第五章 リオン=クローゼ 1.それぞれの理由
アリス=エーゼルクを救う唯一の方法、それは国王直属暗殺部隊である『影核』の総隊長である『永病の魔術師』にアリスを治すように命令すること。
国王となれば、いくら魔術師と言えども言うことを聞くはずだ。
というのも、かつて大戦争を行い世界を冗談抜きで沈めかけた彼ら魔術師は、その強力な力を二度と暴走させないために今後表世界に出ないことを世界に宣言しており、闇にその身を隠すようにしたのだ。
彼らは、自分よりも上の地位にいるものに対して忠誠を誓う。
ゆえにこそ、王座に就くことができれば。御前演武で優勝し、彼女を国王としてしまえば、魔術師に命令してアリスを助けてもらうことができる。
承諾すればそれで良し、断られたとしても力づくで聞かせればいいだけのことだ。
他人任せだと笑われようが構わない。
そこに彼女を救う方法があるのならば、僕はいくらだって笑われてやる。どんな手でも使うし、いくらでも頭を下げよう。
「リオン、どうして急にもう一度戦うなんて言ったの?」
アリスにこの事は伝えていない。
きっとこの子は、自分のために戦って欲しくなんてないだろうから。僕が僕のために戦うことを望んでいる。
だから僕は、
「せっかくなんだ。アリスがくれたチャンスを、君の想いを、僕は無駄にはしたくない。君ともっと一緒にいるために。アリスと僕で、頂点の景色を眺めたいんだ」
嘘ではない。
それ以上の思いがあるというだけ。
「そっか……ありがと」
ぷいとそっぽを向いてしまうアリス。
あの日からアリスの容態は回復し、三日たった今ではすでに一人で歩けるほどとなっていた。
血を吐くというのは久しぶりだったらしいが、寝込むことは割と頻繁にあったらしく今は大丈夫だそうだ。
いま僕らがいるのは、いつもの部屋。二人でダブルベッドに腰かけながら、たわいもない話をしていたところだ。
左手で握るアリスの手はとても小さくて、ひんやりと冷たい。
「やっぱり、そこまで僕のことを想ってくれたアリスの想いを無駄にはしたくないから」
「うん……」
アリスは相変わらず僕の方を見ようともしない。耳が真っ赤になっているので、おそらく照れてしまっているのだろう。
彼女の手を握る力を少しだけ強める。離さないように。どこにも行かないように。
するとアリスは、こちらを見ぬまま僕との距離をさらに詰めると、体を密着させてポンと僕の肩に頭を置いた。
「応援ぐらいは、してあげるわ……」
どうやら意地っ張りなアリスに戻ったらしく、素直に応援するとは言ってくれないらしい。が、そんな風に甘えまがら言われてしまえば『超応援する‼』と言われている気しかしないので、もっと甘えてほしい。
「アリス」
「なに」
「好きだよ」
「うっさい」
感情が抑えられなくなってつい口をついて出てしまった言葉に、しかしアリスは嫌な顔一つせず、むしろ喜びで緩み切った顔でこう言った。
「アタシの方が好きだし」
優しい時間が流れる。
僕とアリスの、優しい時間が。
この幸せを守るためにも、僕は戦わなくちゃいけない。勝たなくちゃいけない。
僕の右手には、一枚の便箋が握られている。
ここに、対戦相手の名前が書かれている。
どういう因果なのか。
対戦相手の欄には僕の宿敵の名が書かれていた。
レオル=エーデルフォルト。
僕が戦った騎士の中で最強の男。
ああ、なのに。
もう、まったくもって負ける気がしない。
試合まであと二日。
準備は整っている。
攻略法は見つけた。
勝つ算段はある。
だがそれ以上に、
根拠のない自信が胸の内から次から次へと湧き上がってくる。
何度だって言ってやる。
負ける気がしない。
☆ ☆ ☆
試合前日。
「良い目だな。答えは見つかったか」
いつものようにリュージさんと剣を交えていると、戦闘中であるにもかかわらず、彼はそんな風に話しかけてきた。
僕は上段から振り下ろされる刀を、剣を斜めに構えてぶつけることによって受け流した。刀が僕の剣の刀身を滑り、リュージさんの態勢が崩れる。
ここで畳みかけるか? ――否だ。
すぐに気付く。彼の殺気は放たれたまま。つまり振り下ろしが流されることは想定済み。本命はその後の逆袈裟懸け。
それをいち早く察知した僕は、力のこもっていない、速度だけを込めた鋭い突きを放つことで牽制した。狙うは首。
当然リュージさんはそれを防ぐため攻撃を中断し回避に移った。顔を振り、その勢いのまま僕を斬ろうとしていた刀を跳ね上げて剣を叩く戦法へと移る。
金属と金属がぶつかる甲高い音が響き、僕の剣が弾かれる。
――それこそが僕の狙いだった。
剣を弾かれると同時、巧みにバランスを取ってその反動を回転運動に利用。土を舞い上げながら体を一回転させ、がら空きになった脇腹へ剣を滑り込ませる。
剣が肉に触れる直前でピタリと制止させ、僕は答える。
「はい、あなたのおかげで」
リュージさんは僕に剣で敗れたことが悔しかったのか、少しだけ唇を尖らせて刀を鞘に納めた。この人も僕と同じで子供だと思う。
「ならば、悔いは残すなよ」
「はい!」
☆ ☆ ☆
そうして、この日が来た。
屋敷の門にはライオスを初めとした『究極天使アリス=エーゼルク様をお守りし隊』の面々や、トールさん、変態メイドエイナさんなど、僕のことをよく知る大勢の人が来てくれていた。
「おいリオン! 今日こそは勝って来いよッ!」
アリスの寝顔がプリントされたコートを身に纏ったライオスが、拳を掲げて声援を送ってくれた。僕は彼に近づくと、鳩尾に膝を入れてコートを回収する。
「ありがとうライオス。勝ってくる」
「うん……っ! あとそれっていつ返して貰える……?」
「返さない。僕が着る」
「着るなッッ!」
鋭い突っ込み(膝蹴り)を受け、ライオスと同じように地面に突っ伏した。
立ち上がると、今度は頭にアリスのぱんつを被ったエイナさんが僕に手を差し出してきていた。
「頑張ってください。応援しています」
「ありがとうございます」
「ぎゃあああああああああああああああそれアタシのぱんつじゃないっ!」
「それとエイナさん、それは後で僕がかいしゅげぼふぉッ?」
さらなる突っ込み(回し蹴り)を受け、僕は再度地面に崩れた。
「回収するなアホッ! ていうかいつまで被ってるつもりだこの変態ッッ!」
「うげぇっ!」
潰されるカエルのような声を上げてエイナさんが吹っ飛んだ。というか病気のくせにドロップは危なすぎる。僕が抱きとめてなければ頭から落ちていたぞ……。
アリスをお姫様抱っこしながら、僕はお辞儀をしてその場を去った。アリスはその間「離せ!」とか「降ろせ!」とか言っていたが、可愛かったので無視しておいた。『究極天使アリス=エーゼルクをお守りし隊』隊員の僕を見る目が殺気で溢れていたが、それも無視しておいた。
僕は期待やら羨望やら慈愛やら嫉妬やら殺意の視線をその背に受けながら、アリスを抱きかかえて馬車に乗り込んだ。
ちなみに馬車に乗り込んでからもアリスをお姫様抱っこしたままなのだが、その途端、なぜかアリスは黙りこくってしまった。さっきまではあんなに、「こんな屈辱的な格好を……ッ!」とかなんとか言っていたのに、一体どういうことなのだろうか?
「アリス、なんで急に黙ったの?」
「なにが」
「いや、さっきまであんなに怒ってたのに急に黙ったから」
「…………」
アリスは答えない。もしかして本当に怒ってしまったのだろうか。
「もしかして降ろした方が良い?」
「別にそういうわけじゃないわよ。てか降ろすな」
「へ? いやでもさっきはあんなに降ろせ降ろせって言ってのに」
「……だってさっきはいっぱい人いたから。ああ言っとかないと恥ずかしかったし……冷やかされるの嫌だったから」
うん? それはつまり……
「ええと……」
「今は二人っきりでしょ? だから……その、だから……」
するとアリスは、伏していた目をこちらに向けてきた。愛しい人の潤んだ目に見つめられた僕は思わず唾をのみ込んでしまう。
「その……いまはこのままが良い。降ろしたら、怒る……。あともっとリオンの体に触れてたいんだけど……いい?」
そう言ってアリスは僕の首に腕を回してぎゅっと密着してきた。
世界で一番可愛いと思った。
☆ ☆ ☆
会場に着いたのだろう。馬が歩みを止めた。僕が立ち上がってアリスを降ろそうとすると、アリスは名残惜しそうに手を伸ばしてきた。しかたなくキスをしてあげると、アリスの顔はふにゃふにゃに緩み切ってしまった。おそらく僕の顔もだいぶ変になってしまっているだろう。とてつもなく熱い。
二人で頬を引っ張り合ったりして表情を引き締め終えると、キリリとした表情で荷車から降りて外へ出た。
「ってリオン! 顔めっちゃニヤけてる! キモイ!」
「ウソッ。あんなに準備して降りたのに! てかキモイのッ?」
「うん、超キモイ!」
「ウソでしょ……ていうかアリスの顔もだいぶ緩んでるよ」
「え、ええッ? うそでしょ? アタシのポーカーフェイスが!」
「ポーカーフェイスって……キスする時はいつも顔ニヤけるくせに」
「う、うるさいうるさい! お、お前なんかクビだッ!」
そんなバカみたいなことを言い合って歩いていると、いつの間にか控室の前に来ていた。ここでもう、いったんはお別れだ。
「じゃ、行ってくるよ」
「ええ……行ってらっしゃい」
軽く言うと、アリスは少し歯切れの悪そうな声音で返してきた。
少し不思議に思って首を傾げていると、アリスは顔を伏せて、そしてもう一度上げて、
「大好き……。だから勝って来い……」
そんな今さらなことを言って、僕の胸を拳でトンと軽く殴った。
「うん、勝ってくる。今ので負ける気がしなくなった」
「もぅ……バカなんだから……」
顔をリンゴのように赤くしながら、照れたように笑うアリスが、僕に力をくれる。
▽ ▽ ▽
その様子を遠くから眺めていたレオルは、ふんと不機嫌そうにその光景から視線を切った。
「まさか、あれほどやられても来るとはな。運営側も考えて欲しいものだ。ランダムで決めるなど……二度と見たくもない顔を見る羽目になる」
「まあまあ、そう言わなくてもよろしいではない。レオル、あなたは強い。すぐに試合を終わらせることも可能でしょう?」
彼の言葉に返したのは、金色の髪に青色の瞳を持ち、赤いドレスを着たいかにも『お姫様』といった風貌の少女だった。
エルザ・フォン・ルーセント。アリスとは違い王族ではないものの、国内でも有数の名家の姫だ。彼女はレオルの手を離さないようにしっかり握り、離さそうとしない。
「俺が言っているのはそういうことではない。奴は弱い。騎士として最低だ。そんな男の血でこの剣を汚すのが嫌だと言っているのだ」
「別にいいではないですか。それにあなたもこの前言っていたでしょう? 一瞬で勝ってすぐに血を洗い落とせばいい、と」
「しかしだな、これは君にもらった剣なのだ。君が俺にくれた、最初のプレゼントだ。それを汚したくはない」
「はいはい。悪口はほどほどにしておきなさいな」
エルザはレオルの愚痴に飽きたのか、強引に話を切り上げると、潤んだ瞳でレオルを見上げた。
「あの……大丈夫だとは思いますが、その……怪我、しないでくださいね……」
その言葉に、レオルは他の人間の前では絶対に見せないような表情でこう言った。
「ああ、大丈夫だ。君のために、勝ってくる。約束があるからな」
「ふふふ、嬉しいですわ。……あの時の――十年前の子供の約束をまだ覚えていてくれているだなんて」
「俺はそのために剣を振るってきたからな。――お前を幸せにするためだけに」
その約束はバカらしくて、子供っぽくて、下らなくて、とても人に聞かせられるようなものではない。
それでも二人にとっては、何よりも大切な約束なのだ。
――――この国の頂点に立ったら、結婚しよう。
▽ ▽ ▽
レオルの父は誇り高く気高い騎士であった。
レオルが十二歳の時に彼を亡くすまでの間、父の背中に学ぶべき全てがあったことを覚えている。
レオルの母は、もともと体が弱かったということもあり、彼の誕生と同時に力を使い果たしてこの世を去ってしまった。
ゆえ、レオルはリアルタ王国の騎士である父の手によって育てられた。
有能な騎士であった父は、他国との戦争に引っ張り出されることも多く、常にレオルへ『自分はいつ死んでもおかしくない』と説いていたのを覚えている。そして、その父の最期の場所は、戦場だった。負傷した味方を逃がすために単騎で敵勢力と真っ向からぶつかり、そして戦死したらしい。
常に誰かのために走り続けた彼にはレオルのための時間を取ることが出来ず、ご飯作ってもらった記憶もない。だが、レオルはそれを不満に思ったことはない。
だってレオルにとって、父とは尊敬すべき偉大な男だったのだから。
彼は生前、耳にタコができるほどレオルにこんなことを言っていた。
『騎士というのはな、他者のために死ぬ覚悟を持つことが出来る人間のことを言うんだぞ。いいか。お前の力は強い。だけどな、レオル……力を使い戦うというのは、人を傷つけるという意味でもあるんだ』
肩に両手を置いて、真摯にこちらを見つめてくる父の瞳は、気品と誇りに溢れていた。数少ない、正面から父と向き合った場面の一つだろう。
『人を傷つけるのならば……暴力を振るうのならば、剣を握るのならば……その時は必ず誰かのために戦うときだけにしなさい。見知らぬ誰かのためでもいい、気心の知れた仲間のためでもいいし、惚れた女のためでも構わない。とにかく、人を傷つけるのならば、それ相応の正義を持て。それが騎士だ』
その教えを破ったことはない。これからも破るつもりもない。
だって、破りようがないから。
十年前に出会って、恋をした少女。
『おーほっほっほー! 私はエルザ・フォン・ルーセント。あなたのお父上には私の父が世話になっておりますわね!』
特に何が突出していたわけではない。
ただ、一言。
『あなたのお父上の騎士としてのあり方、私本当に大好きですわ。他者のために戦いなさいという騎士の考え方が! こんなことをぶがいしゃの私が言うのはおかしいですが、あなたのお父上の最期はとてもカッコイイものだと思います』
きれいな人だと思ったのだ。純粋だと思った。
接していくうちに若干性格が歪んでいることが分かったけれど、それでも芯の部分は穢れのない美しい金色だったのだ。
父の背中と剣しか知らなかったレオルが、初めて他者を意識した瞬間だった。
『あなたのことが好きになってしまった』
己の恋心を自覚したレオルは、その場で少女にその気持ちを一切の飾りなく伝えた。
『だから、あなたの願いを教えてください。俺はあなたの剣になります。何なりとお伝えください』
その言葉に、幼いエルザは顔を真っ赤にし、口をパクパクさせながらもこう答えたのだ。
『――あなたの、カッコイイ所を見たいわ』
『――では』
すると幼いレオルは少女の前で跪くき、その手を取ってこう言ったのだったか。
『仰せの通りに。では分かりやすく、この国の頂点に立ちましょう。それが叶ったとき、あなたには俺の妻になっていただきたい』
きっとこれも、誰かのために戦うということなのだと、レオルはいまでも信じている。
☆ ☆ ☆
そして。
その時が来た。
僕はすでに決闘場の真ん中に立っている。
今まで戦ってきた闘技場とは違い、それなりに大きい所だった。
とはいえ、観客はまばらだ。実況がいる気配もない。
どうしてこんなに大きな闘技場が宛がわれたのか。それはきっと、目の前の『瞬閃』――否、『雷光の騎士』が注目されているからだろう。
すでに彼は警戒されているのだ。
それもそうだろう。彼はすでに七つの試合を消化しているらしく、その全てに勝利しているという。学生時代にすでに国中に名を轟かせていた男がここまで無敗とくれば、当然注目度は高くなる。マスコミはもちろん、目付騎士や貴族の姿もちらほら見える。
それに対して僕はといえば二試合やって二敗。
誰一人として期待などしてくれえていないはずだ。
どうでも良い。
ただ一人、アリスさえ見てくれていれば、僕は誰にだって勝てる気がする。
「二敗」
目の前に立つレオルが僕を嫌悪の眼差しで睨みながら話しかけてきた。
「二敗、その意味が分かっているのか」
「二回負けたってことだよね」
「そうだな。そしてそれ以上に、今日負ければお前の御前演武はここで終わり――」
「御託は良いから始めようよ。君との会話に意味を見いだせない。僕は君を認めないし、君も僕を認めない。それでいい」
「――――」
レオルは目を眇め、双剣を抜いた。
僕も愛剣を抜く。
二人の間に沈黙が流れる、
ビュウと一つ風が吹き――そして。
両者の戦意が飽和を迎え、爆発した。




