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19/35

引きこもるとすぐに不摂生になるよね

 終業式から約半月。気づけば春休みも片手で数えられる程度になってしまった。

 私と言えば、毎日だらだらだらだらだらだらとベッドで過ごしていた。まあ、寝てはいないんだけど。


(ひたすらベッドの上で悶々してしまった……)


 もう半月前になるのに頭から離れない、あの光景。

 シャンデリアの光を背中に受け、優しく見下ろすクロウリーの姿。足の甲にキスをされたとか、おでこにキスをされたとか、色々あったはずなのに、思い出すのはあの微笑みだけだった。


「……はぁ、ダメだ」


 今日も太陽が真上にのぼってもなお、私は布団から起き上がらずに天蓋のかかった天井を見上げていた。

 枠やら模様やら装飾の施された天井を見上げて数秒。クロウリーの顔がよぎったところで掛け布団を頭まですっぽりとかぶった。

 春休みになってからと言うもの、毎日こうである。

 体調は悪くないか、医師は呼ばなくていいか。心配そうに何度も何度も様子を見に来るマリアには申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


 コンコンコン。

 控えめなノックと共に、マリアの声が聞こえた。


「お嬢様、お加減はどうですか?」

「まあ……」


 メンタル以外は超絶元気である。いつも気にかけてもらって本当にごめんねと心の中で謝った。

 言葉を濁す私に、部屋に入ってもいいかと尋ねる。

 できればこんな弱ったところを見せたくはないけれど、お腹は空いているので首を縦に振るしかなかった。


 のそのそと布団を抜け出ると、服を着替えてテーブルに着席する。座ると同時にマリアが食事を用意してくれた。

 おかゆとリゾットの間のような朝兼昼食に口をつけようとしていたところで、マリアが爆弾を投下した。


「エリン様、ナターリヤ様よりお手紙が届いておりますよ」

「え、ナターリヤ様が!? あっつ!」


 うっかりスプーンをくちびるにぶつけて火傷した。それでなくても最近生活リズムもボロボロなので体が弱っているのに、口内炎予備軍を増やしてしまった。自分で自分をいじめてどうする。


「はい。エルマジェフ家の封蝋がありましたので」


 早急におかゆもどきを胃の中に流し込む。多分正気に戻ってから喉がただれたやらなんやらと泣き言を言う未来が見えるけれど、それどころじゃない。未来の私、頼んだぞ。

 ごっくんと飲み込んで「ごちそうさまでした」と手を合わせると、すぐさまマリアが食器を下げた。


「こちらになります」

「ありがとう」


 受け取った手紙を開けようとしている私のそばに、マリアはさりげなく冷水の入ったグラスを置いてくれる。私が火傷しているであろうことはお見通しらしい。私のメイドまじで優秀。


「うわ、どうしよ! 緊張してきた……!」


 便せんを取り出す手前で手が止まる。この半月、あんなに悩んでいたことなんてすっかり抜け落ちるぐらいには、推しは健康にいい。生きている実感しかない。このドキドキ、わくわく、ハラハラ、きゅんきゅん、全ての感情は推しに通ずるんだ!


「すー……はー……」


 一度テーブルに封筒を置き、深呼吸を二回繰り返す。

 意を決して封筒を手に取ると、「いっせーのーで!」とセルフで掛け声をかけて便せんを取り出した。

 視界の端っこに見えるマリアは私が粗相をして呼び出されたのではとハラハラしていた。確かにちょっとその可能性もあるから怖い。

 おそるおそる開いた便せんにはキレイで整った大人っぽい字が並んでいた。「エリンへ」と書かれているのを視界に入れただけで手が震え始めた。

 一文字一句、逃さないようにゆっくりと読み進めていく。信じられない文が連なっていて、思わず便せんを文字通り目の前へ近づけた。


「な、なんですと……!?」


 書かれていた内容に、私は目を見開いてただただ驚くことしかできなかった。




 時は流れて五日後。

 私は今、ダズヌール王国の王族が所持する別荘の前に立っています。


(どうしてこうなった……)


 あの日、ナターリヤから届いた手紙にはこう書いてあった。


 ――親愛なるエリンへ。

  新学期が始まる前に一度会えないかしら?


 具体的には五日後、お茶会をするから来てほしいという内容が書かれていた。

 お茶会の場所として指定されている所は上流貴族や王族の住む区画だったが、上流貴族主催のパーティーで何度か足を運んだことがあるので大丈夫だろう。それにアメリアとルーチェも誘っているとあったし、まあ大丈夫でしょ……


「いやいやいやいや!? 今の私、ヤバいでしょうが!?」


 テーブルに手紙を叩きつけ、勢い余って立ちあがってしまった。

 この春休み、ほとんど家も出ていない。侍女たちが最低限のお手入れはしてくれていたものの、引きこもりで栄養不足の不健康なオタクの肌はボロボロ、髪はボサボサである。アラサーなのでわかる。このまま不摂生を放っておくと、歳を取ってから泣きを見ることになる。

 今の私ははっきり言ってギリギリ人間ぐらいの見た目をしていると思う。上流貴族の区画に行くだけでも場違いである。せっかくナターリヤにお誘いしてもらったのに万全の俺でオタ活できない。万事休すだ。

 声にならない声をあげつつ、天井を仰いで頭を抱える。今の私には嘆くしか出来なかった。


「……なるほど、理解しました」


 テーブルに置かれた手紙をマリアが覗きこむ。事情を理解したらしいマリアのメガネがキラーンと光った。

 ブリッジを押し上げたメガネの奥は逆光で見えない。やはりメガネは叡智の結晶なんだね。


「ま、マリア?」

「お嬢様、覚悟をお決めくださいまし」


 マリアがパンパンと手を叩くと、ぞろぞろと部屋にメイドたちが集まってきた。

 後ずさる私をよそに、マリアがじりじりと近づいてくる。


「いいですか、皆さん。まずは三日間で平時のお嬢様を取り戻しますよ」


 マリアが言うと、メイドたちが口々に「かしこまりました」と告げる。

 前門のマリア、後門のメイドたち。

 私に逃げ場などあるはずもない。抵抗する間もなく、にじり寄って来るメイドたちに両腕を掴まれると、私は風呂場へと連行された。

 私の断末魔は屋敷中に聞こえていたとか、居なかったとか。




 と、いうわけで。

 無事に人前に出られる程度には人間の形を取り戻した。それもこれもマリアとメイドたちの徹底したケアのおかげである。

 なりふり構っていられないのが伝わってくる強引な施術を思い返し、眉間に皺が寄った。二度とあのゴリゴリするマッサージ? は遠慮願いたいところである。私、これからは健康に生きます。

 ありがたいことにこの五日間はくよくよしている余裕もなかった。レオナタに無様な姿を見せるわけにはいかない一心だったので、クロウリーのことなどすっかり頭から抜け落ちていた。


「アップルシェード様、お待たせいたしました。確認が取れましたのでご案内いたします」


 燕尾服をまとったおじさまに声をかけられる。立ち居振る舞いからして生半可な従者ではないのが伝わってくる。前世で言うイケおじですね、わかります。

 名前と約束の時間を門番に伝えてから、地獄の五日間を振り返ることが出来るぐらいには待たされた。別荘とはいえ王族のお屋敷だからか、警備がかなり厳重らしい。

 促されるままにおじさまの背中を追いかける。私たちは庭の中にある舗装された一本道を歩いていた。

 正直、お屋敷の中を案内されるわけじゃなくて安心した。王族の別邸はお城とは違ってプライベートなものである。上流貴族でも一握りの貴族しか出入りを許されていないはずだ。下流貴族にいたっては敷地内に入ったことのある人間が居るのか疑わしい。冷静に考えなくてもありえない名誉である。すでに両肩に乗ったプレッシャーで疲労すら感じてきた。


(気をしっかり持つのよ、エリン! 今からが本番よ!)


 おじさまの後ろで気づかれないように小さく気合を入れる。

 このお屋敷に呼び出されたと言うことは、ナターリヤは一人ではない。おそらく今回のお茶会にはレオも居るはず。レオナタが揃うのだ、オタクがすることはただ一つ、浴びるしかない。


(半月もレオナタを見れてないんだから、今日補給して延命するしかないでしょ)


 息を巻いていると、目の前を歩いていたおじさまがピタリと立ち止まった。


「あちらになります」


 案内された場所は、決して広くはないけれど密会をするには十分の大きさがあるスペースだった。此処でレオナタがデートしてるのかな。

 なんにせよ、またゲームで見たことのない場所に訪れてしまった。生きていてレオの実家を知る日が来るとは思わなくて「人生何があるかわからないね!」と現実逃避しそうだ。


 手入れのされた植木の奥。最初に白い丸テーブルが視界に入る。その次に人影。四つだと思っていたけれど、三つしかなかった。しかも三つのうち二つが男性に見える。


(どゆこと!? アメリアとルーチェは!?)


 レオはともかく、もう一人は誰!?

 混乱して今すぐでも走ってその正体を確認したいけれど、芝生にヒールは相性が悪い。それ以前に走るのはマナー違反ゆえ、握りこぶしを作ってぐっとこらえた。貴族としての最低限のマナーを守れてえらいぞ、私。あと少しだ、がんばれ私。


「皆さま、ごきげんよう」


 談笑をされていたところ大変申し訳ないのだが、三人に声をかける。さすがにこれだけ近づけばもう一人の男性にも心当たりがあった。


「エリン、来てくれて嬉しいわ」

「お招きいただきありがとうございます、ナターリヤ様」


 推しことナターリヤが私に気づいて手招きする。普通に手をひらひらとさせているだけなのになんでこんなに優雅なんだろう。それは彼女がレオの隣に立つべく努力をしたからですね、わかります。最高。

 ナターリヤの隣には思った通りレオが座っていて、その向かい側ではジャンが目を見開いて固まっていた。


「アップルシェードさん、今日は随分と可愛らしい恰好だね」

「え、あ、あー……」


 ナターリヤに席へとうながされるままにそそくさとテーブルへ近づく。さっきのおじさまがイスを引いてくれた。おじさまに向かって会釈をし、テーブルに向き直ったタイミングで、声をかけられた。

 レオの何気ない一言で、私は自分の服装を思い出してしまった。


「すみません、お見苦しいものをお見せしてしまい……」

「そんなことないよ。ねえ、ナターリヤ」

「ええ。クリスマスパーティーの時とイメージが違うけれど、とても可愛らしいわよ」


 フリルも、リボンも。

 そう言ってナターリヤはほほ笑む。穏やかに笑うレオナタに、全私が合掌した。心の中で。

 が、秒速で我に返った私は「お世辞を言わせてしまって申し訳ないVS推しの笑顔いただきましたありがとうございます」で脳内乱闘中である。とりあえず私の趣味でないことは強く主張しておきたい。


「ナターリヤ様にお呼ばれされたと聞いて、メイドたちが張り切ってしまって……。いつもはもっと質素です」


 今日の私の服装は、ロリータファッションに分類されると思う。果たしてこの世界にそういう概念があるのかはわからないけれど。

 三段ギャザーにフリルいっぱいのスカートに、大きいジャボとカメオのついたシャツ。しかもご丁寧に頭にも同じサックスブルーのリボンがついている。私たちの想像するロリータよりは裾が長かったりするけれど、制服とも普段着とも系統が違うのでとにかく恥ずかしい。


「慣れないのでむずむずします」


 肩身を縮こめていると、ナターリヤが左右に首を振る。


「そんなことないわよ。貴女のところのメイド、センスあると思うわ」

「そう、ですか?」

「しっかり貴女に合う服を選んでいるもの。優秀なメイドね」

「あ、ありがとうございます」


 えへへと気持ちの悪い声を漏らしてしまった。打算も何もない、まっすぐな瞳で褒められるとのだから仕方ないよね。この先あるかわからない奇跡みたいなもんだから、今は甘受させてくれ。何より、うちのメイドが褒められたのも純粋に嬉しい。

 こういうのって若い子が着るから可愛いんじゃない? と思ったけれど、私って十七歳か。逆に今しか着られないと思って吹っ切れようと思う。

先日残り三話とお伝えしましたが、思ったより長くなってしまったので分割します。

エリン視点の閑話もどきが続きます。

引き続きよろしくお願いいたします。

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