閑話4―とある男女の内緒話(前)
午後の授業を終え、王家の別邸へ帰宅したレオとナターリヤは二人きりの茶会を楽しんでいた。
今日の開催場所はレオの私室である。エリンの実家のリビング二つ分ほどもある部屋は、白地に金が指し色で統一されており、天井には青空を模した天井絵と金の彫刻が施されていた。以前エリンに屋敷の案内をした際は少しだけ中を見せたのだが、案の定彼女は口を開けたまま動かなかった。
そんな二人の話題と言えば、もっぱら同じ内容であった。曰く、日々変化する状況を見守っているのが楽しいらしい。ナターリヤも「本人が居ないところで口に出すのはいかがなものか」と最初は思っていたが、だんだんと友人の反応を観察するのが楽しくなってきたのだ。今日も今日とて、本人不在のまま、レオとナターリヤは友人ことジャンの話で盛り上がっていた。
「昼休みのジャンの顔、見まして?」
ふふと小さく笑うと、ナターリヤはティーカップに口をつけた。
レオは穏やかに笑うナターリヤの姿を見つめながら足を組み直す。しばらく無表情を保っていたが、ジャンの表情を思い出し、こらえきれずに吹き出した。
背中を丸くして笑いをこらえる姿は世間一般では珍しい部類に入るが、ナターリヤにとっては日常も同然であった。
「あはは! ほんと、まるでジャンの方が恋する乙女みたいだね」
「ええ、本当に」
二人に「恋をしている」と言わしめたのは、エリンが「嫌われている」と判断していた、息を詰まらせた時の表情であった。
半歩下がってしまったのは上目遣いのエリンを見てたじろいだからであり、決して拒絶ではなかった。……残念ながら本人には嫌悪と評価されてしまったのだ。
あの時のジャンの反応をレオは相当お気に召したようで、未だに肩を震わせていた。せっかく飲もうと手にしたティーカップは、中身が大波を立ててながらどこへ着地するわけでもなく宙に浮いていた。
未だ親友の照れ顔で笑い続けている年相応なレオの姿を見つめ、ナターリヤはティーカップから口を離した。
「アメリアのアシストのおかげですわね」
レオの動きがぴたりと止まった。どうしたのかとナターリヤが視線を向けると、ソーサーにカップを置いたレオは頬杖をついていた。唇を尖らせた表情は不満そうにも見える。
いわゆる「親友の恋バナ」に一国の王子が一喜一憂する必要があるのかとお思いかもしれないが、彼にとっては一大事なのだ。
「彼女がジャンを自覚させたのかな?」
僕が気づかせたかったのになぁ。
親友の初恋を誰よりも祝福をしていただけあり、レオはため息を吐いてがっくりと肩を落としていた。
はしたなくもテーブルにうなだれるレオを見下ろし、ナターリヤが「実は」と口を開く。
意気消沈ではあるが彼女の言葉に耳を傾けるべく、レオは円卓から顔を上げた。
「昼休みにアメリアがジャンを探しに来たことが気になって、帰る前に彼女に尋ねました」
「……へぇ?」
レオの目の色がぎらりと光る。片眉を吊り上げて不敵に笑い、レオは円卓の上で組んだ両手に顔を乗せた。
ナターリヤは即座に「しまった」と内心思った。ああいう表情をしている時のレオにいい思い出が無いのだ。
帰る前と言うのは放課後、ナターリヤが急いで教室を出た時のことである。突然「すぐに戻ってくる」と言われ、レオは自分の席に座ったまま待ちぼうけをしたのだ。
興味深くナターリヤを見つめる瞳は、エリンをきっかけに彼女の心境にも変化があったことに気づいたのだろう。ナターリヤは悟られたくない一心でレオから顔を逸らした。
立場上、自ら人へ関わりに行くことは珍しいと自覚している。ジャンのためとは言え、らしくない行動をしたと気恥ずかしくなる。ごまかすようにナターリヤは口早に話し始めた。
遡ること数時間前。
ナターリヤはレオに「少し待っててほしい」と伝え、アメリアを探していた。
昇降口へと向かう生徒たちの波をかき分け、赤いツインテールの後ろ姿を追いかけた。
「アメリア!」
「ナターリヤ様、いかがされました?」
走って来られるなんて珍しいですね。
淑女の見本とも言えるナターリヤが息を切らせて追いかけてきたことが珍しかったのだろう。振り返ったアメリアは目を瞬かせていた。
決して運動不足というわけではないが、教室からずっと走りっぱなしであったため、膝に手をついて呼吸を整える。アメリアは何も言わずにナターリヤが話し始めるのを待ってくれていた。
しばらくして呼吸が落ち着くと、背筋を伸ばす。深呼吸を一つ吐き出し、ナターリヤはアメリアをまっすぐ見つめた。
「昼休みのことなのですが」
「昼、ですか?」
何のことかわからないとアメリアの目が訴える。話が進まなくて内心苛立ちを覚えるが、ナターリヤはぐっとこらえた。
「ジャンを、探していたじゃない」
「あ、ああ!」
ようやく思い出したのか、アメリアは「あー、はいはい」と何度もうなずきだした。
アメリアにとってはその程度の些細な出来事だったのかもしれない。しかしナターリヤにとっては放課後わざわざ尋ねるほどには気がかりだったのだ。
いつものように三人で昼食を取ろうとしていた矢先、「食べる気がねぇ」と言ってジャンが教室を去った。暗い表情のジャンに、残された二人は顔を見合わせていたところ、入れ替わるようにアメリアがジャンを探しに来た。因果関係が無いと考える方が難しかった。
「率直に聞きますが、ジャンに何の用がありまして?」
ナターリヤにとってジャンもまた大事な友人である。もしアメリアがジャンを利用することがあるのならば容赦はしない。
その一方でアメリアの友人としても懸念を抱いていた。
片や上級貴族で王族の側近、片や勢いがあれど下級貴族の娘。世間がどちらの言い分を支持するかは明白である。
「あー、いや、やましいことなどは何も無いのですが……」
「でも、随分言いにくそうにしているじゃない?」
何もないことを祈りつつ、視線を彷徨わせるアメリアを凝視する。
しどろもどろになっていたアメリアだが、しばらくして肩を落とした。
隠しきれないと察したのだろうか。眉を下げたアメリアを見やる目つきが鋭くなった。
「……ナターリヤ様」
「はい」
「つかぬことをお聞きしますが、ジャン様が……その、あの……」
もじもじと一向に話を切り出さないアメリアに、ナターリヤはしびれを切らした。
「もう、なんですの!? はっきりしなさいな」
アメリアは「申し訳ありません」と謝罪し、キョロキョロと辺りと見回した。通り過ぎる生徒たちの目が二人を見ていないこと確認すると、ナターリヤの耳元でささやいた。
「ジャン様が……え、エリンをどう思われているか、ご存じですか?」
「……は?」
予想外の言葉にナターリヤは口元を引きつらせた。その様子を見たアメリアが額に手を当ててうなだれる。「ごめん、ジャン様」と聞こえたのは気のせいだろうか。
(つまり昼休みにジャンとアメリアはエリンの話をしていた、と?)
家同士のあれやそれやと深刻に考えていただけに、こめかみを押さえる。ナターリヤは眉間に深い皺を作りながら、ぽつりとつぶやいた。
「……とりあえず、場所を移しましょうか」
ところ変わって、昇降口から目と鼻の先にある建物の裏。
まだオレンジ色の混ざっていない空を背中に、ナターリヤとアメリアはお互い気まずそうな表情で向かい合っていた。
「それで、いつジャンがエリンに好意を寄せてることに気づいたのかしら?」
「え、やっぱりご存知なんですか!?」
ご存じも何も、彼が恋に落ちる瞬間をおそらく見守っていたのは自分たちなのだが。
うっかり喉元を通りそうになる言葉を飲み込み、ナターリヤはうなずいた。
「実は……」
それからアメリアは昼休みにジャンと交わした内容を話しだした。
昼休みに入る直前、クロウリーが訪ねてきたこと。そしてエリンと仲睦まじい姿をジャンが見ていたことに気づいたこと。昼休みの出来事を思い出すように、ぽつりぽつりと話しだした。
「つまりクロウリー様とエリンが話しているところを、ジャンが意味深な表情で見ていたのが気になった。と?」
「はい」
魔法薬学の授業で同じ班だったナターリヤは思い当たる節があった。いつもより早く実習は終わり、ジャンはとっとと教科書をまとめて先に部屋を出ていったはずだった。なのに彼は自分たちより後から教室に戻ってきた。思い詰めたような表情を携えて。
「で、追いかけた貴女がジャンにエリンを慕っているか尋ねると……」
「顔を真っ赤にして後ずさりましたね」
続きをまとめるよりも先に、アメリアが真顔で答える。不本意だがジャンの姿はありありと目に浮かび、ナターリヤはもう一度こめかみを押さえざるを得なかった。
ぐりぐりとこめかみを押さえた後、片目を伏せたままちらりとアメリアを見やる。彼女にからかいの意がないのは理解していたが、なぜか表情が曇っていた。
「アメリア? 何か気になることでも?」
首を横に振っているが説得力がない。
ナターリヤが真意を探るべく目を細めると、「アタシが言っていいものなのかわからないんです」とアメリアは言った。
ジャンとアメリアの関係性からすると、真っ当な理由ではある。言いよどむアメリアを、共通の友人であるナターリヤが背を押さないはずがない。
「友人が暗い顔をしてるのを、わたくしは黙って見過ごせませんわ。後からジャンがなにか言ってきてもわたくしが無理矢理言わせたとでも言いなさい」
ナターリヤは胸を張ってぴしゃりと言い放つ。
その姿に気を許したのか、アメリアは口を開いた。
「……なんというか、ジャン様はクロウリー様に遠慮をされているようでした」
うつむぎがちだったアメリアは「ですが」と顔を上げる。
「アタシはジャン様を応援するつもりです」
「あら、どうして?」
曰く、ジャンはクロウリーよりも後に好きになったことが後ろめたいらしい。しかしそれと応援がどう繋がると言うのか。
アメリアがジャンを選んだ理由がいまいちわからず、ナターリヤは首をかしげた。
「下級貴族のエリンがジャン様と結ばれたとして、やっかみは免れないでしょう? 『守ってくれますよね?』って聞いたんですが『当たり前だろ』って即答されたんですよね」
そこは悩まないんですね、って思わず口を滑らしました。
眉を下げて笑うアメリアを見つめながら、ナターリヤも口をつぐんだ。
「それを聞いた時に愛をささやいてくれるけれど会えない時間が多いクロウリー様より、辛い時も傍に居てくれて不器用でも一生懸命守ってくれそうなジャン様を応援すると決めました!」
「だって、エリンが幸せになれそうじゃないですか?」と握りこぶしを作って語るアメリアに、ナターリヤも胸をなでおろした。
「友人思いね」
エリンの幸せを願うアメリアははつらつとしていて、ナターリヤには眩しさすら感じた。
自分もそんな友人が居たらいいのに。
そう思ったのもつかの間。アメリアは目を丸くしながら大きく首をひねった。
「ナターリヤ様も負けず劣らずご友人思いだと思いますよ?」
ジャン様だけでなく、エリンの心配もしてくださっていたんですよね?
そう続けられたアメリアの言葉に、今度はナターリヤは目を丸くする番だった。
「気にかけていただいてありがとうございます!」
友人。ナターリヤには縁遠かったものの一つ。言われるまで自分でも気づいていなかった胸の内を見透かされていたらしい。存外、アメリアは人を良く見ているようだ。
ぽかんと口を開けたまま、ナターリヤははにかむアメリアを見た。
(……わたくしの周りには、いつの間にかこんなに友人が居たのね)
レオの婚約者として選ばれてから、同性の友を諦めた。友人なんて馴れ合うだけだと嘲笑ったこともあった。しかしエリンやルーチェ、アメリアと時間を共にするうちに、そんな擦れた感情もいつの間にか消えていた。とは言え、長い間友人の居なかった彼女は、思い思われると言う感覚は未だに慣れておらず「心配」と言う簡単な感情にすら気づいてなかった。
「あら、わたくしは貴女の心配もしていましたけど? 気づきませんでした?」
直球で思いを伝える気恥ずかしさを誤魔化すように口早に話す。微笑むアメリアにはそんな小手先のその場しのぎもお見通しなのだろうか。
ナターリヤは西日が長くなり始めた校舎裏で、白旗を上げる代わりに小さく肩をすくめた。




