閑話5―とある男女の内緒話(後)
「と、言う話でしたわ」
「なるほどね」
一通り話し終えると、ナターリヤは喉を潤すためにティーカップへ口づけた。
放課後にナターリヤが消えた理由と、アメリアがジャンを訪ねてきた理由を知り、ようやくレオの中でも辻褄があったのだろう。レオは前のめりになっていた上半身を背もたれへ預けた。思いの外真剣に耳を傾けていたらしい。
「つまりグレンさんはジャンとアップルシェードさんが恋仲になるのを後押しする、と」
「ええ」
顔は天井の装飾を見上げたまま、視線だけをナターリヤに移す。金糸のようなうねりのない前髪がはらりと落ちた。
彼の態度を気にすることなく、ナターリヤは瞼を伏せて紅茶から口を離してうなずく。上質なダージリンの香りが鼻を抜け、胸にしみいる心地だった。
「僕より先に派閥まで作っちゃうなんて、グレンさんはやり手だな~」
まずはジャン派に一人だね。
明るく振舞っているものの、内心相当悔しいのだろう。弧を描いていた口元はすぐにへの字に曲がった。
ジャンはレオにとって唯一無二の存在である。誰を信用していいかわからない王宮でたった一人、彼だけは無条件で信じることのできる側近であり、対等に接してくれる友人なのだ。彼の初恋を誰よりもちょっかいをかける……もとい応援したい気持ちは強い。
もっとも、エリンを取り巻く三角関係の主人公は親友と親戚。レオにとってはそれぞれがかけがえのない存在である。
今はジャンを中心に話が進んでいるが、いざと言う時にどちらかを選ぶなんて彼に出来るのだろうか。「次は誰がどっちにつくかなあ」と機嫌が戻ったらしいレオを横目に、ナターリヤはこれ以上波風を立てまいと疑問を紅茶とともに飲み込んだ。
「もっとも、アップルシェードさんは嫌われているとでも思っていそうだよね」
「え?」
想いもよらないレオの言葉に、ナターリヤはカップから口を離した。すぐさま顔を上げると、まさにレオがケーキスタンドから焼き菓子を取ろうしていた。まさかエリンの癖に気づくほど、レオが関心を持っているとは思わなかった。
なんてことのないすました顔をしていたが、視線がかち合うと片目を瞑ってにやりと笑った。
「さっきの君の一言を聞いて、さ」
「……聞いていらしたの?」
昼休みが終わる直前、魔法動物学の教科書を取り出しながらエリンに声をかけたのをレオは聞いていたらしい。別に聞かれて困ることではないが、なんだかむずがゆかった。
ティーカップをソーサーに戻し、「盗み聞きとは趣味が悪いですね」とナターリヤは心なしか低い声でつぶやいた。
「偶然だよ」
肩をすくめ、レオは手に取ったフィナンシェを頬張る。
せっかくアメリアから事情を聞きだしたのに、レオは驚きもしなければ予想の範疇とでも言うような態度でなんだか悔しいかった。
フィナンシェを食べ終えると、レオは足を組み、膝の上で頬杖をつく。不服そうなナターリヤとは相反してレオは笑みを絶やさずにいた。
「まぁ、僕もアップルシェードさんなら大丈夫かなって思うよ」
顎に手を添え、考える素振りをしながらレオは言葉を続ける。
「ジャンは末息子だから今まで渋っていたのかもしれないけれど、そろそろ婚約者ぐらい出来てもいい頃合いだしね」
すでに長兄が跡継ぎに決まっていることもあって、ジャンはある程度の自由があった。ゆえに家族も急かすことなく、十八になるまで友情一筋で過ごすことが出来たのだ。
エリンなら大丈夫。
その言葉でナターリヤはアメリアが言っていたことを思い出して、無意識にうつむいた。
彼女の異変に気づいたものの、レオは明るく振舞ったまま言葉を続ける。
「まぁ、それを言うと叔父上もなんだけどね」
わざとらしく肩をすくめると、反応の無いナターリヤをじっと見つめた。
王族はレオのように生まれてすぐに婚約者が決まっていることも珍しくない。いくら王位継承権が無いとは言え、二十歳を過ぎた王族が未だに婚約者も居らず、国のためだけに身を粉にしているの方が稀有を越えて異常とも言えるだろう。
行き遅れもとい、選び遅れの二人だ。相手が居ないゆえに、娘をやたら勧められたりと選び遅れの弊害も少なくない。
好意を寄せる相手と結ばれるのならば、もちろんナターリヤとて後押しはしていきたいと思っている。しかも相手が素性を知った友人であるならばなおさらである。
しかし、その友人……エリンにそのつもりが無いと気づいてしまった場合は、どうすればいいのだろうか。
矢継ぎ早に浮かんでは消えて行く思考の中、ナターリヤは瞼を伏せた。
「……暗い顔だね」
先ほどまでの明るく振舞った声色とは一転し、レオは語りかけるように言葉を紡ぐ。
自分が思案の海をさ迷い、レオの話を話半分で聞いていたことに気づくと「申し訳ありません」と頭を下げた。
レオは首を左右に振り、気にしていないと告げる。
「何か気になることでも?」
足を組むのを止め、前のめりになったレオがナターリヤの顔を覗き込む。
「あの子、自分への好意になると途端に否定をするんです」
「ん?」
ナターリヤの言う「あの子」がピンと来なかったのだろう。レオは一瞬だけ眉をひそめた。
「エリンはいつも楽しそうにしては居ますが、時折自分を頭数に入れていないんです」
以前から気になってはいたものの、アメリアの口からも同じような言葉が出て、ナターリヤも確信を持った。
もちろんナターリヤは彼女を友人だと思っているが、エリンは「恐れ多い」と己を卑下する。それはレオやルーチェ、ジャンにも同じような態度を示すことがあった。
クロウリーの口説き文句も「人違い」と否定したり、ジャンからの好意を「嫌われている」と認識したりしているのも同様である。
エリンとしては壁を作っているわけでも、好意を無下にしたいわけでもない。
ただただ、本気でモブの自分はお呼びでないと思っているだけなのだが、モブだの転生だのと内情を知らないナターリヤからすると、自身を卑下しているように見えるのだ。
「まるで自分を蔑ろにしているようで、つい気にかけてしまいます」
エリンの自己肯定力の低い発言を思い出し、ナターリヤの眉間に皺が寄る。
一方、友人の一挙一動に気を揉んでいるナターリヤを見て、レオは口もとを緩めた。
「……ナターリヤも変わったね」
アップルシェードさんと出会ってから。
レオもはっきりは言わなかったが、その含みがあることはナターリヤも理解できた。
「前は他人に関心なんてなかったのに、今はみんなの心配をしてる」
「え?」
「あれ? 違ったかい?」
わざとらしく首をかしげると、レオは挑発するようにまくしたてた。
「てっきりジャンに何かあれば二人きりだったグレンさんも巻き込まれると思って聞きに行ったんだと思ったよ」
レオの言葉にナターリヤは口をつぐむ。心なしか顔が赤いのは気のせいではない。
照れているのを隠し、ほのかに紅色に染まった頬で睨み続けていると、レオはわざと煽るように目を細めた。
「図星かな?」
「……意地悪」
ぷい、と顔を横に向け、ナターリヤはごまかすように紅茶を飲みはじめた。
「結局貴方はエリンとどちらがひっつくことを求めているのかしら?」
「どっちだろうね?」
「そういうナターリヤはどうなんだい?」
「わたくしは……」
質問を質問で返され、ナターリヤは言い淀む。
友人としてはもちろんジャンも応援したいが、クロウリーを蔑ろにも出来ない。
(クロウリー様がちょっかいではなく、本当にエリンを思っているのならば……)
間違いなく、クロウリーを選ぶだろう。
そもそも、エリンと出会ったきっかけはクリスマスパーティーの一件である。エリンがあの時アメリアを助けなければ、クロウリーが彼女を助けなければ、自分たちは出会うことはなかった。クロウリーがあの一件以降、何かとオーウェンを使って彼女を気にかけているので、休み明けに自分からエリンに近づいたのだ。
真剣に悩んでいるナターリヤをレオはほほえましそうに見つめていたことは、本人は気づいていない。
「……クロウリー様次第、でしょうか」
「ははは、それが一番わからないところなんだけどなぁ」
苦虫をつぶしたような顔をすると、レオはすっかり冷めた紅茶に口をつけた。
「ま、グレンさんには二人が『仲睦まじく』感じたのならば、もしかするかもしれないけどね」
「クロウリー様がからかう姿を『仲睦まじい』と表現するアメリアも相当肝が据わっているというか、なんというか……」
ジャンを応援すると宣言したアメリアから見ても、クロウリーの目にはエリンしか映っていないと思ったのだ。ある意味、一番公平な視点からの評価だろう。
「いいよね、それ。グレンさんの感性は僕らにはないもので面白いよ」
気まずそうな表情から一転、レオはあっけからんと笑う。
いつの間にか窓の外は真っ暗になったのに、相反して重かった空気は軽くなっていた。
「もっとも、クロウリー様の挙動でエリンが傷つくようでしたら、わたくしもすぐにジャンに味方しますけどね」
「そうだね」
レオの温かみのない返答に、ナターリヤは顔を顰めた。心がこもっていないと言うのは語弊があるかもしれない。
穏やかな表情と相まって、まるでクロウリーがエリンを傷つけることは無いと言っているようで、ナターリヤの懸念をレオは全く気にも留めていないように聞き取れたのだ。
「ひとまず、僕らは見守ることに徹しようか」
「……そうですわね」
どう転がっても、ナターリヤはエリンを祝福する。
彼女もまた婚約者同様に、大事な友人が幸せになる姿を見守りたいのだ。
「でも、レオ様。本音は面白がっているでしょう?」
「……バレたかい?」
ティーカップを手に取ったレオは眉を上げてわざとらしく笑う。
ナターリヤの疑うような視線を気にすることなくカップに口づけて紅茶を啜った。
「平凡な下級貴族を中心に、王族や上級貴族が振り回されているのなんて、まるで小説みたいで気になるじゃないか」
意地の悪い笑みを浮かべるレオに、ナターリヤは苦笑した。
その中に自分たちも含まれていることに、果たしてレオは気づいているだろうか。
「首を突っ込むのはほどほどにしてくださいな」
ため息をつきながらも、ナターリヤはレオを止めない。
ジャンを次にどんな手を使って揶揄おうかと企むレオは、やはり年相応の少年の表情をしていた。普段笑みを絶やさず、表情を崩さないよう徹している姿を隣で見ているからこそ、ナターリヤはこの表情に弱かった。
そんなナターリヤの淡い心を知ってか知らずか、レオは「もちろんさ」と紅茶を飲みほした。
「……さて」
カップを置くとレオは立ち上がり、ナターリヤの座る席へ足を向けた。
何ごとかとナターリヤは目を丸くしたまま、レオを見上げる。先ほどまでの茶化すような雰囲気は鳴りを潜め、愛しい者を見る溶けた視線をナターリヤに向けていた。
片足をつき、背すじを伸ばすと、ナターリヤに手を差しだす。
「ではレディ、これからの時間は僕だけに費やしてもらえないかな?」
上目遣いで拗ねる素振りを見せると、レオは言葉を続けた。
「これでも僕、最近君の口からアップルシェードさんたちの話題ばっかりで妬いていたんだからね」
この場にエリンが居たのならば、「あざといレオもイイ!」と叫んでいたに違いない。
彼女の「推しカプ」ではたまにあるやきもちなのだが、こんなレオの姿を見られるのはナターリヤの特権である。ジャンすら知らない、二人きりの時だけに見せる彼なりの甘え方なのだ。
唇を尖らせ、気恥ずかしそうに視線を逸らすレオを見て、ナターリヤは口もとに手を当てて微笑む。
「ふふ、よろこんで」
差しだされた手を取り、緩く力を込める。すると答えるようにレオも握り返した。
しばらく見つめ合っていると、レオは立ち上がってナターリヤの手を勢いよく引き寄せた。
いつもありがとうございます。
次回以降、しばらくエリンサイドの本編に戻ります。
お待たせしておりますが、引き続きよろしくお願いいたします。




