乙女ゲーム×ギャグ時空=カオス
「おい、そこのお前。髪が乱れているぞ」
指摘されて確認してみれば、たしかに少しばかり乱れていた。
遅刻しそうになって走ったためだろう、と天野美紀は思い至り、手早く懐から櫛を取り出して髪を整える。
「まったく、この神楽坂学園の一員としての自覚を持て。
お前のようにだらしのない奴がいると、他の学生達まで低く見られるんだぞ」
「……っ」
遅刻しそうになって走っていたのも、髪を乱していたのもこちらが悪い。
それは分かる。分かるのだが……偉そうに語る男の口調が気に障る。
いや、正直言えば口調より何よりも腹が立つことがある。
「なんだ、その反抗的な目は。言いたいことがあるならはっきりと言え」
「……では、お言葉に甘えて」
すう、と深呼吸。
そして櫛を懐にしまい――返す手で懐から引き抜いたハリセンで。
「ふんどし一丁のあんたに言われたくないわあああ!」
すぱあん! と。実にいい音を響かせて、ハリセンはふんどし姿の生徒会副会長――茅野真の頭を叩いていた。
〇
乙女ゲーム転生、というジャンルをご存知だろうか。
いわゆる女性向け恋愛シュミレーションゲームの世界に生まれ変わってしまう、というものだ。
主にネットの小説投稿サイトなどで人気のあるジャンルのひとつとして確立されているのだが、あくまでそれは創作物であり、現実に起こるとは美紀も信じていなかった。
いなかった。そう、過去形である。さすがに自分自身が恋愛ゲームの世界に転生した、となっては考えを変えるしかなかった。
入学式で前世の記憶を思い出して、美紀は思わず叫びたくなる気持ちを必死に抑え込んだものだ。
よりにもよってこの世界とか、ないわあああ! と。
前世の記憶と照らし合わせると、この世界はたしかに乙女ゲームのものだ。プレイした記憶もある。
ただし、ネットで開発陣を「何故こんな狂った世界を……!」とか「公式が病気」なんて言われていた。
ゲームの中身自体のクオリティは非常に高い。声優にイラスト、音楽にシステム、全てが高水準にまとまっていた。
ただし、これはいわゆる「バカゲー」と呼ばれる類だったのだ。
公式の発表からして「今までにない〇〇ゲー!」とわざとらしい伏字で公開を開始。
どうせよくある乙女ゲームだろう、と最初は思われていたのだが、紹介動画にていきなりの副会長のほぼ全裸のイラストが画面全体に映し出された。
紹介動画では下半身のふんどしが見えない段階で次の映像に移っていたため視聴者から「ぜ、全裸!? 背景明らかに昼間の学園なのに屋外で全裸!?」と騒がれたものだ。
その後の動画でもキャラによって様々なおかしい要素があるのだが、イラストと声はどのキャラも素晴らしく美麗な仕上がりとなっていた。
しかもゲームの中での攻略キャラ達はどこかしらおかしいことをしているのに、キャラ達は大真面目に恋愛ゲームのシナリオを行っている。
ゼンラー王子と渾名をつけられた副会長こと茅野真も、終始ふんどし姿のままでヒロインとの恋愛物語を進めていくことになる。
そのシナリオの混沌っぷりは、普段乙女ゲームをプレイしない層の人にも購入を促させて、色々な意味でネットの語り草となっていた。
乙女ゲームとギャグ漫画を混ぜてみました、とプロデューサーが自慢げに語っていた。
混ぜるな危険、とプレイした人の多くがネットに書き込んでいた。
ギャグの質はともかくとして、普通に作っていれば普通によくある名作として評価されていただろうに、全力でぶち壊しにくるスタッフに「何故ベストを尽くした」という評価に誰もが賛同していた。
「どうかされましたか? どこか気分でも悪いのですか?」
心配そうな声に美紀は顔を上げる。
優しそうな声色の少年だった。彼の声にも、聞き覚えがある。
そう。目の前の彼もまた攻略キャラの一人であり、この学園の生徒会長でもある桜木隼人だ。
「どうやら、顔色は悪くなさそうですね。けど無理はされず、気分が悪ければ保健室へ案内しますよ」
「ええ、はい。ご親切にどうも……」
返答しつつ、美紀はつい隼人を凝視してしまう。
ゲームでの設定は覚えていたので予想はしていたが、彼の姿はゼンラー王子とはまた違う、じわじわと心にくるものがあった。
「……? 僕の顔に、何かついてますか?」
「いや、何かついてるというか……。
なんでよりによって、ひょっとこのお面つけてるんですか?」
乙女ゲームにはよく、いつも優しい笑顔を浮かべているキャラが登場する。
そしてその笑顔が心からのものではなく演技でしかないことをヒロインに指摘されたことをきっかけに、本当の笑顔を手に入れるべく成長しようとするのだ。
そういった、心からのものではない笑顔に対して「笑顔の仮面」だとか「人形みたいな笑顔」とか、人間らしくないとしてそのように評される。
だからといって本当に仮面をつけて登場するキャラなんて彼くらいのものだろう。
一部のイベントでだけ、とかならまだあるかもしれない。しかし彼の場合は登場時から最後まで常に何かしらの仮面をつけているのだ。
今回のようにひょっとこのこともあれば、変身ヒーローや魔法少女を模したもの、仮面以外にはフルフェイスへルメットや、レスラーのような覆面まで。
とにかくゲーム本編ではひたすら素顔を晒さずに、エンディングを迎えた後のスタッフロールが終わって、初めて仮面を外す。
しかし仮面の印象が強すぎて、すごく美しい素顔よりも「誰だお前」「こんなの隼人君じゃない」という違和感を感じることになる。
ゲームが始まった最初のうちは素顔を暴いてやる、という気持ちだったはずなのに、プレイしていくうちに仮面をつけている姿こそが自然と感じてしまうのだ。
「ひょっとこ、ですか? はて、何のことでしょう」
「あんたの顔についてる仮面のことだよ!」
しらばっくれる生徒会長に思わず突っ込んでしまう。
心配して声を掛けてくれた優しい人なので、さすがにハリセンは躊躇ったが、謝るつもりにはなれなかった。
「仮面、ですか……先日、親からは嘘くさい顔とか、仮面みたいな笑顔と言われてしまいましたが……貴女も、そう思いますか?」
「作り物みたーい、じゃなくて仮面そのものでしょうが!」
今度は思わずハリセンでひっぱたいてしまった。
しまった、つい……と内心で後悔する美紀に、ひょっとこ男の隼人は優しい声で呟く。
「ふふ……面白い人ですね」
「あんたほどではないわ!」
再びハリセンを振るってしまった美紀だが、今度は罪悪感は湧かなかった。
〇
「ねーねー、君が噂の女の子?」
「生徒会で、君の噂が盛り上がってるよー」
一日の授業が終わって、放課後の教室。
廊下が騒がしいと思ったら入ってきたのは、同じ顔をした少年達だった。
いわゆる双子キャラ、というポジションの攻略キャラだ。
親でさえ見分けがつかないそっくりな自分達に対するコンプレックスで歪みを抱えていることが多い。
その歪みを抱えた彼らを、ヒロインがしっかりと彼らの違いを見分けることで心を解きほぐしていくのだ。
だが……彼らもまた、このゲームの登場人物らしく一筋縄ではいかない存在だった。
「噂については分かりかねますが……私の名前は天野美紀です」
「じゃあやっぱり君のことだー!」
「話に聞いてただけなのに一発で分かっちゃった! ね、ね? これってすごくない?」
「ええ、まあ……すごいですね」
「でしょでしょー? なんかこう、びびっときたっていうかさー」
軽い調子で会話を振ってくる彼らの顔を見ながら、美紀はこの後の展開について考える。
双子キャラとの初会話では大抵の場合、クイズが出されるのだ。
ゲームの展開もそうなっていた。おそらくこの流れでは自分にも出題されるだろうと。
だが、彼らの名前当てなんて誰にも正解できないのではないだろうか。
何故なら、彼らは――。
「ここでクイーズ! 俺達の名前を当ててね?」
「ちゃんと正解したら、ごほうびあげちゃうよー!」
「ちなみに僕らの名前は、一郎、二郎、三郎、四郎、五郎、六郎、七郎、八郎、九郎、十郎だからね!」
「10つ子とか多すぎるわ! 母ちゃん頑張ったなおい!」
奇跡的な確立で生まれて健やかに育ったという設定の、10つ子兄弟なのだから。
10人も同じ顔が並んで、同じ声で話しかけてきているのだ。
しかもその全員の名前をノーヒントで当てろという。無茶振りもいいところだ。
スタッフロールでは彼らの声優名が10つ並ぶという、異例の一人十役を達成していた。
「そもそも、貴方達はちゃんと正解を把握してるんですか?」
何気なく質問してみた美紀だったが。
「そりゃもちろんだよ! あったりまえじゃーん」
「そうそう、僕が一郎でー……」
「ちょっと何言ってるのさ、俺が一郎で、お前は三郎だろ?」
「いやいやいや、三郎は俺だっておれおれ!」
「え? 俺が三郎じゃないの? じゃあ……俺って、誰?」
「「「「「「「「「「…………さあ、誰が誰だか分かるかなー?」」」」」」」」」」
「あんたらが一番わかっとらんやないかい!!」
思わず十人に矢継ぎ早にハリセンを喰らわせた美紀に、クラスメイト達から拍手が送られた。