第三章 悲しき予兆 2.ぱんつをかぶる女はだいたい信用できない
その日の午後から、僕はこれまで以上に特訓に身を費やした。
ある程度の特訓によって、能力なしでも敵の攻撃のタイミングを計れるほどにまで成長したため、今回の特訓から『人心断聞』を使用することにした。元々剣技は得意――というよりもそこに関してだけはレオル君と並ぶほどの実力を持っていたので、慣れるのは早かった。
「――ふっ!」
短い呼気と共に放たれる縦一文字の斬撃。リュージさんはそれを難なく刀の峰で弾き飛ばした。
「ライオスくん」
放たれた『血剣王』の声に呼応するかのように、リュージさんのペアとして僕と戦っていたライオスが背後から斬りかかってくる。背後で殺気が膨れ上がり、次の瞬間にはカットラスが振り下ろされていた。
――――が。
瞬時に僕は『光屈折』を発動。ライオスに一瞬の動揺を与え、その間に斬撃の軌道から逃れた。そこへ畳みかけるように迫るは剣客の剣気。左から右へ。真一文字に胸を切り裂く軌道だ。
僕はそれを刃の軌道をほんの少しだけズラして受け流す。
だが、それで終わるならば『血剣王』などとは呼ばれない。
リュージさんは刀を振り抜くと、捻っていた手首を返した。おそらく先ほどの真一文字の斬撃を逆側からなぞるような軌道で放つつもりであろう。膨れ上がった剣気と手首を返したその意味から容易に連想できた。
襲い来るは先ほどの軌道を逆からなぞるように放たれる一閃。背後からはライオスが走ってきているのが音で分かる。
ここで受けの姿勢に回れば回避と防御は簡単だ。
しかし――、
それでは、勝てない。常に攻撃の姿勢を。常に勝利へのこだわりを。
ならばここで後の先を取ることに意味はない。その行為こそが僕を弱者たらしめていた。
故におこすべき行動は先の先。受けに徹すると踏んでいるであろうリュージさんを出し抜く。
『虚刃』を発動させて直剣の姿を消す。構えられた日本刀の腹を不可視の剣で叩き、繰り出される横薙ぎの一閃の芽を摘んだ。
「――っ」
リュージさんが驚きに目を見開くが、それに構っている余裕はない。
すれ違いざまに直剣の腹でリュージさんの腹を叩き、反転して襲い来るライオスの首元へ切っ先を突き付けた。
「やるな、よもやここまで成長するとは」
背後から響く優しい声に振り向く。
次いで、切っ先を向けられていたライオスが話しかけてくる。
「なんだよこれ、弱いだなんだと聞いてたけど普通に戦えんじゃねえのか?」
「まあ剣術面だけならそれなりの自信はあるよ。けどやっぱり、敵は強力な能力を持ってるし、僕の能力は攻撃に特化していないからね。火力で押されて終わりになってしまうんだ」
その僕の、弱気ともとれる発言を聞いたライオスがこつんと僕の額を小突いた。
「おいおい、お前がそんな弱気でどうすんだよ。リオン、俺はな、お前が『瞬閃』共からアリス様を庇ったって話を聞いて、密かにお前のことを『究極天使アリス=エーゼルク様をお守りし隊』の名誉隊員として認めてんだぞ」
「なにそれ全然嬉しくない」
「だからよ、俺達の気持ちも背負っていると思って、どんと構えて戦って欲しいんだ」
「……うん」
名誉隊員云々は置いておいて、その気持ちは素直に嬉しかった。
誰かに期待される――それも、アリス様が大切にしている人からの期待となれば、なおのことだ。
「僕は――」
言葉には出さないけれど、誓った。
――――絶対に勝つと。
☆ ☆ ☆
特訓が終わり、シャワーを浴びて自室に戻ると、ベッドに潜ってもぞもぞと動く変態の姿があった。
ベッドのすぐ側に脱ぎ捨てられたメイド服が、ベッドの中で蠢く変態の正体を如実に語っていた。
「…………」
「はふぅ……! お嬢様の……お嬢様の香りが……私を包み込んでいる……ッ!」
「………………」
「ここでいつもお嬢様は……リオン様に抱かれて股を濡らしておられるのですねッ!」
「ぶっ!」
「あれ、どなたかおられたのですか?」
突然意味不明なことを呟きだしたエイナさん。そのあまりに常軌を逸した発言に気配を消し続けることに耐えられず、僕は思わず噴き出してしまった。
エイナさんが今さら気付いたと言わんばかりにこちらに向き直り、きょとんと首を傾げた。
「あらこれは、リオン様ではありませんか。どうかなされましたか?」
「それはこっちのセリフですよエイナさん。今日はどうしたんですか」
「もしかして『これ』のことで?」
そう言って脱ぎ散らかしたメイド服を指さした。
しかし僕はふるふると首を横に振って、
「違いますよ。ていうか、エイナさんがアリス様のふとんに包まる時って絶対全部脱いでるじゃないですか」
「失敬な。興奮度によって変わりますよ。今はまだ自重しているほうです」
「それで⁉ もはや普通に下着姿なんですけど!」
「興奮すると全裸ですよ?」
「二度とこの部屋に入らないでください!」
とどまることを知らないエイナさんの変態度に戦慄してしまう。僕はエイナさんに服を着るよう促すと、いつもアリス様と一緒に寝ているベッドに腰かけた。すぐに眠気がやってきて、僕はそのままベッドにあおむけになって寝転がってしまう。
そうして惰眠をむさぼろうとしていたのだが、近くに人の気配を感じる。不思議に思ってそちらへ目を向けてみれば、エイナさんがこちらを見ていた。どうやらもう少しここに居るつもりらしい。
「どしたんですか? 言っておきますけど僕はこのまま昼寝に移行しますよ」
「いえそれは分かっておりますわ。そうではなく、リオン様――」
「はい?」
「あなた、いつアリス様に告白なさるのですか?」
………………………………………………え?
「ですから、リオン様はいつアリス様に告白してあげるのですか?」
「…………」
「好きなんでしょう?」
僕が、アリス様を、好き……?
好きというのは、あの好きだろうか。
僕はエイナさんが言った言葉の意味を深く吟味した。『好き』という感情にだって様々な種類がある。友情や親愛など、恋慕に含まれないものもあるはずだ。
というか、そもそも僕はアリス様に対してどんな感情を抱いているのだろうか。好き……というのは確実だろう。けれど、今まで人に恋をするという経験が全くないため、自分の感情に対して正確な分析を行えない。
エイナさんの言葉が引っ掛かり、頭の中でうんうんと悩み考えていると、その問いを投げた張本人であるエイナさんがそっと息を吐いて身を翻した。
「いえまあ、あなたに自覚がないのでしたらこんなことを言っても仕方ありませんわね」
「いや、あの……」
「申し訳ありません、今の話は忘れてください」
それで話をすっぱり切ってしまい、エイナさんは部屋を出て行ってしまった、勝手に入ってベッドの中に体をこすりつけ挙句、僕に変な疑念を抱かせた彼女の罪は重い。
あとには、胸の中心で疼くむず痒い痛みのような感覚と、脱ぎ捨てられたアリス様のものと思しきぱんつだけがあった。
「マジでふざけんなあの変態ッッッ!」
☆ ☆ ☆
それからの一時間ははっきり言って苦痛と幸福の連続だった。
アリス様のに対する感情について考察をすればするほど胸の疼きは鋭く大きくなっていき、彼女の顔が思い出されてしまう。彼女のことを――顔や仕草、果ては髪形や着ているドレスなどを思い出しては頬が少したるんでしまった。
……まずい。考えれば考えるほど底なし沼のような思考に溺れて抜け出せなくなってしまう。
僕は一度頭を振ってベッドから腰を上げた。顔を洗って一度気を引き締めよう。このままではレオルくんとの試合に支障をきたしてしまう。
さっきライオスに言われたばかりじゃないか。名誉隊員として認めていると。その部隊名がへんてこではあるものの、彼らがアリス様を大切に思ってくれていることは事実なんだ。
そんな彼らに認められたからには半端な戦いはできない。色恋沙汰にかまけて本来の力を出せないなど、絶対に許されない。ほかでもない、この僕が許さない。
「よしっ」
僕は力強い足取りでもって扉へ向かい、それを勢いよく開いた。そのまま外へ出ようとしたところで、胸のあたりに軽い衝撃が。
「いた」
「あ、すみません」
アリス様だ。彼女はよろりとバランスを崩すと、そのまま後頭部から床へ落ちかけた。
「ちょっ」
僕は慌てて両手を伸ばして彼女の体を抱き支える。あの、ひんやりとした冷たく心地の良い感覚が手と腕に広がり、僕の顔がたちまち赤く染まった。
あ、れ……。
そこで一つ疑問に思う。
今までアリス様をこうして抱きかかえることが何度かあったが、ここまでカチコチに緊張しいただろうか。いや、確かにそれなりに緊張はしたし、すごく恥ずかしかった覚えはあるけれど……。
どうやらエイナさんの余計な一言のせいで、僕はいま必要以上にアリス様を意識してしまっている。こうして抱きかかえている間、彼女の髪から漂ってくる、女の子特有の甘いシャンプーの香りが僕の脳を少しずつ溶かしているかのようだった。
「ちょっと、お前いつまで……っ。…………」
アリス様が何かを言おうとしたが、なぜかすぐにやめてしまった。
不思議に思った僕は、緊張で裏返りそうな声を何とか堪えて彼女に何のつもりなのかと尋ねようとした。が――、それは突然こちらに体重をかけてきたアリス様によって阻まれてしまう。
「え、あ、え……ッ?」
人生で最も格好の悪い声を出した僕を放って、アリス様がすりすりと頭を僕の胸にこすりつけてきたような気がした。
「…………? ………………!?」
何が何だか全く分からない僕は。されるがままになってしまう。
僕の服に毛玉でもついていたのか、アリス様はケホケホと数回咳をすると、やがて何事もなかったかのように僕の胸から離れてしまった。
彼女はキッとキツイ目で僕を睨んだが、顔が真っ赤なので彼女が照れているだけということは容易に理解できた。
ただしいつもと違うのは、今回は彼女の顔だけでなく僕の顔すらもトマトの如く真っ赤に染まってしまっていることだろう。
「ま、前見て歩きなさいよバカ……」
「ご、ごめんなさい」
いつもと違って僕の返事の歯切れが悪いことに気づいたらしく、アリス様が不審げ目つきで僕の顔を覗いてきた。
僕は当然そっぽを向いてしまう。おそらく僕はいま恐ろしく情けない顔をしていることだろう。そんな姿を主であるアリス様に見せてはいけない。いけないのだが……、
「ねえ」
「はい……」
「お前少し顔が赤すぎない?」
「っ!」
僕の心臓がひと際強く脈を打つ。緊張や恥ずかしさだけではない。僅かな恐怖も加味されたことにより動悸が一層強くなる。
「お前まさか」
「いやいやいや! 別にそういうのでは!」
「風邪ひいてるんじゃないでしょうね!」
全くの見当違いの推測だった。僕は安堵の息を吐き、アリス様が部屋に入られるようにそっと道を開けてあげた。その適当な反応に腹が立ったのか、アリス様が「なによー!」と小さな体を精一杯に伸ばして僕の頭に拳骨を下ろそうとしたが、当然届くわけもなく、仕方なく僕の胸をぽかぽかと殴るだけにとどまった。かわいい。
「あ、そうだ。アタシ今から一人で寝るから二時間くらい部屋に入ってこないでね」
「え、その間僕はどうすれば……」
「知らないわよ。トールに特訓でも付けてもらえば?」
「そうですね!」
「え、ホントに行くの?」
「え、ああ、はい。試合も近いし、それにトールさんとも手合わせしたかったですしね」
「べ、別に……」
「じゃ、行ってきます!」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
「? どうしました?」
アリス様が提案してくれた通り、トールさんを探し出して稽古を付けてもらおうと歩き出したところで、当のアリス様が僕を呼び止めた。
彼女はいまだ部屋には入らず、もじもじとしながら上目遣いでこちらを見つめていた。
平素ならば白磁の如きその頬を、いまは赤く染め、心なしか両の目も潤んでいるように見える。両手の指を薄い胸の前で絡ませる。俯き、僕と視線を合わせようとしなかったり、チラチラと上目遣いでこちらを覗いてきたり。
何かを言おうとしているのだろうが恥ずかしがっているようだ。アリス様はそのまま十秒ほど黙りこくってしまう。
すると……
「ぃ……」
「……っ」
か細く、小さな声。いつもの偉そうにふんぞり返っている様子とはまるっきり異なる。胸の前で絡ませていた指を解いて、右手でもみあげの辺りをそっと撫でる。
「や、やっぱり……一緒にいて、欲しい…………」
そう言って、彼女は僕の返事も待たずにベッドへと歩いて行ってしまった。
僕の胸の中心を、ハートの鏃の付いた矢が打ち抜いたような気がした。




