのことしか考えてないイカれた女だと思っていたわ。」
そんなことを思われていたのか。
確かにきっかけはノーランだった。
でも、この世界にいるうちに、色んな人達と触れ合う中で、周りの人達をもっと知りたいと思った。
「そんなことないわ。ミアとも仲良くなりたいのよ。」
心を読めるミアには、これが本心であると分かるだろう。ミアは何も言わずに、ただ居心地悪そうに、そっぽを向いてしまった。
翌朝、私は目を覚ますとすぐにレターセットを取り出して、伝言を手紙に記した。
そして、リビングに向かい、ミアの両親に手紙を渡した。
「ねえ、お父さん、お母さん。この前のリボンのお礼も兼ねて、手紙を書いたの。読んでくれる?」
ミアの両親は少し驚いた後、どこか気恥ずかしげな雰囲気を出しながらも、手紙の封を切り、読み始めた。
『お父さん、お母さんへ
昨日くれたリボン、アタシの好きなデザインだったわ。
でも、何でもない日にそんなにプレゼントを買わなくても良いのよ?
昨日、お母さんが作ってくれたシチュー美味しかった。お母さんがいつも作ってくれるご飯もアタシの舌にあって、いっぱい食べちゃうから、太って困るの。たまには、アタシにも作らせてよ。アタシの料理が不安なら、手伝ってほしい。
何が言いたいかって言うと、二人ともアタシにちょっと何かあると大袈裟に心配するから、戸惑うこともあるけど……
アタシはお父さんとお母さんが大好き。
いつもありがとう。
アタシは二人に何もできていないけど、いつか恩返しがしたいです。
それまで、楽しみに待っていて。
ミアより』
ミアの両親はミアの手紙を読むと、涙を浮かべて喜んだ。
「ミアらしいな。」
感動しているのを隠したいのか、少しおどけるように言って笑うミアの父親を見て、やはりミアのことをちゃんと見ていると思った。
この手紙は私が代筆しただけで、中身はミアそのもの。
そんなに怯えなくても大丈夫だよ、ミア。
ミアの両親は、ミアをちゃんと見ている。
「ありがとう、ミア。恩返しだなんて、そんなことは考えなくて良いの。もちろん、貴女が何かしてくれることは嬉しいわ。でも、恩義に感じて、何かしなければならないなんて思わないで欲しいの。料理は一緒にしてみたいわね。今度、是非しましょう。」
「そうだぞ、ミア。俺はミアに贈りたい時にミアにプレゼントを贈る!これは俺の趣味だ!」
だって、聞こえている?ミア。
私はミアの両親に抱きしめられながら、仮想空間にいるミアに呼びかける。
ミアのことだから、恥ずかしがっているに違いない。
ノーランだけじゃない。
私はミアをはじめとした私の周りにいるみんなを幸せにしたい。
そんな大それたことをできる人間じゃないことは分かっている。
それでも、私は願わずにはいられなかった。
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