第二章 御前演舞 3.演武開幕
そして。
あの日から五日が経った。
馬車に揺られながら、僕は目を閉じてゆっくりと英気を養っていく。
体面に座るアリス様が僕を心配そうに見つめている。僕はもちろんその視線に気付いているが、あえて意識の外へ追いやった。
これから始まるのは、正真正銘命の奪い合いだ。
御前演舞では、人が死ぬ。
毎年二桁にも及ぶ騎士達が激しい戦いの末に命を落とす。
——大丈夫だ。準備はしてきた。
運営から日程の告知が来てからの三日間、僕はアリス様と話す時間すら惜しんで特訓に勤しんだ。当然アリス様は面白い顔をしなかったが、それも仕方のないことだろう。
もっとも、ずっと僕の修行を近くで見守ってくれていたし、何より休憩時間には積極的に話しかけてきてくれていたので、特別怒っているというわけでもないようだ。というよりも、言動の端々からは応援してくれていることも伝わってきた。ただ、ときどき面白くなさそうな顔をするのが気になった、というくらいだろうか。
この三日でやって来たことは、今までやって来たこととさして変わらない。
『人心断聞』使用不可、及び『光屈折』を多用する、という条件のもと『血剣王』と剣を打ち合う。たったそれだけのことを三日続けてきた。
――大丈夫だ。『光屈折』を使った新しい技も作った。心配することはない。
自分にそう言い聞かす。
やがて馬車を引く馬が歩みを止めた。会場に着いたのだ。
心臓が内側から破裂せんばかりに強く速く脈動する。己の心音が鮮明に耳朶を打ち、うなじの辺りから熱がすっと冷えていくような感覚が僕を襲ってきた。
脳内では様々な思索がぐるぐると空転し正常な思考能力を有していない。
だけど、それも当然だろう。だって僕は、これから子供の頃に夢見た舞台に立つことが出来るのだから。
御前演舞。リアルタ王国の少年少女全ての夢の結晶。
「行くわよ」
「はい」
アリス様がこちらへ手招きしていた。緊張で頭がパンクしていた僕は、特に何も考えずにアリス様の手を握った。
するとアリス様は、突然顔を真っ赤にしたかと思うと、
「ひゃっ、り、リオン君……?」
「え、あ、ごめんなさい! ちょっと緊張してしまって」
困惑した声を上げるアリス様にたははと笑いかけながらその手を離した。
「むぅ……別に良いのに」
「あれ、なんか言いました?」
「な、なんでもないわよ!」
彼女がぼそりと呟いた言葉を拾えず聞き返すも、アリス様は頬を膨らますだけで答えてくれない。
だが、今のやりとりで幾ばくか緊張がほぐれた。何も考えられなかった頭はようやく普段のキレを取り戻し、心音は正常に、全身を縛る戒めもどこかへ消えていた。
僕は馬車を降りて会場であるコロシアムを見上げた。
「結構ちっちゃいんですね」
「それりゃそうよ。いくら何でも駆け出しの下っ端の試合で王立コロシアムなんて使えないわ。最初はみんなこんなもんよ」
「はあ……」
石造りのコロシアムは、ちょっとした講堂程度の大きさだった。あれでは観客などほとんど入れないだろう。つまり僕の初試合はそれほど期待されていないということだ。そしてそれは、僕の対戦相手もまたそれほど期待されているわけではないということだ。
まあ、かと言って楽観はできないけど……。
弛み油断しかけていた心を引き締め、僕は会場へと一歩踏み出した。
が、一歩進んだ所でちょいと袖を掴まれた。隣に立つアリス様が顔を俯かせながら何かを言おうと口ごもっている。
「その、さ……。アタシはお前のために何もできなかったけど……けど、その……」
しどろもどろになって僕へ応援の言葉をかけようとするアリス様。いつもは結構雑な扱いをするくせに、こういう時に不器用になるアリス様は本当に可愛いと思う。
僕は、袖を掴むアリス様の手をそっと外し一歩前に出た。腰に引っさげた剣に手を当てアリス様と向き直ると、にこりと破顔してこう言った。
「大丈夫です、僕はいま楽しみで仕方ないですから。心配しなくても、勝ってきます」
「べ、別に心配なんかしてないし!」
「またまたぁ〜」
「ぐぅ……っ! してない! してないったらしてないの!」
アリス様の強がりに冗談で返して、いよいよ胸の内に蟠っていた不安は消え去った。
「じゃ、行ってきます」
「ええ、いってらっしゃい」
胸の辺りで小さく手を振るアリス様は、今まで見たどの姿よりも僕の心を掴んで離さなかった。
☆ ☆ ☆
控え室で二十分ほど時間を潰し、とうとうその時が来た。
「リオン=クローゼ殿。こちらへ」
控え室で集中を高めていた僕は、その言葉に従って立ち上がる。
胸当てや小手すらない軽装だが、僕の能力を鑑みればこれが最も適した形だろう。
石造りの長い廊下を進む。やがて四角形に切り取られた穴から漏れる光が僕の目に入った。
「では」
僕を案内してくれた男性が一歩横へずれて僕に道を譲ってくれた。
「ありがとうございます」
お辞儀をして会場へ足を入れる。
その瞬間、僕の中で何かのスイッチが切り替わった。
視界の真ん中でサーベルを構える男。僕の意識は、目の前に立つ彼に釘付けになった。
赤い髪と端正に整った顔立ち。身長はそれほど高いわけではないものの、その瞳に宿る闘気は彼の姿を実際よりも一回り大きく見せていた。
名をパック=ソーダス。一部では『焔の剣』の異名で呼ばれている、今年で三年目の目付騎士だ。順位は七百番台と極めて低いものの、油断出来る相手ではない。そも、この御前演舞において油断出来る相手など皆無だ。
僕は一度ゆっくりと息を吐き出すと、開始線に付いた。
とうとう、夢の舞台に――そのスタート地点に立った。
眼前の敵を見据える。そうしながら、僕は相手に敬意を払うという意味で己の名を告げた。
「初めまして、僕はリオン=クローゼと言います。よろしくお願いします」
「やあやあ、初めまして! 俺はパック=ソーダス。お互い良い試合をしよう」
存外に明るい人だ。僕は適当に感想を抱くと、すぐさま雑念を捨て直剣を構えた。
「じゃあ、行きます」
「そうだな! 俺も遠慮なく行かせてもらう!」
そして。
リオン=クローゼとパック=ソーダスが同時に駆け出した。
☆ ☆ ☆
互いの得物は剣。となれば自然、両者の間合いもまったくの同距離となってしまう。駆けた僕らが互いを間合いに収めるまでに残る距離はおおよそ一歩。目測でそれを確認すると、僕は剣を握った右腕を引いて直剣を大きく振りかぶった。刃を地面と平行に、切っ先を真後ろへ向ける横振りの構えだ。
対してパックの構えは大上段からの打ち降ろし。僕の脳天をカチ割るつもりだろう。
腕に込めた力を解き放ち交錯に備える。
二人が同時に最後の一歩を詰める。
瞬間、僕は『光屈折』を発動。僕とパックの間にある僅かな空間が大きく歪む。
『歪空間』――交錯の直前の研ぎ澄まされた意識に一瞬の隙を生み出す僕の秘剣だ。リュージさんとの特訓の中で使った技を『人心断聞』との併用によりさらに昇華させたものだ。敵の殺意が沸点を迎えた瞬間に発動することにより思考に大きな空白をもたらす。
パックの表情にも明らかな動揺が見て取れる。当然だ。極限まで研ぎ澄まされた集中をぶった切られたのだから。
「く、そ――っ!」
パックが苦し紛れに剣を打ち降ろすが、すでに僕は左へ避けている。彼はゆらゆらと中空にたゆたう僕の形をした幻影を虚しく斬り裂いただけだ。
その間にはすでに揺らめく空間を突き破り、僕は彼の懐へ潜り込んでしまっていた。
——このまま一気に決める。
軽く、それでいて完璧な体重移動でもって直剣を振るう。振った腕の先に握られた剣の刃が青年の肉へ触れる――その直前。
至近後方でパックのサーベルが地を打つ音が鳴り――閃光と轟音が爆ぜた。多大な熱量と暴風が僕の背を打つ。
「が……ッ!」
完全に意識の外側からの衝撃。完全な不意打ち——否、それ以上に致命的な一撃だ。勝利を確信したその瞬間の爆撃は僕の思考に空白をもたらした。
爆風に押され二、三メートルほど転がる。受け身をとって立ち上がった所で視線を正面へ向けると、そこにはすでに直剣を振りかぶったパックの姿が。
「ぐ、ぅう……ぅうっッ?」
剣で受けてはダメだ。おそらくだがあの剣は物体に触れた瞬間に爆発を引き起こす。僕は後方へ身を投げ出して直剣の軌道から逃れた。眼前で直剣が地を穿ち――爆ぜる。
加えて、この爆撃はただ爆炎を撒き散らすだけにあらず。爆発により地が弾け、巨大なブロック片となって僕へ殺到したのだ。
直剣をかざしとっさに顔面を庇ったが、それだけで岩の散弾を防ぎきることなど出来るはずもない。腹と言わず胸と言わず胴のあらゆる部位を岩石が打ちつけた。
靴底が地を離れ軽く宙を浮く。空中で制動を取りバランスを崩すことなく着地するや否や、僕は全力で駆け出した。
この戦い、両者同じ得物を携えているにもかかわらず、その間合いは等しくない。剣技ただ一つのみで戦うしかない僕とは異なり、彼には爆撃という第二の選択肢まで存在する。『焰の剣』という異名から彼が炎に関する何らかの能力を使用してくることは予想出来ていたため想定の範疇ではあるものの、かといって間合いの不利性が変わるわけではない。
僕の間合いはこの直剣の長さでしかないのだから、間合いの外で敵の攻撃を待つことになんらメリットは存在しない。ゆえに一も二も考えずの突進。
駆ける僕に対し、パックは悠然と僕を待ち構える。眼前の赤髪の少年がゆるりと直剣を上段に構える。
交錯まで後一歩。僅かに異なるが一合目とほぼ同じ状況。瞬間、パックが大上段に構えた直剣を振り下ろした。おそらく僕の『歪空間』を警戒してのことだろう。空間を歪め目測を狂わされる前に僕へ岩の散弾を見舞う気だ。
さすがに狙いが見え見えだった。
心中してやったりとほくそ笑み、僕は『歪空間』を発動させず左方へ跳んだ。
爆音が鼓膜を叩き噴塵が視界を埋めるが、それはあちらも同様――そう考えかけ、すぐにそんなはずがないと気付く。低位ランカーと言えど敵は目付騎士。ただ先走っただけの大振りで策が終わりであるはずがない。
予想通り、噴塵の向こうで殺意が膨れ上がった。横薙ぎに振るわれた刃が土煙を裂いて僕の首へ突き進む。しかしその一閃を、僕は上半身を思い切り右へ傾けることによってやり過ごした。振るわれた刃が僕の髪先数ミリを断ったところで身体を起こす。傾けた身体を元に戻すバネの力だけを利用して剣を左斜め下から逆袈裟に振るった。
パッと鮮血が飛び散り、赤髪の剣士がたたらを踏んで後方へ逃れる。
僕の刃が、格上の目付騎士に届いた瞬間だった。
☆ ☆ ☆
「ちっ……ぃ!」
付けた傷はそれほど深くはないものの、認識の外から斬撃を見舞われれば人は心に同様を生むものだ。目の前でパック=ソーダスがたたらを踏んで後方へ下がった。だがそれは、僕にとって最高の隙となる。
「ふっ――!」
短く呼気を吐いてここ好機とばかりに赤髪の騎士へ肉薄。直剣を横薙ぎに払い二撃目を重ねる。が、さすがは三年間最高レベルの舞台で戦い続けた目付騎士と言うべきか、パックはこれを身体を屈めて回避。そのまま流れるような挙動でもって長剣を真っ直ぐ振り上げる。
ま、ずい……。
いちかばちか、即座に直剣でもって受け流す。シャリン、と耳に心地よい音を響かせたのち、力の方向をずらされた刃が僕の頬の至近を通過した。爆撃を放つには剣にある程度の衝撃を与えなければならないのか、爆炎が僕の身体を焼くことはなかった。
パック=ソーダスの胴ががら空きとなり、僕に絶好の機会を与える。当然それを見逃す僕ではない。
「はぁああッ!」
すれ違い様に脇腹を一閃。さらに続けて背中へ二閃放つ。
「ぐ、ふ——ッ?」
初撃のかすり傷のような浅い負傷ではない、完璧なクリーンヒット。この三撃を始まりとし、ついに均衡が崩れた。
「お、ォ、ぉおおおおおおおおおおッ!」
振り向き様に振り抜かれた剣を真横へ受け流し、刺突を三撃放つ。パックはこれを辛くも回避するも、やはり体勢が悪い。裏拳気味に放った斬撃が彼の右腕を浅く裂く。
これはかなわないと思ったのか、パックは地面に直剣を打ちつけ――爆発。その爆風を利用して一気に後方まで下がった。
仕切り直すつもりだろう。だが、今は完全にこちらのペースだ。僕がそれをみすみす逃すようなマネをするわけがない。
僕は魔力を解放して思い切り地を蹴った。魔力の用途は能力を使うだけでなく、己の身体能力の向上に使用することも出来る。これを利用して、戦線から逃げた赤髪の騎士へ追い縋った。心が後ろ向きとなった騎士へ追い討ちをかける。
——これで、決める。
パックが空中で制動を取り華麗に着地した時にはもう、僕は彼を間合いに収めていた。
「――ッ?」
パックが明らかな同様を見せるが関係ない。この一撃でフィニッシュだ。
全身に漲る魔力を振り絞る。たった一箇所——とある一点の空間だけを極限まで歪める。ギリギリと全身が悲鳴を上げるが関係ない。
これが、今僕に出せる全力だ。
バシュッ、という小さい音が鳴り、
僕の直剣が虚空へと消えた。
辛うじて剣を構え追撃に備えていた赤髪の騎士の顔が驚顎に染まった。
「『秘剣・虚刃』」
己が得物の至近の空間の光を捩じ曲げることにより、周囲の人間全ての視界からその姿を虚空へと消し去る幻技だ。
疾く鋭い一閃が赤髪の剣士の腹を真一文字に斬りつけた。さらに胸をクロスに裂き、止めの一撃の刺突を放つ。
「終わりだッッ!」
狙うは心臓。こと騎士同士の戦闘において敵の命を慮る行為は侮辱以外の何物でもない。
切っ先が心臓を穿たんと疾駆する。
だが――。
「――――っ」
ゾッ、と。この戦いの中で感じたどれよりも明確で濃い殺意が膨れ上がった。
僕は困惑に陥り、刺突の勢いを止めることないまま敵の顔を見やった。
そこにあったのは笑み。それも、勝利を確信した晴れやかな笑みだった。
なぜだ。
僕の剣はあと数瞬もしない内に彼の心臓を穿ち、生命活動を停止させるというのに、どうして彼は笑っているのだ。
意味が分からない。敵の狙いと思惑になんの心当たりもない。
だけど僕は、そこで気付いた。
彼がまだ二つ目の能力を使っていないことに。
「しまっ――!」
その動揺こそが全てを決定付けた。たった一瞬の戸惑い。死に対する恐怖が勝利への渇望を上回り、僕の剣が確実に鈍った。
「君との戦いは素晴らしい物だったけど、俺には負けられない理由があるんだ!」
右斜め下からの斬り上げ。常なら受け流し、反撃に転じられるであろう。だが今は違う。剣は真っ直ぐ前方へ突き出しているためここから防御に回るには時間が足りない。そしてその突きさえ鈍く中途半端なものとなってしまっているゆえ、殺される前に殺すような力任せな戦法も取れない。気持ちで負けた——そう確信すると共に、絶大な殺意が僕へ降り注いだ。
「『焔波斬』――ッッ!」
放たれたのは波状の斬撃。焰を乗せた刃から大熱量を内包された斬撃がまさしく霧吹きが如く発せられた。波状の炎撃が僕の右半身を強襲する。衝撃と、熱のような激痛が僕の半身を襲い、出来の悪い人形のように宙を舞った。
右手から直剣がすっぽ抜け、地面へ叩き付けられる。
「く、そ――っ!」
背中から地面に落ちて呼吸が一瞬止まる。右半身を見れば、脇腹から肩にかけてがズタズタに引き裂かれていた。
身を蝕む痛みを無視して立ち上がろうとした所で、僕の首筋に剣の刃が据えられる。
「…………ッ!」
「勝負あったな」
状況が詰みとなった。それを悟った僕は、両手を上げて降参した。
リオン=クローゼの御前演舞は、敗北からのスタートとなった。




