第143話 魔族 前編
◆ カシラム王都 中庭 訓練場 ◆
強い日差しの下、全身から汗を流して地面に膝と手の平をつけて激しく呼吸を乱す王様。ボクも王様も武器は持っていない。武器同士の戦いになると殺さないようにするのに苦労するからそういう条件をつけたけど、表向きには素手でボクの闘志を伝えるとか適当な事を言っておいた。ちょっと前のボクならこんな嘘なんかつけなかったけど、これも成長っていうんだろうか。
そのおかげでボクに拳をかすらせる事すら出来なかった王様がこうして、バテている。それにしても長かった。どれだけ体力あるのってくらい動き回るし、かれこれ2時間は戦っていたと思う。おかげでお昼を食べ損ねた。
「ボクの闘志を買ってよ」
ボクの闘志を買ってもらってマテール達の死刑をやめさせる。この闘王相手にそんな事を切り出せたのも、ずっとこの王様と接する機会が多かったおかげだと思う。何回、闘志と聞いたかわからない。それならボクの闘志を見せてあげるしかないと思ったから、決闘を持ちかけた。もちろんこの王様が逃げるはずもなく、すぐにこの中庭に移動だ。
実際、この人と戦ってよくわかったけどものすごく強かった。斧を持たなくてもSランクと並べるんじゃないかというほどだ。パンチ一つとっても常にボクの次の動きを予測した上で放ってきた。そうやって一つずつ学習して動きを予測して精度を高めてくる。ボクが奈落の洞窟で磨いてきた力みたいに、王様も苦労してそんな力とセンスを身につけたはず。命令通りに戦うマシンには到底真似できない。
「フ……私の負けを認めよう」
「陛下?! そんなはずは……」
「お前も戦った事があるならわかるだろう。我ら二人が赤子扱いだぞ、他に誰が勝てる」
「グッ……まさか陛下までもがッ!」
涙をこらえてるんじゃないかと思えるほど、ヴァイスの体が小刻みに震える。だけど地べたに座って、汗を拭う王様は全然悔しがっていない。それどころか運動後の清々しささえ感じさせる。水が入ったボトルに口をつけて喉の音が聴こえるほど豪快に飲んでいた。
「しかし、この事が城下町にでも知られたならば……」
「それで舐める連中など知らん。私は変わらん。そうだ、ハンスの工房の件だがな。予定通り、資材と人材を送っておいたぞ」
最近知ったんだけどこの王様は自分の部下にあまり頼らず、ほとんど一人で仕事をこなしているみたい。王様の仕事なんてボクには想像できないけど、大変なんて言葉じゃ片付かないんだろうな。考えてみたらボクなんかずっと戦い続けてきたわけだし、王様みたいな人に比べたら強くなって当然かもしれない。
「帰りにハンスさんに挨拶していこうか」
「そうだね、ディスバレッドのお礼もしたいし……えへへ、これ本当に気に入っちゃった。ボク専用の剣っ!」
「いいなぁ、私も何かないかなぁ」
「そのプレゼントした杖じゃ不満?」
「そんな事ないよ! これすごく気に入ってる!」
杖を抱きしめて頬ずりするくらい好きなんだろうか。でも専用の武器がほしいのはわかる、何かあればいいんだけど。
「ハンスに特注してみたらどうだ? 私のこの斧も奴の手で作られた」
「うーん、ハンスさんの腕は優秀だけどそういうのじゃなくて……何かもっと唯一無二感のあるっていうか……」
「そういうのとは何だ! 無礼だぞ、貴様!」
「黙ってろ、ヴァイス」
「はい……」
ディスバレッドみたいに世界で一つしかない感、とでもいえばいいのかな。だけどそんなのあるんだろうか。ディスバレッドだって奈落の洞窟の奥深くに眠っていたわけだし、あるとしてもその辺にはなさそう。
でもクリンカはドラゴンになれるし、下手に武器を持つよりも強いと思う。それじゃ納得できないかもしれないけど、本当の事だから仕方がない。
「二人はいつまでこの国に滞在する予定だ?」
「明日にでもアバンガルド王国へ帰ろうと思います」
「そうか……また機会があればいつでも来い」
「はい、その時にはまたご挨拶させていただきます」
なんでわざわざ挨拶しなきゃいけないのとは突っ込まない。クリンカだって本気で言ってるわけじゃないし、次に来る機会なんてあるのかな。あるとしたらそれはイークスさんに会ってからだと思う。長い間この国にいたけど、今度こそガーニス大氷河を目指す。その奥にある魔王城、そこにイークスさんがいる。
と今後の事を考えていた時、それはあまりにもゆったりと降りてきた。明らかにこの城に関係なさそうなのにそれはただいまとでも言いそうなほどに遠慮なく、広げていた黒い翼を閉じて着地した。
「この辺なんだよなぁ。確かにこの辺だ。絶対この辺だ」
王様やヴァイス、隊長や兵士と大勢いるのにそいつはまるで構わずに辺りを見渡していた。その視界には皆なんて入ってないんじゃないかと思うほど、そいつの関心はボク達にはない。漆黒の全身、額から生えた二本の角、華奢とも言える体つき。こいつが何なのかと考えれば答えは一つしかない。魔物だ。魔物がカシラム王宮の真ん中に堂々と降りてきた。
「言葉は通じるようだから問おう。何者だ」
「……あ? あぁ、なんかいたのか」
「ここがカシラム王国、それも王宮内と知った上か?」
「この辺なんだよ、絶対ここだ。なぁお前ら……ディスバレッドよこせや。ここにあるんだろ?」
その悪魔の探し物の名前はボク達だけに衝撃を与えた。ディスバレッド、それを探している魔物。ボクの中でもそれは一瞬で繋がる。
「……ディスバレッド? 知らんな」
「剣だよ、剣。あー、でもこの中にアレを扱えそうな奴はいなさそうだな」
ディスバレッドは元々、魔族という種族が作ったもの。それを探しているというあの悪魔の正体なんて聞くまでもなかった。あいつは。
「あれは魔族のものだ。お前らの手にゃ余る、差し出しておかないと食われるぜ?」
「剣か……。おい!」
「ハっ!」
「それらしきものを宝物庫にいって探してこい」
「え、しかし……」
「早くしろ」
いつもの王様らしくない。目の前に図々しい魔物が現れたというのに闘王は何をしているんだろう。それに宝物庫を探したってあるはずがない。そのディスバレッドはここにあるんだから。だったら名乗り出て正直に話せばいい、そう思うけどボクの中でそれを許さなかった。
ディスバレッドがあいつらの物ならどんな相手だろうと持ち主に返さなきゃいけない。それが正しいと思っていても決断できない理由は。それはディスバレッドを渡したくないから。せっかく手に入れた専用の武器という気持ちもあるけど、それ以上にあいつに渡しちゃいけないとボクの中で何かが警告している。あいつが魔王軍だからとかそんなのじゃない、もっと別の深い何かがボクの中にあった。
「確認しましたがそれらしきものは……」
「という事だ。ディスバレッドなんぞ聞いた事もないし、他を当たってくれ」
「あー……?」
そいつは闘王を下から覗き込むように、背後に回って頭から足先まで視線を這わせる。珍しい生き物でも観察するかのようなその動作は完全に王様を舐めている証拠だった。それもそのはず、絶対に表には出さないけど王様はあいつを刺激するような事は避けているから。
「なーんか、お前らってムカつくんだよなぁ。腹立つんだよなぁ」
怒らせてはいけない相手だとこの場で一番よくわかっているのは王様だから。あんなに無礼な事をされても直立したまま動かない王様もそうだし、いつもなら怒り出すヴァイスなんか額から汗を流して呼吸を乱している。
どういう事なのか、それは単純にあいつが二人よりも遥かに強いという事実。本当に強い人ほど実力差がわかる。のんびりした口調でおどけてはいるけど、そんな状態でも近くにいるだけであれだけ圧倒されているところからしてその差は絶望的だ。
「弱いくせに我が物で地上の支配者面してよぉ。俺達が本気出さなきゃわからんか」
何も言い返せずにそいつに目も向けず、嵐が過ぎ去るのを待つかのような王様。そんな王様と強引に目を合わせようとするそいつはついに王様の腕を掴み、そして。
「がぁぁぁぁぁぁッ!」
枯れ枝でもへし折るかのようだった。あの細い腕が人間最強クラスに近い闘王の腕をいとも簡単に。そして、遊び飽きた玩具を手放すかのように王様の腕から手を離したそいつに果敢にも立ち向かう人がいた。実力差とかそんなのは考えていない、王様に危害を加えた相手と守りきれなかった自分への怒り。グランドランの刃先が高速でそいつの胴体を狙う。その奥にある壁まで貫通するほどの威力だと思う、手加減なしのヴァイスの渾身の一撃。だけど。
「ガフッ……!」
「ほらな」
やれやれ、そいつが体全体でそう言いたげに両手を広げた時には闘王とSランクが同時に転がっていた。腹に一撃、Sランクの肉体へ簡単にダメージを与えたそいつ。
「ひ、ひぃぃっ!」
「陛下ッ!」
全員が駆け寄るのをつまらなそうにそいつは眺めている。止めを刺すわけでもないし、今のはあいつにとって邪魔な虫を潰すのと同じ感覚だ。攻撃ですらない。ダメだ、こいつは野放しにしちゃいけない。ボクは何を戸惑っていたんだろう。ディスバレッドを渡したくないとかそんなのより、もっと単純に危ない問題がある。こいつならこの国を滅ぼすのにそんなに時間はいらない。そいつが攻撃を開始した段階でもう誰も戦いを成立させられなくなる。そうなったらハンスやタターカだって、この国の人達だって。
「ディスバレッド、ボクが持ってるよ」
ボクの一言にそいつは驚く様子もなく、あくまでマイペースで振り返る。口を半開きにしたまま、一歩だけこちらへ踏み出した。指から生えた長い爪で頬を掻いているそいつを見ていると、馬鹿にされてるのか何なのかわからない。
「お、その後ろにいるのはシンじゃねえか?」
「ひっ!」
気づいたらまた背中に張り付いていたシンがこっそりと頭を出した瞬間、そいつに見つかってしまったみたい。シンの知り合いみたいだけど、この震える振動まで伝わってくるほどの怯えっぷりを感じていると、仲良しってわけじゃなさそう。
「やっぱりそうだ。お前、何してんだ?」
「て、てーさつです」
「ハハッ! 役立たずのお前に出来る事なんざそれしかないもんな! どうよ、魔族の面を汚して楽しいか?」
「シ、シンはやくたたずじゃないのです……」
「じゃあ、そんなとこにいないでここにいる奴らでも殺してみせろよ。魔族なら出来て当然だ」
「それはー……それは、それは……」
「クズが」
吐き捨てたそいつへの怯えようが半端じゃない。鼻水をすすって涙ぐんでいるのが背中越しに伝わってくる。シンが魔族だと知ってもそれほど驚かなかったし、魔王軍だというのはこの前のセリフですでにわかった事だ。
何故か知らないけどシンはボク達の後をつけている。でも攻撃するつもりならもっと早くやっているはずだし、そうなるとシンは一体。
「シンちゃん、あの魔物はなに?」
「あ、あいつは魔王軍四天王……魔族なのです」
「四天王? 十二将魔じゃなくて?」
「四天王は十二将魔とは根本的に違う存在なのです……それより、シンは……シンはッ! う、ふぁぁぁん!」
ついに泣きじゃくってしまったシンの頭を撫でるクリンカ。よっぽどあいつが怖いのか、それとも役立たずと切り捨てられたのが悔しいのか。両方かも。
「お前、ディスバレッド使いこなせてるのか?」
「うん、ちゃんと使ってるよ」
「……ウソだろ」
「ウソじゃないよ」
「違う、お前自身だよ。お前……強いなッ!」
そいつが黒い翼を広げた瞬間、突風にでも吹かれたかのように兵士達が転がりながら飛んでいった。武器を構えていたはずなのに何の役にも立たずにすでに全員が体勢を崩されている。それ自体が攻撃じゃなくて、あくまで戦闘準備に入ったというだけ。たったそれだけなのにもうこの場にいるほとんどの人達が圧倒されているのは、単にそれだけの差があるというだけ。
「自己紹介ってヤツが必要か? 俺は新生魔王軍四天王イーリッヒ! 人間なんぞを認めちまったディスバレッドよぉ! 一体どういうつもりだぁ?!」
【イーリッヒが現れた! HP 63900】
ディスバレッドを抜くまで待ってくれているかと思いきや、イーリッヒはいきなり跳躍して仕掛けてきた。
【イーリッヒの攻撃! リュアはひらりと身をかわした!】
「速いな! だがこいつはどうだ!」
【イーリッヒのデリーターファング! リュアはひらりと身をかわした!】
その踊るような攻勢はボクにディスバレッドを抜かせる気なんてまったくなかった。それにしても本当に強い。普通ならこの回転に触れただけで肉や骨が斬り刻まれて原型すら止めないほど。
「シンは……シンは役立たずじゃないのです……」
か細い呟きと震えが何とも痛々しい。誰だって触れられたくない事の一つや二つだってあるはず。それをあのイーリッヒは簡単にほじくりだした。傷口にナイフを突き立てて、ずぶりと。シンは確かに魔王軍かもしれない。だけど。
「シンは悪い子じゃないよ」
「リュ、リュア……?!」
実際のところはわからない。あくまでボクの勘だ。ただこんな小さな子を泣かせる奴が許せなかった。また甘いとか言われるかもしれないけど、この世界には絶対に許しちゃいけない事だってあるはず。甘かろうと辛かろうとそんなの知らない。
「そんなんじゃ、かすりもしないよ」
「そうかそうか! それなら、とっておきだ!」
【イーリッヒの姿が変化する!】
イーリッヒの黒い体が、まるで水の波紋みたいに揺らぐ。そして波紋が少しずつ消え、黒い体が肌色に、人間の体を形作る。それに衣服が足先から被せられた時には声も出なかった。
「強者であるほど俺に屈する」
「な、なにそれ……」
「リュアちゃんが……」
誰だって驚く。王様もヴァイスも兵隊もいくら歴戦とはいっても、そこに同じ人間が二人もいたら声も出ないはず。ボクだって出ない。
「リュアちゃんが……二人……」
【ドッペル・リュアが現れた! HP 263000】
「おぉー! こりゃすげぇ! なんつー力だぁ! すげぇ!すううげぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
ボクの声で雄叫びをあげるイーリッヒ。自分が目の前にいるという奇妙な感覚は奈落の洞窟でも味わった事がなかった。こちらのスキルを真似してくる魔物はいたけど姿形まで同じになる奴はこいつが初めてだ。
魔王軍四天王イーリッヒ、もしかしたら面倒かもしれない。どこまでボク自身なのか、それが問題だ。
「イーリッヒの別名はドッペルマスター……。そしてあいつの力はこんなものじゃないのです……」
さて、どうしようかな。自分を斬るなんてあまりやりたくないけど、いつまでもあのままでいられたら不快だ。自分と戦うなんて経験、今後訪れるかわからない。ここは何とかがんばってみよう。




