もしかして:布教がヘタクソ
ぼんやりとジャンについて考えていると、ティーカップから口を離したレオが口を開いた。
そういえば用意してもらったお茶に全く口をつけていないまま、今まで話し込んでしまった。
「アップルシェードさんはどう思ってるんだい? 叔父上のこと」
「どう、ですか? う~ん……」
私はぬるくなったであろうティーカップに伸ばしかけた手を止め、腕を組んで唸る。急にどうと言われても正直わからない。
ゲームを知っている推しカプとしてのクロウリーと、実際に接しているクロウリーに乖離がある。私が思うクロウリー像は一つしかないのだが、いざ説明しろと言われると何をどう話すべきか悩む。
クロルチェのクロウリーの話がしたい、そして出来れば二人がひっついてほしい。そう強く思った時、名案は降りた。やはり神はオタクの気持ちを見捨てない。
(いや、待てよ? 此処で私がクロルチェを推せば流れが変わるのでは?)
何もしなければクロルチェに流れが戻る可能性が高いとは言え、周囲の人間にもクロルチェが公式ですと共有しておくべきでは? そうすれば私にクロウリーを勧めてくることもないし、誰もが幸せなのでは?
そう考えたオタクもとい私は、この場で推しカプ布教へ舵を切ることにした。
「よくルーチェと一緒に居るところをお見かけしますよね?」
「そうね」
「王族と平民の白魔法使いって、少女小説のような関係じゃないですか? 私、そういうのに憧れていたので最初はお付き合いされているのかと思っていました」
昇降口での一件で野次馬の学生たちが言っていたように、特待生のルーチェなら隣に並んでも許されるのだ。なぜなら彼女は平民であっても特別な存在だからだ。乙女ゲームの主人公って、平凡に見えて平凡じゃない能力があるから人が寄って来るわけよ。
三人も思うところがあるのか、何も言わずに次の言葉を待っている。
「でもそれはルーチェから違うって強めに言われました」
いつぞやの昼休み以降、クロウリーのことどう思ってるの? と茶化したことがあるのだが、鬼気迫る顔で「本当になんにもないからね!?」と念押しされていた。以来、クロルチェをほのめかすことは本人の前ではしなくなった。あんな顔をしたルーチェを二度と見たくない。あの時ばっかりは本気で怒らせたと思ったわ。でも諦めないけどね? まだ違うだけかもしれないし。
「私のことは真新しいおもちゃぐらいにしか思ってないんだろうな〜って思ってます」
もしくはルーチェとの関係を隠すための隠れ蓑的な。
首をかしげて可愛く言ってみたものの、レオたちの反応は薄い。おかしいな、一番自信のある説を唱えたつもりなんだけど。
「……ルーチェに違うって言われたのでしょう?」
「口から出ている言葉が真実とは限らないので!」
ドヤ顔で否定する私に、ナターリヤが呆れた顔をしていたように見えたのは気のせいだろうか。
「まあ、それにしてはやることが乙女心ぶち抜きすぎというか、体を張りすぎというか。『それ他の女にしたら勘違いしない?』みたいなことが多いのは気になりますね」
「例えば?」
純粋に疑問を持っているであろうレオの澄んだ目に言葉がつまる。
自分から言ったとはいえ、ちょっと墓穴を掘ったなと思った。そりゃああんな言い方されたら「例えば?」と聞きたくなるのも頷けるし、なんなら私が聞き手でも尋ねてしまうだろう。
気まずいながらも答えないわけにはいかない。かといってレオに嘘をつけるほどの度胸もない。仕方ないので渋々言葉を続けた。
「……跪かれた時とかですかね」
ガタン!
隣を見ると、ジャンがイスから落ちていた。
突然の出来事に私を含めた三人が呆然としていると、取り乱した様子でジャンが立ちあがった。
「ひ、跪いただと!?」
「うわっ! 声でかっ!」
「さっきから何!? うるさいわよ、ジャン!」
左耳が聞こえなくなったかと思うぐらい大きな声に、思わず敬語も忘れて驚く。
ナターリヤにいたっては今にも掴みかかりそうな勢いで怒っていた。どうどうとレオが両肩をおさえてなだめている。淑女の鑑とは言え血の気が多いナターリヤなら、身内とも呼べるジャンなら平気で殴りかかるだろうな。気ごころもしれているみたいだし。
まあ、ジャンとナターリヤの仲がいいと知ったのは最近のことだけど。
「あ、わりぃ……」
ナターリヤの憤りで落ちついたらしいジャンは、すぐに倒れていたイスを元に戻した。イスの向きをテーブルではなく私に向けると、腰かけて尋問を再開した。
「で、跪くってなんだよ」
さっきのアクシデントで中断したのでうやむやになると思ったが、そんなうまくはいかなかった。
ジト目でこちらを見つめるジャンに、ごまかせなかったか、と苦虫を噛みしめた。
「あー、さっきの話の中で、靴を返してもらったって言ったじゃないですか?」
「おう」
食いぎみに返事が返ってくる。なんでそんなにこの話に食いつくの!? と思うがそれどころじゃない。無表情で私を見つめているジャンが怖い。とっとと白状した方が身のためだと理解した。
「その時に、まあ、色々ありまして……」
いざ半月前のことを言葉にしようとすると途端に恥ずかしくなってきてしまった。十七歳の多感さゆえか、それとも私自身の恋愛経験の低さゆえなのか。
この場にいる誰もがあの時のことを知らないのに、思い出しては頭を抱えそうになった。
「あ、あ、足の甲にも、キスを……されました」
周囲から感じる視線と静寂に耐えきれず、うつむいてしまう。
わかる、わかるんよ。同じ王族であり、甥のレオからすれば叔父を下流貴族程度のちんちくりんが跪かせてしまったことに怒りを覚えるのはよくわかる。わかるからこそ、今、この場をもって牢屋にぶち込まれても仕方ないと思ってる。甘んじて受けるつもり。
(でもさ、冷静に考えると少女漫画もびっくりの展開だったな)
乙女ゲームと言う前提があるとはいえ、身分差がある大人と子どもが恋に落ちそうなイベントが発生しちゃうんだもんな。もし私が記憶を思い出さないまま、十七歳であのズルい大人の手のひらで転がされていたらもう少し乙女的な展開になったかもしれない。
と、自分の置かれた立場を鑑みて思考を停止した。
(……いや、そのポジションこそルーチェだわ。私がルーチェのイベントを奪ったんだった)
そうだった。私がなんでこんな思い悩んでいたか思い出した。
ヒロインのイベントを私が発生させたかもしれないことに悩んでたんだった。別にクロウリーの心の所在がどこにあるかで思いつめていたわけじゃない。
あの終業式の日と同じく、血の気が引いていくのがわかる。
のうのうとお茶会を満喫している場合じゃない。もっとクロルチェに軌道修正しなければ。
「あ、でも、さっきもルーチェと一緒に出かけたんですよね? 私的には隠れ蓑説を推してるので、あんまりちょっかいをかけられすぎると二人のお邪魔じゃないかなって思ったりとか……」
顔を上げて矢継ぎ早に話を切りだすも、レオが片手を上げて私を制した。
「なんとなく事情はわかったよ、ありがとう」
向かい合っていたジャンと私はどちらからともなくレオの方へ顔を見た。にっこりと笑っているものの、果たして本心は何を考えているのかわからない。正直に言おう、笑顔が怖い。
「……とりあえず、叔父上が思わせぶりな態度をたくさんしたってことは僕も理解したよ」
静まりかえった庭の一角、鳥のさえずりとレオの声だけが聞こえる。優しい物言いなのに有無を言わさないあたり、さすが王族の風格と言うべきだろうか。
「でもね、アップルシェードさん」
「はい」
レオはテーブルに両肘をつき、組んだ手の上に顎を乗せる。一つ一つの仕草が優雅で、つい見入ってしまう。
「叔父上は冗談でそんなことをしないと思うよ」
細められていた目が開く。空色の澄んだ瞳が私を射抜いた。悩んでいたのを見透かすような瞳にうろたえてしまう。
何か、言わなければ。咄嗟に出た言葉はやっぱり言い訳でしかなかった。
「でも、ルーチェは……」
「ドミニクさんと行動を共にしているのは、仕事だって聞いているよ」
詳しくは知らないけどね、とレオは続けた。
すると黙っていたナターリヤも紅茶を飲みほして私を見据えた。
「わたくしもそう思いますわ」
「ナターリヤ様まで!?」
「だって、あの方がエリンを見る目に嘘はありませんもの」
ねえ、ジャン。
首をかしげたナターリヤが話を振ると、隣の影がビクッと肩を揺らした。
「え! あ、オレもそう思うぞ! あの人、勘違いされやすい行動は多いけどな!」
「……なんで貴方がそんなに顔真っ赤なんですの」
確かに。ナターリヤの言う通り、心なしかジャンの顔が赤い。クロウリーと親しいようなので、知人のあれそれを想像して恥ずかしくなっているのだろうか。ジャンは良くも悪くも思春期って言葉がよく似合うタイプだしな。むっつりなのかな?
「この話は一旦終わりにしようか」
レオは手を叩き、場の空気を変える。とまどう私をよそに、呼び鈴で使用人を呼び寄せた。
どうやら新しい紅茶を用意してくれるらしい。すぐにさっきのおじさまがスイーツの乗ったワゴンを引いてやって来る。後ろにはたくさんの侍女が控えており、ワゴンから紅茶を注いだりと給仕をし始めた。冷えているとは言え一口も飲んでいないので、私は一気に飲みほした。
「こればっかりは君が気づかないといけないだろうしね」
「は、はぁ……」
メイドに紅茶を淹れてもらいながら、レオはにこりと笑って言う。どう見ても眉をしかめている私を目の当たりにしても動じない。をこれ以上、先ほどの話を続けるつもりはないらしい。
推しカプ布教を出来たかと聞かれると、多分出来ていないと思う。レオの威圧感に全部持っていかれた気がする。
レオ同様、ナターリヤも切り替えているのだろう。後ろに控えているメイドに「今日のお茶菓子は何?」と聞いていた。
一番身分の低い私に順番が回ってきた。目の前でメイドたちが給仕をしてくれる。こぽこぽと湯気を立ててカップに溜まっていく紅茶を見つめながら、私は生返事をするしかなかった。




