お嬢様は少々卑屈…いえ、控えめなのです
「…ティオ、フリーディアが婚約したわ」
ルファリアは自室までの沈黙をようやく破り震える声で呟いた。
まるで借りてきた猫のように大人しいルファリアを度々気味悪がりながら私室までお供したティオはばっと扉を閉じる。
今が夜中で未婚のうら若き女性のしかも主人の令嬢の部屋に2人きりとか、そんな事情はおかまいなしである。
もしこれがティオではない使用人で、その前に仕えている主人がルファリアでなくて、そもそもクランツヴェルグ家のゆるーいアットホームな雰囲気でなければあり得ないことだ。
当たり前の公爵家であればただの庶民出のティオの首など一瞬で飛ぶ。
いや、揶揄などではなく言葉の通り首が飛ぶ。
そのありがたーい環境を重々承知しつつも、ゆるく過ごしているティオはまだしもルファリアはどうにもピンと来ていない様子で、ティオ達使用人の背筋を凍らせるようなことを平気でやってのけるのだ。
さすがはほとんど外に出たことのない箱入り娘は違うなとティオはいつも気が気ではない。
そんなゆるくておおらかなルファリアの近頃のおかしな様子にティオが気付いていない訳はなく。
いつ、彼女の限界がくるだろうかとハラハラし続けて数日、震える主人の声にティオはため息を産み落としかけて、はっと息を飲んだのだった。
どうやらこの主人はなるべく表に出さないよう必死だったようだが、物心ついた頃から共にあり常に付き従う彼がその彼女の異変の理由に気付かないわけがない。
もちろん、その原因についても。
「…ルフィお嬢様…」
「ええ、分かっていたわよ。フリーディアにはあの子が6歳のころから婚約のお話が跡を絶たなかったわ。12歳を超えた頃からそれも激化してお父様とお母様が辟易していたことも知っているわ。それが、ついに…!しかもアルフレッド殿下?!殿下はわたくしと同い年よ。幼い頃から面識だってあるのだし。普通だったらわたくしに婚約者として白羽の矢が立って然るべきなのにどうして?そんなにもわたくしとの婚約がお嫌だったのかしら…」
この邸の主人と同じ、それかもっと濃いその深い翡翠の瞳に涙をいっぱい溜めてふるふる震えるルファリアを従者は同情の瞳で見つめた。
ルファリアは優秀すぎる姉と妹に対してかなりのコンプレックスを抱えている。
それが顕著に表に出ている訳でないが、こうも近くにいると薄々感じる程度だ。
彼女が心を許してくれている今では割と積極的にぐち……いや、相談もされる。
しかし、ルファリアは2人の姉妹を嫌っている訳ではないのだ。
2人のこと、ひいてはクランツヴェルグ家を愛しているあまり、2人より劣っている自分が許せずにいる。
どうにか2人に追いつこう、家の役に立とうと日々
努力する様は涙が出そうなほど健気である。
「この、クランツヴェルグ公爵家の娘でありながら、わたくしの元には一度も…ただの一度も婚約のお話など来たことがないわ!
そもそも、言い寄られたこともアプローチを受けた事もないのよ?
確かにあまり外には出させていただけていないけれど、それもそもそもわたくしが未熟なせいであって…
というかこの公爵家の名がもれなく付いてくるというのにそれでも嫌な女って、わたくしどれだけなの?!ゴミ?!この家のゴミかしら?」
「ルフィお嬢様、落ち着いてください。そのようなことは決してございません。」
どうどうと荒い鼻息のルファリアを宥めるのももう何回めだろうか…。
従者の手つきは手馴れていた。
…その結果、ルファリアは少し卑屈…というかネガティヴというか…そんな性格になってしまったのだった。
でも、とティオは常々思うのだが
彼女は姉と妹より劣っているわけではない。
確かに姉のアリシアは母親に似た柔らかい栗色の髪に澄んだグリーンの瞳で色気のあるスタイルの良い美人であるし、騎士団に所属していた程の剣の腕前を持っている。
柔らかいおっとりとした見た目と豪傑さを兼ね備える麗人で、今は騎士団長の親友であるレオンハルト・ファリス侯爵の元に嫁いで表向きはその立場を退いてはいるが社交界の女王は紛れもなく彼女である。
妹のフリーディアは金に近い茶髪にアーモンド型のライムグリーンの瞳が特徴的な少女で、その美貌はよく精巧にできた人形だと例えられる。
14歳にして求婚者やアプローチする者が跡を絶たない彼女は末っ子らしく姉妹1気が強く、プライドが高く、時々、我儘である。
人を上手く使う強かさと聡明さを兼ね備える彼女に使われている人間は数知れないという噂で、また使ってくれという人間も跡を絶たないという噂なのだ。
確かに姉と妹は有名人であるし、凄い能力の持ち主であるわけだがうちの主人も負けてはいないとティオはいつも思うのだ。
ただ、目立った特に抜きん出たものがないだけで学園では常に学年上位の成績であるし、性格だって少々卑屈だが素直な良い子だし、なんでも人並み以上にはこなしてみせる。
彼女は自分のことをとんでもない醜女だと思っている節があるが、クランツヴェルグ家の特徴を顕著についだ滑らかな長いブロンドと濃い深い色味の翡翠の瞳もとても美しく顔立ちは姉と妹のようなものすごい派手さはないものの、妖精のように繊細で可憐なのだ。
彼女に求婚者がないことや人が近づきたがらないのは他に理由がある。
ティオはそれを知っていた。