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閑話2―とある従者の悩み事

 最後の拝謁を終え、クロウリーは目頭を押さえた。

 ソファに体を預けるのを見て、オーウェンが手元の書類を回収する。クロウリーの空いた手には冷えたグラスが渡された。

 痛む目の奥を少しでもほぐそうと、強弱をつけて目頭を揉む。ピントをあわせるべくまばたきを数回繰り返し、グラスに口をつけた。


「お疲れさまでした」

「……ああ」


 出先でもなお、クロウリーは職務に追われている。学院に顔を見せると言ったものの、まさか教師や職員から直接嘆願を受ける羽目になるとは思わなかった。私用であったことは知らされてなかったのだから、彼らに罪はない。もっとも、城に帰っても仕事はまだまだ山積みであり、職務を余分に増やしたクロウリーに休息などない。

 多忙中、彼は私情で抜け出したのだ。主の戯れに対する代償と思えば、軽いものだ。オーウェンにいたっては、胸中でそう吐き捨てたい気分であった。


「……荒れているな」


 心を見透かす主の言葉に、息が詰まる。感情を表に出さないことを従者の矜持としているオーウェンにとっては、痛い指摘だった。

 残念ながら彼の矜持は主の前で正しく作用された試しは無さそうである。


「誰のせいですか」

「さぁな」


 鼻を鳴らして笑うクロウリーの姿に、胃がちくりと痛んだのは気のせいだろうか。いや、気のせいに決まっている。オーウェンは悩みの種が発芽する前に、ぐりぐりとこめかみを押し付けた。

 そんな従者の気苦労をつゆとも知らぬ主は目を通し終えた紙の束をローテーブルに投げた。


「で、今日の報告は?」


 器用に右の口角だけを吊り上げ、クロウリーは足を組みなおす。

 先ほどまでの疲労感はどこへやら。オーウェンの報告を今か今かと待ち構えている主に対し、内心で大きなため息を吐き出した。


「こちらです」

「ふむ」


 退屈そうな表情から一転。オーウェンから手渡された書類を興味深く読み始めた。

 一仕事終えたクロウリーの、つかの間のひと時である。


「殿下」

「ん?」

「そろそろお戯れは控えていただきたいのですが?」

「……」


 クロウリーからの返事は、ない。

 オーウェンは舌打ちしたい気分だった。たとえ心の中であろうとも、主に対してため息はつけど舌打ちすらできない性分なので、実際にはくちびるを尖らせるに収まっているのだが。


 従者の憂鬱を知る由もない主は、文字を追いかけるのを止めない。スラスラと読み進めていく上機嫌な姿を見て、オーウェンは問いの答えを求めることをあきらめた。


「王子やドミニクはともかく、あの子の監視は職務外なのですが……」

「どうせ同じ教室に居るのだから、二人も三人も同じだろうが」


 人数が増えているのに労力が同じなわけないだろうが。

 そもそもの対象者二人を一人で監視をしているのに、もう一人増えるとなればタスクは更に増える一方である。全てを隠密かつ一人でこなしているこちらの身にもなっていただきたい。


 長年の付き合いとはいえ、クロウリーの無茶ぶりには困ったものだ。

 オーウェンは心中で不満を漏らしながら主を一瞥する。報告書に添付されていた写真を大事そうに眺めていた。正直、一番見たくないタイミングだった。

 どの写真かなど、見なくてもわかる。白魔法の使い手であるルーチェと教室の移動中に笑い合う少女の姿を納めた一枚だろう。


(……エリン・アップルシェード、か)


 魔法薬学は学年で指折りの成績をおさめているものの、それ以外は至って平凡。

 魔力量に関しては下手をすると下に部類されるかもしれない。一般的な魔法はともかく、属性魔法は萌芽しかできない。

 とは言え、それを活用して寒い季節にも花を咲かせようとしている姿勢は認めていた。めげずに何度も挑戦している姿は担任だというひいき目を差し置いても努力家だと思う。


(そうは言っても、特出のない娘だ)


 器量が秀でているわけでも、身分が秀でているわけでもない。

 十近く離れた娘に主が執着をしている理由が、オーウェンにはわからなかった。


「あの子の何がそんなに貴方の興味を引くのですか? 学校では目立つこともない普通の子ですよ?」

「……さぁな」


 求めている答えが返ってくると最初から思ってはいないものの、あからさまにぞんざいな扱いをされるといい気分ではない。

 せめて理由でも分かれば、自身のやる気……は上がらないが、職務としてわきまえる努力はするところなのだが。


(受け持つ生徒の隠し撮りをさせられているこちらの身にもなってほしい)


 以前よりオーウェンは数日に一回、クロウリーへ学院内の動向を知らせていた。主に王子であるレオの日常、白魔法の使い手であるルーチェの日常、そして闇落ちや謀反などの不穏な動きがないかの報告である。

 その中に、エリンの行動を報告することもいつの間にか増えていた。前述の二人に比べてまるで一般人の彼女をストーキング……もとい詮索するのは気が引ける。


(やれ少女愛好だの付きまといだのあらぬ噂を立てるわけにはいかない……)


 果たして本当に煙は立たないかと問われれば、さすがにオーウェンも庇いきれないところがある。

 主の考えていることがさっぱりわからない。とうとうオーウェンは小さくため息をついた。

 従者の葛藤は、まだまだ続く。


「からかいすぎて本気にさせないでください」

「どうだろうな」

「殿下!」


 八重歯が見えるほど口を開けてオーウェンが声を荒げるも、クロウリーは微動だにしない。

 どこ吹く風と言った主の態度に、オーウェンの苛立ちは募る。


「あの子は下流、貴方は王族。それに年の差だってあります。分をわきまえてください」


 読み進めていた目がぴたりと止まる。クロウリーは報告書からゆっくりと顔を上げると、横目でオーウェンを見やった。背後に立つオーウェンには、振り返った主の表情は全く見えなかった。


「王位継承権の無い王族なのに、か?」


 自嘲ぎみに笑う目と視線が合う。表面上では笑っていても、室温が下がったのがわかる。オーウェンは墓穴を掘ったと思った。


「母の出自が低いだけではない。禁じられた黒魔法の使い手であるがゆえにはりぼての王族に、身分を問うのか?」

「……申し訳ございません。身分不相応の物言いをいたしました」


 これが、以前よりエリンがほのめかしていたクロウリー自身の秘密である。

 「UTS」最大の謎である黒魔法にクロウリーが大きく関われるのは、彼自身が黒魔法の使い手だからであった。ちなみに黒魔法同士は干渉しない。そのため闇落ちに抗えるのは相対する白魔法と、同じ属性魔法である黒魔法の使い手のみだ。


 長年根絶したと言われていたはずの黒魔法の使い手が王族に居るとなれば権威に関わる。もっとも、王族や為政者に対する恨み憎しみが積み重なったものが黒魔法の正体であり、クロウリー自身も被害者ではある。しかし損得勘定で動く王族や貴族がその正体を認めるはずもない。

 せっかく招集させた男児であったが、クロウリーは王城で監禁同然の幼少期を過ごしていた。


「クク、気にするな。嫌味だ」

「……」


 今でこそ冗談だと笑いとばしているものの、そこに至るまでの主を知っているゆえ、オーウェンも強く出られない。


「皮肉にも黒魔法に耐性があるからこそ、出会えた縁もある」


 消え入りそうな声でつぶやき、クロウリーは窓の外をちらりと見た。年を重ねる度、上手くごまかすようになった主の繊細な一面を目の当たりにし、息を詰まらせた。

 苦虫を噛みしめたようなオーウェンを一瞥し、クロウリーが静かに口を開いた。


「オーウェン」

「はい」

「一目ぼれだと言ったら?」

「……は?」


 オーウェンの眉間に山脈が立ちあがった。その様子をクロウリーは肘をつきながら機嫌よく見つめる。

 主の言葉が本気か冗談かの区別の出来ないことはままある。しかし此処まで真意がわからない発言も珍しかった。

 自分の反応を伺うため、わざと曖昧な表現を使っているのはわかっている。わかっていても納得できるかは別。真意の見えない主に対し、推し量るべく目を細めた。

 ……全くもって、理解しがたい。


「友を救うべく必死になったエリンが美しかった。それだけだ」

「……」


 あのクリスマスパーティーのことを思い返しているのだろうか。

 恍惚とした表情で遠くを見つめる姿に、オーウェンはその場で蹲って叫び出したい気持ちだった。

 己の主がまさか十ほど離れた下流貴族に骨抜きにされている事実など、知りたくもなかったのだ。

 蹲る代わりにぴっちりと整えられたお団子頭をかき乱した。


「お前ならそういう反応をするとわかっていた」


 声を上げて笑うクロウリーを、恨みがましく見つめる。

 やはり冗談か、と安堵したのもつかの間。クロウリーはソファから立ち上がるとニヤリと笑った。


「アイツが受け入れるならば、臣下に下る覚悟はあるぞ」


 そう言うと外套の襟を正し、報告書を持ったまま扉の方へと踵を返した。

 オーウェンが言葉の意味を理解できず立ちつくしていると、クロウリーが横を通り過ぎていく。視線だけは主を追い続けていたオーウェンと、クロウリーの視線がぶつかりあう。


「俺はな」


 扉の前で振り返ったクロウリーが挑発じみた視線を向ける。動かないオーウェンを見て満足げに目を細めると、クロウリーは応接室の扉を押した。

 ガチャンと言う重厚な音で正気に戻ると、オーウェンは慌ててクロウリーの後を追う。自身の身だしなみが乱れていることは、すっかり抜け落ちていた。


「……ほ、本気ですか!?」


 応接室の鍵をかけながら、先に歩きだした主へ目を向ける。動揺しているにも関わらず、手元を見ていなかったせいで施錠に時間がかかった。こんなことなら魔法でかけてしまえばよかったと後悔した。

 廊下は走らないと普段は生徒に言っている身だが、今日は誰かさんに振り回されて走ってばかりだ。真面目な性格ゆえ、規則を破るのはいささか気が引けるが学院には誰も居ないのでよしとしておく。

 ドアノブを回し、施錠の確認をすると、廊下の端に見えるクロウリーの背中を追いかけた。


「殿下! ……主よ!」


 主の臣籍降下など聞き捨てならない。本人はさらっと言いのけたものの、いくら王位継承権が無かろうが国に関わる問題である。

 小娘一人に国を動かされてたまるか!

 オーウェンは悪態をつく相手が自身の教え子であることを忘れるほど動揺していた。

 この男もどこぞのメイド同様、普段は冷静を繕っているが、中身は主のことになると周りが見えなくなるタイプの従者なのである。

 


 ぞわり。

 ふと、背筋に寒気が走った。ぴたりと足を止めて気配を殺す。

 音を立てずにおそるおそる振り返ってみたものの、廊下には誰も居ない。


「オーウェン?」


 いつまでもついてこない従者を不思議に思ったのか、クロウリーが振り返って首をかしげていた。


(気のせいか)


 誰かに何かを言われた気がする。それも、罵倒のような何かが。

 目を細めて廊下の奥を見やるが、夕日が陰るだけ。人どころか虫の影すらなかった。


「いいえ、なんでも」


 小さく首を左右に振ると、オーウェンは何事もなかったように主の背中を追いかける。

 気配に機敏なオーウェンが察せないような獣など、学院に居るはずもない。誰も居ない廊下に、一体何を感じたのだろうか。


 ……もしかすると、どこかのメガネの恨み言が届いたのかもしれない。

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