新味覚 弐
負けてらんないかあらね→負けてらんないからね (2017/10/17)
鉄板の上で主張している肉は指三本位の厚さで、手を広げたよりも大きい。それがソースをかけた事により、強烈な匂いが腹をぎゅうぎゅう締め上げる。そのソースは鉄板に落ちると、ぼこぼこと音をさせて踊っている。これだけでも涎が止まらない。もう肉にしか目に入らない俺は、肉と一緒に用意されたナイフとフォークを手に取り切りかかる。
「ごくっ」
一口分を切り取り、口に持っていく。匂いは相変わらず強く、近づけた事でソースの匂いに混じって肉の匂いも感じる事が出来る。表面は焼かれていて、中にいくに従って赤みがかっている。駄目だ、観察は後回しにしよう。
「っ!!」
歯に伝わる肉の弾力、舌に感じるピリっとした味、鼻を出入りする熱い匂いと息。そして、耳を刺激する噛む音と飲み込む音。今までに感じた事のない刺激ばかりだ。ソースが強く主張してくるが、それでも肉も負けていない。しっかりと肉! って分かる主張してくる。硬すぎず柔らかすぎず、一噛みで噛み千切れる。
ああ、肉ってこんなにも美味しい物だったか? いや、今までのだって不味いって訳じゃない。寧ろ、美味い。だけど、この肉は美味いとかってそんな話じゃない。初めての肉、初めてのソース、初めての雰囲気ってのを抜きにしても特別だ。
肉を切る手が止まらない。止めたくても止まらないって感じだ。まあ、止めたくはないけどな。厚みもあって、手より大きかった肉が今や半分まで減っている。もう半分も喰ったのか。あ、そうだ。上に乗ってる白いのは何なんだろう。ここにあるって事は喰えるって事だよな。溶けてるけど、どうやって喰うんだ? どうやって使うのかは分からないけど、溶けてる所を喰ってみるか。
「あ」
間抜けな声が出ちゃったけど、こんな小さくて白い物が味を変えたんだよ。思いもしなかった変化に、思わず声が出たって訳だよ。さっきまでのは刺激が強かったけど、今は和らいでる。和らいでるけど、肉らしさは少しも損なっていない。さっきまでのも美味かったけど、味が変わってからのも変わらず美味い。いや、変わって良かったのかもな。あの味を続けるのと、変化するのと。こっちの方が肉をより楽しめるって感じだ。やるな、これを考えた人。
「ふう、喰った喰った。美味かったあ」
肉を休む事なく喰い、一緒に運ばれた野菜、スープ、トルまでも喰い尽くした。今は食後の果実水を飲みながら、ゆっくりしているところだ。満足と言うか、満足すぎると言うか。ここに入ったのは間違いじゃなかった。
「そっちのヴァン豚ってどんなだった?」
「焼き方とソースがあるから、比較は難しいけど。一噛みで噛み千切れる程柔らかくて、だけどもしっかりと弾力はあって肉って感じだ。一番重いのを頼んだけど、臭みはなくって白いので味が変わるのも喰いやすかったな」
「なるほどな。今度はそっちにしてみるかな」
「そっちはどうだった? 骨付きのヴァンだっけ?」
「ああ、こっちも美味かったぞ。骨付きってのもあると思うけど、これぞ肉! って感じだった。しかも俺はレアにしたから、尚更そう感じたのかもな。ヴァンを喰ったのは数える程だけど、一番だな」
「へー、そこまでか」
一番か。もっとこう、どんな味だったのかとかないのか? まあ、ヴァンは喰った事があるからある程度は予想出来るけどさ。
「でもさ、野菜にアロが考えたブランソースが出てくるとは思わなかったぞ」
「そりゃ俺もだよ。まさか、ここにあるなんて思わなかったぞ。クリスタのドーレさんにしか教えてなかったのに」
スープもトルも勿論美味しかったさ。でもさ、まさか野菜につけるソースにブランソースを選べるとは思わなかったよ。聞き間違いかと思った位だよ。どんな物か選んでみたら、俺が作ったヤツよりも美味しかったよ。まあ、料理人だから当然だとは思うけどさ。
なんかさ、こう複雑な気持ちになるじゃん? 俺が最初から考えて作った訳じゃないけど、更に美味しく作られるとさ。だって、ドーレさんに教えたのって少し前の事だぞ。それなのに更に美味しい物が出来上がってると。俺が作ったのが美味しくなかったのか、料理人が凄いのか。……料理人が凄いんだろうな。
「何で、ここにあるんだろうな」
「それは俺が知りたい位だよ。まあ、別にドーレさんに秘密にして下さいって言ってある訳じゃないしな」
「何でだろうな。あそこは冒険者が多いから、冒険者が広めたって事はなさそうだしな」
「そうなんだよ。冒険者が広めるってのも考えられないしな」
冒険者が料理方法、しかも調味料の作り方を伝える意味が分からない。もしかして、儲けられると思って、冒険者を辞めて商人にでもなったか? うーん、分からん。
「すいません。お客様はアローニさんですか?」
「え? あ、はい」
誰だ? コライは来たばかりだし、この食堂には初めて入ったんだぞ。声のした方を見上げると、恐らく人族の顔が厳つい腕毛が凄い人が立っていた。え? 本当に誰?
「私はここで料理人をしていますリアンです。ブランソースを作ったと聞こえまして」
「ええ、はい。クリスタで作りました」
「おお、やはりそうでしたか。あのソースのお陰で野菜にかけるソースが増えて助かってますよ」
いきなり俺の手を両手で握ったかと思えば、上下に激しく振り出した。厳つい顔が目を大きく開けて、鼻息荒くするのは少し怖い。いや、少しどころじゃないな。
「それで、どうしてここに?」
「ああ。これを作ったアローニさんがいると聞いて、会わない訳にはいかないな、と」
「は、はあ」
そんなに!? 駄目だ、全然状況に追いつけてない。さっきから手を握られてるのも駄目だ。
「ああ、これはすいません。つい感激で我を忘れてしまって」
興奮して手を振り続けてたのを、パッと離した。まあ、男に手を握られて喜ぶ訳じゃないから有り難い。
「それで、どうしてここにあるんですか?」
「それはグリさんの商会から買ったからですよ」
「グリさん!? 久しぶりに聞いたな。でも、グリさんの商会ってロッチだったような」
「ええ、そのグリさんで合ってますよ。アローニさん達の事を覚えてましたから。それに、グリさんの商会は大きいですから、この国中にありますよ」
「え!? そんなに大きいんですか。知らなかった」
「あの商会は国で一番か二番目に大きいですよ。ここは古いですから、グリさんの商会とも付き合いがあるんですよ」
「え!? 一番……。何でロッチみたいな小さな町にいたんだ?」
うわー、そんなに大きいなんて聞いてないよ。そんな大きな商会だったら、尚更俺達に指名する意味が分からない。それも、商会主が依頼に同行するなんて。
「まあ、それは本人に会ったら詳しく聞いてみると良いよ。それで、面白い調味料があるって言うんで試しに買ったんだよ。そしたら美味しくってねえ。会う事があったらお礼を言いたくて、思わず厨房から出てきちゃったんだよ」
「は、はあ」
「何だい? 実感がないのかい?」
「はい。何と言うか、調味料を作っただけなのに、ここまで喜ばれるものなのかな、と」
「何を言ってるんだい! 今まで誰も思い付かなかった調味料だよ!? 興奮して当然だよ! しかも、それが美味しいんだよ? 料理人なら興奮と嫉妬するよ!?」
「し、嫉妬ですか」
うわ、さっきより興奮して顔を近付けて来たよ。目が血走ってるし、鼻息荒いし。怖いよ。
「そりゃそうだよ。料理人でもない、冒険者に先を越されたんだよ? 料理人なら嫉妬するだろうね」
「(ほらあ、言ったじゃない)」
何か言ってるけど、無視だ。それに、もう遅いだろ。今更言ったところで、ねえ。
「で、でも俺が作ったのよりは美味しかったですよ」
「そりゃあね。料理人として負けてらんないからね」
「そう、ですか」
「だからね、何か思い付いたら教えて欲しいんだよ。グリさんの商会と私に」
「な、何かって言われても……」
「(あるのかな?)」
「(あるわよ。何なら直ぐにでも作れるけど?)」
「(いや、いい。あるって分かっただけで)」
「まあ、あれは本当に思い付きで、偶然出来た物なんで。他って言われても……」
「良いんだよ。思い付いたらで。それに、何か作る時はうちの厨房を使えば良いし。グリさんの商会でも厨房を貸すそうだよ」
「へー、そうなんですね。じゃあ、何か思い付いたら知らせますね」
「ええ、期待してますよ」
期待してますよ、と良いながら力強く手を握ってくる。こりゃ、相当期待してるな。でも、儲けるならグリさんの商会に教えた方が良いよな。はあ、こう言われちゃうと何か作らないと駄目みたいだな。




