3話
「まず、薄力粉は振るうんだったよな?……うわ!ゲホッ……凄い粉だぞ!」
「バカ、イーノク。そんなに勢いよく入れたら粉が舞うだろ!ミアの家の薄力粉を使わせてもらっているんだから、無駄遣いするなよ。」
私とノーラン、イーノクとハンクの二手に分かれて、クッキー作りをすることになった。
イーノクとハンクは揉めながらも、薄力粉を振るっている。
一方で、ノーランは淡々とバターと卵と砂糖を混ぜている。
「ノーラン、代わるわよ。生地、結構硬いから疲れるでしょ。」
「ううん、大丈夫。」
そう言って生地を混ぜ続けるノーランは心なしかほんの僅かに目が輝いている気がする。
もしかして、楽しんでいるのかもしれない。
「そう?じゃあ予熱かけるわね。」
「うん、ありがとう。」
私はオーブンを予熱しながら、ふとノーランの横顔を覗く。ノーランは目の前のことに一生懸命集中していて、それはまさき年相応の表情だった。
こんな表情もできるのか、と私は少し面食らった。
ハンクは警戒しており、イーノクは年相応のきまぐれさがあり、ノーランは読めない。このパーティでお菓子作りをするのは些か不安だったが、杞憂に終わりそうだった。
険悪なムードや気まずいムードにはならず、私はほっと安堵の息を漏らした。
「……薄力粉は混ぜ終わったわね。半分に分けて、プレーンとココアで味も分けたし。じゃあ、伸ばして、型抜きしていきましょうか!」
おお、とハンクとイーノクの声が上がる。
二人もクッキー作りを楽しんでいるようだ。
「イーノク、生地に凹凸ができている。なだらかにしないと。」
「わかっているって!」
原作では二人の描写はほとんどされなかった。二人のやりとりを見ていると、ハンクとイーノクは兄弟のように仲が良いことが分かる。
「……ミア?どうかした?」
「えっ?」
ノーランが私に声をかける。
「ぼうっとしていたから。疲れた?」
「……ううん、ごめん。大丈夫」
思わず、原作のことを思い出してしまった。
私がそう言うと、ノーランは目を伏せた。
「謝ってほしいわけじゃないよ。疲れていたら言って。」
「……ありがとう。」
「……うん。」
ノーランが少し微笑む。
……笑った。ノーランが。
いや、ノーランも笑うだろう。
でも、ゲームの世界で、ノーランが魔王だった頃は過去のスチルも笑った描写がなかった。
それが、私に対して笑っている。
なんだか、泣きそうなくらい感動してしまっている。
異世界なのに、この光景がいわゆる何気ないありふれた日常なのだと思うと心から何かが溢れそうになる。
「おい、見ろよ!綺麗にできたぞ!」
「本当だ。上手いね、イーノク。」
「だろ!?ノーランも早く作れよ!」
「うん。」
イーノクの言葉にノーランは型抜きを始める。
……可愛い。
ノーランが一生懸命型を抜いている姿が可愛い。
「ミアもやろう?」
「うん!」
そう言って、型を持った時だった。
「……っ!?」
ほんのノーランの指先が私の指に触れた瞬間、ビリッと強烈な電撃のような刺激を受け、私は持っている型を落とした。
そして、心臓が痛くなり、その場に崩れ落ちた。
「ミア?どうしたの?ミア!」
ノーランの必死そうな声が聞こえる。
ノーランの感情的な声を聞くのも初めてだ……
ぼやけた視界に、ノーランとイーノク、ハンクとミアの母親がいる。
ノーランの泣きそうな顔を見て、私はなんとか手を伸ばそうとして……意識を手放した。
意識を手放す際、誰かの鋭い視線を感じた。まるで、あなたは間違ったことをしているとでもいうような冷たい視線……
「アンタ、本当にノーランが好きなのね。いや、狂愛に近いのかしら。」
次に意識が戻った時には、あの異空間だった。目が覚めると、そこには呆れ顔のミアが頬杖をついて、私を見つめていた。
「私……?」
「また、意識失ったのよ。アンタ。多分、ノーランと仲良くなりすぎたんじゃない?」
「……仲良くなりすぎた?」
「アンタの記憶とこれまでの三人の死を考えると、そうなんじゃない?」
「……私の知っているこの世界の時空を歪めてしまうから……ノーランが魔王になるのは決定事項だから……」
敵がいないバトルゲームなんて破綻する。
これは、警告だ。
余計なことはするな、という。
「……ふふ、その瞳いいわね。そんなことで諦めたりしないって顔してる。」
「……うん。」
諦められない。
だって、私が諦めてしまったら……
「……ほら、みんなの声が聞こえる。アンタはもう行かなきゃ。」
ミアは私の思考を遮るように言った。
急に枠の方から光が差したような眩しさに目が眩む。
ミアはどこか寂しそうな表情をして、手を振った。
「ミア!よかった。心配したのよ。熱が出たばかりだったものね。まだ、本調子じゃなかったのね。」
ミアの母親が泣きそうな顔をして、私を抱きしめる。
「……おばさん、ごめんなさい。俺、ちゃんと気がついてあげられなかった。」
ノーランが申し訳なさそうに言う。
他の二人も心配そうな表情をしている。
「ノーラン、貴方が謝ることないわ。三人とも、びっくりさせちゃったわね。ほら、もうすぐクッキーが焼けるから手を洗ってきなさい。オーブンから出すのは私の役目だから、タイマーが鳴ったら言うのよ。」
三人は大人しくミアの母親に従い、部屋から出た。
「ミア、久しぶりの学校で張り切りすぎちゃったのね。少し横になって、元気になったら降りてきなさい。」
「……ありがとう、お母さん。分かったわ。」
私がそう言うとミアの母親は少し驚いた表情をした後、優しく笑った。
「お母さん……ね。今日のミアはなんだかいつもと違って……素直なのかしら?まぁ、あまり長話しても休めないわね。キッチンにいるわ。」
ミアの母親は私の頭を優しく撫で、部屋を出る。
この数日間での印象だが、ミアの両親は優しく、ミアのことを大切に思っている。
原作では、ミアは自分の家族の話を一切しなかったが、家族とはどうなったのだろうか?
異空間でミアとは何回か話しているが、ミアのこと知っているようで、全然知らない。
借りている身だから、どこまで関与していいのかわからないけど、私はミアのことももっと知りたい。
ミアだけじゃない、イーノクも、ハンクも、ノーランも……
私はこの世界のことを何も知らない。
「ミア!ほら見ろよ!上手く焼けているぞ!」
少し休んで、キッチンに行くと、イーノクがはしゃいだように声を上げて、クッキーを見せた。
「本当、美味しそうね。」
「ミア、もう体調は大丈夫なのか?」
ノーランが心配そうにこちらを見る。
「ありがとう、ノーラン。大丈夫よ。」
私がそう言うとノーランは驚いたようにこちらを見る。
今の反応も、ミアらしくなかっただろうか?
「とりあえず、座ろう。」
ハンクがそう言って、クッキーの乗った皿をダイニングテーブルに運ぶ。
イーノクはミアの母親が用意してくれた紅茶が入ったティーポットとティーカップを運ぶ。
ノーランは私の手を取り、席に座るように促した。
ふっと、胸が軽くなった気がする。
「ほらほら、食おうぜ!ミアを待っていたから、腹が減っちまった。」
イーノクはクッキーを何枚か自分の小皿に分けて、食べ始める。
ハンクもイーノクに呆れながら、プレーンとココアのクッキーを一枚ずつ、小皿に置いて、食べ始めた。
「ミア、食べれそう?」
ノーランがクッキーを一枚、私に渡そうとする。
「ええ、食べられるわ。いただくわね。」
私はノーランからココア味のクッキーを貰い、一枚口に運ぶ。
ほろ苦い味が口の中に広がると同時に、スッとした感覚がした。
ミントを口にしたような感覚。
先ほどノーランの手を取った感じた時も似た感覚に陥った。先程の電撃のような衝撃ではなく、爽快感に近い感覚。
「……ノーラン、もしかして、能力を使った?」
私はノーランにだけ聞こえるように問う。
「……何のこと?」
ノーランは動きを止めて、何も見えない表情でこちらを向く。
「気のせいだったらいいの。それにもし能力を使っていても、心配してのことだから……その気持ちは嬉しいわ。でも、優れた能力には代償がある。だから、自分のことも大切にして、無闇に使っちゃ駄目。」
私はノーランを真っ直ぐに見つめて、そう話すと、ノーランは少し戸惑いを見せながらも、頷いた。
「……やっぱり、今日のミアは変だ。なんだか、お姉さんみたいな、上手く言えないけど……でも、分かった。ありがとう……」
「私も、ありがとう。」
ノーランはどちらかと言えば、表情豊かなほうではないからか、取っ付きにくい性格の人だと思ったけど、私が思っている以上に純粋な人なのかもしれない。
「なんか変わったよなあ、ミア。」
ミアの家からの帰り道。
イーノクがぽつりとそう言葉を漏らした。
「そうだな、僕も思ったよ。いつもより雰囲気が柔らかくなった感じ。ノーランとも仲良くなっていたし。」
ハンクが同意する。
「俺?」
「そうだな、ノーランと二人で仲良くしていたよな。いつの間に仲良くなったんだよ?もしかして、お前ら、付き合い始めたのか?」
にやりと笑うイーノクに対し、ハンクはイーノク、と諌める。
ノーランは気にしていないようで、淡々とイーノクの揶揄を躱した。
「付き合ってはいないよ。俺も今日のミアは変だと思った。いつもと違った。いつものミアはどう対応して良いのか分からなかった。でも、今日のミアは……」
「今日のミアは?」
「……分からない。この気持ちが何なのか。でも、イーノクとハンクと仲良くなりたいって思った時と似ているのかな?」
きょとんとするノーランに対し、イーノクは顔を真っ赤にさせ、激昂した。
「小っ恥ずかしいこと言っているんじゃねえよ!」
イーノクの声に、ノーランは戸惑いの表情を見せる。ハンクはそんな二人を見て、苦笑いをする。
「ノーランは相変わらず素直だなあ。それに比べて、イーノクは相変わらず素直じゃない。ノーラン、イーノクは照れているだけだから、気にするな。」
「照れてねえ!」
夕暮れのオレンジ色に染まった村の道で、少年達の笑い声が響いた。
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