これも愛あれもたぶん 番外編 -社交とダンスと-
「これも愛あれもたぶん」の本編を読んでからお読みください。
「王妃様はどうして社交活動に参加なさらないのかしら。ダンスはお好きでいらっしゃるのに」
王太子妃ミーアは、そうぼやきながら、今日も舞踏会フロアで張り付けた笑顔で王太子のヴィルフレドにエスコートされている。
「母上がダンスを父上と踊りたがらないからだよ。知らなかったの?」
隣のヴィルフレドは、彼女を連れてフロア奥の廊下へ向かいながら、そう答える。
「え? 陛下と?」
「そうだよ。母上は背が低いだろう? だから、背が低い男性とばかりダンスをしようとするんだ。子供の頃はさんざん相手をさせられてうんざりしたよ」
たしかに王妃はとても背が低く、王とは40cmほどの身長差がある。とても踊りにくいことは誰の想像にも難くない。だが、それが王妃の社交にどのように影響しているのかが、ミーアにはよくわからなかった。
「ミーアはまだ王宮主催の式典には参加したことがなかったね。父上と母上が公式の場に出ているところを見たことがないんだろう?」
ミーアは、王妃がこっそり変装して外出するところしか見たことはなかった。地方の祭りを見たいといっては、町娘に変装して出かける、とか。どこかで研究発表があるといっては、パトロン志願の貴族の娘を装って出かける、などの非公式な外出ばかりであった。
「ジェイナス叔父は子供の頃から母上のダンスに付き合わされているから、母上が背が低くても上手く踊らせられるんだ。だけど、父上は踊ってる途中で母上を抱えあげてしまうんだよ」
抱えあげる? ミーアの頭の中に疑問符が飛び交う。
「見ればわかるよ。母上がふらつくからだと思うけど。結局ダンスにならなくなって母上が不貞腐れるんだ」
「王妃様が陛下とダンスなさりたくないのは、まあわかったけど。それが社交活動に参加しない理由?」
「母上が他の男とダンスするのを父上が許すわけないだろう? 第一、父上に睨まれるのがわかっていて母上の手は取らないよ、誰も」
「陛下が王妃様のダンスのお相手を? ただのダンスの相手を?」
つまり、王妃が社交を嫌がっているのではなく、王が王妃を社交界に出さないでいるという。王妃が他の男性と仲良さそうに話を弾ませたりすれば、王は表情に出しこそしないが機嫌が急降下し政務に影響がでるため、側近達はそれを黙認しているらしい。世間の噂とは全く違う内容にミーアは耳を疑う。
「だから父上は母上一人を社交行事に参加させたりしない。言っておくけど、ミーアもだよ。もちろん僕以外の男と踊らないように。わかっているね?」
ミーアは、横のヴィルフレドの顔を仰ぎ見る。ヴィルフレドは目の前の温室へのドアを開き、彼女を中へ誘う。中は外気と違って暖かい。
「どうして? 社交界では夫婦で踊るよりも別々の相手と踊る方が一般的よ?」
現在の社交界では、夫婦で舞踏会に参加しても、夫婦でダンスすることは少ない。一度の舞踏会では同じ人と何度も踊るのは不作法とされている。社交の場は、多くの人と交流を広めるための場であるからだ。恋人同士や新婚夫婦などは大目に見てもらえるのだが。自分たちは新婚なのだから、と思っていたミーアだった。
「他の男に触らせるなんて論外だ。男の手の届く距離に近づくんじゃない」
何だか妙な話になってきた。ヴィルフレドは笑顔のようだが目は笑ってはいない。
「ダンスの話よね?」
ミーアは確認するようにヴィルフレドに問いかける。
「ダンスをする男女がどれほど密着できるか知っているだろう? ミーアの背中や腰やお尻を他の男に触らせるなんて許さない」
ヴィルフレドはミーアをダンスするときのように正面に引き寄せる。しかし、通常の男女が組み合ってするダンスでもこんなに近くはないのだけれど、とミーアは心の中で思っている。ヴィルフレドとミーアが踊るときはほとんどくっついて踊るが、他人と踊るときは20cmは身体に隙間をあけるものなのである。密着するわけではないし、お尻は触らないだろう、普通は。
「しかも、腕をとれば、男は上から胸元を見たい放題なんだ」
そういいながら、ヴィルフレドは彼女の胸元に視線を落とす。
「このドレスも、胸元が開きすぎだな。今後はもうすこし胸元を隠すようにしよう」
彼女の夜会ドレスの胸元は、流行に比べてはるかにつつましいデザインである。今の流行りは胸の谷間を強調する五角形の襟ぐりで、胸の丸みの半分が見えるほど露出するドレスが多いのだ。流行なので若い人には限らない。ミーアのドレスは四角い襟ぐりで、流行遅れともとれる。これで開きすぎとなると、どんなデザインのドレスになってしまうのか。心配になったミーアが、ヴィルフレドに言う。
「今はもっと開いているのが流行なのよ。あまり野暮ったいデザインのドレスだと困るわ」
ドレスなどは全てヴィルフレドの指示により仕立てられているのだった。
「今流行りのドレスを着たミーアを僕だけが堪能するのもいいね。胸元は隠しておけばいいんだから」
ヴィルフレドはミーアを腕に収めて、彼女の首筋に唇を落とす。
「ヴィルフレド?」
「ん?」
ヴィルフレドはすっかりスイッチが入ってしまったらしい。胸の下の膨らみをゆっくりと彼の指が思わせぶりに掠め、彼女を堪能しようとし始める。
「ここは、温室よ?」
ミーアはとりあえず抗議してみる。
「鍵はかけた。誰も邪魔なんかしないさ」
彼女は困ったような顔をしたものの、瞳を閉じて彼の首に腕を回した。彼は、それを当然のように、桃色の彼女の唇に顔を寄せる。彼女の背中にまわした手をドレスの後ろボタンへと伸ばしながら。
「こんな楽しみがあれば、僕は舞踏会には参加するよ。父上とは違ってね」
後日、王宮で開かれた大舞踏会に出席したときのこと。王宮の舞踏会は王と王妃のダンスで始まった。フロアの真ん中で王と王妃が踊り始めたものの、曲の途中で王妃が抱えあげられ王の座席に二人で移動していった。それを合図にフロアには何人もの男女が出てきて、踊り始める。参加者は皆、舞踏会の開始の合図を心得ているようだった。王の座席では、王妃が王に文句を言っているが、それが王の膝の上でなのだから、いちゃいちゃしているようにしか見えない。ミーアはそれを凝視してしまった。
「見ればわかるって言っただろう? ああやって仲良く見せておけば、後宮だの側妃だのと言われなくて済むんだよ」
見せておけば? わざとそう見えるようにしているかのようなヴィルフレドの言葉にミーアは疑問を抱く。視線をフロアに移せば、王弟殿下夫妻が二人で踊っているのが見える。ずーっと二人だけで。
王族の男性は、一人に執着するタイプらしいとミーアは思った。どちらかというと見せびらかすより、隠してしまう方だろうと。後に、男性に限らず”王族は”と変更することになる。それはまた、彼女の義妹が結婚してからのこと。
~The End~