第一章 目付騎士 2.ドキドキっ、天使なお姫様と秘密の儀式!
屋敷の中に案内された僕は、彼女の言葉通りちょこちょこと犬のように彼女の後ろを付いて行った。長い廊下には誰もおらず、閑散としたイメージを与えてくる。
「あの、アリス様……一つお窺いしても良いでしょうか」
「何よ」
「他の人達は一体どこに……?」
「秘密よ」
それっきり会話アが途切れてしまう。
初対面の美少女——それも一国の姫様と二人きりということもあり、僕はさっきからガチガチに緊張している。彼女にもっと気品があり、深窓の令嬢のような雰囲気が微塵でも存在していれば、僕は自分から話題を振ることも出来ていなかっただろう。
しばらく赤い絨毯敷の廊下を歩くと、やがてアリス様はある部屋の前で立ち止まった。
「ここよ」
どうやら僕の部屋とやらに着いたらしい。そろそろその、『僕の部屋』という意味について説明してほしいとアリス様へ視線を送ると、
「大丈夫よ、ちゃんと説明してあげるわ」
そう言って、彼女はノブに手を掛け……しかし一向に開けようとしなかった。
「あの……どうしたんですか?」
「…………っ」
心配になった僕が尋ねてみたけれど、彼女は何も言ってくれない。
しばらく沈黙が続き、やがて……
「ダメ、だからね」
「へ?」
「だから、下着とか探しちゃダメだから! シーツの匂いを嗅ぐのも禁止! 部屋に充満するアタシの匂いを堪能するのも禁止ーっ!」
「いやごめんなさい本当に意味が分からないッ!」
言うや、アリス様は耳まで真っ赤にしながら扉を開けた。
ふわりと漂ってくる甘い香り。
一人で過ごすには広すぎる部屋だ。白を基調とした模様で、壁紙、天井、机や椅子などその他あらゆる調度品が白で統一されていた。本棚にはたくさんの本が整然と並べられており、部屋の中央にあるダブルベッドには可愛らしいぬいぐるみが置かれている。
「これが……僕の部屋?」
もう何が何だか意味が分からない。
そろそろ脳が許容限界を超えてきたので視線だけで問うてみた。
対するアリス様は未だ熟れた林檎のように顔を赤く染め上げながら、目尻に涙さえ溜めてこう言い放ったのだ。
「きょ、今日からお前――リオン=クローゼには、アタシの『目付騎士』になってもらうわ」
――――え?
「そう! 今日からお前は! アタシと一緒に! この部屋で暮らすのよ! 二人で!」
それって……、
「だから、その……えっと、よ、喜び――っふひゃ!?」
アリス様が何か言っていたけれど、僕はそれらを全て遮って彼女の両手を自分の両手で握っていた。
「ってことは僕、御前演舞に出られるんですか⁉ 騎士に頂点へ……あらゆる騎士達が憧れる夢の舞台に、僕は立てるんですか⁉」
御前演舞。ここリアルタ王国で行われる騎士達の祭典だ。王国が主催していて、王族を含めたこの国の八百近くの貴族様達の『目付騎士』が互いの『超能力』と『技術』を出し切り、騎士の頂点を目指す、ここリアルタ王国の子供達全てが憧れる夢の舞台。
ただやはり、貴族様に選ばなければならないということもあり、『目付騎士』として御前演舞に出られる騎士はほんの一握り。数万を超える騎士達の中から選ばれる八百人に己をねじ込むには、その実力を王国中に轟かせる必要がある。――そうそれこそ、レオル君のように。
そんな騎士の高みに、僕は手を伸ばせるかもしれない。
最弱の僕が成り上がるチャンスがある。
そう考えるだけで嬉しかった。嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
突然僕に手を握られたアリス様は、羞恥から顔を真っ赤に染め上げていたが、完全に僕の意識の外に追いやられていた。
ひとしきり感謝の言葉を伝えると、アリス様はトマトよりも赤い顔で僕をキッと睨んだ。ちょっとやり過ぎてしまったらしい。
「は、離せ! ……まったく。アタシと一緒に暮らせるっていう所はスルーして、いきなり戦いのことを口に出すなんて……本当にバカなのね、お前」
「うっ。ごめんなさい」
バツ悪く謝る僕。
しかしすぐに、僕はアリス様の言葉におかしな単語が混じっていたことに気付く。
「あの、アリス様……今一緒に暮らせるって言いませんでした……?」
「っ」
「いや、黙ってないで答えてほし――」
「う、うるさいうるさい! さっきは無視したくせに時間差で反応してくるな!」
「いや、ちょ、待って下さいよ! へそ曲げてないで答えて下さいよ! だいぶ重要なことじゃないですか!?」
「嫌よ! 別に重要なことじゃないし! お前は御前演舞に出れて嬉しいだけだろうからね! アタシみたいなブスと一緒にこの部屋で暮らせるって分かっても別に嬉しくも何ともないんでしょ!」
「一緒の部屋!? それヤバくないですかッ? なんでそんなことに? っていうかブスッ? 僕そんなこと一言も言ってませんけど!!」
むしろ天使! 超可愛い!
大声で捲し立てる僕に、アリス様は不機嫌な目を向けながら、
「ちょっとは予習しときなさいよ。目付騎士の本来の役目は御前演舞に出ることじゃないわ。アタシ達貴族の身の回りのお世話をすることよ」
「え、つまり執事ってことですか?」
「そんな良いもんじゃないわよ。一言で表すと、そうね…………奴隷かしら」
「奴隷⁉」
「奴隷よ。奴隷」
「もっと言い方あるでしょう! こう,お付きの人、とか!」
「うるさい。奴隷は奴隷なのよ」
閑話休題。
一度落ち着いてから、アリス様は目付騎士について詳しく説明を始めた。
「目付騎士っていうのは、ようは最も身近にいる護衛だと思ってくれていいわ。この国は国王が優秀だったから国民の生活は安定しているし、貧富の差も少ない。だけどそれに対して、アタシ達貴族の間では頻繁に暗殺が行われたりしている」
「本当怖いですよね、貴族の暗殺……」
僕の言葉に、まあほとんどが未遂で終わるんだけど、と彼女は付け足した。
「で、そうした暗殺から姫であるアタシを守るのが目付騎士であるお前って訳。理解した?」
「は、はい……」
話を聞けば、責任重大な役職だった。とはいえ、頼まれた手前断る理由も無い。
「ま、気負う必要なんかないわ。アタシみたいな下っ端の王族には大した権限も無いから暗殺してくる奴なんて、脳に病気を持ってる奴だけよ」
「言い過ぎじゃないですかね」
「事実よ。まあつまり、当分は御前演舞のことだけを考えてれば良いわ。小難しいこととかはアタシの護衛隊やメイド達がやってくれるから」
アリス様はずっと立っていて疲れてしまったのか、部屋の真ん中におかれたダブルベッドに腰を下ろした。隣を促してきたので、僕もその厚意に甘えることにする。
「だから、」
隣に座った僕に、アリス様がとても優しい微笑みを向けながら言った。小さく首を傾けた拍子に、雪のように白い髪が肩から流れ落ちた。
「お前はただやりたいようにやればいいわ。あたしにはよく分からないけど、頂点を目指してるんでしょ? だったら、それで本気に取り組みなさい」
それは、まるで。
母親のような、姉のような。
とても優しく、可愛い笑顔だった。
ずっと不機嫌そうな顔を浮かべていて、たまに笑ったかと思えば意地悪そうな笑みを浮かべていた彼女が初めて見せた柔らかい表情。
あんな小さな体なのに、僕なんかよりも何倍も大きく見えてしまった。
僕はその表情に、惹かれた。
ずっと、失礼なほどずっと、彼女の顔を眺めてしまっていた。
すると彼女も、僕の視線に居心地が悪くなってしまったのか、身を捩って抗議した。
「な、なにいやらしい目で見てるのよ! まさか頭の中でアタシの裸とか想像したんじゃないでしょうねッ!」
「しないですよ人聞きの悪いッ!」
僕のツッコミを無視して彼女はむんと立ち上がり、僕を真正面から見据えた。
「で、お前はアタシの目付騎士を引き受けてくれるのよね。いいえ、受けなさい。アタシは、お前以外の騎士を雇うつもりはないから」
とても嬉しいことを言ってくれる。
彼女はこちらを鋭い目つきで睨んできた。だけど分かる。彼女はこれが素なのだ。
答えなんて決まり切っていた。
僕は一も二もなく返答した。
「はい。お願いします」
「よろしい、それではお前の名前は今日から奴隷一号よ!」
「え、奴隷ネタまだ引っ張るんですか!?」
「あはは! 冗談よっ」
ころころと子供のように笑う彼女は、とても楽しそうだ。
彼女は居住まいを正し、そしてさらに厳かにこう切り出した。
「それじゃあ、儀式を始めましょう」
「儀式?」
「え、ええ。姫と騎士の契約の儀式よ」
声に若干の緊張が混ざっているのが分かる。さっきまでの楽しげな表情が一転、しきりに呼吸を整えていた。
儀式……何をやるんだろう。
いいや、まあ何となくは分かっている。騎士と姫が結ぶ契約、その儀式。創作の世界でしか知らないけど、きっとアレだ……。
ゴクリと、僕は生唾を飲んでいた。
「じゃ、じゃあ……目を、閉じて……」
「え、あ、はい……」
やっぱり。
これは間違いない。キスだ。
そうだ。姫と騎士が契約の証として行う行為など、キス以外にあるものか。
僕はアリス様の言う通り、静かに目を閉じた。唇を前に差し出すような童貞丸出しの行為は絶対にしない。犬のようにキスをせがむような行為は、男として末代までの恥となる。
僕は目を閉じて、静かにその時を待つ。
そして、
キン、という刀を鞘から抜くような鋭い音が僕の耳朶を打った。
「…………………………あ、れ…………」
僕は不吉な予感がして薄く目を開けてみる。
目の前には、短剣を胸の前で構え、ゆっくりと深呼吸をするアリス様の姿が。
「じゃ、行くわよ」
え、行く? 逝く、の間違いじゃなくて?
そんなバカなことを考えている間に、アリス様は短剣を胸の前で構え、切っ先を僕に向けたまま突進してきた。
「え、ちょっ! アリス様ストップ! 死ぬって、それ死ぬって!」
「我慢して! アタシを信じて!」
だけど、僕はその一言で体を硬直させてしまった。
彼女は今、「信じて」と言った。
ならば、騎士である僕は、姫である彼女の言葉を、行為を、信じないわけにはいかない。
僕は逃げようとしていた己の体を必死にその場につなぎ止め――彼女の短剣を己が胸で受けた。
ずぶり、と胸の中に異物感。だけど不思議と痛みはなかった。
代わりに、別種の熱い何かが僕の体へ、心臓へ――魂へ、注ぎ込まれていく。
すぐに分かった。それは彼女の超能力だ。
僕たち人類全てに備わった、人外の力。
それが、きっと僕の全身へと生き渡っているのだ。
どくん、どくんと心臓が脈動する。
アリス様の中にあった力が僕の中へ流れ込んでくる。
同時、脳と言わず心臓と言わず、身体のあらゆる個所が激痛を発した。
そもそも超能力とは一人につき一つというのが原則だ。しかし、目付騎士の場合、彼らぜ因果必ず二つの能力を有している。これは彼らが主から能力を授けられるためであるのだが、これには当然リスクが存在する。
そのリスクが、これ。
超能力とは人外の力であり、それをただの人間が二つも有するとなると、身体への負担は単純に二倍……とはいかず、そのさら何倍にも膨れ上がってしまう。並大抵の人間ならば体が破裂して終わりであろう。が、僕の場合だと体を必要以上に鍛えていたため、体中が激痛を発する程度に収まっているのだ。
やがて、彼女は短剣を僕の胸から引き抜いた。血は流れない。痛みもない。僕の身体からも激痛が引いていき、後に残るのは熱い脈動だけだ。その血の熱が、僕に新たな能力が備わったことを教えてくれた。
「はあ、緊張したぁ……」
「あの、アリス様、これは……」
「そうね、いきなりで悪かったわ。さすがに突然刺されたら困るわよね。ちゃんと説明してあげるから待って」
彼女は短剣をその辺のゴミ箱へぞんざいに投げ入れた。
「お前も、目付騎士が能力を二つ持っていることは知ってるわよね」
「ええ、まあ」
「今のナイフはそのための触媒で、生まれてから十五年間、一年ごとに自分の血を一滴ずつ吸わせることでアタシの能力をこの刃の部分に封じ込めたものよ」
「な、なるほど……」
よく分からなかったけれどとりあえず「なるほど」と言っておいた。どうやらそれで僕が納得したと勘違いしてくれたらしく話を先に進めてくれた。
「で、アタシがお前に上げた能力は『光屈折』……光を屈折させるだけの能力よ」
僕から目を逸らす。どうやらそれだけらしい。光にしか作用しないため、敵の攻撃を捩じ曲げたり物を捻り切ったりするような攻撃力はないのだろう。つまり攻撃力はほぼないと思った方がいいだろう。
「あ、そうだ、お前の能力も聞かせてもらっていいかしら」
アリス様が聞いてくる。僕は若干気まずげに顔を背けて、
「士官学校では『人心断聞』と呼ばれてました……」
「へえ、カッコイイじゃない。どんな能力なの?」
興味津々に聞いてくるアリス様だけど、実はこの能力、僕はあまり好きじゃないから説明したくないのだ。なぜなら地味で、弱いから。
だけどアリス様のお願いなので、仕方なく説明することにした。
「相手の殺意や害意を読み取り、攻撃の規模と方向を断片的に読み取る能力です」
「それで? 他には何が出来るの?」
「…………」
「……ねえ、なんで黙ってんの」
「……ごめんなさい、それだけなんです」
「…………」
沈黙が耳に痛い。
はあ、と一つ嘆息。アリス様はなにか得心いった様子で僕を見ていた。
「なるほど。だから何も能力を使っていないように見えたわけね」
「あれ、アリス様僕の試合見たことあるんですか?」
すると一転、彼女は顔を赤くして僕から逸らしてしまった。
「う、うるさいわね! たまたまよ、たまたま!」
それでも見たことがあったのか。
しかし、そうだとすれば僕が先ほどから感じている『ある疑問』がますます強くなっていく。
僕は耐えきれなくなってしまい、彼女に尋ねてしまった。
「ねえアリス様。だったら、どうして僕を目付騎士にしようと思ったんですか? 僕より強い能力を持つ騎士なんて他にいっぱいいたでしょう」
その質問に、アリス様は若干眉を吊り上げて不機嫌そうな色を浮かべた。
「べ、別にそんなのどうでもいいじゃない! 気にすんな!」
顔を赤くしてぷいとそっぽを向いてしまった彼女は、しかしちらちらと僕を横目に見ながらずいと手を差し伸べてきた。
「一緒に来なさい。アタシと一緒に。最底辺から、頂点まで。もし道に迷うことがあるなら、アタシがその手を引いてあげるわ」
僕はその手を、掴んだ。僕を高みへと導いてくれるであろう、その手を。
「はい、お願いします!」
☆ ☆ ☆
詳しい仕事の話などは明日になるとのことで、その日、僕は我が家に帰って荷物をまとめた。
必要な物を鞄に詰める。
一通り準備を終えると、僕は外へ出た。
夜空には満点の星。春前の冷たい夜風を浴びながら、僕は明日からの生活に思いを馳せる。
「……能力、試してみよ」
ふと、アリス様に貰った能力が気になった。
光を屈折させるだけと言ったが、どんなものなのだろうか。
僕は体中から魔力をかき集めて能力を行使してみた。すると、近くでゆらゆらと景色が揺れた。
けど、それだけ。
目くらまし程度にしか使えない能力だ。直接的な攻撃力は皆無。辛うじて回避に使える程度だろうか。
ただ、僕はこの能力に密かに可能性を感じていた。この能力は、おそらく
僕は能力の行使をやめ、ゆっくりと息を吐いた。
今日のトレーニングは控えることにした。




