第201話 灰猫の狩人
◆ アバンガルド国境付近 フォウレスト山脈 ◆
「私はニース、ファントム獣人族代表バルバス様の側近を勤めさせていただいている者です」
ほとんどの人達にはクリンカの懸命な治療の施しようもなかった。冒険者の半分近くがこの丁寧な挨拶をした猫人間のニースに殺された現実。麓の町で冒険者の一団が山の中に入っていったという情報がなかったら、ここにすら辿り着けなかったと思う。だけどどのみち、遅かった。あっちの仲間も何人か倒れているみたいだし、戦いの跡はあったみたいだけど結果は見ただけでわかる。
「ファントムは……どうしてこんな事をするの」
「こちらの支配している領域に踏み入れば、攻撃すると予め警告はしました」
「そうじゃなくて! ファントムって何なのさ! エルメラは何がしたいの!」
「強いて言うならば……逆転でしょうか」
「はぁ?!」
長い尻尾を揺らめかせるその仕草は何だか馬鹿にされているような気がした。血が滴るその爪を地面に落とし、構えを解く。
「未だにファントムが何なのかはわからないけど、殺された人達の仇は討たせてもらうよ」
「奇遇ですね、私はすでにそれを果たしましたが」
「なにそれ! ふざけないでよ!」
「ふざけている……?」
「先に手を出したのはこっちだ……それは本当だ。領域に踏み入ったら殺すという警告を無視したんだ、俺達は……」
セイゲルさんがそう言うからには嘘じゃないと思う。だけど元々はファントムがネーゲスタ国を占領したのが悪いんだ。だからボク達はそれをやめさせにきた。何も間違ってない。
「ニースさん……でしたよね。こんな事をしていれば、いずれ世界各国に認識されてすべてが敵に回ります。そうなった時にあなた達はどうするんですか」
「そうですね……その時はこうします」
【灰猫の狩人ニースの攻撃!】
唐突の踏み込み、しかも決して油断していなかったボクの反応が遅れるほどの速度。完全にかわすつもりが薄皮一枚かすってしまう。子猫にひっかかれた後みたいに腕にうっすらと三本線の血が滲む。穏やかな物腰からの突然の攻撃、やっぱり獣だった。
【リュアはひらりと身をかわした!】
「ちょ、やっぱり戦うの?!」
「これは狩りです」
【灰猫の狩人ニースの猫瓜振り! リュアに265のダメージを与えた! HP 42747/43012】
上下から襲う爪、いや真空の刃。逃げようとしたら、この刃の檻で余計にダメージを受けてしまう。だからせめてディスバレッドで被害を最小限に抑えるべく、すべての刃を振り払って取り除いた。だけどその刃一つの速度が尋常じゃない。すべてをかわしきれなかったボクは悔しさを噛み締めつつも、どうやってこの猫を黙らせようか考えていた。
【灰猫の狩人ニースの歯二噛み! リュアはひらりと身をかわした!】
「た、食べる気だ!」
「元より」
短くそう答えた凶暴な猫は行き着く暇もボクに与えてくれない。あまり手加減できる相手じゃないのはわかった。それどころかボクのスピードについてきてるのが新鮮だ。こんなのは奈落の洞窟以来だし、この猫ならいいところまで行けるんじゃないかな。そう考えると、10年もかけてあの洞窟を攻略したボクが傷つく。
「まさか手加減されるとは思いもよりませんでしたよ」
【灰猫の狩人ニースの窮爪! リュアに1438のダメージを与えた! HP 41309/43012】
危うく服全体が切り裂かれるどころだった。ブーツはばっくりと避け、その足に鋭い痛みと共に血が流れ出る。踊るようなニースの動きに少なからず翻弄された自分が情けない。ニースの言う通り、殺さないように手加減しているのに。普通の魔物なら倒して終わりにするところだけど、こいつらファントムはどこか違う。見た目は魔物とあまり変わらないのに、あっちと違うのはどこか冷静だからかな。
【灰猫の狩人ニースの窮猫! リュアはひらりと身をかわした!】
「ニース様が捉えきれていないだと……」
「ニース様のスキル、窮猫は相手が速ければ速いほどその切れ味も精度も増すはず……あのニンゲンの娘、一体何者だ?!」
ニースの仲間が起き上がってきた。また暴れられると面倒だし、どうにかして黙らせたい。この猫ならパンサードといい勝負をするんじゃないかな。魔王軍十二将魔にして魔獣達の頂点に君臨していたパンサード、だけどあいつはどこか戦いに慣れてなかった。ブラストキマイラと特訓はしていたみたいだけど、活動を始めたのがつい最近なら戦いの経験が浅くて当然。
だけどこの猫は違う。何年も、ひょっとしたら何十年も戦いを繰り返してきたような緻密なまでの戦い方。こんなのが突然出てくるんじゃ、誰もが手を焼いて当たり前だ。
【リュアの攻撃! 灰猫の狩人ニースはひらりと身をかわした!】
ディスバレッドは使わず、拳だけで黙らせようというのが甘かったかも。丸腰での戦いなら、あっちのほうが上かもしれないというのにボクは何をやっているんだろう。だけどこうなってしまったら、意地でも当ててやろうとムキになってしまう。
岩や地面を蹴って戦うボク達の姿は誰一人として捉えられていない。ここに初めからいなかったら、速すぎて戦いが起こっている事にすら気づかない。どこを追えばいいのかわからず、ついにはその場に立って武器で自衛する始末。心配しなくても巻き込まないから。
「戦いの中でそんな顔を出来るニンゲンもいたものですね」
「え、どんな顔?」
「幸せそうに笑っている。そして今も尚、力の半分も出していない。ところでこんな言葉をご存知ですか? ニンゲンのとある国で発祥した言葉です」
【灰猫の狩人ニースの窮猫!】
「窮鼠、猫を噛む。鼠ではありませんが追い詰めたと思っていると、思わぬ痛手を受けますよ」
【リュアは2044のダメージを受けた! HP 39265/43012】
思ってもない方角からの斬撃、こっちの隙を的確についてきたかのような動き。その爪は、ボクの腕ごと切断しようと凶暴に食い込んでくる。それが脇、お腹、足にも同じように襲ってくる。
「どういう思惑かは存じませんが、その甘さはいつか必ず命取りになります」
「そうだね……今のはちょっと痛かったから、そろそろ終わらせるよ」
【リュアの攻撃!】
「……ッ!」
この猫、すごすぎる。何がすごいかって、ボクの拳に反応して避けようとしたところ。つまり反応だけなら完全に間に合っていた。だけど予想外だったのは今までとは比べ物にならないその速度だったみたい。猫が後ろに引いてかわす速度が完全に間に合っていない。灰色の毛がふさふさと生えているそのお腹に拳がめり込み、貫通寸前で止める。
「ブフッ……!」
【灰猫の狩人ニースに14651のダメージを与えた!
灰猫の狩人ニースを倒した! HP 0/14306】
牙が生え揃う口を大きく開き、血を吐き出しながらニースは刺々しい岩に激突して横たわった。尻尾をわずかに動かしながら、にくきゅうに近い手をぴくりとする。
「お、おい! やったのか!?」
「早く止めを刺すんだ!」
冒険者を何人も殺した凶暴な魔物だし、あの人達の言う通りだと思う。だけどさっきも思ったけど、こいつはどこか他の魔物と違う。セイゲルさんの話だと、いきなり襲いかかったりはしないでまずは警告したなんて。獣の園にいた喋る魔物だったら同じ事をしたかな。ボクが引っかかっていたのはここだった。これじゃ今まで倒してきた魔物達に失礼かもしれない。ボクが間違っているのかもしれない。
「どうやら致命傷は避けているみたいだな……。リュア相手になんて奴だ」
倒れて悶えている猫に近づくセイゲルさんと冒険者達。このままじゃ殺されちゃう、だけどそれをボクが止めるのも変だ。まず絶対に納得してくれない。それぞれが武器を瀕死の猫に突きつけて、止めを刺す気満々だ。
「かわいそうだけど、こっちも仲間がやられてるんだ。狩りと称した以上、自分達が狩られる覚悟だってあるんだろう」
ルピーさんの言う通りかもしれない。だけどこのままでいいのか、ボクは今一踏み切れなかった。片手を猫に向け、何かの魔法を放とうとするルピーさんを止めるかどうか。
「私は君と違って獲物をいたぶる趣味はない。ひと思いで殺してあげよう、スター――――」
「ダメッ!」
猫を抱えて冒険者達から引き離す、気がついたら体がそう動いていた。一呼吸遅れて放たれたルピーさんの石のようなものは猫が倒れていた岩部分に直撃して、かなり深くまで貫通する。皆にはその場からいなくなったようにしか見えなかったみたいで、少しの間だけ破壊された岩部分を見つめていた。
「クリンカ、このニースも治療お願い」
「え、えぇ?! だって敵じゃ……」
「また襲ってきても大丈夫」
「……信じるよ?」
渋々引き受けてくれたクリンカ、もうずっと一緒にいる仲だからこういう多少の無茶も飲んでくれる。クリンカのヒールのおかげでニースの苦しそうな顔が和らいでいき、ようやく落ち着いた。うっすらと目を開けた次の瞬間だった。
【灰猫の狩人ニースの攻撃! リュアはひらりと身をかわした!】
「ちょ、いきなり何するのさ」
「……この奇襲もかわしますか」
ボクの顔めがけて放たれた爪を難なくかわして、そのふさふさした腕を掴む。助けてもらった途端に攻撃してくるなんて恐ろしい奴だ。それ見た事かと言わんばかりにまたあっちにいる冒険者達は騒ぎ始める。
「何をしてるんだ! 馬鹿なのか?!」
「だから殺せと言ったんだ!」
「うるさいッ! ボクが倒したんだから、どうしようと勝手でしょ!」
野次に堪えきれなくなって力の限り叫んでしまった。思った以上に力が入りすぎたのか、逃げ腰になった冒険者達はかすかに震えながら、こちらを伺っている。知らず知らずのうちに威圧してしまったのかもしれない。
そんな様子を見て呆れたのか、ニースは腕の力を緩めた。それを見止めてからボクは腕をゆっくりと離し、見れば見るほど不思議なニースという存在から目を離さない。
「ファントムは……エルメラは何者なの?」
「情報を聞き出そうとしても無駄ですよ」
「じゃあ、いいよ。直接ネーゲスタに行くから」
「あの国には現在、数百の獣人族がひしめいています。そんな中にニンゲンが飛び込めば、どうなるかわかるでしょう?」
「ファントムが危険な奴らならボクが残らず倒すよ」
力強く言い放ったおかげか、ニースはわずかに息を呑んだ。自分を負かした相手だし、実力は感じてもらえたからかもしれない。獣人族が何なのか、ファントムは、エルメラは。わからない事だらけだし、何よりコウとブンもいるなら助け出さなきゃいけない。
「……おかしなニンゲンの少女ですね」
「そう?」
「それだけの圧倒的な力を持て余すニンゲンというだけでも不思議で仕方がありません。我々の知るニンゲンとは少し違います。いや、そちらの少女は見れば竜の姿でしたが……」
「オイッ! 何を談笑しているんだ!」
痺れを切らした冒険者達がにじり寄る。考えてみればこのニースに何人も仲間が殺されたわけだし、黙っていろというのも無理な話だった。だけどこれ以上戦ったら今度こそあの人達は殺される。ルピーさんを初めとしたAランクの実力者でさえ止められなかった相手だ。もうこれ以上、誰も死なせたくない。
「敵を回復するなんて、何を考えているんだ?」
「わかんない、わかんないけどファントムはボク達に任せて」
「そんな魔物に情でも抱いたか? 馬鹿な事を……こっちは仲間が殺されているんだぞ」
「やめろ、何度も言うがそれに関してはお互い様だ。ここはリュア達に任せよう」
セイゲルさんが静かに割って入ってくれたおかげで、息を荒げた冒険者達の怒号が止まる。さっきまでニースを殺そうとしていたルピーさんも、今は冒険者達に無言で首を横に振った。
「セイゲルさん、あんたまで……」
「じゃあ、お前勝てるか? 獣人族の恐ろしさは今ここでたっぷりと味わっただろ? それに人数ではこっちが勝っていた。それにも関わらず、この惨状だ。お前、このまま死にに行くのかよ」
「……わかった」
渋々というよりは心の底から納得した感じだ。殺された人達の死体を皆で集めて、ノキリが木の枝を操ってそれを運んでの作業。いや、ぼんやりと見ていたけど何あのスキル。
「というわけだ。オレ達はここでリタイアするが、この二人は半端なく強いぞニースの姉ちゃん」
「ニンゲンなのに私が女だとよくわかりましたね」
「普通わかるだろ?」
なんとなくわかる、声とか落ち着いた物腰なんかが特に。でも他の人達の反応があまりないところを見ると、どうでもいいと思われているに違いない。人を殺した化け物、歯を食いしばりながら睨みつけるその目がそう物語っていた。
◆ カシラム国 ハンスの工房 ◆
「いんやー! ここまで腕の立つニンゲンの鍛冶師がいたなんてにぃ!」
「お前らこそ、なかなかやるじゃないか!」
なんか、このよくわからない状況。何なの、そう聞きたいけどお母さんもすっかり溶け込んでいる。あの得体の知れないヒゲもじゃの小さいおじさん達とお父さんがお酒を酌み交わしている。うちの工房は自慢じゃないけど今じゃ、鍛冶の依頼が殺到している。半年待ちなんてまだいいほう、最悪3年待ちだ。世界3大名工のハンスでさえ捌ききれないほどの依頼、毎日の仕事が深夜まで及ぶ。おかげで家計は潤ってくれたのだけど、さすがに寝不足でしんどい。
「これで今までの頼みごとは終わりかにぃ?」
「おう、助かったぜ。オレとタターカだけじゃ、何年かかったかわからねぇ」
「なぁに、困った時はお互い様だにぃ」
「しかしドワーフか、それになんだ。そのファントムってのはとんでもねぇな」
「あぁ、オラ達は正直乗り気じゃねぇんだ。復讐なんてよぅ……」
一通りのいきさつを聞いた上でも何度でも何なのと聞きたくなる。遥か昔、人間に追われて地底にまで逃げ延びた種族達が数百年ぶりに地上に出てきてこうしてお父さん達と意気投合している。確かにこの人達が人間じゃないと言われても、ある程度は納得できる。見た目はヒゲもじゃのおじさんなのに身長は私よりも低い。このずんぐりむっくりな体型でも人間と言われても納得できるけど、違うと言われたほうがどちらかというとしっくりくる。
そんな風貌のおじさん達が7人、よく入国できたなと感心するばかりだ。何でも金貨をどっさりと見せ付けたら、あっさりと入れてくれたとか。例の盗賊事件以来、警備は厳しくなっているはずだけどこのおじさん達の人懐っこさが気を緩ませるのかと思う。
「そのエルメラってガキ、舐めてやがんな。正座させてやるぁ!」
「オラ達もエルメラには逆らえにぃ……あいつは……なんていうか、ハンスの言う通りガキなんだ」
エルメラという少女がこの人達のリーダーらしい。でもこの様子だと、あまり良くは思っていないようだ。
「虫でもカエルでも面白がって殺すのが子供だにぃ。エルメラは肉体は成長しているが、精神がずっとそのままだにぃ。ファントムのリーダーといったって、あの子のはリーダーごっこの延長線にすぎない……リーダーの自分に酔ってるだけだにぃ……」
グラスを回しながら、アルコールで顔を赤らめたドワーフ達は泣きそうなほど悲しんでいる。エルメラに恐怖しているんじゃなくて、心の底から心配している。そんな風に感じた。
「しかし、誰かが頭をガツンとしてやらにゃいかんだろ?」
「それが出来る奴なんて……」
「そんなに強いのか?」
「強いとかの次元じゃないにぃ。同胞や最愛の姉ちゃんを失った時から、強さも中身もあの子は普通じゃなくなったんだろうなと……そう思うにぃ……」
「話は聞いたぞッ!」
工房の扉が勢いよく放たれたその先に立っていた人物。なんでここに、と思ったけどそういえばあの方からも依頼を引き受けていたんだった。それにしても護衛もつけないで歩くなんて、無防備というか頭がおかしいというか。いや、本来なら私達が渡しに行くはずなんだけど。
◆ シンレポート ◆
んん これは なにやら やばぁいかんじです
りゅあよ おまえのたちばで かんがえてみるです
たとえば くりんかが あいつに ころされたとして
だまって いられるですか
ただでさえ しゅんげきしょうじょは しっとされまくっているのに
またまた ひにあぶらを そそぐとは
なにを どうしようと しんは しらんぷりです
だけど じぶんのこうどうが どういうけっかを まねくのか
きちんと かんがえるです
お これは れぽのきれが いいです
ふんふん おいわいに とっておいた ごーるどべりーまろんでも
あ ああ ばっくりと ぐちゃって あぁぁぁ
あの ねこ どうぐぶくろを きりさきやがった!
ころせ! じひはない! いますぐ ころすのです!




