疑似ヤンデレ体験中
少々風変わりな友人曰く、『殺したいほど愛してる』『君が手に入らないなら死ぬ』というおいちょっと待て、無茶苦茶な理屈を振り回すな、と言いたくなるような思考をする人を『ヤンデレ』と呼ぶらしい。
相手を好き過ぎるが故に病んでしまった人達の総称だとか。何だそれ、危ないな。私の知っている愛情とは、むしろ愛する人を守ろうとするものだ。手に入らないから死ぬというのも、それは最早脅しだろう。そう言えば、友人はケラケラと笑う。
『カナちゃんって冷めてるようで純粋だよね』
私は別に冷めてもいないし、純粋と呼ばれるほど綺麗な存在でも無い。しかし、そう反論した所であの妙に泰然とした所のある友人は耳を貸してくれないだろう。うんうんそうだったね、とまるで宥めるように流されてしまうのがオチだ。彼女と話していると、時々自分は無知で幼い子どものような錯覚を受けてしまう。
さて、友人の事は一先ず置いておいて、私が何故突然ヤンデレなどという世間一般的にけして受け入れてはいけないものに思考を巡らせたかと言うと、
「おい、こら。他の男を見るな。俺を殺す気か」
目の前の彼の発言も、何も知らない人が聞けばヤンデレに聞こえるのかなあ、と思ったからだ。
しかし、彼はヤンデレではない。私の事を殺したいほど愛している訳でもないし、もちろん鈍感な私が彼の言葉を本気にしていないだけ、というオチも無い。彼は本心から私へ好意を抱いていないのだ。それをもちろん彼自身も、私も承知している。
しかし、それでは何故、彼がそんな発言を繰り返すのか。その切っ掛けとなる日は、高校に入学して半月ほど経った四月末の事だった。
その日、私は放課後になって音楽室に教科書を忘れてしまっている事に気付いた。音楽室は特別棟二階の一番端にある。取りに戻るには少々面倒な距離だった。明日も音楽の授業はあるし、明日回収すれば良いか、という誘惑も浮かんだが、残念な事に教科書が必要な宿題が出されていた。私は観念して、放課後の音楽室に向かった。
特別棟の階段を上り、突き当りを目指す。すると、段々メロディーが聞こえて来た。音楽室の防音設備も完璧ではない。それは音楽室から聞こえて来るピアノの音色だった。
音楽の成績は精々平均で、ギリギリ音痴ではないと信じているけれど、けして音感がある訳でも無い。加えてクラシックなどに興味のない私に、その曲が何なのかは当然分からなかった。しかし、荒々しさの中にどこか静謐さを感じさせる音色に、私の心は惹きつけられる。重苦しい音色に悲壮な決意のようなものを感じた。
音に誘われるように扉を開ける。今日、初めて授業を受け持ってくれた、お母さんと同じくらいの年齢なのに、あのどこか可愛らしい先生が弾いているのだろうか。何だか意外で心躍った。
ゆっくりと扉を開け、静かに中を覗き込む。教卓の前にあるグランドピアノを奏でているのは、私の予想に反し、見覚えのない男子生徒だった。
私が曲に抱いた感想のように、彼もまた、決意を滲ませるような顔でピアノを弾いていた。まるで何かに耐えるように唇を噛み、荒々しくも丁寧に鍵盤を叩く。近くで聞けば余計に、心臓を鷲掴みにされるような音だと思った。妙な高揚感で、ドキドキと私の心臓の音も加速した。
ピアノの音色はラストスパートを迎えたようで、どんどんスピードが上がっている。呼吸も忘れて聞きいっていれば、ピアノは余韻を残してその曲を締めくくった。
「すご……」
思わず呟く。ピアノの事は何も分からない、曲も、技術的な事も。けれど、この心臓を掴まれるような感覚は初めてで、思わず呟いていた。
すると、男子生徒の視線がぐるりと物凄い勢いで巡り、私を捕らえる。正面から見た彼は、一言で言えば不良っぽかった。髪は染めたものだろう、赤みのある長めの茶髪を上げて流している。ピアスがいくつも空いていて、見ているだけで痛そうだった。特に軟骨。襟元を大きく空いており、そこからもシルバーアクセが覗いている。我が校は自由な校風だが、それは裏を返せばわざわざ校則で縛らずとも自重する真面目な生徒が多いという訳で、ここまで派手な人を初めて見た。
上靴のラインの色が緑なので、おそらく二年生の先輩だろう。彼は、元々はその容姿に相応しく鋭いだろう目を、まん丸にして私を凝視する。その目の色は薄いベージュで、何故か元々色素が薄いのだな、とどうでもいい事を考えていた。
「………っおまえか!!」
しばらく呆然としていた彼は不意にその目に光を宿すと、私に向かって叫んだ。ついで、息つく間もなく私に手を伸ばそうとした。私からすれば、襲い掛かろうとしているとしか思えないスピードで。
私は反射的に逃げた。全力疾走で逃げた。あのとき、私は人生最速のスピードを出せていたに違いない。待てコラ、というドスの効いた声にも怯まず逃げ出した私は、何とか自分よりも二十センチ以上背の高そうな男子生徒を振り切る事が出来たのである。
と、思ったのが甘かった。
次の日、私が登校すると彼が校門で待ち構えていたのだ。校門で腕を組み、ふんぞり返って仁王立ちをする彼は、非常に目立つ。比較的真面目な生徒の多い我が校で、あの容姿は異質なのだ。だからこそ、早々に彼を発見した私は、すぐさま逃げ出そうとした。高校入学から一ヶ月もしない内に遅刻などしたくはないが、背に腹は代えられない。どこかに潜んで、始業のあとに校舎に入ろう。その頃には彼もいないと信じて。
しかし、ギラギラと目を光らせていた彼は、こそこそと退散しようとする私を見逃してはくれなかった。彼は凄まじい早さで私に迫り、この腕を掴んだ。
「どうして逃げるんだ」
どうして、って貴方が怖い顔で睨むからでしょう、と思ったがそんな事を口に出せる訳がない。相手はどう見ても喧嘩は日常茶飯事です、と言いたげな容姿の大柄な男子生徒だ。162cmある私よりも、まだ20cm近く高そうな背をしている。
気の小さい小市民の私は、完璧に縮み上がっていた。そんな私の腕を、逃がさないとばかりに強く握り、彼は怒りに任せるように大きな声で言った。
「俺はおまえに愛されて無いと死ぬんだぞ!俺を殺す気か!?」
………………………………………………はあ?
私の口からは正直にその言葉が飛び出した。思わず飛び出た言葉だからこそ、それには私の本心が籠っている。はあ?この人頭大丈夫?
彼は朝の校門という非常に人通りの多い中でそう叫ぶと、私達を遠巻きに見ていた人垣を掻き分けて私をその場から連れ去ったのである。
その後、彼から説明された事情は以下の通り。
どうも、この世界は乙女ゲームの世界であるらしい。私は詳しく知らないが、それってあれでしょう?女の子が複数の男の子達と恋をする、恋愛シミュレーションゲーム。ゲームの中の世界だって?そんな馬鹿な。
それが私の本音だった。しかし、その言葉をそのままぶつけるには、彼の表情があまりに悲壮だった。
彼は物心つく頃には前世の記憶があり、このゲームについては知り合いの看護師さんが彼に目を輝かせて語り聞かせたらしい。そのとき聞いた話と、この世界の地名や学校が完璧に一致するそうだ。そして何より、彼にこの世界がゲームの世界であると確信させたのは、彼自身がその乙女ゲームの攻略対象キャラだったから、らしい。
『坂上俊希』は所謂不良系先輩キャラ。粗暴な見た目に反して実はピアノが得意。父は指揮者、母はピアニストという音楽一家に生まれ、当然幼い頃から音楽に触れ、ピアノの英才教育を受けて生きて来た。しかし、中学生の頃に自分の才能に限界を感じ、ピアノを辞めてしまったのである。その為に両親ともぶつかるようになり、両親への反抗の結果派手な見た目で喧嘩を繰り返す不良になってしまったらしい。
「この名前もあの人が言っていた攻略キャラと同じで、両親の仕事も同じだ。たぶん、間違いない」
そう言われたって簡単には信じられない。だって、私にとってはこの世界だけが現実なのだ。それがいきなりゲームの世界と言われても実感が湧かない。
「まあ、確信を得る方法なんかないな。ただ、その可能性がある限り、俺には避けなければいけない事がある」
「避けなければいけない事?」
彼は神妙な顔で頷いた。元々の顔がゲームのキャラと言われても納得できるほど綺麗なのだが、どちらかというと強面の為に少しゾッとする。
「このゲームには攻略対象キャラのデッドエンドがある。話半分に聞いていたから曖昧なんだが、様々な条件が成立して最終的にヒロインに選ばれなかった男には、死ぬ可能性があるらしい」
「………はあ?何ですか、その馬鹿みたいなオチ」
振られたって死ぬ事はないだろう。それとも、それほどまでに残酷な振り方をするのだろうか、この世界のヒロインは。
「知るか。とにかく、ヒロインが別の男を選べば俺は死ぬかもしれない。だが、俺は死にたくない」
「でも、条件とか、そういうの覚えていないんですよね?だったら、ヒロインに絶対に他の男を選ばないようにしてもらうしか、対応策は………」
そこまで言い掛けて、私の背に夥しい量の冷や汗が滴り落ちた。ちょっと待て、ちょっと待て、この先輩さっき校門で何て言った?確か私に愛されないととか―――――――――
「その通りだ。だからおまえ、絶対に他の男を眼中に入れるなよ」
「え?え?あの、先輩、それを何故私に………」
どうか否定してくれ、と願望を込めて問いかけた。しかし、彼は無情にも私のそんな思いを斬り捨てたのである。
「おまえがこの世界のヒロインだ。あのタイミングで音楽室に来たのが何よりの証拠だ」
眩暈がした。ヒロインを見付ける為にわざわざきちんと『坂上俊希』との出逢いを演出したんだからな、と呟く彼のその言葉がどこか遠い世界の事のようだった。
それ以来、私は坂上先輩に他の男を見ないよう、監視されている。トイレと授業以外は一日中貼りつかれている状態である。最早立派なストーキング行為だが、校内では不良と名高い『坂上俊希』が真実の愛に目覚め『愛しの彼女』に誠心誠意尽くしている、という美談として噂されていた。その為に、どこへ行っても生温かく見守られている。一部の上級生女子には苛烈に睨まれているが。不良と言えども、坂上先輩の面立ちは確かに綺麗だ。さぞおモテになるのだろう。とばっちりも甚だしい。
「うひゃひゃひゃひゃ。ウケる。坂上先輩、本当に最高」
女子にあるまじき笑い声を上げるのは、私の友人である音川蜜。こんな笑い方をするが、見た目は思わず守ってあげたくなるようなゆるふわ系美少女である。前髪はパッツンで色素の薄い髪は緩くウェーブを描きながら腰まで伸びている。色白でほんのり赤く染まる頬、唇も自然に色付き、大きな瞳を守るように長い睫毛が上を向いている。小柄で大変愛らしい少女だが、中身は結構何と言うか………ちょっぴり残念だ。
少女らしさに欠ける私とは正反対の人種だが、不思議と気が合い、入学式で出逢ったばかりにも関わらず、何年も共に過ごして来たような気安さがある。
「私もあの日、特別棟に行ったんだけど、二人が全力疾走してるから何事かと思えば、そんな愉快な事になっていたのね」
「他人事だと思って」
「良いじゃん、カナちゃん。愛してあげなよ」
蜜は向田要という名前から、『カナちゃん』という愛称で私を呼ぶ。ちなみに、蜜は全ての事情を知っている。強面で隙の無い見た目に反し、割と単純な所のある先輩が強かな蜜に言葉巧みに白状させられた。先輩、ちょろ過ぎる。
「いやいや、愛って。私は先輩の救命措置ってだけだし」
先輩の言葉を信じれば私はヒロインであるらしいが、私も先輩も意思ある一人の人間である。いくら私がヒロインで攻略対象と言えど、そんな風にいきなり惚れる訳がない。ましてや、私は女子力に欠ける残念系女子だ。髪は櫛を通すだけの伸びっ放しで、顔だって地味系の日本人顔だ。蜜ほどの美少女ならともかく。
ぐるりと教室内に留まる男子生徒を見回す。昼休み中はどこもかこも騒がしいものだ。初めこそ坂上先輩の襲来に皆息を潜めて警戒していたが、今では慣れたものである。この中の果たして何人が、私を『女子』であると認識してくれているだろうか。そんな私がヒロインであるなどとはとても思えないのだけれど。
すると、先輩に頭を両手で掴まれた。そのままぐいと動かされ、坂上先輩と向き合わされる。
「他の男を見るな。おまえは俺だけを見ていれば良い」
……………………絶対に一般の本当に愛のある彼氏よりも束縛が激しい。まあ、彼も命が関わっているので必死なのだろう。それは分かる。分かるが、猛烈に恥ずかしいので人前でそんな発言をしないで欲しい。私の心は小市民なのだ。
声を押し殺し切れずに笑う蜜の態度が、無性に憎らしかった。
読んで頂きありがとうございます。
設定こそ乙女ゲーム世界ですが、割と真面目に恋愛していく予定です。コメディーというより、ほのぼの寄り。
最後までお付き合い頂けると幸いです。