ようやく目の前で供給を得ました
「……へぶっ!」
アメリアの忠告もむなしく。避けることも出来ぬまま、私は壁にぶつかった。
(壁、か?)
鼻のてっぺんに感じるのは触り心地のよい布の質感。壁と言うには柔らかいし、なんだか暖かい気もする。近すぎてよくわからないけれど、漆黒の中に凹凸のような陰影もあるように見える。
「おっと、すまん。加減が上手くいなかった」
久しぶりに聞く演技じみた話し方に、低い声。半月ぶりぐらいだろうか? なんて考えるより先に、慌てて顔を上げた。
「く、クロウリー様!?」
「今日も元気そうだな、エリン」
なぜ学院を我が物顔で歩いているのかはさておき、黒い壁の正体はクロード・デルデ・デュイスメールことクロウリーの外套だった。道理で肌触りが良いわけだ。
今日も今日とて、含みのある笑みを浮かべて私を見下ろしていた。そんなに小娘をいたぶって面白いのだろうか。
(加減ってこの人、もしかして転移魔法で目の前に移動して来たんじゃ……)
ちゃんと学院の手続きをして入構しているのかいささか不安になりつつクロウリーを見つめていると、背後から肩をつつかれた。
「アメリア? どしたの?」
彼女らしからぬ控えめな行動に首をかしげたが、いつの間にか隣に居ないことにも驚いた。視線をアメリアに向けると、私とクロウリーを交互に見ながら、おそるおそる私に声をかけているようだった。
(ああ、なるほどね)
私たちのような学生ではレオ以外の王族なんて滅多に見かけることもない。ましてや機嫌を損ねたらどうなるかなんて考えたくもないだろう。
普段からクロウリーに慣れているルーチェはともかく、同じ平民出身でもナヴィはアメリアより後ろで顔を強張らせながら見守っていた。もっとも、王族を前にして堂々と立っていられる人間なんてそうそう居ないだろうが。
「エリン、まずは謝りなさい……?」
私の感覚もすっかりおかしくなりつつあるし、どうにかしないとなぁ。
なんて目の前の上質な布を見つめて考えていると、アメリアが耳元でささやいた。いきなり言っていることとやっていることが違う。しっかりしろ、エリン。
「あ、あ! そうだね! クロウリー様、今更ですがぶつかってしまい申し訳ありません!」
「構わん、お前の気を引きたくてやったことだ」
慌ててクロウリーから離れようと身を引こうとしたが、動くよりも先に骨ばった指が頬をかすめた。
指の腹で撫でられるのはくすぐったい。されるがままではあるが、化粧が落ちてないかなと顔をしかめる。そんな私をクロウリーは目を細めて見下ろしていた。
あの日のことは彼の中でも無かったことになっているのだろうか。ある意味いつも通りの距離感で安心した。
(くっ……! これが私じゃなくてルーチェにしていたら……隣で砂糖を吐いていたのに!)
最近は彼の一挙一動に思い悩むのにも疲れ、一周回って自分をルーチェに当てはめて妄想するようになった。乙女ゲーのヒロインを自分に成り代わりさせるなんて、二次創作者にとっては罰が当たりそうなぐらい贅沢な話である。文字に起こしていないだけまだ理性があると思ってほしい。
今の状況だってそうだ。見つめ合う相手がルーチェなら最高なのに。私は悔しさで目をぎゅっとつむった。
断じて羞恥などではない、私は推しカプを見守る壁に成り代わりたいのだ。
(いや、そのルーチェは隣に居るが!?)
今更だが、隣に推しカプの片割れが居ることを思い出した。私は顔を上げるとルーチェを見やった。
(もしかしたら私とルーチェを間違えてるかもしれないし! 違ったとしてもクロウリーにルーチェを推薦し続ければ問題なくね!?)
もはや自分に言い聞かせるように自問自答する。私がじっと見つめていることを不思議に思っているのか、ルーチェ首をかしげていた。可愛い。最高。
緩みそうになる顔をキリッと正すと、クロウリーを見上げた。
「あ、あの!」
「ん?」
「ルーチェは隣ですが?」
「そうだな」
「あの、その……。話しかける相手、間違えてませんか?」
私の言葉でその場が静まり返った。気持ち体感温度も下がった気がする。おかしいな? 外廊下とは言え、春になったはずなのに。
微妙な空気に目をぱちくりさせていると、隣から大きなため息が聞こえた。
「エリン……」
名前を呼ばれて横を向くと、ルーチェが遠い目をしていた。私はヒロインにあるまじき悟り顔をさせてしまったらしい。
「え、え?」と振り返ってアメリアに助けを求めるも、彼女は額に手をあててうつむいていた。ナヴィはアメリアでどんな表情をしているかはわからなかった。
が、アメリアやナターリヤから鈍感と言われている私でも流石に気づく。
(選択肢、間違えたヤツですか!?)
今の状況はおそらく画面の向こうであれば、三択が表示されていたのだろう。
まだ選択肢を間違えた方がゆるやかに話が動いたはずだ。こんなあからさまに空気が変わることはない。選択肢一つでいきなりバッドエンドにはならない。トゥルーエンドは見れないかもしれないが。だってあくまで分岐だしね。
前にクロルチェをほのめかしてルーチェの機嫌を損ねたことが抜け落ちていた私は、何度も交互に二人へ視線を向ける。ルーチェが呆れていたのはおそらくこれが原因だったのだろう。
後日、ルーチェから改めて気迫ある表情で「クロウリー様とは何もないからね?」と忠告されたのは言うまでもない。
(ルーチェもなんか言いなよ! 「そうです、私はこっちです」とかやきもち焼いたりさ〜!)
現実逃避ではないが自分の妄想で興奮していると、つい胸元で抱きしめていた教科書類を持つ手に力が入った。
すると何を誤解したのか、頭の上から「くくっ」と喉を鳴らして笑う声がした。
「相変わらず手強いな」
クロウリーは頬から手を離し、おおげさに肩をすくめた。少女漫画でしか見たことのないような所作すら様になっている。イケメン以外がやったらイラっとするのに。まぁ此処、乙女ゲームだけどね。
「まぁ、用があるのは確かに彼女だが」
クロウリーは私へ顔を向けながらも、横目でルーチェを見やった。
(お、お、もしや!?)
私の強い強い強い念が天に届いたようで、ルーチェはにっこりとクロウリーに笑いかけた。
「クロウリー様、わたしをダシにするのはやめてくださいといつも言ってますが?」
「はて? なんのことだか」
お互い笑っているはずなのに、なぜか空気は穏やかではなかった。背後で龍虎がいがみ合っているように見えるのは気のせいだろうか。
(……ケンカップルかな?)
この二人にそんな要素あったっけ? と一瞬だけ思ったものの、「ケンカするほど仲がいいんだ?」と尊死した。やはりクロルチェは引っ付くべきなんだなとしみじみ思う。どんな世界線でも結ばれる運命、はっきりわかんだね。
軽口でいがみあう……もといじゃれ合う二人を目の前にして、呆然と立ち尽くしていた。
(このやり取り、特等席で見ていていいのかな……)
二人のやりとりを間近で見れる幸せを噛み締めていると、とんでもない事実に気づいてハッとした。
(てか何気に私ってばクロルチェが絡んでいるの初めて見たじゃん!?)
前に見た時は遠くだったし、クロウリーに絡まれて大惨事になってしまった。
牽制しあっているように見えるだとか、そんなの気にしない。考えるよりもオタ活に軍配があがり、顔を見合わせている二人を目に焼き付けていた。
「そうだな。本題に入ろうか」
クロウリーの顔から表情が消え、鋭い視線がルーチェを射抜いた。
「……アレが出た」
「!」
抑揚のないクロウリーの言葉に、ルーチェの顔つきも変わった。二人の剣幕な様子を見て、そっとアメリアのそばに移動する。
アレと言うのは闇落ちのことで間違いないはず。そもそも、この男が直々にルーチェを呼びに来ると言うことはそれしかないだろう。
笑顔が消えたルーチェは杖を取り出し、一振りする。すぐに教室から鞄がワープしてきた。
「すぐに向かうぞ」
「はい!」
鞄に全て詰め込んだルーチェを確認し、クロウリーは踵を返した。
来た道を戻り、同じく昇降口へ向かおうとするルーチェへアメリアが慌てて声をかける。
「る、ルーチェ!? 今日も早退するの?」
クロウリーの背中を追いかけようとしていたルーチェが顔だけこちらを見る。
「お昼ごはんはご一緒出来ないけど、午後の授業には間に合うように帰ってくるよ!」
「え、でも……」
困ったように笑うルーチェをアメリアが引きとめようとする。
正直、私だってもっとクロルチェ要素に興奮したいところだけど、早急に現場に向かってほしい。残念だけど画面越しの出来事でも、フィクションでもない。誰かの命が関わっているかもしれないのだ。
一歩踏み出そうとしたアメリアを制止し、代わりにルーチェへガッツポーズを向けた。
「ぜ、絶対帰って来てね! 今日から学院祭の準備あるんだから!」
サボりは許さないからね!
私がそう言うと、ルーチェの足がぴたりと止まった。振り返ったルーチェは、豆鉄砲でも食らったように目を丸くしていた。
拳の親指を一本立て、にっこりと笑いかける。すると大輪の花のようにルーチェの顔がほころんでいった。
「……うん!」
大きくうなずき、クロウリーの方へと向き直る。たたたたと小気味のいい足音と共にクロウリーに追いつくと、何かに気づいたルーチェが不思議そうに私と彼を交互に見た。
「意外とわかりやすいんですね、クロウリー様」
ルーチェの言葉に促され、私もクロウリーへ視線を移す。確かに口もとがへの字に曲がっていた。不満げに見えなくもないが、どういう心境なのか私には見当もつかなかった。
二、三メートルほど先の二人を見つめていると、こちらを向いたクロウリーと目が合った気がした。
「……行くぞ」
クロウリーはルーチェの問いに答えることもなく、重い音を立てて外套を翻した。目が合ったのは気のせいだったのだろう。そんなクロウリーの様子を満足げに見ていたルーチェも遅れて歩き出す。
置いて行かれないように小走りで後を追う最中、ルーチェが小さく手を振った。私たちが手を振り返すと、ピースサインで応答し笑いかける。
前を向いたルーチェは今度こそクロウリーと共に昇降口の方へと消えて行った。
二人の後ろ姿を見つめながら私は大きく息を吐きだした。
新学期早々、闇落ちが起こったと言う事実に無意識で肩に力がこもっていたのかもしれない。
向こうは今から闇落ちと戦うと言うのに、私は緊張感から抜け出してさっきのやりとりを脳内で反芻していた。
(え、やばくない?)
昨年度はクロルチェの供給が少なかったのもあって、冷静に考えれば考えるほど、今日の供給にただただ混乱していた。
(冷静に考えなくてもやばい)
今までゲームのクロルチェはともかく、この世界のクロルチェがどういう関係性なのかも想像の域から超えていなかったのだ。
ルーチェ本人にはクロウリーとの関係を聞くのはご法度だったし、学院内で闇落ちが起きたのはアメリア以降無いのでどんな風に二人が浄化しているのかもわからない。
正直、体験談と言う名前の成り代わり夢小説で補いすぎてどこまでが公式だったかわからない同人女になっていた。
(まさかあんなにフランクな関係だったなんて……)
あれはズルい大人と無垢な少女と言うより、対等な立場の同士だった。同僚から始まる恋なのか、そうなのか。
この世界の二人は恋の駆け引きとか無く力づくでハッピーエンドを迎えそう。知らんけど。




