第40話 バカ
陽気な人でも、寂しがり屋は存在する。寂しくなるのが嫌だから、それに反して人と関わるように。その1人が歌代だというのだろう。静かなのは好きで、アニメを観て、漫画を読むことに集中することが好き。だけど、時に人肌恋しくなるのもそうなのだろう。
噛み癖もその一端としての現れなのかもしれない。
「だから変人の私は、この関係に慣れたら、自立を始めるつもりだよ。1ヶ月終われば、多分大丈夫」
「だったら良いんだけどな」
歌代なら、口だけというのも全然ありえる。けれど、守ってくれそうな気もした。冗談風に言わないし、元は一人暮らしをするために契約をしたのだから、その覚悟は根本からあったのだろう。
「そんじゃ、風呂行きまーす」
「私に告白してきた人の面白い話聞いてから行かないの?」
「戻ってきてから聞く」
「今限定です」
「その話の途中で噛まない約束が出来るなら、別に聞いてやらんこともない」
「あっ、そっか」
忘れていたのなら言わなければ良かった。そう思うのは結果論からで、今もなお、実は苦しんでるんじゃないかと、心配性なりに危惧した結果なので、これで良い。
「今でも良いんだよ?」
「俺が嫌だから」
「なるほど。なら仕方ないね」
許可をいただけたことに、内心では驚きつつも、寂しがり屋のために、少し早めに戻ってやろうと良心が働く。
「助かる。ゆっくりしててくれ」
「うぃーー」
間延びに磨きがかかって、脱力感に身を任せて放った言葉は、学校の歌代と確かに違った。朝比奈とキャッキャしてるいつもよりも、数段落ち着いて。
「ふわぁぁ」っと疲れを吐き出しソファに倒れ込む歌代を背に、シャワーを浴びに向かう俺。いつもと変わらない、面白みもない寝巻きに、おもしろTシャツ欲しいと思ってしまった。
ネット見てみるかぁ。
2度目なので、入念に洗うことはない。実は寂しがり屋の歌代だが、比ではないが、実は肌の弱い俺であるので、ゴシゴシ泡を立ててこすることはそもそもない。
ササッと洗い、体を拭いて下着と短パンを履く。その瞬間だった。
「五百雀ー、上がったよねー?」
ガラッと風呂上がり、上裸の俺を見ず知らず、全く気にすることなく扉を開けて入ってくる歌代に、時間は止められたように静寂が包んだ。
「……お前なぁ……何してんの?」
「うぃー!風呂上がりの五百雀凜人を噛んでやろうかと侵入したんっすよ!」
「バカだろ」
髪はまだ濡れていて、体は熱気を放つ。まさに風呂上がりなのに、この女は気にすることなく入ってきた。抵抗もなく、堂々と。
こいつ絶対にバカだ。
「もし全裸だったらどうすんの?」
「そうならないように、時間差で来たから」
「……暇人め」
この事の顛末を、ほとんど理解出来ない。多分それは正常であり、異常な存在が目の前に居るだけ。人として、まず風呂上がりを襲うようなことは、いかなる理由であれ、俺たちの関係には意味不明。
「それにしても、意外と脂肪少ないんだね」
「誰かと違って、お菓子も炭酸飲料も、然程飲まないしな。コンビニにもデリバリーにも頼らないし。ってかそんなことより、外で待ってろよ。そんな衝動に駆られたわけじゃないだろし」
「食べ物は、出来たてが美味しいんだよ?」
「食べ物じゃねーよ」
「今日は二の腕がメインディッシュらしいですよ?」
「知らんし、聞けよ」
セットアップの寝巻きを着込み、洗面所へ少しの距離を移動する。ドライヤーを探して、歌代が丁寧に巻いたコードを解いてつける。いや、つけようとした。
「待って待って、濡れた髪に噛み付くのって、エロくね?」
「歌代の主観は狂ってるから、同意出来ません」
カチッとスイッチオンにして、ガァーとドライヤーを起動。それに手を伸ばして「あぁ!」と止めてと言わんばかりに寄る歌代に、見向きもせず続けた。
体を揺すられても、叩かれても、コードを抜こうとしても、何しても思い通りにいかないよう、何もかもを阻止した。本格的に妹の感覚に染まりつつあるのを、薄っすらと感じる胸の鼓動。楽しいのだと、頬は常に緩んでいた。
スイッチオフにして、再びドライヤーを元の位置に戻すと、やっと歌代と会話を可能にする。
「せっかくの濡髪が!」
「また今度な。今日はもう疲れたから、明日にでも好きなように噛み噛みしろよ」
止めろとは言わない。
「でも、今日みたいに侵入して来たら、その時は2週間噛むの禁止にするからな」
「2週間でいいのか……」
「……1ヶ月」
「男に二言は?」
「ありだ。アホ」
「意気地なしめ」
「はいはい」
まだ風呂場からの熱気が襲う今、早く部屋に戻りたいと、早足でリビングへ。俺に従うようにして歌代も戻るので、手間が省けて良かったと、面倒が減ったことに嬉しく思う。
「ってか、風呂上がりってどこまでの範囲なんだ?」
「上がって30秒」
「短っ。それなら風呂上がりの俺噛めないだろ」
「だから侵入したのに、勝負で負けたくせに逃げやがって」
「悪かったな。明日許すからそれまで噛むの禁止」
「鬼か。今日は二の腕噛んで、明日お風呂上がりに、エッチな首を噛むことで、許される」
「そっちこそ鬼かよ。風呂上がり30秒は、普通にバカだ」
言って顔を見合わせると、同時に「クスッ」と笑みを咲かせる。お互いにバカだけど、バカだからこそ、その空気感が何よりも相性が良かった。
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