番外編2
結婚式が終わってから数日後、レオンハルトが弁当を忘れていることに気づいたわたしは、レオンハルトの職場まで弁当を持っていくことにした。
領主といってもすべてを担うわけではない。仕事の内容によって細かく部署が分かれており、それらを取り仕切るのがレオンハルトの役目だ。その本部がレオンハルトの職場である。
バスケットを準備して、馬車を本部へと走らせる。景色を眺めていると、馬車が止まった。到着したようだ。
門番に事情を説明して、中に入らせてもらう。せわしなく行き交う人たちの邪魔にならないよう、廊下の端を静かに歩いた。
「あ、たぶんここだわ」
レオンハルトが働いているところなんて見たことがなかったので、かなりワクワクしている。弁当を忘れてくれてありがとうと思いながら、扉をノックした。
「はーい」
聞こえてきたのは、レオンハルトの声ではなかった。部屋を間違えたかとビクビクしていると、1人の男の人が出てきた。
「あれ?ジェシカ様じゃないですか。どうされましたか?」
たしか、結婚式で挨拶に来てくれた方だ。レオンハルトと同年代だったはず…。名前、なんだっけ?
「レオンハルト様にお弁当を届けにきたんですけど、こちらで合っていますか?」
「あぁ!合ってますよ。そういえばレオンハルト様、弁当忘れたって言ってましたね。今ちょうど報告会議に出ていて、いなんですよ」
「そうなんですか…。では、このお弁当、レオンハルト様に渡していただけますか?」
レオンハルトがいないのなら仕方ないと、弁当を預けて帰ろうとした。
「もしお時間があるのなら、ぜひ中でお待ちください」
「でも、ご迷惑では…」
「そんなことないですよ」
貴重すぎるレオンハルトの職場での姿が見られることと、本来ならここで辞退するであろうお淑やかな妻を天秤にかけたが、一瞬で欲が勝った。
部屋の中に入れてもらい、そばにあった椅子に座るよう促されたので、ありがたく座らせてもらう。
「もうすぐ戻ってくると思います。レオンハルト様、奥さんに早く会いたいから、絶対に残業はしたくないって言って、すごい勢いで仕事を片付けていくんですよ」
毎日ほとんど同じ時間に帰ってくると思っていたが、そのせいか!
「……陰で、鬼とか魔王とか言われてませんか?」
会いたいと思ってくれていることに悪い気はしないが、まわりまで巻き込んでいないか、ちょっと心配になってきた。
「とんでもない!指示は的確ですし、僕たちも効率よく仕事ができるので、ありがたいんですよ」
それなら良かったと、胸を撫で下ろす。
「ところで、毎日レオンハルト様が惚気てるの知ってますか?」
「いえ…」
「"今日もジェシカが可愛い、でもあの可愛らしさを知っているのは俺だけでいい"、って、耳にタコができるくらい聞きましたよ」
レオンハルトは、職場でとんでもないことをしてくれていたようだ。
「それから、奥さんからもらった万年筆は、基本的にこの部屋でしか使わないんですけど、ここぞというタイミングで、外で使ったりもするんですよ。レア度が高いので、それを見た人は幸せになれると言われています」
わたしの知らぬ間に、妙な噂を生み出していたようだ。それに、そのシステムなら、おそらく大抵の人が幸せになれるだろう。
「おかげで愛妻家として有名になって、自分の娘を愛人に差し出すような親父がいなくなりましたよ」
あれ、いい方に繋がってる…?
そこで扉が開く音がした。
「イーサン、待たせてすまない。さっきの資料…」
そうだ、イーサンとかいう名前だった。覚えておかなければ、と思っていると、戻ってきたレオンハルトと目が合った。
「ジェシカがいるように見えるんだが、幻覚か?」
どうやら、レオンハルトは大変お疲れのようである。
「本物ですよ、レオンハルト様。今日弁当忘れてたでしょ?わざわざ届けに来てくれたそうです」
わたしの代わりにイーサンが説明してくれた。
「そうなのか?」
「えぇ、これを渡そうと思って」
わたしが差し出したバスケットをレオンハルトがそっと受け取る。これでわたしの仕事は終わりだ。
「じゃあ、わたしはこれで失礼します」
そう言って帰ろうとしたが、レオンハルトに止められる。
「ジェシカ、待ってくれ。このあとなにか用事はあるか?」
「特にないわよ。真っ直ぐ家まで帰るわ」
「わかった。イーサン、少し早いが昼休憩だ」
「あーはいはい。同僚のところで食べてきますね」
おそらく、イーサンが気を使って、部屋を出て行こうとしてくれているのだろう。
「そんな、悪いですよ。すぐ帰りますから」
「いてあげてください。それじゃあ、1時間後に戻ってきます」
イーサンが出ていき、レオンハルトと2人きりになった。
「イーサンが余計なことしゃべってないか?」
「えーと…」
「別に怒らないぞ。なにを聞いた?」
わたしの目が泳いだことがすぐにバレてしまったので、隠さずに言ってみることにした。
「わたしのことを話してくれていることと、万年筆の噂を聞いたの」
惚気ていると自分で言うのはさすがに恥ずかしかったので、ぼんやりと伝えた。レオンハルトが恐ろしい形相で、チッと舌打ちをする音が聞こえたが、きっと気のせいだろう。
すぐに優しい表情に戻ったレオンハルトが、ソファに腰掛ける。わたしはレオンハルトの向かいに座ったが、レオンハルトにお願いされて、隣に座った。
レオンハルトがバスケットを開くと、色とりどりのサンドイッチが入っていた。そのうちの1つを手を取り、口に運ぶ。
「どう?」
「いつもと少し風味が違う気がするが、うまいな」
「それ、わたしが作ったの」
レオンハルトの手が止まった。
「やっぱりわかるものなのね」
サンドイッチ1つでも、奥深いものだ。もっと勉強しなければならない。
「……ジェシカが作ってくれたのか。ありがとう」
「時間があったから作ってみたの。でも、味見せずに持ってきちゃった。失敗だったわね」
「失敗なんかじゃないぞ。ほら、食べてみろ」
レオンハルトが口元に持ってきてくれたサンドイッチを、一口食べてみる。たしかに、普段食べるサンドイッチと少しだけ味が違った。
「不味くはないけど、プロに作ってもらうほうが美味しく感じるわ」
なにかコツがあるのかもしれない。隠し味などがあるのなら、ぜひ教えてもらいたいものだ。帰ったら早速シェフに聞くことにしよう。
そう考えていたとき、突然レオンハルトの顔が近づいてきて、わたしの唇の端をペロリと舐めた。
「マヨネーズがついていた」
顔を真っ赤に染めたわたしの耳元で囁くレオンハルトとは対照的に、わたしは完全にキャパオーバーである。
「無理しなくていいから、また作ってほしい」
「分かったわ」
まだきちんと頭が働いていないが、なんとなくレオンハルトが言ってることは理解できた気がするので、曖昧に返事をした。
「楽しみだな」
そこで、レオンハルトが幻覚を見たと思うくらい疲れていたことを思い出す。
「レオンの疲れを癒せるような、とっておきのお弁当を作れるように頑張る!」
「俺の1番の癒しはジェシカなんだが…」
「ごめんね、レオン!レシピの研究をしなきゃいけないから、急いで帰るわ!」
「………あぁ。気をつけて帰るんだぞ」
イーサンが戻ると、ソファに座ったまま、微動だにしないレオンハルトが残されていたのであった。
その後、定期的にジェシカがレオンハルトに弁当を届けるようになった。
そのせいか、本部でバスケットを持った女性を見かけたら良いことがあるという噂が増えたとイーサンから聞いたときに、がっくりと肩を落としたことは言うまでもない。
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