心残りは日々変化する
放課後。学院とは異なる、煉瓦造りの街並みをジャンと二人で歩いていた。
学院は国立ということもあって、政治の中枢である王城と同じく石造りの建物である。学院が夢の国のあの城のような系統だとすれば、城下は赤レンガ倉庫や辰野金吾のデザインした東京駅みたいなものだろうか。統一された景観からは治安の悪さはあまり伺えない。
ちなみにこの世界にはお手軽に色んな商品が買える店……某緑の手とか某黄色の英語のような大きな雑貨屋はない。買い出しとなれば個人の専門店を行ったり来たりすることになる。もちろん百円均一なんてもってのほかだ。
例に倣って私たちも買い出しメモを片手にあっちの店、こっちの店とはしごをしていた。あっという間に両手がふさがるぐらいの荷物になった。
何度もジャンは「持つ」と言ってくれるのだが、本来私一人で出かけるはずだったので、限界はまで一人で持つと気持ちだけ受け取っていた。片手に買い物袋を一つしか持っていないジャンから時折、なんとも言えない湿っぽい視線を感じているが、華麗にスルーさせてもらっている。
リストで打ち消し線のない品物も残り五つ。最後の店は手芸屋である。
広くは無い店だが棚がたくさん並んでおり、通路は狭い。人一人通るのすら怪しい通路もありそうだ。前世なら間違いなく地震対策がなされてないとして問題になりそうなレベルである。
陳列された棚には針や糸、手縫いに関するものから、足踏みミシンなんかも売っている。
この世界の魔法は自然現象以外で無から有は生み出せない。縫い物に関して言えばミシンの動力が魔法なのか、人力なのかという違いしか格差がない。つまり魔法が使えても使えなくても、裁縫をするには手芸屋へ必ず足を運ぶ必要がある。
買い物かごを持ち、目当ての物を探そうとしたところ、上から声が降ってきた。
「これで全部か?」
「えっ! ありがとうございます!」
比較的荷物の少ないジャンがさっさと探して持ってきてくれたらしい。いつまでも嫌いな人間と二人きりも居心地が悪いのかもしれない。いつも以上に俊敏な判断だと思った。
「確認しますね〜」
目の前に置かれた買い物かごから品物を一個ずつ取り出し、メモに書かれた名前を比較する。他の係から「ついでに頼む」と言われてカゴに入っているものもあるので、商品名は一言一句確認しないといけない。
「はい! これで全部です!」
買い物かごを持つため、すでに購入済みの買い物袋を片手で持ち直す。プラスチックではなくバスケットのようなかごなので自重で重さが増しているが、これさえ買えば学院に帰れるのでもう少しの我慢だ。
とっとと会計を済ませようと買い物かごを持つ手に力を込めた矢先、横からひょいと持ち上げられた。
「え、ちょっと、なんで取り上げるんですか」
「は? 支払いするからに決まってるだろ」
「いや、私が行きますよ?」
かごを離すまいと引き寄せようとするが、ジャンに力で勝てるはずもなく。
「黙って荷物番でもしとけ」
するりと手から離れた買い物かごが身長より上に持ち上げられるのを、私はぼーっと見つめるしか出来なかった。
ぽかんとする私を置いて、ジャンは「外で待ってろよ」と言い残し、店の奥へと消えた。
お言葉に甘え、ドアベルの音だけを残して私は荷物を抱え直して店から出る。嫌い? 苦手? な女に対しても紳士で居ようとするジャンにノーベル賞平和賞をあげたい。
店先のショーウィンドウにもたれかかり、オタクは妄想を始める。荷物は申し訳ないが地べたに置かせてもらっている。まだ学院まで帰ると言うミッションがあるので、体力は温存しておかなければならない。
(ジャン、アメリアにはどんな態度を取るんだろ~)
私でも一応女性扱いしてくれるのだから、好意を寄せる人間にはさぞかしあまあまで優しいのだろうか。それとも初心だから恥ずかしくてツンケンするのだろうか。頼むからヤンデレルートだけは進まないで頂きたい。俺のアメリアに監禁ルートなんて似合わねえぜ!
ちなみに物書きへ戻ろうか考えていた数時間前の私であるが、やはり生モノ……しかも友人をモデルに二次創作するのは憚れたので、形を残すのは諦めた。リアルなパーソンはフレンド限定にしておかないといけないからね。ご本人に見つからないように活動しなければいけないので、住み分けタグだけの投稿はどこで本人に見つかるかわからないからあんまりよくないと思うよ、私は。
(ま、私が妄想して本を出さずとも、目の前で公式から供給を受けられるのが今の醍醐味よ)
早くジャンとアメリアの供給も生で拝見したいところである。
鼻歌でも歌い出しそうなぐらい上機嫌で荷物番をしていると、真横を人影が通り過ぎた。
「わっ!」
まさに紙一重。あと数センチ首をかしげているだけでも額が人影にぶつかるところだった。
時間的な理由なのか、場所的な理由なのかは不明であるが、店の面している大通りは人の気配がない。こんなに近くを通らなくても歩けるところはたくさんあるはずなのだが。
通り過ぎた後ろ姿を見やると、どうも足取りがおぼつかない。
背格好からして中年の男性。上質な織布のジャケットを羽織っているし、革靴も手入れがされていて年季入りだがつやつやとしている。
(体調でも悪いのかな?)
距離感にびっくりしてすぐに声をかけることは出来なかったが、もし発作などでふらついているのならば一刻を争うかもしれない。私は背中に向かって声をかけた。
「あの、大丈夫ですか?」
途端、折れそうなぐらい思い切り首だけを曲げてその人は振り返った。男性の目つきに、ぞわりと鳥肌が立った。
「あ」
声が漏れるよりも先に身を引こうとしたが、足がすくんで動けない。あっという間に間合いを取られ、右手首を掴まれた。
(やばい)
掴まれている腕に爪がめり込んでいるけれど、それどころじゃなさすぎて痛みすら感じない。強い力で引き寄せられるのを、今は引きずられないよう踏ん張るので精一杯だ。
レオから忠告されていたはずなのに、完全に油断していた。
見覚えのある目つき。異常な腕力。そしてゾンビのような歩き方。これはまさに……。
(闇落ちだ!)
理解した瞬間、心臓がどくどくと嫌な音を立て始める。いや、気づかないうちに呼吸が浅くなっていたのか。肩で息をしながら左手でめり込んだ指を引き離そうとするもぴくりとも動かない。むしろ更に力が入っているようで、短く揃えられた中指の爪にから鮮血が流れ出した。
「は、離してください!」
グルルルと威嚇のような唸り声しか返事はない。アメリアの時よりも闇落ち具合が進行しているのかもしれない。度合いなんてわからないけど。
何せ、生で闇落ちを見るのはこれが二度目。いくら画面の向こうでは何回も見てたとして、モブの立ち絵なんて大した差分もないのだ。リアリティもへったくれもない。
嬉々としてセーブデータから何度も何度もクロウリールートを読み直していた私が言うのもなんだが、こんなに恐怖と背中合わせなんて聞いていない。クロウリールートはルーチェにとって、かなり厳しい道のりだったのかもしれない。
(まあ、だからこそ愛は深まるのかもしれないけどっ!)
饒舌にでもなってなければ、すぐに怖気づく。集中力が切れたら負け。闇落ちおじさんに食われてバッドエンドだ。せっかく二度目の人生を謳歌しているのに、こんなところで終わってたまるか。
とは言え、身を捩ろうとも、ぶんぶん腕を振り回そうとも、男性の力には全く敵わない。向こうは加減などしていないのだから尚更である。
(負けるなエリン! 愛は勝つんやぞ! つまり推しカプも勝つ!)
十七歳。多分この先にはまだやりたいことがたくさん出てくるだろうが、今のところ生き残るための理由は推しカプたちのハッピーエンドを見守れないことである。せめて卒業するまでは近くで見ていたい。
鼓舞しながら抗ってはいるものの、じりじりと闇落ちおじとの距離が近づいていることは理解している。しかし気づいたら負け。試合だけじゃなく人生も終了する。モブゆえ、人知れず幕を下ろすことになるだろう。
「ぐっ……」
手首はもう幾筋もの血が滴り落ちている。見たら貧血を起こしそうなのでぎゅっと目をつむると、かかとの向きを変えて綱引きのような体制に持ち込んだ。火事場の馬鹿力よろしくオタクのカプ力が発揮された。
「し、死んでたまるかぁ~!」
ずるずると引きずられるだけだった足が、一瞬だけ自分の力で地面を踏みしめた。たった二、三歩だったけれど、確かに歩いたのだ。
(やった……!)
ほっ、と口元が緩んだのもつかの間。「ガアアアアアアア!」と声を上げた男性の背中から黒いもやが溢れ出た。今度こそ「あ」と声を出す間もなく、雑草の根っこを抜くような軽い動作で右手を引っ張られた。
脱臼したんじゃないかと思うぐらいの強い力に白黒させていると、目の前に人間にはないギザギザの歯が並ぶ大きながぱっくりと開いていた。
(あ、さすがにもう駄目だ)
体から力が抜けていく。絶望に気づいてしまえば、もう抵抗する気力もない。
涎がだらりと垂れる口元が近づいてくるのをスローモーションで見つめるしか、もう出来ない。
後数センチ。目を閉じて走馬灯すら流れない数秒を待った。




