大往生の夢
期末テストの時期になった。
蜜から噂は聞いていたが、どうやら坂上先輩の授業態度がすこぶる真面目、というのは本当らしい。授業が早く終わるからと遊びに行く事もなく、これ幸いにと自主学習に励んでいるらしい。何だそれ。似合わないにも程がある。
人を見た目で判断してはいけない。その通りだろう。その意見には概ね賛成するが、それでもやはり、目に映る情報の割合は大きい。彼の場合、見た目が全力で『勉強なんて興味ありません』と主張しているのだ。そういう、いかにも不良テイストな見た目である。
そんな坂上先輩曰く、
『テスト期間中にテスト勉強してたら終わりだろ』
悪かったな。
坂上先輩に放課後の音楽室に連れてこられた。テスト期間中は吹奏楽部も活動を休んでいるので、そこを借りて勉強をするらしい。音楽室がすっかり坂上先輩のイメージに染まっていたので、そう言えば吹奏楽部もあったなあ、なんて今更気付いてしまった。
私はさっさと家に返って一息吐きたかったのだが、テスト期間中くらい勉強しろ、と坂上先輩にここまで拉致されたのだ。正直面倒に思ったが、これもいずれは自分の為になる、と言い聞かせ何とか現状を受け入れたのである。
「先輩、ここ分からないんですけど…」
「ああ、これは……」
しかし、いざ勉強を初めてみれば、予想以上に捗った。始めは、分からない所は家でじっくり調べようと後に回していたのだが、ふとそれに気付いた坂上先輩が解説してくれた。それが驚くほど分かりやすく、すんなりと理解出来た。そうなるとあれも分からない、これも教えて欲しい、とこの機会に日頃の疑問をぶつけたくなる。その結果、普段の試験勉強の五倍くらいの速さで理解出来た気がする。ぜひ、高校受験前にお会いしたかった。
「………と、すみません。聞いてばかりで。これじゃあ、先輩の勉強が出来ませんよね」
「いや、別に。教えるのも勉強になるしな」
おお、頭の良い人の意見だ。なんとなく。
正直、坂上先輩が真面目で成績が良く、暇さえあれば勉強している、という蜜情報を失礼ながら全力で疑っていたのだが、こうして教えてもらうとどうやら本当らしい、という事が分かった。
そう言えば、坂上先輩は音楽一家に生まれながら、ピアニストを目指していない、と言っていた。他に夢があるから、と。もしかして、こうして真面目に勉学に取り組むのは、その夢が関係しているのだろうか。
「あの、不躾な質問なんですが……」
「何だ」
「先輩は勉強家だって伺っていたんですが、それは前におっしゃっていた『夢』に関係しているんですか?」
すると、坂上先輩は一気に眉を顰めた。いきなり悪鬼のような表情である。怖すぎる。やはり、不躾過ぎたか。四月末日から三ヶ月もずっと一緒にいる為に感覚が麻痺してしまっているが、私は所詮ただの後輩でしかない。そういうプライベートな事に感心を抱く資格はなかった。
しかし、どうやら怒っている訳でも無かったようで、坂上先輩はどこか困ったように唸り声を上げた。
「んー…あると言えばあるが、どちらかと言うと前世の方が関係してるな」
「前世、ですか?」
問い返しながら、考える。先輩の前世について、私は共働きのサラリーマン家庭だった事、乙女ゲームを教えてくれた看護師さんがいた事くらいしか聞いた事がない。
「前世の俺は生まれたときから病弱で、人生のほとんどを病院で過ごしていた」
「えっ……本当ですか?今の先輩を見ていると想像が付きません」
「だろ!」
素直な感想を告げれば、坂上先輩は少年らしい素直な笑顔を見せた。
「生まれたときからいつ死ぬか分からんような身体で、普通の生活もままならなかった。学校に通った記憶もほとんどないし、当然走る事すらした事が無かった。だから、生まれ変わったと気付いたときは感動したな。この身体は、いくらだって俺の思い通りになる。学校にだって通える。前はたぶん、十代半ばくらいで死んだが、この身体なら何事も無ければ百歳だって目指せるはずだ」
仏頂面の多かった坂上先輩が楽しそうに語る。その姿が珍しくて、思わず見入ってしまった。同時に、先輩がこうも必死に私を監視する理由も理解出来た気がした。
誰だって死にたくはない。けれど、もしこの世界がゲームの世界かもしれないと気付き、自分の死の可能性があったとしても、大抵の人は馬鹿馬鹿しい、とその可能性を否定するのではないだろうか。揺るぎない確信があるならばともかく、坂上先輩の根拠は精々自身の名前と両親の職業や家庭環境のみである。
おそらく、前世で薄命だった坂上先輩は、そのわずかな可能性でさえ見過ごせず、生き続ける為に最良の行動を取ると選択したのだ。
「そんな前世の記憶があるから、学校も勉強も苦じゃない。俺の夢の一つは大往生する事だが、もう一つの夢を叶える為にも必要だからな。で、その夢というのが……」
意気揚々と語ってくれた坂上先輩だが、そこで初めて言い淀んだ。疑うような目で、私を見詰める。
「……笑うなよ」
「笑いませんよ」
流石の私も、人様の夢を笑うほど性根は腐っていないつもりである。
「………俺は、医者になる。それで、前世の俺を救おうとしてくれた医者や看護師の人のようになりたい。俺のような子どもが、一人でも減るように。今度は俺が、一人でも多くの人を救いたい」
坂上先輩ははっきりと言いきった。しかし、そこで我に返ってしまったようにすいと目を逸らす。
「やっぱり笑って良いぞ」
「どうして、笑うんですか?」
「よく、似合わん、と言われる。こんな見た目だからと。……これも、前世は入院してばかりだったから、こういういかにも若者っぽい格好に憧れがあるだけなんだが…」
いつもはっきりしている坂上先輩が、言い淀むのは珍しい。私はそれに、思わず笑みを浮かべてしまう。それは先輩を安心させる為のものかもしれないし、自分へ向けた嘲笑だったのかもしれない。
「笑いませんよ。むしろ、その………憧れます」
正直に言えば羨ましい。彼のその、ひた向きさが。私には夢がない。それは何にも憧れなかったからではなくて、憧れたそれを目指す勇気が無かった。その夢を叶えられると信じられなかった。そして、私はその為の努力からすら逃げ出したのだ。
この人は、目標を明確にして、それに向かって頑張れる人だ。それはきっと誰にでも出来る事ではなくて、だからこそ夢を抱くという事は尊いのだと思う。
そうか、と少しだけ照れ臭そうに呟く坂上先輩に、私は初めて憧れを抱いた。
読んで頂きありがとうございます。
坂上は結構真面目に堅実に生きております。
そんな彼の夢は作中で詳しく語っている医者と、我が子や孫に見守られながら畳の上で大往生する事。