4-巨大船
それは、巨大な帆船だった。
世界を一周出来るクルーザー、もしくは戦艦。ガレオン船のような形状であるが、サイズは桁違いであった。戦艦大好きな河野くんがいれば解説してくれるのに、と総一郎はくらくらする頭をもたげて、船腹から降ろされる小舟を眺めていた。
総一郎たちの乗っている小舟よりも二周り大きな救助船が四人の漕ぎ手と先頭に立つ男二人を乗せて近づいてくる。その耳はやはり、小振りな笹穂型に尖っている。
「フェン様!」
「フェン様ご無事で! 月来人よ感謝いたします!」
横付けされたボートを男たちが支え、先頭に乗っていた壮年の男がフェンを抱き上げた。総一郎と繋いだままだった手が、するりと滑り落ちた。
「おお……力をわけて下さっていたのですね? あとはこちらで致します。月来人よ、不作法ながらご挨拶は我が船の上で」
右手を胸に手をあてる挨拶をされ、何事かわかっていない総一郎と二人は頷いた。このままではどうしようもない。
「高木殿、立てるか」
「あー……ちょっと無理かも」
清十郎と鉱士郎に肩を支えられ、エルフたちの船に移る。真剣に体を鍛えようと思った総一郎だった。
清十郎が羽織を肩からかけてくれたので、鈍い動作で袖を通す。あんな船だ、きっと偉い人が乗っているに違いない。身だしなみはマナーだ。帯はとっくに崩れてはいるけれども。
救助船は巨大船の横腹につけられ、再びロープで巻き上げられる。揺れまくるので、再び青い顔になった総一郎の背中を鉱士郎がさすってくれた。会ったばかりだけれども、二人とも気遣いと優しさが天元突破している。
「この船は、軍艦ですかの?」
「厳密にいえばそうではありませんが、大砲も備えておりますので軍艦としての機能はあります。我が商会の交易船でして、商品と各支店に送る人員を乗せております」
「ほう!」
清十郎が目をキラキラと輝かせた。いつの時代も戦艦大砲は男の浪漫だ。
「大砲、存在するんですね……戦闘は魔法を使うのかと思いました」
鉱士郎が思わず呟くと、壮年の男の部下らしき、細めだけどきっと中身はゴリゴリ筋肉ぽい鈍銀の短髪の若者が「最近の主流は大砲を発射すると同時に複数の魔法師が風や火を乗せて一撃で破壊する方法ですね」とにこやかに教えてくれた。
昨晩フェンが見せてくれたので魔法はあるとわかってはいたが、物騒な戦法に総一郎は息を飲んだ。そもそもエルフなのに船に乗って現れたという時点で思い込みと先入観を排除するべきだと、回らぬ頭で結論づける。
「帰ってきたぞ!」
「フェン様!」
「月来人だ、本当におられる!」
救助船が甲板横まで持ち上げられ、漕ぎ手たちが総一郎を担いで降ろしてくれた。フェンは一番に駆け寄った侍女らしき女たちに抱かれ、船室のほうへと連れて行かれた。
「月来人よ、わたしはフェンの父でこの船と商会の長、スラー・カーラインと申します。娘を助けて頂いたこと、誠に感謝いたします」
見た目の年の頃二十代半ばの、フェンと同じ黄金色の髪色をした男が、甲板に降り立った三人に胸に手を当てる礼をとる。ただし総一郎は担がれたままだ。
「こちらこそ、いきなり海に浮かんでいて困っていたので助かりました。私は吉野鉱士郎です」
「梶清十郎じゃ。こっちは高木総一郎殿」
「ご挨拶したいところですが、総一郎君の具合がよくないので、よろしければ先に彼を休ませて頂きたいのですが」
スラーはもちろん、と頷いて先頭に立って案内を申し出た。
「水とお食事を部屋に用意しております。メイドをおつけしますので、何なりとお申し付け下さい。お話は明日にまた。それまでどうかゆっくりとお休み下さい」
鉱士郎と清十郎はおそらく一等客室であろう内装の部屋に案内され、総一郎は医者に見せて別室に寝かせると連れて行かれた。
スラーが立ち去り、鉱士郎と清十郎は部屋の中をざっと確認し、清十郎は“ベッド”を珍しがった。
ベッドの横のテーブルにはたっぷりと満たされた水差し、果物と乾いたビスケットのようなものが皿に積まれている。
メイドが運んできた温かいスープは塩味のみだったが、鳥の出汁がよく出ていて空腹に沁みた。
「はぁ、珍しいもんばっかりじゃ。皆南蛮ものじゃな」
「清十郎さんの時代はそうですよね」
硬いパンをちぎって食べる鉱士郎には全て味気ないものだったが、死んでから九死に二生を得た上に文句は言わない。お互いに気がついていなかった疲労が押し寄せ、食事を終えた二人は無言で袴を解いて寝床に潜り込んだ。
「……実は、まだ夢かもって思ってます」
「わしもじゃ。じゃが、次に目ぇが覚めたら腹くくるわい」
「ええ」
二人が眠りに落ち、医務室の総一郎も、塩のスープと水分をとらされて眠りに就いていた。
見たことのない構造の袴帯を解いたメイドがするすると着物を脱がせ、黒く汚れた足袋を足から抜く。それが最高級の絹であることに気がつき、思わず息を飲む。
「――月来人の具合はどうだ」
「あっ、はい、怪我もなくおそらく疲労と水を失った事による体調不良かと。それに彼はフェン様に“月の力”をずっと分けて下さっていたと」
ふいにスラーに声をかけられ、飛び上がるように答える。彼女が手にした足袋に、スラーは目を見張った。
「それは絹か」
「はい、おそらく」
「絹を履き物にするとは……他の二方も同じ服を着ておられたな」
一度に三人もの月来人が来られるとは聞いたこともないが、バスティナ神が三人もの月来人をわたしの船に授けてくれたのは何かきっと、目的がおありなのだろう。
しばし考え込んだスラーは、くれぐれも丁重に扱うようにと釘を刺して医務室を後にした。
スラーはこの大商船を保有し、国一番を自負する商人だ。その観察眼は凡人と比べるのもおこがましい。
月来人の三人は同じような服だったが、それぞれ使用している布が異なっていた。
中でも一番高級な生地を使っていたのが先ほど絹の足袋を履いていた総一郎だ。草履も鼻緒まで絹で覆われ、細かな織りで模様があった。
急拵えだった鉱士郎の羽織はナイロン素材が薄く荒く、清十郎は当時の下級武士が仕立てていた麻と木綿、草履は祝言中であったため履いていなかったが、足袋はおろしたてであっても安物だ。
(おそらくあの総一郎という青年が一番身分が高い。年齢が上に見えるあの鉱士郎という男が侍従かとも思ったが、総一郎の看病も申し出なかったし接し方は気安い。幼少期から雇っていた護衛か。
背丈の低い長髪の男は学友という線もあるが、あれはかなり腕が立つぞ)
立ち姿勢、話し方、顔つき。スラーはそれでおおよその人を判断出きる。
だがそれは「初めて出会った正装中の他人同士」という結論にたどり着くには無理があった。その勘違いにより、後々総一郎が気苦労を背負い込むことになるのだが、幸せなことに彼が知ることは無い。
「フェンは?」
「よくお休みです」
ようやく娘の部屋にたどり着いたスラーは、ベッドの横に膝を付いて娘の顔を眺めた。
フェンに与えた青い宝玉に込められた伝言の妖精の行使は、通常時に使用するには便利だが体力を使い果たしていた少女には重い負担がかかったはずだ。総一郎がずっと手を握っていたと報告を受け、内心ですがりついて礼を述べたかったスラーだ。
「バスティナ神よ、月来人との出会いに感謝いたします」
フェンの温かな手を握り、スラーはようやく涙を流した。