浴衣は可愛い
坂上先輩からの夏祭りへのお誘いに、私は断りの返信を送った。
『好きじゃないです。人混みは嫌いです。だから行きません』
何とも可愛げのない文面だと思う。けれど、曖昧に断っていつもの先輩らしく強引に夏祭りへ行く方向で話を進められてしまえば、断るのも難しくなる。それなら最初から簡潔に拒絶しておいた方が良い。
どうしてだか今、坂上先輩に会いたくなかった。ヒロインは私ではないかもしれない。生きたいと、必死に行動している先輩に、早くその可能性を提示するべきだろう。けれどその為の行動を取る事に、言いようのない不安感があった。私がヒロインでは無かったら、先輩は何の為に私に張り付いて、何の為に私はそれを許容してきたのだろう。この四ヶ月は全て何かの間違いだったのか。
そう思うと無性に虚しくなった。ひどく自分勝手だが、今はまだ、この四ヶ月が無意味だったとは認めたくない。それほどまでに、私にとって高校一年生の四ヶ月は大切だったのだろう。
だからこそ、所詮現実の先伸ばしでしかないと思いながらも、早々に誘いを断ったのに。
「ねえ、カナちゃん、どれが良い?カナちゃんは背も高いし、あまり可愛過ぎる感じよりは綺麗な雰囲気の方が似合うと思うんだけど………あたし的には、白地か黒地に淡い紫の花柄とかがお勧めかな!」
何故蜜が嬉々として大荷物を抱え、我が家を訪れるのだ。そして何故、その荷物の中身が大量の浴衣なのだ。帯や小物に下駄までばっちり揃っている。有無を言わせない笑顔が怖い。
「何のつもり…?」
「何って、坂上先輩と夏祭り行くんでしょ?どうせカナちゃんの事だからジーンズにTシャツで行くだろうと思って、あたしが浴衣を用意してみたの」
「蜜?私は断ったはずなんだけど」
「大丈夫、坂上先輩にはあたしから『カナちゃんは照れてるだけなので大丈夫です。あたしが待ち合わせ場所と時間を伝えておきますね』ってメールしておいたから!」
「余計な事を!」
どうしてそれで納得するんだ、坂上先輩!かなりはっきり断ったのに!いつも曖昧に流される私があそこまできっぱり断ったのだから本気だと察してくれ!
「うーん、うん。カナちゃんの年なら、黒地の方が少し背伸びした感じがあって、むしろ可愛さも引き立つかな。よし、決定!さ、カナちゃん脱いで脱いで!」
「………っい、行かないから!」
私の部屋に広げていた浴衣をさっと片付け、おそらく決定された蜜コーディネートだけが残される。浴衣を両手に迫りくる蜜の笑顔が不気味で、思わず大人しく従ってしまいそうになるが、何とか抵抗の声を上げる。
すると、蜜がまるで聞き分けの悪い小さな子どもに困り果てたように眉尻を下げた。蜜にはそういう、悲しそうな顔までよく似合う。そんな蜜の今日の格好は、フリルの重なったキャミソール、薄手のパーカーにデニムのショートパンツ。今日も蜜は可愛い。どんなゲームのヒロインだって堂々とその役目を果たせる事だろう。
やっぱり、私じゃなくて蜜の方が余程ヒロインらしかった。
「どうしてカナちゃん、そんな事を言うの?何か、あった?」
蜜の声音には心配がこもっていた。いつもの私なら、この流されやすい性格で、渋々蜜に浴衣を着せられ、夏祭りに出掛けていた事だろう。こんなに抵抗すれば、蜜だっておかしいと気付くはずだ。
「…………何か、とかはないけど……むしろ、蜜こそどうして、先輩と夏祭りに行かせたがるの?」
先輩の求めるヒロインは私では無くて蜜かもしれない、その可能性を口にする勇気が今の私には無く、質問で返して誤魔化した。けれどそれは、口から出まかせという訳でも無くて、いつも気になっていた事でもあった。
先輩と私の関係が、校内で認識されているようなものではないと蜜は知っている。その上で、彼女はいつもからかうような言葉を口にするのだ。一緒に出掛けるように仕向けたり、それをデートだと称する。
「んー…せっかくだし?勿体ないじゃん」
「勿体ないって………」
なんだその理由は。あまりに軽々しい蜜の言い方に、拍子抜けしてしまう。
「人と人の関係って縁じゃない?見ず知らずの他人同士の間に縁が生まれるって、それって奇跡みたいなものだよ?どんな理由でもせっかく縁が出来たなら、活かさないと勿体ないと思うの。もちろん、どちらかが本気で嫌がってたらあたしだってこんな事しないよ。だけどカナちゃん、坂上先輩の事は嫌いじゃないでしょ?」
「それは、まあ……」
正直に頷く。猪突猛進型で、周囲の視線を気にする事の出来ない人だが、悪い人でない事は分かっている。むしろ、真摯で誠実な人だ。はっきりと夢を持ち、それに向けて前進し続けられる姿勢には、憧れさえ抱いている。
「だよね。カナちゃんは一生懸命な人を無碍に出来る人じゃないよね」
………ただ、そう分かりやすく言葉にされると無性に反発したくなってしまった。むず痒いような気持ちになる。
「しっかり者のカナちゃんにちょっと抜けてる先輩って合うと思うし、仲良くしたら良いじゃない?それでもし、幸せになれるなら儲けものくらいに思ってみたら?」
カナちゃんは難しく考えすぎだよ、と蜜は微笑む。優しく諭すような声音は不思議と蜜を大人びて見せて、思わず素直に従ってしまう。
だけどね、蜜。本当はその縁すら、私と坂上先輩には繋がっていなかったのかもしれない。
「納得したらね、カナちゃん?服を脱ごうか」
例え夏祭りに行っても浴衣は着たくないと、懸命に抵抗してみたが、蜜にそんなものが通じるはずもなかった。
蜜に教えられた待ち合わせ場所、祭り会場を示す看板の下へ向かえば、すでに坂上先輩はそこにいてスマートフォンを操作しながら暇を潰していた。どこからどう見ても今時の若者だが、私は何故だかそれに違和感を覚えてしまう。………どうやら、先輩の独特な性格に馴染み過ぎてしまったようだ。普段の様子が頭に浮かんで、純粋な目で見られない。
「すみません、お待たせしました」
私の声に反応して、坂上先輩が顔を上げる。その目が私の姿を認めると、ゆっくりと見開かれた。
結局抵抗虚しく蜜に浴衣を着せられた私は、髪も纏められて浴衣と同じ淡い紫の花飾りを付けられた。その上、薄く化粧まで施されている。普段全く化粧をしないので、ベタベタしたグロスが気持ち悪い。
ここが本当に乙女ゲームの世界で、私が本当にヒロインだったとすれば、攻略対象者は見惚れるあまり目を見開いたのだろう。けれど私は偽ヒロインの可能性があり、相手は坂上先輩だったので、そんな甘い展開は待ち受けていない。坂上先輩の目は、物珍しいものを見た、と好奇心一杯で纏わりついて来た弟のそれと同じだった。
「浴衣か、何か意外だな。要はそういうの嫌がりそうだ」
「嫌ですよ。蜜に押し切られたんです」
そう答えれば、先輩は納得したように頷く。そして、それ以上大した反応もなく、くるりと私に背を向けると祭り会場へ足を進める。
「じゃあ、行くか」
うんうん、それで良い。先輩は子どもみたいで良い。思わずほっと安堵の息を漏らす。浴衣姿に対し、変に反応されてしまえば、どうしたら良いのか分からなくなってしまうから。
「あ。悪い、忘れてた」
「?何をです?」
先輩が立ち止まるのに合わせ、私も三歩ほど後ろで立ち止まる。すると、先輩はこちらを振り返り、二歩分の距離を詰めた。そのまま、私の肩を掴む。
「浴衣、よく似合ってる。可愛いな」
―――――――――――そのとき、声を上げて叫ばなかった私を褒め称えたい。どうして、あの人は、子どもみたいなのに、実際に下心など一切無い癖に、あんな言葉を、サラッと口に、出来るのか!こちらは免疫など何もないのだ!普段の残念な感じのギャップも相俟って、非常に、非常に破壊力抜群すぎる!
おそらく真っ赤に染まったであろう顔が、夜闇に紛れてくれた事だけが唯一の救いだった。
読んで頂きありがとうございます。
今晩中にもう一話更新するかもしれない、という自分を追い詰める予告をしつつ…