橋渡しの守
死後の世界――それは、長年人類が探し続けている世界であり、未だ誰一人として見たことの無い世界。
しかし、それと同時に、誰しもが必ず一度は足を運ぶ世界でもある。
その“死後の世界”と、この“現世”を繋ぐのは、それはそれは眩く輝く、大きな虹の橋なのだ。
これからお付き合い頂くのは、その虹の橋の“橋渡しの守”をする、名もなき役人の思い出話だ。
「おやおや、お嬢さん。今日もそこで花摘みですかい?」
虹の麓の花畑で楽しそうに花を摘むのは、まだあどけなさを残した少女。毎日ずっと花を摘んでいる彼女は、ちょっとした有名人である。
私の仲間内の中でも話題の少女で、一躍時の人と言った所か。
「ええ、だってこんなにもお天気がいいんですもの」
突然話しかけたのにも関わらず、満面の笑みを零しながら彼女は私に返事をした。
「お天気がいいって……お嬢さん、ここは毎日晴れますし、いつまで経っても昼ですよ」
正直な所、この場に居座られるのは、私にとっていい事ではない。私の仕事は現世での生を終えた魂を、滞ること無く死後の世界に流す事なのだ。それを中継地点とも言えるこの場所に居座られては、私の仕事の質が疑われる。
そんな気持ちも込めて、投げやりに言葉をかけた私に対し、彼女はにっこりと笑って答えた。
「私ね? 大切な約束があるの」
「はぁ……約束、ですか」
にひひ、と笑う彼女は、満々の目をさらに見開いて私を見つめてくる。
「貴方、おいくつ? ここで何年働いてるの?」
「……? と、申しますと?」
「そんな難しい質問じゃないわ。貴方はどのくらい前からここに居るの? 十年? 百年?」
「……はて、そんな事考えもしなかったですねぇ。でも、それよりかは随分と長い間ここに立っていると思います」
私は首をひねりながら答えた。橋渡しの守にとって人の感じる時間など一瞬に過ぎない。そういえば今はまで時間という感覚すら忘れていた程だ。
「それなら、私をここに居させて貰えませんか?」
「いや……しかし、君は生を終えた魂。一刻も早く死後の世界へ行かなければいけないよ」
死者が未練を捨てきれず、この場に留まろうとするのはよくある事。だが、その全てを許していては埒が明かない。
彼女も私の言いたいことが分かったのだろうか。少し俯いて足元の花を摘んだ。
「摘み取られたこの花、枯れてしまうのは一瞬よね」
「……はぁ」
突然何を言い出すのやら。私が首を傾げると、彼女は得意そうに鼻を鳴らした。
「貴方にとっての私も同じ。私がここに留まる時間なんて、貴方が瞬きをした一瞬にも及ばないわ」
だから、少しの我儘を許してくださいな、と彼女は言う。
どうしたものか、と私は考えた。
力ずくでこの少女を死後の世界に送るのは簡単なこと。だが何故だろう。そうする気にはならなかった。
何も言い返さない私に、少女はペコリと一礼をすると、再び花畑に腰を下ろし、花の王冠を編み始めた。
「お嬢さん、今日も花積みですかい?」
「ええ、だってこんなにもお天気がいいんですもの」
私と少女は会う度、会う度に同じ会話を交わした。
それが一体どの位の年月になったのかは知らない。もしかしたらほんの数日程の時間だったのかもしれないし、人一人が一生を終えるほど長さだったのかどうか定かではない。
ただ、私が未だにその少女を覚えているくらいの時間、彼女は虹の橋のこちら側で花摘みをしていた。
彼女に同じ会話を投げかけるのが日常にもなってきたある日、私は違和感をおぼえた。
眩い虹の橋の先に広がる、広大な花畑。常に朝露に濡れたような輝きをみせるその花畑が、いつもより少し広く見えたのだ。
「……おや、お嬢さん。もう花摘みはしないんですね」
足元に散らばる無数の花の王冠。私は枯れずに残っているそれを手に取り、もう居ない少女を思った。
魂は時と共に薄れていく。ここで約束とやらを待つ間に、記憶をなくし消えてしまったのか、それとも約束自体を忘れてしまい、死後の世界に行ったのか……。
実際の所は私の知る由ではない。
「約束、果たせたんですかね……?」
そんな事を考えていると、視界の隅に人影が揺らいでいた。花の王冠を手に取り、何か思い悩んでいる、儚い老人だ。
「おやまぁ、今度はおじいさんですか」
どんな事があろうが、私の仕事はここで魂を死後の世界に送る事。それはこの先ずっと、何があっても変わらない。
ご閲覧ありがとうございます。
この「橋渡しの守」は前作「虹の橋の向こう側」との関連ストーリーです。
そちらも合わせて呼んで頂くと嬉しく思います。
今後ともよろしくお願いします。