強いて言うなら鹿より豚の方が好きですわ
ルファリア・クランツヴェルグは思わずフォークを滑り落とした。
カランという小さな音を聞いて後ろに控えていた茶褐色の髪を撫で付けた青年がスッと前に出てさっとクロスを敷き変え落としたフォークの代わりにぴかぴかに磨かれた新しいフォークを握らせた。
さながらロボットのようにテキパキとした動きはルファリアと共にやたらと長いテーブルを囲む彼女の家族が、ここ数日何度か繰り返し見たものと同じである。
その、白いシミひとつ毛穴ひとつ見えない陶器のような指先はカタカタと小さく震えていた。
「ルファリア?」
「………はい?」
一番の上座に座るルファリアの父親、ハロルド・クランツヴェルグが眉をひそめて声をかける。
彼と同じ色の長いブロンドがゆっくりと揺れて数秒をかけてルファリアと視線がかち合う。
「どうした?ルファリア、顔色が悪いぞ。
子鹿のクレープは嫌いだったか?」
「いいえ、とても美味しくいただいておりますわ。お父様」
ハロルドの言葉にびくぅっと音がなるほど震えてみせた料理長をはじめとした使用人一同がこれまたあからさまに肩を撫で下ろした。
その一連の流れにもまったく気づかないルファリアは相変わらずの急降下した顔色のまま無理やり笑顔を浮かべると、皿の何もないところでひたすらナイフを動かしている。
ギリギリギリギリ
「………ルフィ、貴女お皿を食べるつもり?」
「お皿?お皿は食べれませんわ。さすがのわたくしでも」
うふふ、嫌だわお母様ったら
と言って青い顔のまま花の咲くような笑顔を浮かべたルファリアはそれでも未だ皿にナイフを擦り付けていた。
ギリギリギリギリ
「ルフィお姉さま、もしかしてわたくしの婚約がお嫌なの…?」
ギリギリギ…、ガタッ!
言葉は控えめなのに、何故か侮蔑を含んだような上から目線に聞こえる妹、フリーディアの言葉にルファリアは分かりやすく飛び上がった。
動揺してます。と言っているような動きに小さく笑うフリーディアにルファリアはまったく気づきもしない。
「そ、そんなわけないわ!可愛い妹のおめでたい婚約だもの。しかもお相手は第二王子のアルフレッド殿下だなんて、そんな…クランツヴェルグ家も更に大きくなることでしょう。さすがフリーディアね。わたくしの自慢だわ」
「ふふ、お姉さまったら…それほどでもないわ!」
頰を上気させて自慢気に瞳を細める妹とは真逆にどんどん蒼ざめるルファリアはそれでもなんとか笑顔を浮かべて家族がどんな顔をしているか見ないように遠くを薄目で眺めた。
「…ルファリアお嬢様」
赤褐色の髪の青年、ティオ・リンメールがそっとルファリアの右手に手を添えた。
ギリギリと耳障りな音を立て続けていたナイフがピタリと止まる。
ギギギと音の鳴りそうな下手なロボットのような動きで首を傾けた翡翠の深い瞳が青年を認めて強張った青い顔がふ、と緩んだ。
「ティオ…」
「旦那様、大切なご家族でのディナーをお邪魔してしまい申し訳ございません。」
「構わないよ。
ルファリア、気分が優れないようだね、部屋に戻ると良い。話はまた今度にしよう。
ティオ、すまないが付き添ってくれるか」
「はい、もちろんです。…ルファリアお嬢様、立てますか?」
「…ありがとう、ティオ。
お父様、お母様、フリーディア。お食事中に申し訳御座いません。
お先に失礼いたしますわ。
ティオ、行きましょう」
ルファリアはゆっくりと立ち上がると家族に会釈をし優雅な所作でティオにエスコートされダイニングを出たのだった。