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閑話1―とあるメイドの恨み言

いつもブクマ・評価・いいねありがとうございます。

今回と次回の更新は別視点の閑話となります。

第一部の更新もこちらを含めて残り三話となりました。引き続きよろしくお願いいたします。

 その日、アップルシェード家のメイド・マリアは憤慨していた。

 主であるエリンを私室まで送り届け、何かを片手で持ったまま回廊をずかずかと大股で歩いていた。表情は無に等しいものの、手袋をはずす動作が荒れている。誰が見ても苛立っているのは明らかであった。


――あの人一倍主への愛が重いマリアが、エリンの部屋から出てきたのに気が立っている?


 普段は大理石の廊下を物音を立てず、颯爽と歩く彼女からは想像もつかない。そんなマリアの様子に通りかかった従者は皆、振り返った。形相が気になるあまり、誰も脇に抱えた物の存在に気づきもしない。

 従者たちは「エリン様と喧嘩? 珍しいこともあるのだな」などと思っていたが、実際は全く異なっていた。


(許しません! 許しませんわ!)


 マリアは地団駄を踏み出したい衝動に駆られていた。先ほどの出来事を思い出し、また頭に血が上る。この場にもし彼女の主が居たら、「血圧あがるよ」と呆れていただろう。




 遡ること数時間前。担任に呼び出されていたエリンを出迎えた時のことだ。

 マリアが昇降口で待機していると、廊下の奥から待ち望んでいた主の姿が見えた。


「お帰りなさいませ、お嬢様」

「ん? ああ、うん」


 うつむいていたエリンが、顔を上げる。返事に切れの無い主の姿に、マリアは首をかしげた。


「何かありましたか?」

「ううん」


 エリンは必ず迎えに来た御者やマリアたち全員に「ただいま」と声をかける。

 しかし、この日は何もなかった。その上、いつもはエリン自身もきょろきょろとマリアを探すのだが、声をかけられるまで気づかなかったらしい。


 マリアがエリンに駆け寄ると、主の手元に見慣れない箱があった。


「エリン様、それは?」

「あ……」

「お預かりしても?」

「うん」


 名残惜しそうではあったが、マリアはエリンから淡い緑色の箱を受け取る。雑に物が入れられているようで、中身が蓋を押し上げていた。


(花、でしょうか?)


 誰から受け取ったのか。何が入っているのか。

 尋ねたいことは山ほどあったが、エリンがふらりと馬車まで歩きはじめた。顔を上げ、両手で箱を抱えると、マリアは主の背中を追いかけた。


 うつろ、と言うのが正しいかもしれない。

 足元がおぼつかない主の様子を見て、マリアの胸にイヤな予感が駆け巡る。


「大丈夫ですか? もしやご来賓の方に暴言でも吐かれましたか?」


 上の空のエリンがマリアを一瞥する。エリンの眼球にマリアの不安げな顔が映りこんでいた。数秒間、二人は見つめ合ったものの、しばらくしてエリンの視線は赤く染まり始めた空を見上げた。


「……暴言だったら、よかったのになあ」


 おそらく無意識に漏れた本音だったのだろう。エリンがぽつりとつぶやいた言葉は、マリアの耳にもしっかり入っていた。

 前を向いてしまったエリンの表情は、三歩後ろを歩くマリアにはわからなかった。ただ、声は懇願の意を強く表していた。マリアの懸念は強まる一方だった。

 一体、数十分の間に何があったのか。

 マリアは胸のもやもやを払拭するべく、主に直接聞きだそうと試みる。


「お嬢様」

「ん?」


 振り返ったエリンは取り繕った笑みを浮かべていた。何かあったのは明白だが、今の彼女が理由を話すとは思えない。マリアは押し黙るしかなかった。

 更に話はここまでだと天が告げているような絶妙なタイミングで馬車の前へ到着した。


「……いえ、なんでもありません」


 メイドとしての務めに専念するべく、小さく頭を左右に振って思考を止める。

 御者に合図をすると、マリアは馬車にかけられた踏み台を降ろした。


 馬車の中で毎日聞かされていた今日起きた出来事の話も、何も話してもらえなかった。

 窓の外を眺めながら時折聞こえるため息と、遠くを見つめる横顔。

 こちらから話しかけようにも遠くに思いを馳せる姿はいつもの妄想癖とは明らかに異なる。

 十七歳。まだまだ子どもだと思っていた主が大人になって行く寂しさを、心のどこかで感じていた。




「それでは、お夕食の時間になりましたらお声かけいたします」

「うん、ありがと」


 移動中も、屋敷に着いても、私室に帰ってもなお、エリンの目は遠くを見ていた。

 生気すら感じない姿は悪魔に魂を奪われてしまったのではないか? とありもしない懸念すら抱く。


「ああ、そうだ」


 部屋から立ち去ろうとしたマリアを、エリンが引き止める。エリンは側に置かれた靴箱をマリアへ手渡した。


「潰れてない花だけでも、どこかに飾ってもらえる?」


 靴はすでにシューズクローゼットへ収納されている。箱を処分しようとしたマリアに待ったをかけたのもエリンだった。

 あの時エリンが雑に靴を入れてしまったため、潰れていた花も確かにあるものの、残った花だけでも花束が作れるぐらいの量があった。


(この花、まるで……)


 花の量もさることながら、マリアはそれ以上に色が気になった。さっき預かった時はしっかりと見ていなかったが、花の色に意図を感じる。

 箱を覗き込んでいた顔を上げ、マリアは花と同じアプリコットオレンジの髪が夕日に照らされているのを目の当たりにした。


「マリア?」

「いえ、なんでもありません。花瓶を用意して参ります」


 靴箱を預かり、今度こそマリアはエリンの部屋を去った。


 会釈し、音を立てずに扉を閉める。広い廊下には自身と腕の中にある箱だけが佇んでいた。

 改めて箱を開けると、やはり主の髪色と同じ花が敷き詰められていた。


(もしや、リボンの色も)


 底に眠っていたリボンの端を持ち上げると、マリアは目を丸くした。

 薄い緑の箱にオレンジ色のリボン。間違いなく主のを模した色合いだった。どう考えてもこの箱を渡した人物は、主に思いを寄せているに違いない。


 とはいえ、花の色の謎を主はきっと気づいていないだろう。異性からのアプローチに疎い主が自分の髪色と同じ色の花だと気づくわけがない。

 それでもなお、この花を大事そうに見つめていた。それはつまり、エリンはこの相手のことを……。


(お嬢様の反応を見るに、両思いなのでは?)


 担任の知り合いと会っていたはずだが、まるで男女の逢瀬のような出来事にマリアは首をかしげた。

 下流とは言えアップルシェード家なら同じ程度の家柄であれば引く手もあまたのはず。思いは通じ合えども、あんなに思いつめるほどのことがあるなんて、よっぽど身分差があるのだろうか。


(お相手は平民なのかしら? まさか上流貴族以上なんてことは無いでしょうし)


 暴言だったら良かったと言わしめるほどの何がが、二人の間にあったのは間違いない。曰くつきの相手を想像しながら、マリアはお嬢様が幸せならそれでいいかとうなずいた。

 しかし、先ほどのエリンの憂い顔が脳裏によぎる。マリアは主への思いが詰まった箱を見下ろした。


(でもこの方のせいでお嬢様は落ちこんでおられるのでは?)


 ハイテンションで場の空気を明るくするエリンのことが、マリアは大好きだった。

 少し変わっているが、それさえも愛嬌。いつも底抜けの笑顔で学院生活を話す主が恋しくなった。

 ……その瞬間、マリアのエリン大好きスイッチがかちりと音を立てて押された。


(やっぱりダメですね! お嬢様を傷つける不届きものはわたくしが成敗しなければ!)


 もはや思考がバーサーカーなのだが、これがエリン命のマリアの本性である。

 普段から過保護なのは全面に出しているものの、ある程度は取り繕っているのでエリンはこの荒れ狂うメイドの愛を知らない。

 もっとも、あの主に対してこの従者ありとはよく言ったものだと思う。暴走癖がそっくりである。


 マリアはエリンの様子を思い返し、ふつふつとまた怒りがこみあげる。

 彼女の怒りの矛先は箱の持ち主ではなく、ある一人に向いていた。


「オーウェン・ウィリアムズ先生……。お名前と顔はしっかり覚えておりますゆえ」


 そう。担任教師・オーウェンである。

 なにがどうあれ、本をただせばオーウェンが主を引きとめなければ、こうはならなかっただろう。

 何度か顔を合わせたことがあるが、くたびれた優男だと記憶していた。マリアは心の中でうろおぼえなオーウェンの顔を思いっきりはたく。


 逆恨みと言われれば、全く持ってその通りだが、顔のわからない相手よりもなんとなく知っている人物を仮想敵にしたほうがリアリティがあるのだろう。バーサーカー思考なので、そこは深く考えても常人には理解できない。

 とはいえ花を贈った人物が特定できた際には彼女が暴走するかしないか、全くもって未知の領域である。触らぬメイドに祟りなし、これに尽きる。


「理由がなんであれ、わたくしは絶対に許しませんから」


 マリアが丸眼鏡をくいと押し上げる。

 地を這うような低い声が、従者たちの控える離れへと続く長い廊下にぽつりと落ちた。

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