第一章 目付騎士 3.ユーモア溢れる屋敷の人たち。ユーモア? いいえただのバカです
翌日、玄関を開けるとアリス様がいた。
「あ、おはようございます」
「遅い」
現在時刻は八時過ぎ。九時に屋敷に来るように言われていたため、この時間に出ても間に合うはずだ。だが、その理論もこの暴君が如きお姫様の前では無意味。遅いものは遅いのだ。
だからと言って約束の時間の一時間前に、しかも相手の家に自ら迎えに行くというのはさすがにせっかち過ぎるような気もするけれど。
僕は素直に頭を下げて謝り、近くに停めてあった馬車に乗り込んだ。どうやら僕を迎えに来てくれたらしい。
「どう? 緊張する?」
椅子に座り、カチコチに固まった僕へ、アリス様がニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべてきた。
「ええまあ……だって、今から、その。アリス様と一緒に暮らすんですよ。逆にアリス様は緊張しないんですか?」
瞬間、ボン! と音が聞こえそうなほどアリス様の顔が赤く染め上げられた。
だが、
「え、ええ。当然でしょう? あ、ああ、アタシは一国の姫よ。全然緊張してない。ゼンゼン」
トマトみたいに赤い顔で言われても全然説得力がない。
何はともあれ、パッカパッカと馬車は進む。小窓から外を眺めると、騎士服を着た士官学校の生徒たちや、道の端で店を構える商人たちがいた。僕たち騎士が住む衛兵区と呼ばれるこの辺りは、王族貴族が住む中央圏の中でも商人や庶民が暮らす商業区と隣接しているため、市場や酒屋があったりと比較的生活感あふれる地域なのだ。
屋敷に着くまでの間に、アリス様は僕にこれからのことを説明し始めた。
「お前にはアタシが雇った師匠を付けて上げるわ。剣術の達人で、現役の目付騎士よ。序列は八位。『血剣王』って異名を持つ男なんだけど、聞いたことない?」
「血剣王ッ?」
彼女が語ったその言葉に驚いてしまい、僕は身を乗り上げて彼女の肩を掴んでしまっていた。
彼女は若干顔を赤らめながらも、平静を保ちながら僕の両手を払いのける。
だが、それで僕の興奮が冷めたりする訳がない。僕は目を輝かせながら『血剣王』について語り始めた。
「本名をリュージ・ミヤモトと言い、その得物は野太刀だったはず。剣術の達人で、そのほとんどの試合で能力を使わないだとか。使った能力も『切断』だけで、もう一つの能力を使ったことは今まで一度もないんだとかっ! ですがやはり、『血剣王』の強さはその技にこそある! 能力なしでも敵の攻撃をいなし、流し、僅かの隙の間に己が太刀を滑り込ませるその一刀はまさに芸術のそれッ! 彼に剣術で勝る相手はこの国にはいないでしょう!」
「え、ええそうね……そのミヤモトさんが――」
「それもそのはずッ! なぜなら彼はただの剣術家にあらず! 遠い東の地! その海を越えたさらに向こうにある極東の島国……つまり『倭』の国からやってきた最強の武人の一人! そう! 彼、リュージさんは『侍』なんですよ‼ 刀と心を通わし、刀と共に戦う最強の武人! それがあの『宮本竜司』ですッ!」
「うん、分かった。だから話を…… 」
「さらに――――」
「もう良いわこのバカーっ!」
「うおわ!」
アリス様の呼びかけになんら答えることもなく、長々と『剣客』について語っていた僕の脳天に、アリス様の渾身のチョップが叩き落とされた。脳が揺れたような衝撃と共に僕の口が動くことをやめる。
「まったくもう……。どんだけ好きなのよ」
「めちゃくちゃ好きです」
「ヨカッタワネー」
アリス様はまったくと言って良いほど僕の話に興味がなさそうだ。
「ああもう、お前のせいで話が逸れたじゃない。戻すわよ」
「あ、ごめんなさい」
「無理。あとでアタシの机になること。勉強机よ」
「机ッ? 椅子じゃなくて机ッ? それ勉強しにくくないですかっ?」
目を剥く僕の反応を、アリス様はころころと楽しそうに笑いながら見ていた。
最初は気難しそうな人だと思っていたけれど、実はよく笑う人らしい。笑顔が素敵だし、ずっと笑っていてもらいたい。
「あははは、お前本当に面白いわね。まあ良いわ。それじゃあ続きよ。お前は『血剣王』に師事して剣を教えてもらいなさい。この際、お前の我流剣術の問題点を達人に見てもらって、長所を伸ばすためのレクチャーを受け、さらに問題点や改善点をハッキリしときなさい。士官学校の教師達なんかよりも何十倍も優秀だから、さらに強くなれるわよ」
「そうですか……! ありがとうございます!」
「ふふ、嬉しそうね」
「当然ですよ! だってあのリュージさんに自分の剣技を見てもらえるんですよ。それってつまり――」
「ああもう良いから! お前がミヤモトさんのことが好きなのは十分伝わったわ! 話は次よ!」
次の話とは何なのだろうか。『血剣王』が僕の剣を見てくれる。これ以上に大切なことなどこの世にあるだろうか。いや、ない。
そんな風に下らないことを考えていたのが顔に出てしまっていたのか、アリス様が僕の額にデコピンをかましてきた。
僕は突然の衝撃に涙目になりながらも、彼女の話を聞くことにした。
「で、御前演舞についてよ。大会が始まるのは一週間後。相手はまだ決まっていないけれど、誰が相手でも油断は出来ないわ。だってアタシ達、めっちゃ弱いもの」
「う……確かに」
先日希望を見出したとはいうものの、僕の能力も、アリス様の能力も、攻撃力が皆無な上応用が難しいほど僅かな変化しか起こさない。ある程度能力の使い道などはすでに考えてはあるが、まだ実践に移していないため何とも言えないのが現状だ。
そんな風に悶々と考えていると、一つの疑問が浮上してきた。それはさっきのアリス様の発言。気になった僕は、なんとなしに聞いてみる。
「そうだアリス様。どうして僕の剣技が我流だって知ってるんですか? アリス様も剣術の達人だとか?」
僕の質問に、アリス様は「あ」と一言漏らすと、さっと顔を赤くして僕から目を逸らした。
「べ、別にそういう訳じゃないけど……ほら、アタシだって色々な騎士や剣術家を見てきたから。だから分かるのよ、その辺の違いが。うん。納得した? 納得しなさい」
眉尻を上げ、キッと僕を強い瞳で睨むアリス様の凄みに負け、僕は無意識に頷いてしまっていた。
「大会の話だけど、来週から始まるのは本戦予選よ。全部で三十戦あって、二十八勝した騎士だけが本戦へ進む権利を与えられるわ。言い換えれば、最悪でも二敗までしか出来ない。三敗目の時点で本戦への参加資格を失うわ」
三敗……たったの三敗で僕とアリス様の挑戦は終わってしまう。予想はしていたことだが、御前演舞の壁の高さを痛感した。ちなみにこの予選、実は対戦相手がランダムに決められるため、一度戦った相手と再選――なんてこともあるそうだ。
「で、見事予選を勝ち抜いた選手達は晴れて本戦へ行けるわけ」
「なるほど。そういうことだったんですね」
結構な頻度で御前演舞の試合を観戦したことのある僕だったけれど、そのシステムまでは知らなかった。
ただ、本戦がどういった内容なのかは僕も知っている。
「本戦は確か、四つのグループに別れてバトルロワイヤルですよね。何人もの騎士同士で一斉に潰し合う。そうして各グループで残った一人が決勝トーナメントへ駒を進め、優勝者を決めることが出来る、だったはずですよね」
「そうよ。さすが騎士ヲタク」
「あははは、照れるなあ」
「褒めてないわよバカ」
それから御前演武では審判はおらず、どちらかがリタイアするか、行動不能、あるいは死亡した時点で決着となる。
これで一通りの説明は終えたのか、彼女はふうと息を吐いて僕の顔を見た。
「? どうしました?」
「いや、別に。ただね、お前の性格がちょっと意外でビックリしただけよ」
「そうですか?」
「ええ。もっと――暗いと思ってたから」
「暗い、ですか……」
「ええ。でも、勝手な想像だから気にしないでいいわ」
そう言う彼女の横顔はやっぱり可愛くて。
僕はアリス様のことをもっと知りたくなっていた。
☆ ☆ ☆
やがて馬車が止まり、屋敷に辿り着いた。
「さて、じゃ行くわよ」
「はい」
荷物を持ち、アリス様に続いて自室……つまりアリス様と暮らす部屋を目指す。
「えらく荷物が少ないじゃない。そんだけで足りるの?」
「いや、アリス様と同室で暮らすんでしょ? だったらたくさんの荷物は邪魔になると思って」
「なるほどね。気遣いが出来て素晴らしいわ。褒めてつかわす」
「何で急に王様口調に」
話していたらすぐに部屋まで着いてしまった。彼女はノブを握り、僅かに逡巡してから思い切りドアを開ける。
「さ、さあ! 今からここでお前とアタシが一緒にくら……」
しかし、彼女の言葉は最後まで続かなかった。
部屋の中央におかれているダブルベッド。
その近くに適当に投げ捨てられたメイド服。
そして、ベッド中で下着姿の美少女が荒い息をしながらもぞもぞとのたうっていた。
「は……?」
僕はあまりに突飛な事態に思考を止めてしまった。
助けを求めるように隣のアリス様を見ると、彼女は口をあんぐりと開けて目の前に広がる光景に絶句していた。
ふとんにくるまりイモムシのようになった下着姿の美少女が声を放つ。
「はぁ……っ! お嬢様の匂いが……香りが……残り香が……お、美味しい……っ。あぁ、包まれている。私は今、お嬢様に包まれているッ! 良い匂い……美味しいわぁ」
HENTAIだ。HENTAIがいた。
僕とアリス様、絶句すること十秒。
十秒きっかり経ったその瞬間、アリス様が目付騎士もかくやという速度で駆け出した。
「エイナぁ! お前アタシのふとんに潜り込むなって何回言ったら分かるんだぁあッッ!」
ベッドの前で跳躍。空中で膝を折り、エイナと呼ばれた変態少女の真上から落下。自由落下のエネルギーが全て衝撃へと変換され——鈍い音と共に変態少女の胴体へ二つの膝が叩き込まれた。
鈍い音が僕の耳にも届いてきた。
僕は若干顔をしかめて、心の中で変態美少女に黙祷を捧げた。
「う、ぉげぇ……っ! お、お嬢様……私はまだ、それを快楽と見なせるほどの領域には達していません……」
「達するな! ていうかお前アタシ達のベッドで何してんのよッ! こら、ちょっ、股に手をやるなぁ! 別の意味で達しそうになってんじゃないッッ!」
「はぁッ?」
アリス様が口走った信じ難い言葉に、僕は素っ頓狂な声を上げてしまった。
その声がアリス様にも聞こえていたのか、彼女は真っ赤な顔で、キッと強い瞳をこちらに向けてきた。今までで一番赤く、かつ殺気立った顔だった。
アリス様はふとんにくるまった変態美少女を適当にタコ殴りにした後、その女の子をベッドから引きずり出した。
「おふぅ……それくらいの力加減ならまだなんとか……。気持ちよかったぁ」
「だまれだまれ! リオン君に聞かれるじゃない!」
「え、いや、もう聞こえてます……。まる聞こえです」
「うるさいバカ! 死ね! 去勢してやる!」
「なぁーんにも聞こえなかったなあっ! いやあ、もう耳鳴りがすごい! いやー参ったなぁあッ!」
男に二言はないと言うが、あれは嘘だ。時には嘘が必要な場面もやってくる。
ゼエゼエと息を吐くアリス様が胸に手を当てて呼吸を整えていた。変態美少女はその間に、床に散乱していた服をいそいそと着始める。
胸元を大きく開けたメイド服は、その豊満な胸を惜しげもなく外界へ晒していた。
彼女は胸を寄せ、深々と挨拶した。
「初めまして、私、エイナ・エルリックと申します。どうぞお仕置きを……あ、じゃなくてお見知りおきを」
「え、あ、うん」
あまりに強烈すぎた彼女の登場に、僕は生返事を返すことしか出来なくなっていた。
僕が彼女の雰囲気に圧倒されていると、なぜかエイナさんの後ろにいるアリス様が膨れっ面を浮かべていた。
「あの、アリス様?」
「なによ。ちなみになんにも怒ってないから。ホントに、何にも。お前が誰とどう接しようが、どんな女に惑わされようが、おっぱいに誘惑されようが、アタシは、まったく、怒っていない」
怒っていた。
「あはっ、嫉妬しているお嬢様可愛いー! クンカクンカしたい」
「く、来るな! にじり寄るな変態!」
アリス様が身を抱くようにしてエイナさんから逃げようとするが、エイナさんはじり、じり、と両手をワキワキさせながら少しずつ逃げ場を封じて行く。
とうとう壁際まで追い詰められたアリス様が僕に視線だけで助けを求めていた。
貞操の危機に顔を青ざめるアリス様の顔は可愛かったけれど、さすがに不憫だったので、すかさず救いの手を出した。
「あの、エイナさん、アリス様が嫌がってるのでやめてあげて下さい」
「……はーい」
僕のお願いを素直に聞いて身を引くエイナさん。その隙に、アリス様がエイナさんの隣を走り抜けて僕の後ろに隠れた。ぷるぷると子鹿みたいに震えている。
エイナさんはアリス様をエロい目で見ながら、先ほど途中で終わってしまった自己紹介を続けた。
「すみません、続けさせてもらいます。私はこの屋敷のメイドで、主に給仕などさせていただいております。お嬢様の身の回りのこともやっていたのですが、今日からは……えっと」
エイナさんが言葉に詰まった所で、ようやく僕が名乗っていないことに気付いた。
「リオンです。リオン=クローゼ。アリス様の目付騎士を勤めることになりました」
「そうですか。アリス様の身の回りのお世話はリオン様にお任せしても良いのですよね」
「はい」
身の回りのお世話が何なのか分からないけれど、僕は適当に返事をしておいた。
「じゃあ、これからよろしくお願いします」
「はい、お願いします」
そう言って僕は彼女に手を差し出す。エイナさんも僕の手を握ろうとした――その瞬間。
とんでもない音と共にドアが開け放たれた。
現れたのは、金色の髪と青い瞳を持つ、僕と同じくらいの歳の少年だった。腰にカットラスを引っさげたその姿から、彼がこの屋敷の近衛兵だと分かる。
彼は部屋の中にいるエイナさん見つけると、
「やっぱりいやがった! おいみんな! コード『雌豚』……エイナ=エルリックを見つけたぞ。予想通り姫様の部屋で行為に及んでた!」
ぶっ! とアリス様が僕の背後で噴き出した。
彼女は後ろを向くと、突然自室に入ってきた少年を怒鳴りつけた。
「ちょっとライオス! いきなり部屋に入ってくるな! アタシのプライバシーはッ?」
「姫様……すみません、無礼は承知ですが、それでも姫様に手を出そうとする輩を許すわけにはいかねえんです」
キツく引き結んだ口元が彼の誠実さを物語っていた。彼はアリス=エーゼルクを守護する近衛兵として、彼女の貞操を守ろうとしているのだろう。
「俺は近衛兵見習いであり、かつ『究極天使アリス=エーゼルク様をお守りし隊』の隊長ですから」
「「なんだその部隊名! 馬鹿かッ?」」
これはまたとんでもなく濃い奴が現れてしまった。あまりに衝撃的過ぎて僕とアリス様の声が重なってしまう。というか、アリス様も今まで知らなかったのか。
そんな僕たちのツッコミも無視して、ライオスがじりじりとエイナさんとの距離を詰める。エイナさんもまた油断なくライオスを観察していた。腰を落とし、半身になっていつでも逃げられる体勢を取っている。
僕とアリス様を間に挟んで、御前演舞の試合のような緊張感が場に満ちていた。
そして――ライオスが仕掛けた。
横へ軽くステップしようとして――しかし何者かに襟首を掴まれてしまった。
「ちょっ、ちょちょちょ、うわぁっ?」
彼をクレーンゲームのオモチャのように持ち上げたのは、筋骨隆々の厳めしい面をした大男だ。ホリ深い顔や、鷹のごとく鋭い眼光。『戦士』という言葉が似合いそうな風貌の威丈夫だった。
「おいライオス、誰が持ち場を離れて良いと言った?」
「は、はは……」
ごちん! という音が聞こえたかと思うと、ライオスは頭を両手で押さえていた。おそらく拳骨を入れられたのだろう。
涙目になってぷるぷる震えているが、男がその仕草をやってもイラッとくるだけだからやめて欲しい。
大男はライオスを乱雑に肩に担ぐと、にっかりと子供みたいな笑みを浮かべた。その、鬼のような容姿からは想像も出来ない笑顔に、僕は思わず声を出して笑ってしまいそうになった。
「おう、君がアリス様の目付騎士か! よろしくな! 俺はトール=ゼルダス、近衛兵団団長だ。で、こっちの馬鹿がライオス=セリアル。ライオスはリオン君と同い年だから仲良くしてやってくれよ」
「あ、どうも。……ていうかトールさん、どうして俺の名前を?」
「え? ああ。そりゃな、アリス様が――」
「あーっ! あーっっ! 何も聞こえないッ!」
すると突然、今までずっと傍観を決め込んでいたアリス様が抗議の声を上げた。顔を真っ赤にしてトールさんの言葉を遮っている。僕は彼女の反応の意味が分からず、アリス様に尋ねようと口を開けようとした。だが――、
「うるさいわね! 黙っとけ下僕!」
「何も喋ってないのに! ていうか下僕とか酷い! もう結構仲良くなったと思ってたのに‼ッ!」
「ふん‼ それは勘違いね。お前のアタシへの好感度は……2よ!」
「ひっく!」
現実は非情だった。
「ていうかお前ら、いい加減アタシの部屋から出て行け! いつまで居座ってるつもりだっ!」
「しかしお嬢様! ……私はまだお嬢様の匂いを堪能してきっておりません」
「堪能するなッ!」
「姫様の貞操は俺がもら……じゃなくて俺が守るッ!」
「お前は一生アタシの前に姿を現すな!」
「アリス様、筋トレでも――」
「トール、お前が一番意味不明だわ!」
彼らのやり取りを、僕はどんな顔で見ていたのだろうか。
いつかあの輪の中に入りたいと思ってしまう。それくらい、彼女達の間には笑顔が溢れていた。




