始まりの受難は嵐と共に
シュヴァイツェル王国…ジークフリート・フォン・ミューラー=シュヴァイツェルを現国王とする、軍事国家。原因不明の魔法消失から1000年。だが元々魔法保持者が国に少なかったことにより、国家防衛の為軍事事業が発展。国内の騎士または騎士候補を対象としたある物質を埋め込むことによる肉体強化を奨励し、人としての兵器を造り上げた。…が己の肉体を制御出来ない騎士達による暴走事故が多発。現在は他国よりは身体能力は高いがかつてほどの超人は居ない。しかし武器、兵器にも力を入れているので大陸最大軍事国家であることは間違いない。攻略対象、第二王子リンゼフェルトの国。
…遠くで声が聞こえる…。
「…!」
「…ィルさま!」
(…んーうるさい…)
「カイル王子!!」
「!!」
少年は近くにいる人物の大きな呼び声にハッと目を覚ます。ザザーッツと吹き抜ける一陣の風と共に、大樹からの木漏れ日がチラチラと舞い踊った。初春になったばかりの僅かに暖かい風が、樹の下に横たわる人物の頬を掠める。少年は半ばボー然としながら、ゆっくりと瞬きを繰り返した。今しがた見た白昼夢をぼんやりとした頭で反芻する。
(何で今更、我が国の説明…?というか…)
記憶を思い返しながら目を眇めた少年の名は、カイルヴァイン・フォン・ミューラー=シュヴァイツェル。ここシュヴァイツェル王国の第一王子である。釈然としないながらも少年は体勢はそのままに目だけで周りを見回した。現在地は王都より少し離れた、初めて訪れた木の生い茂る高台の上か。だが今一自分の置かれている状況が解らない。どうやら自分は大きな樹の下の柔らかい草むらに横たわっているらしい。
王子の黒い乗馬服に身を包んだ手足はすんなりと長い。首元は呼吸を楽にするためか、シャツのボタンが一つ外されている。そんな少年の瞳は煌めくブルーサファイアの瞳。そして光の加減では時折黒くも見える、深いネイビーブルーの艶やかな髪。更に白磁の肌を持つ北欧系の正統派美少年といえる端整な顔立ち。御歳6歳の少年だ。カイルは自分の目に少しかかる髪を見て思う。この世界では暗色の髪や瞳を持つ人種は珍しい。黒色はさらに含有率は低くかった。日本人と違って。そこでカイルはコテンと、首を傾げた。
(…ん?この世界…?ニホンジンと違って?)
「カイル様、お目覚めになられましたか…?」
「ん?ああ…」
混乱した思考を振り切り、自分に覆いかぶさった声の主を認めると、カイルは上体を起こそうとした…が左の肩が猛烈に痛んだ。
「…ッ!!」
「王子!ご無理をされてはいけません!あなたは乗馬中に意識を失い落馬されたのです…。」
声をかけたのは、カイル付き侍従であるフレデリク・フォン・シュタイン。彼はカイルの側近くに控えていて心配そうに王子に目を向けると、素早く打撲した箇所を極力触らぬよう上体を支えた。カイルは肩の痛みを堪えながら、ジーッと彼を仰ぎ見る。黒味がかった茶色の髪で凄い美形ではないが、物腰柔らかく親しみのもてる顔立ちをしている。顔の彫りは深く、普通にイケメンの部類に入るはずだ。カイルは現在、樹の下でフレデリクに体を支えられて上体を起こしている。体の下には恐らくフレデリクの近衛制服だろう黒と白を基調とした上着が敷かれていた。未だ状況の把握が出来ていないカイルは、ぼやける思考の中、突如あさってな記憶が蘇った。
(てゆーか、乗馬中に落馬!?下手をして頭でも打ったら死に関わるではないか!…そういえば昔、母親が正月飾りを取り付けようと玄関の段差に脚立で立とうとしたら、うっかり滑って肩を打って、その後3ヶ月近く痛んだんだっけ…。頭も大事だけど肩も大事!…ん?)
「王子…?大丈夫ですか?」
フレデリクが不安そうにカイルの顔を覗き込む。またもや思考の海に流されそうになった
カイルは頭を軽く振り、深呼吸をひとつすると、ふと疑問がわいた。
「フレデリク」
「はい」
「疑問なんだが…、私は乗馬中に意識を失ったのか?」
「はい、左様でございます。」
「それで馬から落ちたと」
「いえ、わたくしがお助け申し上げました。」
カイルは眉をひそめる。
「?」
「王子の馬に私の馬が並走して、わたくしの馬に御身を乗り移しました。」
フレデリクに助けられたのなら、この肩の痛みは何なのだ。カイルは質問を続ける。
「…私は落馬したんだろう?」
「いえ、正しくは同乗してお助けした後止まった私の馬からあなたが滑り落ち、私は受け止め損ねましたー的な?」
フレデリクはてへぺろとでも言いたげに頬をかく。
(その後かーー!!)
カイルのこめかみにビシっと怒りマークが浮く。
(…ッなんじゃそらーー!!ふざけんなこらーー!!仮にも王子に対して杜撰すぎだわー!!)
…と大きな声で突っ込みたいのは山々なカイルだったが、しかし品位のある王子はそんなことをしない!というわけでこめかみはピクピク引きつりながらも顔は無表情のまま、自分の体の下に敷かれていた侍従の制服をズルリと引き出す。そしてフレデリクを横眼で見ながら今の鬱憤を晴らすべく、力の限り服をギリギリと絞りきる。
(フン!!「ああ~俺の服~ひどいです、王子~」とか言われても知らん。)
落馬で多少混乱したが、脳内で叫んだおかげか頭がスッキリした。少し整理しよう。
私、カイルヴァイン・フォン・ミューラー=シュヴァイツェルは今より前の世の記憶を持って生まれたらしい。そこ!またかよ…とか言わない!私だって、ツッコミたいんだから!!!ゴホン、続けよう。
前の世では地球という太陽系に属する第三惑星、そこの日本という小さな島国に生まれた。残念ながら天寿を全うした訳ではなく、何かの事故で亡くなったらしい。らしいというのはここら辺の記憶がもやがかかったように曖昧だからだ。辛うじて「星埜ゆり子」「女」「30代後半」だったことは覚えている。1度目の生が閉じて目を開けようとしたら視界がボヤけ全く見えず、身体も鉛が着いているかの如く思うように動かない。耳も一枚膜が張られているようで聞こえづらい。日が経つにつれて全てがクリアになると、紅葉の様な手足を見てまあビックリ!
「自分、赤ん坊かよ!!!」
だったのだ。輪廻転生は信じている方だったが、生まれながらにしてアラフォーの記憶持ちとか…。どこぞのラノベの主人公かい…ゲフンゲフン。…故に、普通の子供よりも明らかに老成している自覚はある。生まれたばっかでショッパイ顔した赤ん坊なんてキモいどころか、育児放棄されかねませんからね!…って幸い周りに誰も居なかったので事無きを得ましたー。
とはいえ、最初は「夢」という形で前世の記憶は現れた。なので夢と現実を行ったり来たりしながら今のカイルの人格は形成されている。ま、9割はアラフォー女でしょうがね。そして気づいたのが前世の「星埜ゆり子」の記憶は今世の世界をなぜか知っていた。
1つ例をあげよう。カイルが3歳の時に専属の侍女、アンジェリカ・フォン・バーデンがやってきた。初対面の瞬間、彼女のプロフィールがカイルの脳裏にバババっと出てきたのだ。その時は、王子の専属侍女になる訳なので事前に彼女の情報は知っていた。なので特に驚きはなかったが、(なんで今更プロフィールが…?)と思ったくらいだった。
次に同じく最近カイルの専属侍従となった、フレデリク・フォン・シュタイン。彼の時もまた初対面の瞬間、彼のプロフィールが脳裏に出た。しかし、ここでカイルは初めて(オカシイな…)と気づいた。なぜなら彼の専属侍従はイレギュラーだったからだ。彼とは違う騎士がカイルの侍従になるはずだったのだが、とある事情で出来なくなり次点の候補にあがっていた騎士でもない彼が突然やってきたのだ。故に事前情報は全く無し。なのに彼のプロフィールが脳裏に浮かんだ上、変な記述があった。現在、アンジェリカとフレデリクはカイルの侍女と侍従だ。しかし初見で見た彼らのプロフィール、最後に「リンゼフェルト王子の」侍女又は侍従と付いていた。
(え、リンゼフェルトって…ダレ?)
な話だ。現在シュヴァイツェル王族の嫡子はカイルだけ。アンジェの時だけならカイルの記憶違いかと思ったがフレデリクまで「リンゼフェルト王子の侍従」が付くと心穏やかにいられない。そして今日の白昼夢に戻る。最後の言葉に注目して欲しい。「攻・略・対・象 、第二王子リンゼフェルト」そこでがガツンと思い出しましたよ!!えーー!!なにコレ!?「攻略対象」とか、乙女ゲーですか!?と思ったらブラックアウトした…。
「もしもーし、王子?また目がいっちゃてますよー?」
目の前で手を振っているフレデリクにおぉっ、と気づくカイル。
(…てゆーか、最近王子付専属侍従になったばかりとは言え、色々と失礼過ぎじゃないですかね、フレデリクよ…。)
カイルはまたも侍従の制服を両手で握り締め、じっとりと彼を流し見るのだった。
それから日が落ちて、専属侍女に見つからないようこっそり城に戻ったカイルは 自分の部屋に入ると、忘れないうちに鍵付きの机の引き出しから1冊の本を取り出した。城内の自室は白とゴールドを基調とした豪奢なロココ調の部屋である。このフロアだけで、前世の「ゆりこ」が住んでいたアパートの部屋4,5個分くらいの広さはありそうだ。測ったことないが!さて、カイルが手に持ったこの本は所謂日記帳だった。ただ他のと少し違うのは、前世での経験を夢に見た内容が書かれていること。何かに書き留めることで夢と現実の差を量ろうと思った為だ。まだ痛む肩の痛みを騙し騙ししながら、忘れないうちにとガリガリ今日の出来事を羽ペンで書きカイルは思う。
前世の記憶、それも元日本人の記憶がある事は解っていた。しかしながら信じがたいことに、今日の一件で1つ確信した。この世界はカイルの前世でプレイしたゲーム世界にとても酷似している。未だ情報は限られているが。…ただ、残念ながら一番知りたいこの世界でのカイルの立ち位置が今一わからないし、その乙女ゲーム(かもしれない)の題名はおろか、内容すらも霧がかかったように全然思い出せない。
(いや待て、乙女ゲームと決めつけは時期尚早か?もしかしたらマンガかもしれないし、小説かもしれないしまたはラノベ…?)
うーん、うーん。と頭を抱えるカイルは、部屋の外からコンコン、と扉を叩かれていることに気づけなかった。
「カイル様?よろしいでしょうか?」
カイル付き専属侍女アンジェリカ・フォン・バーデンは主の邪魔にならないよう控えめにノックをした。明るい金髪をキッチリ結い上げ、上級メイド服を着こなした彼女は仕事のできる妙齢の美女である。先程城に帰ってきたものの、動きがぎこちなかったカイルを問い詰めようとした。が逃げられた彼女は、侍従のフレデリクを脅して怪我をしたらしい事を聞き出し、慌ててカイルの為に湿布や包帯を準備して持ってきていた。
…ちなみに乙女ゲームとはプレイヤーが女主人公を操り、様々な言葉の選択肢を経て、攻略対象のイケメン達とキャッキャ、ウフフの関係になりハッピー、ノーマル、バッドなエンドを迎える擬似恋愛ゲームの事だ。
「カイル様?いらっしゃらないのですか?」
今度は少し大きめに声をかけるが、中からの応答は無い。だが足元の扉から光が少し洩れている。眉をひそめるアンジェリカ。
…カイルが今までに見てきた夢の内容を鑑みても大変に前世でプレイしたであろう乙女ゲームに一部を除き似ている…はず。
(…もうこれで決定でいいですかね…。考えるのメンドウくさくなってきた…。)
遠い目をするカイル。おーい。コラコラ、投げやり早くね?
「カイル様!開けますよ!」
王子が在室なのは決定事項らしい。少し淑女らしからぬ荒々しさでガチャリと扉を開けると、カイルがいる場所をカッと見据え、足早にそちらへ向かう。そして未だ机に齧りついたままの王子の耳元で息を大きく吸って、大声を出し呼ぶ。
「すぅーー。王子っっ!!」
「ふっギャーーっっ!?!?」
ガタっ!ガタガタン!!海外のカトゥーンアニメの如く心臓が口から飛び出るほど驚き、おもわず椅子から立ち上がったカイル。しかし、
「痛っったーーーーっ!!!」
と、その拍子にズっっキーーーンと先程打ち身をした肩を押さえて悶絶する。そして痛みにプルプルしながら振り返ってアンジェをみとめたカイルはバクバクする胸を押さえながら誰ともなく答える。
「ビっ!ビックリ、した……」
「……はぁ。」
一方、深々と溜め息をついたアンジェリカは、じっとりカイルを見て湿布を机に置く。そして今のカイルの変声に一言物申したかったが諦めた。そして、机の上に開いていた王子の日記帳を認めると、
(ああ、これのせいか…)
と少し納得した。王子は集中すると周りが良く見えなくなることが多々ある。そしてカイルはと言うと、未だバックンバックンした心臓と肩の痛みに耐えながら、あまりの自分のまぬけ声に「ううっ…ヒドいよ…アンジェ~」と言って、恨めしそうに彼女を見やる。いつもは誰からも聡明で利発な王子と言われているのに…。だがしかしキッとカイルを見やるアンジェ。
「知りません!私は扉を叩いて何度も声をお掛けいたしました!さぁ早く服を脱いでくださいませ!」
言うなり彼女はテキパキと手当てをする為の道具を準備している。
「え。ヤダ、エッチ。」
自分の身体を抱きしめながら答えるカイル。それに対しアンジェはこめかみがビシッと引き攣る。彼女はカイルを冷たく見据えた。
「{えっち}とはなんですか!…最近磨きをかけて面白おかしくなってますよカイル様」
彼女は「さあ!処置をしますから!」と無理やりカイルを座らせ、乗馬服の上着を剥ぎ取る。「痛い!痛いよ?!」と言うカイルを(ご自分のせいでしょ!!)目で制し、中に着ているシャツの釦を手際よく外す。
「女性なのですから、もっと身体を大事にして下さいませ!ほら…青紫になってますわよ肩…」
痛痛しそうにカイルの肩を見るアンジェ。まだ子供なので男女の著しい相違は見受けられないが…そう。カイルヴァイン王子は「女」なのだ。これにはまた海より深いワケがあり…。
「カイル様、少し痛むでしょうが腕を上げて下さいませ。」
「はい、スミマセン…。」
とカイルはしおしおと処置をしやすいよう腕をあげる。痛み止めの薬草を付け、そのあと包帯を素早く巻きながらアンジェリカは考える。王子は現国王の嫡男として育てられ、わずか6歳ながらも語学、教養、剣術と真面目にこなし、さらに幼子らしからぬ聡明さでもって帝王学または勉学に励んでいる。だがしかし、彼女は間違いなく女性なのだ。なので王子の秘密を打ち明けられた時、自分だけは彼女の女性の部分を守ってさしあげないと!と自分は誓ったのだ。
そしてカイルも彼女のその優しさがわかっているからこそアンジェリカに強く言えないし、また唯一甘えられる人だった。一通りの手当が終わると、ふぅと彼女は息を吐く。
「…カイル様、お夕食まで時間がありますがいかがいたしましょう?」
カイルは脱いだついでと乗馬服から黒い部屋着に着替えていた。しかし遠出したからか、なんとなく髪が埃っぽい。
「うーん、そうだな。すまないが一度風呂に入りたい…かな。」
「かしこまりました。」
アンジェリカはカイルの洗濯物を手にドアへ移動する。ふとその時カイルは昼間に見た白昼夢も事も踏まえ、アンジェにリンゼフェルトの事を聞いてみようと思い立った。
「アンジェ、ちょっといいだろうか。」
「はい?なんでしょうか」
呼び止められたアンジェリカはドア前で振り返り首を傾げる。カイルは思案気に顎に手を当てながら彼女に近づくと、思いついた事を言った。
「…んーと、愛人が…いるのか?」
「え?えっーー!!はぁぁっ!?」
バサーッ。彼女の動揺を示すかの様に洗濯もの、はては先程の湿布道具まですべて落ちた。あらら。