天使の絶対否定
翌日。
制服のまま寝てしまったアリエルは、朝の支度として水浴びと着替えを済ます。
普段は夜にゆっくりと浸かるアリエルであったが、貴重な朝の時間にそんな余裕はない。
身支度も手短にし、普段より少しだけ遅れて登校する。
そしてアリエルが校門へ着いた時、その異変に気づいた。
「ちょっとちょっと! これは何の騒ぎ?」
「あ、泡姫ちゃん! あなたも天使なら頭を下げないと!」
いつもなら登校中の生徒が、半数は頭を下げ地面に跪いている。
それも全員、天使だけだ。
悪魔やその他の種族は普通に立っているが、何者かに怯えているような態度でその場から動こうとしない。
誰も動かないので、時間停止の能力でも使われたかと思ったアリエルだが、すぐにとある可能性に気がついた。
自分の考えを確かめるため、跪いたままの天使に問いかける。
「……来たのね?」
「あ、泡姫ちゃん! あなたもほら、早く!」
「必要ないわ!」
「だ、だって、見られているかもしれないよ!」
「あの方は、明日から同じ学園の仲間よ」
「……え?」
天使たちが頭を下げる向きから、大体の行き先は予想がつく。
誰も動かない中、アリエルはただ一人校舎へ向かって進んでいく。
大天使ミカエル。
悪魔と天使を明確に差別するその存在は、この学園にとって不穏分子でしかなかった……今は、まだ。
アリエルが校長室へ入室したとき、そこには三人の人物がいた。
一人は校長のルシファー。彼はいつも通り椅子に座り、目の前の女性から放たれる言葉を聞き流している。
一人はラファエル。保健室から出ることは珍しい彼女だが、アリエルの知らない女性に馴れ馴れしくスキンシップを取っている。
そして知らない女性……ルシファーの目の前にいる人物。彼女がミカエルだということは、状況からして明らかだった。
なにより、保険医のラファエルにも負けぬ、抜群のプロポーション。
見た瞬間に、アリエルは自身の敗北を確信した。
「だって! 兄さんこそ勝手に地上にきて、こんな学園まで設立して!」
「ならお前もここへ来たら良い」
「私までいなくなったら、天界はどうするんですか!」
「あらー、ガブちゃんに任せたらいいじゃない。どうせ必要な時は、向こうから呼んでくれるわ」
「ラファエルも! あなたまでここに居座るから、私達がどれだけ大変な思いをしたと……」
怒りの矛先がラファエルに向いた時、ふと入り口に居たままのアリエルと目が合った。
それだけで何かを察したらしいミカエルは、あたらめて校長であるルシファーに向き合う。
「……さっきの約束、本当でしょうね?」
「ああ。しかしお前、話し方や仕草までも女性らしくなって、そういう趣味だったのか?」
「今は関係ないでしょう! そもそも、私たちはどちらにも成れるので、個人の判断で……その……」
「アリエル、お前に特命任務だ」
チラチラと校長を見ていたミカエルだったが、その視線に気づいたのか無視したのか校長が話を遮る。
その行動にミカエルの感情も高ぶった様子だったが、すぐにその怒りの矛先がこちらへ向いたようだ。
「今からミカエルと戦え。お前が勝ったらミカエルはこの学園に通う。負けたら俺は天界へ帰る」
「えっ、ちょ、どういうことよ!」
「今言った通りだ。堕天使の俺でも、今の天界には必要らしい」
「この学園はどうするのよ!」
「……まあ、ベルゼブブがなんとかするだろう」
それを聞き、アリエルは頭を抱える。
副校長のベルゼブブも優秀だが、それは誰かを補佐する意味での優秀だ。
人々を先導するカリスマ性は備わっていないので、すぐにこの学園が崩壊していく未来が予想できる。
校長のルシファーがその事態を想定していないわけはないが、どこか楽観的に思えるのは、アリエルへの信頼からだろうか。
それとも、この学園のことを……。
「聞きましたか、アリエルさん。あなたが負けたら、兄さんは返してもらいますからね」
「別にあたしがとったわけじゃ……」
「万に一つも! あなたが私に勝つことはありえません!」
「……ムカッ!」
アリエルの怒りに触れる言葉として『絶対にない』という言葉がある。
つまり、可能性がない。ありえない。
例え1%でも可能性があれば起こりうる出来事も、それが0%なら起こるわけがない。それこそ、奇跡が起きようがありえない。
そんな絶対的な否定をされることを、アリエルは何よりも嫌った。
「ありえない? それは勝負をしてから言いなさい!」
「下級天使の分際で、私に勝てるとでも?」
「あたしはアリエルよ! 絶対無理でも、くつがえしてみせるわ!」
「……いいでしょう。やってみなさい!」
こうして、校長と保険医の立ち会いのもと、アリエルとミカエルの戦いが決定された。
「ところで、校長はどっちが勝つと思う?」
「そりゃあ、アリエルに勝ってもらわないと困るな」
「じゃあ、私はミカエルかしら。どちらにしろ、私が治すことになるなら徹底的に痛めつけ合って欲しいわぁ」
「お前……」
……二人が火花を散らしている時、すぐ後ろで別のやり取りが行なわれていたとは、知るよしもなかった。