西日が痛い
「あと一週間で夏休みだからと言っても気を抜くなよ、要」
坂上先輩は、相変わらずその言葉の意味に反して、きりりとした真剣な眼差しで私に注意を促す。いや、きっと本人は真剣なんだよね、うん。
昼休みの教室に先輩が居座るのも見慣れた光景となった。私の前の席を強奪して占領しているのも。初めこそ困り果てていた前の席の持ち主である塚本君も、今ではすっかり慣れたもので、坂上先輩が立ち去るまで友達の席で昼休みを過ごすようになった。むしろ慣れ過ぎて、友達か?というくらい坂上先輩に気軽に話しかけるときもある。この間なんて、先輩邪魔なんでどいて下さいよー、と笑っていた。
何度か、私の方から謝罪した事もあるのだが、初めこそ渇いた笑いを浮かべていたものの、今では別に気にすんなって、と笑顔で言われる。どうしよう、塚本君がイケメン過ぎる。絵に描いたような醤油顔で無ければ彼こそ攻略対象にするべきだろう、と随分失礼な事を思った。
「一人で出歩く事になれば、どこでどんな出逢い、イベントが起こるか分からん」
「無茶言わないで下さいよ。というか、それを言うなら普段の土日だってその危険があるんじゃないですか?」
私がそう問えば、坂上先輩が『……っは!』といかにも今気付いた、という顔をした。こう言っては失礼だけれど、頭の良い馬鹿である。
すると、私達の会話をそばで聞いていた蜜が、彼女らしいニヤニヤとした顔で口を開く、見た目だけなら癒し系美少女なのに、勿体ない。
「だったら、坂上先輩がカナちゃんの用事に同行すれば良いじゃないですかぁ」
「………どうやって?」
私の素朴な疑問に、蜜が不思議そうに首を傾げる。珍しく戸惑った様子は、やはり可愛過ぎるくらい可愛い女の子だ。
「普通に、メールとかで待ち合わせれば良いでしょ」
「や、だってアドレスとか知らないし」
「はあ!?今まで何やってたの!あたしだって知ってるのに!」
蜜は意味が分からない、と言わんばかりの表情で声を上げた。いつも学校で一緒にいれば特別必要性を感じなかったのだが。むしろ、え?どうして蜜は先輩の連絡先を知っているの?
「だって、用事があれば会ったときに済ませるし」
私が蜜のあまりの勢いの良さに若干引きながら何とかそう訴えれば、坂上先輩も無言で頷いている。無駄に精悍な顔立ちの為に分かりにくいが、先輩は蜜の剣幕にビビっているようだ。
「それが、夏休みで会わなくなるんでしょ!もう!さっさとこの機会に連絡先交換すれば良いじゃない」
何故か少々怒りを孕んだ蜜にお互い戸惑いながら、携帯電話を取り出す。すると、古きゆかしい私の二つ折り携帯電話に対し、坂上先輩はスマートフォンを取り出した。坂上先輩、おまえもか。
スマートフォンへの憧れと嫉妬を抱きながら連絡先を交換する。三年前に散々悩んだ挙句二つ折りを選択した自分が憎い。
「先輩、カナちゃんは先輩の為にあまり外へ遊びに行かないし、色々我慢しているんです。時には先輩がその代わりにどこかへ連れて行ってあげて下さいね」
私がスマートフォンへの切り替えを切実に願っていれば、蜜は坂上先輩にそんな事を言う。素直な性格の先輩は、それに対し殊勝に頷いている。
………いや、元々インドア派なんだけど。
律義、というか必死さが滲み出ているだけだろう。坂上先輩は今も必ず、私を自宅近くまで送ってくれる。学校から程近い私の家に対し、先輩は電車通学をしているようだが、わざわざ私を送り届けてから帰宅しているのだ。朝もまた、早めの電車に乗って迎えに来てくれているらしい。
そんなに心配しなくても、十五歳にして弟に枯れてる、と指差して笑われる私である。早々、出逢いなどある訳もないのだ。そう言えば、蜜は『ヒロインにはヒロイン補正ってものがあるんだよ』とよく分からない事を言っていた。あの子はあんなに可愛いのに、どうしてそういうゲームとかにああも詳しいのだろう。勿体ない。蜜ならばリアルなイケメンハーレムを作れるはずだ。
まあ、とりあえず。そんな坂上先輩の心配性により、私は今日も先輩と二人並んで帰路につく。すっかり夏を迎えた空は、夕方になってもまだ明るい。ようやく茜色に染まり始めたばかりの道を二人で歩く。学校から見て、大きな川向うにある私の家までは、車道も歩道も付いている橋を渡らなければならない。前方に同じように帰宅しているらしい学生の背と、犬の散歩をしている老婦人がこちらへ向かっているのが見える。時折自転車が私達の背を追い抜かして行った。
「要」
そんな中で、先輩が静かに私を呼ぶ。先輩は、どちらかと言うと寡黙な性格をしている。彼が饒舌になるのは、命に関わる事だけだ。話しかければ普通に返してくれるが、あまり自分から話題を振るタイプでは無い。
無言を気まずく感じる私がいつものように詰まらない話題を振っていたが、今日の坂上先輩は生返事ばかりで、心ここに在らずといった様子だった。だから、何かを考え込んでいるのだろう、とは思っていた。
「悪い。俺の我儘でおまえの意思も無視して、振り回して。音川に俺のせいで我慢している、と言われて改めて、俺がおまえに身勝手な我儘を言っているんだと思い出した」
何を言い出すかと思えば、今更、と拍子抜けする。そんな事は最初から分かり切っていた。これは先輩の我儘で、私にそれを聞かなければならない理由などない。ただ、まあいいか、と流されていただけで。しかし、それを決めたのは私だ。だから、そんな事は、気にしなくても良いのに。
橋の三分の二以上を渡った所で坂上先輩は足を止め、私の腕を掴んで停止させた。
「ごめんな、俺はどうしても生きたいんだ。死にたくないんだ。もう、あんな思いは絶対にしたくない。苦しくて、心細くて、足元から迫る死に怯えて暮らすような生活。両親が俺の為に泣く姿ももう、見たくない」
そう言う坂上先輩の顔は、逆光になってよく見えない。茜色の太陽があまりに眩しくて、目を開けているのも困難だった。それでも何と無く、苦しそうに顔を顰めている事は分かった。いっそそのまま泣いてしまうのではないかと、私は何故だか無性に心配になる。
掴まれた、腕が痛い。
「だから、俺はおまえを手離せない。代わりに、大事にするから。絶対に大切にするから。要の希望とか、叶えられるようにするから、どうか高校の三年間を俺に貸して欲しい」
坂上先輩が言う通り、この世界が本当に乙女ゲームの舞台で、本当に私がヒロインであるならば、高校入学時から三年掛けて意中の男の子と愛を育み、卒業式でエンディングを迎えるらしい。つまり、先輩の命の危機も、三年で終わるはず。だからこそ彼は、私に対し申し訳ない想いを抱きながらも、それまで待って欲しいと懇願する。
――――ああ、この人は優しくて誠実な人なのだ。横暴に見えるのは、生きたくて必死なだけで、それは誰にでもある当たり前の欲求で。
彼が言う、ヒロインである私が、このまま彼のそばにいて他の攻略対象に関わらなければ、きっと誰も死なないし、誰も悲しまずに済む。その為に三年くらいなら、彼の為に使っても良いや、と思ったのは嘘ではない。生きたいと渇望する彼の手を、振り払えなかったのは私だ。
それなのに、苦しそうに謝る彼に、私はどうして心を揺られてしまったのだろう。三年で終わるからと、先輩は改めて確約してくれただけなのに。
読んで頂きありがとうございます。
私の乙女ゲーム知識は非常に偏っていますので、プレイ経験のあるものを参考にしています。まあ、そのゲームではもちろん、攻略対象が死ぬような展開はなかったのですが……坂上の前世のゲーム制作者はたぶん血迷った。