種
白 黒 黄
ガラス玉には色がある
赤 青 桃
生まれた時には決まっている色がある
紅 紺 紫
あり方により決まる色もある
虹 無
それら全てを持って、持たない色もある
ガラス玉にはそれぞれ色がある
他のガラス玉の色を意識すると自ずと自分自身の色を認識する
その色の違いをどう認識するかには様々な要素が影響を及ぼす
それは例えば社会であったり
それは例えば信仰であったり
それは例えば環境であったり
様々な要素により色の違いによる認識の評価基準が存在する
白と黒は違う 黄もまた違う
白が多数を占めるのだから白が優越たる存在である
世には 赤と青しか存在しない
ならば 桃 は異色である
赤と青は交わり 紫 となる
紅 紺 となる事は無い
例えばこう言う認識がガラス玉の個人
あるいは群の中で存在する
これをただ違いと認識するのであれば 区別 と
これを評価の基準として見るとき 差別 と言うものが発生する
時にこれ等はガラス玉個人の思考する根底にあったり
時にこれ等は群をなす社会の前提となる事もある
これによりガラス玉は転がる向きを変え
これによりガラス玉は度々衝突を起こす
大多数の色が少数の色を飲み込む
大多数の社会の前提として少数の権利を侵害する
少数が大多数を相手に反発を行う
極少数がその他を相手に闘争を始める
様々な結果をこの星で繰り広げている
各々の決定や思考に関し取り立てて意見があるわけではないのだが
全てを持ち、持たない者もいる
ここまで多角的に存在しながら存在し続けるガラス玉なのだ
同じガラスなのだ
ただある事を受け入れる
その事が出来ないはずは無いと私は考える
私は全てを持つ 虹 だから色の違いがわからない