第二章 目付騎士 4.初戦を終えて
「リオン君!」
決着が付き、互いにお辞儀を交わしたすぐ後にその声は聞こえてきた。
選手入場口に、ボロボロの僕に心配の色を多分に滲ませた目で見るアリス様がいた。僕は彼女に精一杯強がりの笑みを向けると、ヨロヨロと歩き始める。
だけど、
「あ、れ……?」
パックの会心の一撃が想像以上に僕の身体を傷付けていたらしく、僕は斬り裂かれた右半身から盛大に転んだ。
「あ、ぐ……ッ!」
あまりの激痛に苦悶の声を上げるのを見るや、僕の主はなりふり構わず僕のもとへと駆けて来た。ちなみにパックはすでに僕に興味を失っているらしく、もう決闘場にはいない。
「だ、大丈夫⁉ まだ意識はあるっ?」
「お、大げさですね……。大丈夫ですよ、心配しなくても。ちゃんと生きてます」
そんなことよりも、僕は彼女に謝らなければならない。
「す、すみません……。負けちゃいました……」
「そ、そんなことは良いから! ったく……もう、こんな時までマイペースなんだから……」
アリス様は「はあ」とため息を吐くと、自分のペースを取り戻したのか、いつものつっけんどんな態度へ戻った。
「もう良いわ。とりあえず医者に見せるから来て」
「う、……面目ない……」
「ホントよ。女の子に心配させる男は本当にダメ」
「心配してくれてたんですか?」
「っ、う、うぅううるさい!」
顔を赤くしてそっぽを向いてしまう。普段なら照れているその姿を可愛いと思うのだろうが、今の僕にはそんな余裕すらはない。
さすがに限界が来た僕は、自力で立ち上がるとアリス様へ手を振り大丈夫だとアピールして先に歩き始めた。
「あ、こらっ! なに勝手に動いてんのよ! こら……こらーっ!」
怒るアリス様の声を背中に、僕はさっさと歩いて行ってしまうのだった。
☆ ☆ ☆
試合に負けた僕は行きと同じように馬車に乗って屋敷まで戻ってきた。
玄関で僕を出迎えてくれたのは、ライオスを始めとした『究極天使アリス=エーゼルク様をお守りし隊』の面々だった。
腰にカットラスを引っさげた『究極天使アリス=エーゼルク様をお守りし隊』の隊長・ライオス=セリアルは大きく息を吸うと、
「おうおう! 天使様のお帰りだーっ! アリス様がお帰りなさったぞーっ!」
ライオスの掛け声によって、彼の部下達が雄叫びを上げた。ちなみにこの部下達、近衛兵としてはライオスの大先輩もいるのだが、彼のリーダーシップは左様な些末なことを吹き飛ばしてしまっている。
あまりの騒々しさに僕とアリス様二人揃って引き攣った笑みを浮かべていると、彼らの内の何人かの女の子達が僕へ声を掛けてきた。
「あ、リオン様! 結果はどうでしたか?」
「お屋敷から応援してました!」
「というかそのお怪我はどうされたのですか?」
彼女達の羨望の視線を受けて、僕は軽く面食らってしまった。負けたと言う負い目もあって若干返答に窮していると、突如足の甲が激痛を発した。
「――――ッ!?」
驚愕しチラとそちらを見やると、隣で僕に肩を貸してくれていたアリス様が、いつもの仏頂面のまま僕の足をグリグリと地面に縫い付けているではないか。謎の攻撃に内心混乱を極めている内に、近衛兵として使える少女騎士達がずい、ずい、と僕へ近寄ってくる。キラキラとした瞳を向けられ、心の中に僅かな罪悪感が生まれる。
僕、負けちゃったんだよな……。
敗北の瞬間のことを思い出し僅かに沈んだ気持ちになるも、すぐにそれを振り払って返すべき言葉を探した。ちなみに、僕が迷っている間にも足の甲に掛かる負荷はどんどん増していく。しまいには「ちっ」という舌打ちまで聞こえてきた。
僕はアリス様がどうして怒っているのか分からないまま、真実だけを口にした。
「ま、負けてしまいました……。ご期待に添えず申し訳ないです……」
「いえいえそんな! こちらこそ不躾な質問をぶつけてしまい申し訳ございません!」
「次は勝てますよ!」
「そうですよ! そのためにも早く手当をしなきゃです! 私がやりますから……」
三人娘の最後の一人がそう口にした所で、足の甲に感じていた圧迫が限界を突破した。
「いででででででででででっっ!」
「あ、ごめん! 踏んでた?」
白々し過ぎる……ッ!
「あなた達も大丈夫よ。自分の仕事に戻って大丈夫。こいつの手当はアタシがしとくから」
「で、でも……」
「だ・い・じょ・う・ぶ」
「…………はい」
低い声音で一音節ずつ放たれたその言葉に、少女達が黙り込んでしまった。
僕らはそのまま屋敷の中へ。廊下を歩き自室へ入ると、アリス様は僕をソファに寝かせてくれた。
「ほら、手当てするわよ。とは言っても簡単な処置だけどね。本格的な治療はお得意先の医術系の能力者に診てもらうわ」
「あ、ありがとうございます……」
「だからほら……」
だが、そこでアリス様は一度言葉を詰まらせ、常の如く顔を真っ赤に染めると、震える声で言った。
「ぬっ、脱ぎなさい。治療出来ないわ、治療が。うん、治療が出来ないのよ。だから早く、その……治療出来ないから脱いでくれないかしら」
「いや、そんなに治療を強調しなくても……」
「してないわ。だって治療が出来ないことは事実なんだもん」
緊張と恥ずかしさのためか語尾がおかしなことになっているが、突っ込むのは野暮だろう。僕のために恥ずかしさを押してくれているのだ。
僕は彼女の言う通り素直に上着を脱いだ。一枚服を脱ぎ捨てるたびにおもしろいくらい彼女の顔が真っ赤に変じていくが、僕はあえて無視した。肌着も脱ぎ去り、いよいよ手当。
すでに会場にてある程度の応急処置は済ませてもらっていたので、治療とは言ってもただ包帯を変えるだけという感じだ。
治療が始まるって、僕らは何一つ言葉を発しなかった。広い部屋にしゅるしゅると包帯を巻く音だけが響き、静謐で優しい時間だけが流れる。
士官学校にいた時、試合に負けてボロボロになった僕を治療してくれるような人はいなかった。学園で最弱だった僕は誰からも『騎士』として認識されなかったからだろう。彼らはみな高みを目指していて、だからこそ僕のような木っ端に構うような暇は無かったからだ。
「はいっ、終わり。あとはまあ、勝手に治るでしょ」
超能力を有している僕らの体は傷が回復するのが早かったりする。体の内の魔力が治癒力へと勝手に変換されるからだ。さらに言えば、戦いのさなかも僅かではあるが体が治癒を続けているため、簡単に死にもしないという利点もある。
治療が終わりポンポンと僕の肩を叩いたアリス様が、脱ぎ捨てられた服を取って僕に渡してくれた。包帯が崩れないように一枚一枚ゆっくりと服を着ながら、僕はアリス様の顔を見る。しばらくの間眺めていると、アリス様がそれに気付き身を捩った。
「な、なによ……」
「いや、こんなことをしてくれた人は初めてだなあと思って」
「ふ、ふんっ。アタシの優しさに感謝しなさいよね」
ツンとそっぽを向いてそんなことを言うアリス様。それがおかしくて小さく噴き出してしまい、アリス様に怒られてしまう。
「じゃあ僕ちょっと外行ってきますね」
「特訓とかはダメよ」
「えっ」
先んじて放たれた注意に、僕は言葉を詰まらせてしまった。というのも、『試合に負けた後の特訓』は僕の癖のようなもので、これをやらないと自分の中の何かが狂ってしまうのだ。気を紛らすという効果もあるこの行為は僕の中でとても好きな時間なのだが、アリス様は頑として許してくれそうにない。その表情に滲む小さな怒気が如実にそれを語っていた。
僕は小さく息を吐いて一旦ソファに座った。アリス様が脱力したのを見ていきなり立ち上がり彼女の真横を通り過ぎようとした。が、ばっと両手を広げたアリス様の身体が僕の進行方向に割り込み行く手を阻んだ。それから何度かフェイントを交えて翻弄しようとするが、そのどれにもアリス様は対応してみせる。
「…………………………」
「…………………………」
良い歳をした二人が中腰になりながら身体を左右に振る様は、端から見れば滑稽であろう。その滑稽な様を幾ばくかの間続け、
「ぐぬぬぬ……っ」
「むぅ……!」
「君たちは一体何をやっているのだ?」
「「どわあああっ!」
扉から聞こえてきた突然の闖入者の声に、僕とアリス様の二人が素っ頓狂な声を上げた。僕らはまったく同じ挙動でそちらを見やった。
「ってリュージさんッ?」
「あなた……どうしてここに?」
僕ら二人の視線を受けた侍が、不思議そうに僕らを見ていた。コテンと首を傾げ、訝しげな視線を送ってくる。
「いちゃつくのは結構だが外の様子を確認してからにした方が懸命だぞ」
「いやいやいやいや! いちゃつくとかじゃないから! これはその、アレだから!」
「そうですよ! ていうか僕らそんな関係じゃないですし!」
僕らの懸命な弁解に納得してくれたらしく、リュージさんはこの話題を打ち切って本題へ入った。
「今日は君の初試合だから結果と課題を聞こうと寄ったのだが……その様子だと敗れたと見た方が良いな」
「はい……」
「ふむ。気を落とすな、というのは無理だろうな。しっかり落ち込み、反省することだ。出来れば試合のあらましを聞かせてもらいたいのだが、良いだろうか?」
「はい」
僕は沈んでいく気持ちを切り替えるように返事を返すと、開始から敗北までの流れを簡単に説明した。その間、リュージさんは相づちを打ったり小さく返事を返すなどして最後まで聞いてくれた。全て話し終わった所で、リュージさんは僕の敗因を簡潔に述べた。
「気持ちで負けたな」
「や、やっぱりですか……」
それが何よりの敗因だろう。パックが第二の能力を解放する直前、僕は迷ってしまった。命の危機に瀕し弱い心が顔を出してしまい、心臓を穿たんと放った剣が明らかに鈍った。
あの瞬間、命よりも勝利を選んでいたならば、僕の剣は確実にパックの心臓を貫いていたことだろう。
リュージさんの意見は僕も概ね感じていたことだけに、改めて直接他人の口から告げられると耳が痛い。とは言え、それは紛れもない事実だ。この心の弱さを改善しないことには誰に勝つことも出来ないだろう。
そんな風に納得していた僕だったのだが、この場に一人、その意見に反対するものがいた。
「負けてない」
「うん? どうした、アリス嬢」
「こいつは、リオンは気持ちで負けてなんかない!」
いつも僕に向けるあの不機嫌な視線よりもさらに剣呑な視線を、アリス様はあろうことかリュージさんに向けていた。
リュージさんはその視線に気付いていながら、さして気にした風もなく口を開く。
「アリス嬢はなにか勘違いしているようだが、リオン君は別に敵に気持ちで負けたわけではない。己の弱さに勝てなかっただけだ。勝利よりも恐怖が勝ってしまったことは、どう言い繕った所で『心が弱い証』なのだ」
「で、でも……!」
「アリス様」
さらになにか言葉を紡ごうとした彼女の肩に手を置いて、僕はゆっくりとかぶりを振った。
「ありがとうございます。でも大丈夫です。今回の敗因はこれで決まっています。次は負けないようにしますから、どうか応援して下さい」
「むぅ……納得いかない」
なお膨れっ面なアリス様に苦笑を漏らしつつ、僕はリュージさんに向き直った。
「それで今日はどうしましょう。特訓しますか?」
「いいや、今日はしない。ゆっくり休み、医者に見せてから明日に備えよう。課題も見えたことだし、明日からの訓練はより充実したものになるはずだ」
「はい!」
☆ ☆ ☆
リュージさんとの話が終わってからしばらくした所で、アリス様はベッドにばたりと倒れて眠ってしまった。すぅすぅと可愛らしい寝息が僕の耳に届き、口元が自然と笑みの形を作ってしまう。
リュージさんはこの後すぐに主との食事があるとのことで戻ってしまった。どうやら本当にただ僕の敗因を分析しにきてくれただけだったらしい。忙しいというのに大切な時間を割いて僕に付き合ってくれる彼には感謝しかない。
僕は外に出て剣を振りたい衝動に駆られたが、先ほどのアリス様とのやり取りや、主の側に仕えるという目付騎士としての仕事も思い出し、この部屋で時間をつぶすことにした。
真っ白な部屋。ぬいぐるみや可愛らしい小物などが置かれている。王族の娘の部屋というよりも、ただの女の子のそれに見える。
ベッドに腰掛け主の寝顔を覗いてみる。
「う、みゅぅ……むぅ……リオンくん……頑張れぇ……えへへぇ……」
「――っ」
呟いた寝言に僕の心臓が大きく跳ねた。不意打ちというよりもむしろ暗殺に近いその一撃に、僕の心臓はかつてないほど強く速く脈を打っていた。
なんだ、この可愛い生き物は……ッ?
もしかしたら僕は、今世紀最大の大発見をしてしまったのかもしれない。変態達が変な部隊を作ってしまう気持ちがわかってしまう。
「むぅ……勝てるよぉ……」
彼女は今どんな夢を見ているのだろう。いや、そんなことは分かりきっている。僕の夢だ。
さっきリュージさんに反発した時もそう。彼女は、本当に、愚直なまでに僕を、僕の可能性を信じてくれている。
こんなに弱い僕を。
どうして僕のことをそんなに買ってくれているのかは分からない。だけど、彼女のその思いが僕を——僕の十五年を報われたものにしてくれたような気がした。
だからこそ、僕は今日の敗北が溜まらなく悔しかった。
こんなに期待してくれているのに。
こんなに応援されているのに。
僕は彼女の思いに、何一つとして答えられなかった。
どうして、どうしてだ……っ。
どうして僕は、誰に勝つこともできないんだ。どうしてあんな大切な場面で、絶対に迷っちゃいけない場面で、僕の剣は鈍ってしまうのだ。
悔しい、悔しい……悔しい。
ああ、だめだ。もう抑えられない。今までアリス様の手前ずっと我慢していたけれど、もう無理だ。
腰掛けるベッドのシーツを力強く握りしめる。声だけは出さないため、必死に歯を食いしばった。
「ぐ、う……っ」
突き出した剣に迷いが生じ、その隙間へ縫うように放たれた斬撃。敗北のあの瞬間の光景がフラッシュバックする。
どうしようもない敗北の実感が胸の内からせり上がり、嗚咽と涙と共に外へ吐き出された。
「く、そぉ……っ、くそ。また……、また負けた……っ」
必死に嗚咽を噛み殺そうとするも上手くいかない。苦しげな息のようなものが僕の喉から次々と溢れ出た。
良い歳をした男がこんな風に泣いて本当に恥ずかしいと思う。
けれど仕方がないだろう?
僕はどうしようもなく戦うことが好きで、負けず嫌いなのだから。
なによりも、優しい少女の期待に応えられなかった。退屈だろう僕の特訓にも付き合ってくれたのに。
「あ、ぅあぁあ……っ!」
単純に勝てなかったことに対する悔しさ。戦いの最中に躊躇した後悔。誰かの思いを裏切ってしまった申し訳なさ。それら全てが嗚咽と共に吐き出された。
「なんで……なんで僕は……っ!」
「――――大丈夫」
そっと、誰かが背中から手を回し、僕の体を優しく包んでくれた。ほのかに甘い香りが僕の鼻孔をくすぐる。アリス様の小さくて、そして冷たい身体が僕を包んでくれる。真っ白な髪が僕の肩にかかり、その上からこてんと顎を乗せる感覚があった。頬が触れ合う。互いの息がかかりそうなほど近い。にもかかわらず、アリス=エーゼルク様はいつものような赤面癖を出さずに、こう言葉を続けた。
「リオンくんが頑張ってることは、アタシが知ってる。だから大丈夫、頑張って。アタシはそのための手助けと応援をする。アタシの全力でもって、君が戦うためのお膳立てをしてあげる。最初にも言ったでしょ?」
「……はい」
「だからさ、そんな風にいまは一人で泣かなくて良いんだよ。ここにはアタシがいる。リオンくんはアタシに、精一杯甘えていいんだから」
「ありがとう……ございます」
それから、僕は彼女に精一杯甘えた。人の前では絶対に弱い自分を見せないと決めていたのに。
無様に嗚咽を漏らして涙を流す僕を、彼女は失望するでもなく軽蔑するでもなく――、
ずっと僕の頭を撫でながら母親のようにあやしてくれたのだった。
☆ ☆ ☆
その、二日後のことだった。
僕らの元に一通の手紙が届く。それは御前演舞本部から次戦の相手と日時が決定したことを知らせるものだ。
手紙にはこうあった。
『五日後にあなたの第二戦があります。対戦相手は――』
「うそ、だろ……」
『――レオル=エーデルフォルト』
それは、僕を完膚なきまでに負かした――僕が知り得る限り最強の騎士の名だった。




