第五章 リオン=クローゼ 2.名乗り
叫ぶと同時、僕とレオルは真正面から突っ込んだ。
互いが互いを認めない。
ゆえに言葉は必要ない。どちらかが果てるまで殺しあうだけだ。
互いが敵を間合いに収める。瞬間、僕は『歪空間』を発動、レオル君の目を惑わす。
「またそれかッ! 性懲りもなく!」
怒声が一つ上がり、『瞬間加速』により超速斬撃が僕の突進を阻んだ。――が、それはすでに予想済み。
僕は一歩退いて斬撃の全てをやり過ごすと、がら空きになった彼の胴へ突きを放った。
軽く、力のこもっていない、速度のみを重視した突き。レオルはこれを、体を開くだけで回避するが――それすら僕の術中だ。
彼はそのまま僕から見て右へ動き、勢いを利用して双剣を同時に振り下ろそうと構えた。『瞬間加速』によって人の知覚できない速度で放たれる斬撃が来る――その前に僕は動いた。
避けられ、虚空を貫く剣に今度こそ重さを込める。右へ思い切り振り、反撃の構えを取っていたレオルの肝を抜いた。
「――――っ」
迫る直剣に、レオル=エーデルフォルトは仕方なしに攻撃を中断して己の双剣を当てにいく。
金属同士がぶつかり合う音が鳴り響く。軽く火花が散り――
「――はぁっ!」
「――ふっ」
両者一歩と引かぬ剣戟が始まった。
僕は『虚刃』を発動し直剣を隠す。対してレオルは、その圧倒的なまでの速度でもって剣筋を隠した。
迫りくる左右両方向からの殺気と剣気。鋏のように一直線に断ち切るような軌道ではない。右の剣は僕の首を、左の剣は太ももの付け根を狙っている。
対する僕の行動は単純。身を屈めて首を狙う斬撃をやり過ごすと、下の剣に向かって、己の直剣を力任せにぶつけた。ひときわ大きな音が鳴る。
レオルの態勢は当然崩れ――しかし彼の口は歪な三日月の形に歪められていた。
「ふん。――甘いな」
呟かれた言葉の意味を量りかねて――ようやく思い至った。
視界の端、僕の首めがけて振り抜かれ、避けられたことによって無残に空を切った右の剣――それがくるりと翻されていた。
そして、凄まじい速度でもって再度首を断つ軌道で振り抜かれる。
だが。
「『歪空間』ッ」
「小癪だぞ」
突っ込もうと一歩踏み出した僕の顔面に、レオルのつま先が突き刺さった。
「ご、ぁ……っ!」
よろめく僕へ凶刃が迫る。
膨れ上がる殺気。この一手で終わらせるつもりなのだろうが――それはさすがに舐めすぎだ。
僕は剣を地面に突き立て、それを持つ手に力を込めて体を跳ね上げた。
「――なッ」
レオルが目を見開くがもう遅い。今度は僕のつま先がレオルの顎を捉えた。血と歯が飛び、顔が上を向く。
好機。
僕は振り上げた足を、先ほど蹴り抜いた軌道を逆からなぞる様にして、踵から振り下ろした。
頭蓋を叩く鈍い音が炸裂し――、
次の瞬間、僕の脇腹から鮮血が舞った。
「ぁ、が――ッ」
「調子に」
背後から声。
「乗るな」
次いで三閃。僕の背が刻まれる。
その圧倒的なまでの加速力によって、僕の背後に回り込んだのだろうか。いいや、考えている暇はない。
態勢を立て直して――、
「遅いな」
気の抜けたような声があって、さらに三度の斬撃を背に受ける。
ま、ずい……っ!
すぐにでも体制を立て直す必要がある。
僕は瞬時に『光屈折』を発動。『無明御身』と『虚刃』でもってこの身体を外界から完璧に隠す。
「――――っ」
顔を見ずとも動揺を察した。
僕は一歩引いて態勢を整えるやいなや、これ好機と迷うことなく彼の間合いへ踏み込んだ。
レオルは間合いに踏み込まれたことに気付いてはいるのだろう。先ほどと同じように双剣を僕の首と太ももの付け根目掛けて振るっていた。
――が。
誰が正面から突っ込むと言った?
レオルが振るった双剣は、ものの見事に何もない空間を切り裂いた。悲哀すら感じさせるようなヒュンという空を切る音が空しく響く。
僕はすでに彼の右側を走り抜けていた。すれ違いざまに不可視の剣でもって彼の脇腹を斬り裂く。
「ぐぶ、ぅ……っ!」
血が地面を濡らし、レオルの動きがさらに鈍った。
しかし。
キラリと日を照り返す刃が、すでに僕の居場所が捉えられていることを物語る。
振り向きざまに放たれた一閃を、身を屈めることでやり過ごす。髪の毛が数本巻き込まれ、散った。
反撃に出よう――そう考えた瞬間に膨れ上がった濃密な殺気が、しかし未だ僕が劣勢であることを告げてきた。
繰り出されるは、身を屈めた僕目掛けて放たれる斜めの振り下ろし。
「クッ、ソ――っ」
が、いつまでも劣勢ではいられない。僕はまるで飛びつくようにして剣を突き出した。密着することによって、少しでも受けるダメージを減らす狙いだ。
だが、そんな僕の浅はかな考えなどお見通しだったのか。
レオル=エーデルフォルトはまるで僕が見えているかのように「ふっ」と笑うと、一歩だけ後ろに下がり、
次の瞬間、僕の胸に真一文字に切創が走り、少なくない量の鮮血が噴き出した。
☆ ☆ ☆
これまで受けたどの傷よりも深い裂傷を負い堪らずたたらを踏んだ僕に、レオルの斬撃がさらに重ねられた。
「が、ぁ、ぎ、ああッ!」
胸、腹、腕から血を流し、自分の居場所がバレることも構わず絶叫する。当然そこへ斬撃が重ねられた。
戦況は一変。
僕は圧倒的振りへと立たされてしまった。
荒い息を吐き、次の攻撃に備える。
だが……
「やはり下らないな」
そんな失望の色がありありと伝わってくる声が投げかけられた。
「何をしてくるかと思えば、先日と変わらぬ目くらましばかり。俺の隙を突こうとしているのか、あるいは攻撃を受けたくないだけなのか知らないが……どうしてそう逃げてばかりなのだ」
失望……その単語に、僕は疑問を覚えた。
「ねえ、君は僕になにか期待でもしていたのかい?」
別に彼と話すことなど何もないが、体力を回復させる時間が稼ぐため、僕は質問を返すことにした。
「君が僕を見下しているのは知っているし、そこに関して何かを言うつもりはない。だからこそ聞きたいんだけど、君は僕に何を期待していたの?」
挑発ともとれるその質問に、しかしレオルは誠実に応えた。
「先ほど立ち会った際に見たお前の目、そこに、確かに以前とは違う何かを感じたのだと思ったのだがな……やはりそれも勘違いか」
なるほど。
彼はどうやら、人を見る目は本当にあるようだった。
レオル=エーデルフォルトはどこか納得いったかのように呟くと。
「これ以上お前と剣を交えた所で得られるものなど何もない。文字通り、一瞬で終わらす」
黄金の電光が僕の網膜を焼いた。
☆ ☆ ☆
目付騎士は二つの能力を有する。
僕の場合なら『人心断聞』と『光屈折』。
そしてレオルの能力は『瞬間加速』と『雷』。そしてその二つを合わせた超速絶技――――、
「『鳴神』」
金色の雷が周囲へ火花を散らし、
次の瞬間には双剣を携えたレオル=エーデルフォルトが目前に迫っていた。
一瞬時が止まったかのようだったが――すぐに気付く。止まっていたのは、僕の頭の中だけだ。
『雷光の騎士』はそれらを翼のように広げ、左右から僕の袈裟を懸けた。。
反応? そんなもの出来るわけがななかった。
気付けば胸にクロスの切創が走り、僕は堪らずたたらを踏む。
そこへ畳みかけるように、さらに二閃の刃が振り下ろされた。殺気を感じ取り、体を後方へ倒すことでなんとか致命傷だけは避けたものの、うち一本が肋骨の辺りの皮膚をかすめた。
血が吹き出す。地にまだらが落ちる。
「が、ふ……っ!」
「まだ折れるなよ――『己道・五芒星』」
追い打ちをかけるように放たれる五連撃。その全てをこの身に受け、とうとう僕は地に膝を付いた。
「そうか、もう倒れるか。ならば死ね」
冷たくなんの感情もこもっていない声。あるのはたった一つ、殺意のみ。あらゆる負の感情のメーターを振り切った先にある純粋な意思。殺すという単純な作業に対する思い。
「ふざ、けるな……ッ」
しかし、僕はここで負けられない。
まるで打ち首を待つ罪人のようにうな垂れていた僕は、離れようとする意識を必死に手繰り寄せると、一転――前方へこの身を躍らせてレオルとの間合いを詰めた。
「ちっ――、小癪な」
小癪で結構。距離を詰め振り下ろされる一閃を防ぐと、僕は彼に密着して刃を押し当てた。ずる……っ、と肉に刃が沈んでいく。
これに危険を感じたのか、レオルは纏う雷の勢いを強めた。ひときわ大きく光が瞬く。
僕が閃光に目を焼かれている間に、レオルはすでに僕の背後に回っていた。
「――――ッ」
声を上げる暇さえない。背に五芒星を刻まれ前のめりに倒れそうになるが、さらに追い打ちをかけるように正面からの斬撃。大量の血液をまき散らし、その場で動けずに突っ立つ僕へ五つの斬撃を重ねた。
前後左右から不規則に僕を斬り刻む斬撃に対応できず、僕はまるで出来の悪い操り人形のようにふらふらと踊りまわった。
……このままでは本当に負ける。
すでに僕は二敗している。それはつまり、今日負ければこの御前演武は終わりだということだ。
国王選定戦を兼ねているのは今年の御前演武だけ。それでなくとも、アリス様はもうあと一年も生きられない。
僕は負けるわけにはいかない。
なにがなんでも勝たなくてはいけない。
なのに、なのに……ッ!
直前に膨れ上がる殺気を感じ取ることによって、死に至るような傷や四肢が飛ばされてしまうような攻撃は紙一重のところで避けている。だが決して傷が浅いわけではない。
このまま攻撃を受け続ければいつか失血で倒れてしまうだろう。その前に何か策を考えなくては。
「くそ、が……ッ!」
閃光が瞬いた場所へ苦し紛れに剣を振るうが、何も捉えることはできない。剣を振るった方向とは全くの真逆から斬撃が放たれる。
「あ、がああああああああああああッ!」
全身の毛穴に針を通されたかのような激痛があった。もはや痛みすら超えた熱が僕の全身を刻む。
思い切り後方へ飛ぶ――が、そこにはすでにレオル=エーデルフォルトが待ち構えていた。
ずぶり、と。
肉を抉られる嫌な感触があった。
目線を下げ、腹を見れば、そこから、雷を纏う鈍色の刃――その二本が生え出ていた。
☆ ☆ ☆
「止めだ」
レオル=エーデルフォルトの、低く冷たい声が僕の耳朶を打ち、
「『落雷・内部崩壊』」
僕の体内を雷撃が駆け巡った。
☆ ☆ ☆
「――――ッ。…………ぁっ! ……――――がっ、えぅッ!」
声にならない絶叫が上がった。
まるで電極のように腹から生え出た双剣を始まりとして、雷が血管を駆け巡って、内臓を一つずつ撫でつけながら、光の如き速度で体内を順繰りに破壊していく。
僕は手足を痙攣させ、口から大量の血液を吐き出した。
これは、死ぬ――そう直感で悟った僕は、とっさに握っていた直剣を背後へ振り回した。レオルは双剣を抜いて後方へ下がることによってこれを回避。
拘束と電気ショックから逃れた僕は、えずきながら地に膝を落とすと、さらに大量の血を吐き出した。
全身が痺れてまともに呼吸もできない。
どさり、と。僕の身体が冷たい地面に突っ伏した。
血だまりの中に沈む。
負けるの、か……?
このまま何もできずに。
ただ翻弄されて。
無様に地に落ちるのか……?
負けられないんじゃなかったのか?
何か理由があって、負けられないんじゃ……。
あ、れ……?
どうして僕は、負けらないんだかったか。
戦う理由を、思い出せない。
どうして、こんなに傷ついてまで戦っているのか。
低い声で「立て」と聞こえた。
レオルが言ったのだろう。
立てと言われた。
立つさ。僕は、戦わなくちゃいけないんだから。
けれど僕は、どうして戦わなくちゃいけないのだろう……?
思い出せない。
地面に剣を突き立てながら、それでも僕は立ち上がった。
戦う理由もわからないまま。
なにもこもっていない空っぽの剣を構える。
「無駄な足掻きだ――――『界道・五芒星』」
小さな呟きと同時、僕を中心とした半径五メートルの円周上に、等間隔で五つの電光が柱となって立ち昇った。轟音が僕の耳をつんざく。
血が不足し回らない頭で次に起こるであろう現象を必死に考える。
敵を視界から外すような愚策はしない。
全神経を、自ら生み出した雷柱の中にあるレオルに集中させながら、それでいてのろまな脳を必死に動かす。
答えが分かったのは、おそらく僕の『人心断聞』があったがゆえだろう。
膨れがる殺気は秒にも満たぬ間に飽和を迎え、
黄金の雷柱を源として五方向から僕を刺し貫いた。
「―――――っッっッッッ」
本能が発した原初的な恐怖に従い、僕は何も考えずに真横へ思い切り跳んだ。体面も技術も恥も外聞も何もない。右か左か方向すら考えず。迫りくる濃密な死の気配から一歩でも遠ざかるためだけに。
結果。
地面が僅かに脈動しレオルの姿が比喩なしで消えたと同時、つい先ほどまで僕が立っていた場所で斬撃を伴った雷が炸裂した。雷は瞬きにも満たない短い時間の内によってとぐろを巻き始め、小さな竜巻と化す。その様子を、僕は空中でぼんやりとした頭で眺めていた。まるでスロー再生の映像を見せられているかのようで、竜巻が形成される様子の一つ一つが僕の網膜に焼き付いていく。
やがて、雷を纏った竜巻は僕の目前で最高潮へと達し――、次の瞬間には視認不可能な速度で巻き上がった。
竜巻が形成されていた時間はおそらくコンマ五秒にも満たないであろう。けれど、それで十分だ。空中へ身を投げていた僕はそのあおりを十二分に受け、錐揉み状に吹き飛ばされた。
「――――っが……ッ!」
叫び声をあげることすら敵わない。
凄まじい速度でもって宙を滑空する僕は一度地に叩き付けられると、がむしゃらに剣を地面に突き立て減速を試みた。勢いを殺しつつ、しかしそれでもなお止まることなく滑空し、僕はコロシアムの外壁へ激突した。
勢いを殺し激突による運動量を減らしたことで内臓にダメージはない。が、あばらが何本かやられてしまったのか、呼吸をするたびに胸に激痛が走った。
「……ぁ、……っ」
視界が明滅する。
けれどそれは身に受けたダメージだけが原因ではない。
目の前には、雷を纏い煌めく双剣を振り上げたレオルの姿があった。
剣が、振り下ろされた。
――ああ、死ぬのか、僕は。
絶望を通り越して、笑いが込み上げてきた。
電光が僕の目を焼く。
終わりだ。死んだ。負けた。
そう、全てを諦めかけたその直前、
頭の隅っこに、真っ白な少女が佇んでいた。
顔も見えない、声も聞こえない、
そんな、誰かもわからない女の子は、僕に笑いかけてくれていて――――
「信じてるからッッッ!」
聞こえたのは、聞き慣れた、愛する少女の声。
「アタシは、リオンを信じてるぞォぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
その瞬間。
屈していた膝を。
失っていた自我を。
折れていた心を。
その全てを――――ッッ!
「任せろォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
獣のような咆哮を上げて。
この身に宿る魔力を解き放って。
僕の身体を縛っていた全ての枷を引き千切って、
ただ、前へ――ッッ!
「『錯明御身』ォオオオオオオオオオオオオッッッ!」
僕の身体から解き放たれた魔力が光子となって爆発的に広がった。
アリスに貰った能力の、その最終奥義。
剣を携え、直進する。
黄金の雷が僕の全てを包もうと迫る。
五芒星を描いて、僕を襲う。
それでも僕は、ただ前へ。
この身が八つ裂きにされようとも構わないと、不退転の決意でもって。
目の前の黄金の雷を纏った敵を叩き斬る――ッ!
刃が僕の身体を細切れにする。十や二十の肉片に変える。
なのに――、
「なん、だ……っ」
レオルの目は驚愕に見開かれていた。
「なぜ、手応えがない……ッッ?」
その間に僕は――、
『無明御身』でもって姿を消していた僕は、彼の背後から直剣を振り下ろす。
アリスと僕の想いのこもった、渾身の一撃を――ッ!
右肩から左の脇腹にかけて袈裟を懸けた。
「な――ッ?」
困惑の声が上がる。
当然だ。彼が斬ったはずの男が、背後から攻撃してきたのだから。いいや、そもそも目の前にいたはずの敵がどうして背後にいるのかという疑問もあるはずだ。
振り向きざまに放たれた双剣の一本が僕を襲う。彼の視界には笑う僕の姿があるはずだ。刃は僕の首を寸分違わず断ち斬った。
だが、そこに手ごたえはない。
飛んでしかるべき僕の首は、しかしまるで首なし妖怪のように、両肩の真ん中でゆらゆらと揺らめくだけ。
その、揺らめき、確固な輪郭を持たぬリオン=クローゼの姿をした像がレオル=エーデルフォルトへ一直線に突っ込んだ。
「おのれッ!」
大量の斬撃を放つが、それは水面に写る月を切ろうとする行為と同じ。実体のない敵を殺せるはずもなく、正面から突っ込む僕の姿をした『何か』を斬り刻んだ彼の脇腹から鮮血が噴き出した。
噴水のように血が飛び散る。レオルは局部に刃を当て、高圧電流を流し火傷によって止血した。
「おのれェッ!」
怒声と共に放たれたのは、前後左右上下関係なく全てを破壊するかのような落雷。
僕はとっさに後方へ下がってそれを回避。
この短い戦闘の間で、僕たちはすでに決闘場中央まで戻って来ていた。……僕がここへ誘い込んだ。
ゆらゆらと揺らめく僕の姿を視界に収めたレオルが、荒い息を吐き、警戒とほんの少しの畏怖の視線を向けてきた。
「……お前、いまのは、なんだ……」
「言うと……思う……っ?」
互いに息も絶え絶えに言葉を交わしあう。
「いや、言わないな……。まあ、だいたいの見当は付いている。……ぐっ、……っ! 光の屈折で、自身の分身を作ったということか。……まったく、とんだ無茶する男だ」
「当然だ。僕には、負けられない理由があるからね」
すると彼は、僅かに、注意しなければ気付かないほど小さく表情を変えた。それはどこか、僕の言葉に瞠目したような変化で……。
「ふん。己の姿を隠しつつ、分身を己の意のままに扱うその技量……なるほど、驚異だ」
その言葉が、なぜか僕の心に多大な高揚感を生んだ。
同時、僕の口からまともでない量の血液が溢れる。
「…………舐めてくれていいよ。……っ、今までみたいに……、っ!」
「ふっ、まさか」
馬鹿げた話だ、とでも言いたげな表情で肩をすくめると、
「……ひとつ、聞くぞ」
こう問うた。
「お前は、なぜ戦う。そうまでして、身体を酷使してまで、どうして勝とうと足掻く? 俺とお前の力の差は一目瞭然であろう。お前が俺に勝てる道理など、一つしてないだろう。にもかかわらず、なぜだ。前回あれだけ格の差を見せつけたというのに」
「くだらないことを聞くなよ」
それに対する僕の答えなど決まっている。
「退けない理由があるからだよ。守りたい人がいるから。――自分よりも大切な人がいるからだ」
それだけで、たったそれだけの事で、彼の中で何かが切り替わったのだろうか。
「はははははは! そうか! なるほどな!」
彼は嬉しそうに笑うと、
敬意と戦意の同居した好戦的な目でこう告げた。
「俺の名はレオル=エーデルフォルト! エルザ・フォン・ルーセントの目付騎士にして『雷光の騎士』の異名を持つ男。この国の頂点に立つ男の名だッ! 覚えておけ」
それは――、
その名前は――――。
『貴様のような愚鈍な男が易々と呼んで良いほど、俺の名は軽くない』
『俺は、俺が認めた騎士と戦士にしか己の名を教えぬ。俺の名を呼んで良いのはその者だけ。誇りも持たぬ下らぬ弱者に語るべき名など持ち合わせてはおらん。貴様如きが俺の名を穢すな』
「何をしている。こちらは名乗ったのだ。騎士たる者の礼儀としてお前も名乗れ、名も知らぬ強者よ」
なぜだろう。
この騎士のことが大嫌いなはずなのに。
殺したほど憎いはずなのに。
口元が緩んでしまう。
だから僕は、己に出来る最大限の礼でもって、彼に返した。
「僕の名はリオン=クローゼ。アリス=エーゼルクの目付騎士にして、最底辺からこの国の頂を奪い去る、最弱にして無敗を誓う挑戦者だ」
あくまで冷静に。そう努めたつもりだったけれど、この胸の内で渦巻く強烈な熱を抑えられたとは思えない。
僕の言葉を受けたレオル=エーデルフォルトは獰猛な――それでいて少年のような笑みをその顔に張り付けた。
「行くぞ、リオン=クローゼ」
「ああ、こっちこそ、レオル=エーデルフォルト」
目の前の騎士に、己の全てを、魂の在り方を、見せつけよう。
本当に意味で、始めよう。
僕と彼の、『決闘』を。
誇り高い、騎士の戦いが始まった。
そこにはもう、邪念は存在しない。
▽ ▽ ▽
リオンとレオルのやり取りを観客席から見ていたアリス=エーゼルクは、楽しそうに口もとを緩めるリオンへ優しげな視線を向けながら、こう言った。
「ほんと、バカなんだから」




