3-西からのぼった
「気ぃついたか?」
清十郎の声に覚醒を促されたように、少女は薄く目を開けた。月のような銀色の瞳が、月を背にした清十郎に向けられる。
「……月来人?」
聞いたことのない言葉の響き。けれども不思議と意味は伝わった。
「おう、ようわからんがわしらは月から来たらしいわい。嬢ちゃん、体はどんなか? どっか痛うないか」
物怖じしない清十郎が、はきはきと少女に話しかける。そのおかげか、ぼんやりとしていた少女の顔に急激に生気が戻り始めた。
「大丈夫、助けてくれてありがとう」
「ほんなら良いわい。そんで、あんたぁどうして沈んどったんか。わしらも流されとるだけじゃけぇ、このままま一緒にぷかぷか浮かんどるしか出来んがのう」
少女を抱いたまま、総一郎はそんな場合ではないのに少し感動していた。その感動を共有すべく鉱士郎に目をやれば、彼も同じく目を輝かせていた。
「異世界自動翻訳機能……」
「ハリウッドシステム……」
ジャンルの違う感動に打ち震えていた二人だが、清十郎の言うとおり、このままでは死んでからなお死ななければならないという理不尽を味わうことになる。
「あっ、まだ暖まっていたほうがいいよ」
「ううん、先に、助けをよばなきゃ」
総一郎の腕の中でもぞもぞと腕を動かし、少女はネックレスを羽織の隙間から取り出した。
手のひらに乗せた青い石に、ふうっと息を吹きかけると、石の上に無数の小さな光が集まりだした。白く輝くその光はやがで小さな小さな人型になった。
「お父様に私の位置を知らせて。それから、三人の月来人が助けて下さったと」
性別もはっきりしない光の人型が小さく頷き、月を背に物凄いスピードで飛び去って行った。
「よ、妖精?」
「はぁ、なんとまぁ」
「……これで、助けが来るのですか?」
少女ははっきりと頷いた。聞きたいことは山ほどあったが、先ほどの行為に負担があったのか顔色が白い。
「聞きたいこといっぱいだけど、今は助けが来るまで眠りな。あっ、名前だけ教えて」
総一郎にもたれかかった体が重くなる。閉じそうになる瞼を上げて、少女は「フェン」だと教えてくれた。
「ありがとう、フェン。おやすみ」
返事は無く、総一郎はゆっくりとフェンの体を寝やすいように船底に横たえて、頭を自分の太腿に乗せてやる。
「さて鬼がでるか蛇が出るか。不可思議な国の不可思議なまじないじゃ。助かるやもしれん、そうじゃないかもしれん」
「彼女の父親がどう出るかわかりません。お互いに最低限の情報交換をしておきましょう」
「賛成です。得意分野がわかっていれば何事にも対応が早いからね。ちなみに俺は運動も荒事もからっきしです」
「そりゃもう知っとるわい」
鉱士郎も無言で首肯し、総一郎は「ですよね!」と頭を抱える。
フェンを起こさないように、三人は声を抑えて笑った。
◇
奇妙な縁で育まれた連帯感が船の上に満ちた翌日。フェン以外の誰も眠れぬ夜を過ごし、ようやく空が白みはじめた。
「朝……かなぁ」
「朝じゃろうのう」
一晩中動かなかった月が、太陽光により薄れ始めていた。月の対角線にある“太陽らしきもの”は始めに電球程の大きさで水平線に見えた。そして徐々にそれは体積を増し、直視できぬほどの光を発して太陽らしきものになった。
「……太陽は一応、動いてますね」
鉱士郎の観察に、総一郎は目を眇ながら空を仰いだ。
「この位置だともしかして、夜になったら月の後ろに太陽が隠れるのか……」
「夜になるのが少し楽しみになりますね」
「ほうじゃの」
西から昇ったお日様が東に沈むのか、はたまたこの太陽らしきものがあるのが北なのか。誰も答える者のないまま、世界は朝を迎えた。フェンはやはり体力の限界だったらしく、昨晩の会話を最後に寝返りすらしない。
太陽が頭上に移動し、体力の一番無い総一郎が船の上で船を漕ぎ出す。
「総一郎くん、横になりなさい。迎えがいつ来るかもわからないんだ」
「……そうします」
鉱士郎が総一郎の足からフェンを抱き上げ、総一郎を横たわらせる。一度死んだというのに、疲労と喉の渇きがひどい。総一郎の会社メンバーで一番濃いゲームオタクの田口君の口癖で言うならばマジムリゲーだ。
総一郎が大人しく目を閉じた横で、清十郎が湿った海風でようやく乾いたフェンのワンピースを着せていく。清十郎が見たことのない女性用の下着は、鉱士郎が履かせた。女性用の下着が生まれたのはごく最近なのだ。
二人に日除けのために羽織を被せ、それぞれ自分の羽織を頭から被る。直射日光は、こんな変わった太陽でも等しく体力を奪った。
「まずいのう、わしらはもう少しいけそうじゃが、こまい子はもたんぞ。早よう来い、親父殿」
何も見えぬ水平線が、きらきらと輝いている。夢の中でも心配しているのか、時折総一郎がフェンの体温を確認するようにして彼女のちいさな手を握っている。お互い死んだ理由は詳しく語っていないが、総一郎が亡くなった妹をとても大事にしていたことはわかった。
北か西かわからぬが、太陽はやはり月の後ろに隠れるらしい。
萎んで行く太陽を眺めていた鉱士郎が、水平線を指した。
「清十郎さん」
「……おお、船じゃ! 高木殿、起きんさい!」
総一郎の肩を揺さぶり、清十郎が立ち上がって手を振った。
近づくにつれて、それが巨大な帆船だという事がわかり、鉱士郎も思わず安堵の息をつく。上半身を持ち上げた総一郎は「おぉ……武蔵級……? 河野くんがいたらな……」と寝ぼけたままで呟いた。