兵糧攻めの後はもっと胃に優しいものがほしかった
文字通り、このすり鉢状の地形は蟻地獄なのだ。
優花はそう悟る。背後に黒い男。
「あんた、誰よ」
割れた爪がじくじくと痛む。
「はらら」
それが名前を名乗っているらしいと気づいたのは、しばらく経ってのことだった。
どちらかといえば、優花は彼がなんの妖怪か聞きたかったのだが。
しかし妖怪名を聞いたとしてもあまり意味がない気がした。
何しろ桃源郷が妖怪だと今の今まで知らなかったのだから。
「あたしは優花よ」
そう言ってよろよろと立ち上がる。
「食べられるってどういう状態になるの?」
「眠ればいい、奴は夢喰いだ」
人間ってどれだけ眠らずに耐えられるんだろう。優花はサブカルチャー雑誌の中身を思い出す。
確か一週間でアウトだった。ついでに水を飲まなければ一週間くらいで渇き死ぬはず。
井戸も、川もないこの盆地にいれば、優花の命はすぐになくなる。
「桃源郷から帰ってきた人の話を聞いたことがあるわ」
だからこそ優花に基礎知識があったわけだが。
「たまたま奴が満腹の時に迷い込んだのか、あるいはなんとなく合性が合わなかったかだろうな」
優花ははららを恨みがましげに見た。
「あんたがことの元凶じゃないでしょうね」
はららは優花を感情のない目で見る。
「何か、面白いものがかかった気配がしたのにな」
蜘蛛の巣に、珍しい蝶がかかったのかと思ったら見間違いだった。そんなニュアンスを含ませた言葉だった。
蜘蛛に獲物が食われているのを見物する子供の姿が脳裏に浮かんだ。実際はそんなもの見たことがないが。
優花は家の壁にもたれて、呆けていた。
何度か意識を失ったような気がしたが、空腹が気力を奪う。
食料を手に入れるつてさえあればと思うが、そんなものはない。
その顔に何か落ちてきた。
はららが、パンの袋を優花の顔に落としたのだ
あんパン。その賞味期限は一週間前。
食べ物を見た途端鳴り響く腹の虫、そして、優花は袋を引き裂こうとする手を必死の思いで引きはがした。
ひざにパンが落ちる。
「どういうつもり?」
「何故、お前は食われない?」
はららは不思議そうに優花を見ていた。
「確かにお前は眠った」
意識が途切れた時のことだろうか。
「つまり興味ある観測対象だから、生かしておこうっていうの」
優花は皮肉に笑う。
眠っても餌食にならないのはありがたいが、これと言って打つ手があるわけでもない。
このまま優花が食べれないということを納得してくれれば開放してもらえるわけでもないだろう。
再び膝に牛乳パックが落とされた。
賞味期間は十日前。
「どっから調達したのよ」
「こうやって」
はららは何もない場所から、もう一つパンを取り出した。
クリームパンも賞味期限が切れていた。