眠り
「カズマ、そっちの本棚はどうだ?」
「どれもこれもイマイチですね。めぼしい物はありません」
「チッ、こんな資料で魔王は作れるはずがないんだがな」
キールが机に広げている本。それは魔王の伝承や、魔物の生体など、研究者ならば一度は読んだことがあるような本ばかりだ。
そんなものでは到底、魔王を人工的に生み出す研究が完成するはずはない。
だからこそ、何か別の物があると考えて先ほどからリズの研究所を物色しているのだが、めぼしい収穫は無かった。
「別の場所に隠しているとか?」
「可能性は低いだろう。ここは奴の研究所で、そもそも襲撃されても人工魔王が警備をしている場所だ。こんな深くまで進攻されることは考えていないはずだ」
「確かに。ここまで攻めてこられた時点で、魔王倒されているはずですしね」
それほどの実力を持つ者が攻めてきたとなれば、さすがのリズでもどうしようもないだろう。現に、キールたちが攻めてきて、この研究所はリズもろとも壊滅している。
「とりあえず片っ端から集めてみましょうか。全部持って帰れば、何か分かるかもしれませんし」
「そうだな」
手近な所にあった袋に、キールたちは本や資料などを片っ端から放り込んでいく。できることなら研究の成果である虫や魔王なども回収したかったが、さすがに難しい。
サーニャから回収した虫は一匹いるので、それで我慢することにした。
三十分ほどで研究所にあったあらかたの物を回収する。
それを担いでキールたちがシルビアたちの待っている空洞に戻ると、サーニャはすでに目を覚ましていた。
「キール様……」
サーニャは疲労した様子で体を起こすことすらできない状態だ。
あれだけ大量に血を流し、激痛に耐えていたのだから当然だろう。むしろ、こんなに早く目を覚ました事が驚きだった。
さすが魔王と言った所だろう。
サーニャは今、シルビアにひざまくらされた状態で顔だけをキールの方へ向けている。その瞳は赤いままだが、怪しい光は浮かんでいない。
むしろ、今にも泣き出しそうなほどに沈痛な面持ちをしていた。
「起きたのか」
「はい、私はなんということを」
「もう終わったことだ」
「しかし! しかし私はキール様に逆らったばかりか、その秘密まで!」
「バレた所でどうということはない。邪魔をするなら、誰であろうと排除しただけだ」
「ではなぜ私は生きているのですか!」
そう言ってサーニャはおもむろに懐からナイフを取り出す。
それを見た瞬間、キールが動いた。
持っていた本の入った袋をその場に投げ捨て、サーニャの腕を抑える。
「何をしている」
「離してください! 死をもって償います!」
「サーニャさん落ち着いて。全部終わったことなんだから」
ひざまくらをしていたシルビアも宥めるが、なおもサーニャは暴れて自分の首をナイフで刺そうとする。
しかし、キールの力は強く、弱っているサーニャでは腕を自由に動かすことが出来ないでいた。
「お前に死なれては困る。魔王の因子を持つ存在は、俺とお前以外もうこの世にはいなくなった。今後の実験に、俺自身の体を使わせるつもりか?」
「それは……では私はまだキール様のお傍にいてもよろしいのですか?」
「何度も言わせるな」
キールはサーニャの腕に力が入らなくなったのを感じて手を放す。
サーニャの手からはナイフがこぼれ、地面に落ちた。
空いた手は自然とキールの背中に伸び、シルビアの助けを借りてキールの胸に顔をうずめる。キールはサーニャをすっぽりと胸に収めたまま、ゆっくりとサーニャの頭を撫でた。
「とりあえずサーニャさんの件はこれで一段落ってことかしら?」
その様子を見てシルビアがホッと息を吐く。
現状、リズは死亡し、リズの作った魔王も全て殺している。目の前に迫った脅威は完全に取り除かれたことになるはずだ。
まだ、リズの研究していた虫などが試験管内に収められてはいるが、それは騎士団でも対処できるものだ。
そうすると、自分達の役目は一通り終わったことになる。
「そうだな。待機させてる騎士団を突入させるか?」
「キールさん、そっちの資料収集はどうなってる? 騎士団を入れちゃうと、その辺りができなくなっちゃうけど」
「ざっと攫ったがめぼしいものは無かった。なぜこの程度の資料で完成したのか分からないレベルだ」
「どこかに隠してるのかしら?」
それならば、騎士団には研究所内をくまなく探させる必要が出てくる。
「キール様、これを」
そんな時、キールの胸に蹲っていたサーニャが、キールから離れるとエプロンのポケットから一冊の本を取り出した。
見た目にかなり古いものだと分かる本で、装丁はボロボロになっており、今にもページがバラバラになってしまいそうな物だ。
「これは?」
「研究所のテーブルに置いてありました。まだ、魔王に取り込まれる前だったので、他の方に見つかるのは不味いかと思って回収しておいたんです」
サーニャの説明を聞きながら、キールは本を受け取りパラパラとめくっていく。その表情はすぐに驚愕へと変わった。
「これは! 開発者の日記か!? しかも研究資料も兼ねているんだな」
「はい、関わりのある人間の名簿も書かれていまして、その中にキール様の名前もありました」
「なるほど、どこのどいつの日記かは知らんが、これは役に立つ。いや、役に立つなんてレベルの代物ではないな! これがあれば因子を根本から消すこともできるはずだ!」
そこに書かれていたのは、魔王システムに利用された魔王の因子がどのように作られているかというものだった。
そこから逆算して考えれば、魔王の因子を消すための方法を生み出すのも、それほど難しくはないはずである。
「サーニャ、立てるか?」
「あ、は、はい」
今までに見たことも無いほど興奮した様子のキールに、一同が驚く中、キールはサーニャの手を引っ張り起こす。
立ち上がった際に、僅かにふらつくサーニャだが、キールはそれをしっかりと抱き留めた。
「すぐに新しい拠点を作り、研究を始めるぞ。いつも通り村人への配慮はお前に一任する、良いな?」
「分かりました。今度はどの村へ?」
「ちょっと待って、キールさん!」
すぐにでも洞窟を出て行こうとするキールとサーニャ、その腕を掴んで止めたのはシルビアだった。
「キールさんにはこの後王宮に行ってもらって、事情を説明してもらわないと!? じゃないと犯罪者のままになっちゃうわよ!」
「そ、そうです! 魔王のことで忘れてましたけど、今キールさんとサーニャさん指名手配されてるんじゃないですか!」
「そんなことは知らん! 女王には貴様らで死んだとでも説明しておけ!」
気付けばシルビアの腕は振りほどかれ、シルビア自身は地面に倒れている。体を起こした時には、すでにキールとサーニャの背中は洞窟の先へと消えて行こうとしていた。
「ちょっキールさん! キールさぁん!!」
完全に見えなくなる二人の背中。シルビアの声は、虚しく空洞内に響き渡る。そんなシルビアの肩に手が置かれる。
振り返れば、エースがいた。
「なによ……」
「相手はキールだ。諦めろ」
「っ! キールさんのバカッ!!」
立ち上がりざまに放たれた拳は、にこやかに首を横に振るエースの頬を直撃し、幸せそうな表情をさせながらエースを地面へとはっ倒した。
キールとサーニャがいなくなってしまった以上、ここにいる必要はない。シルビアたちは、それぞれが待機させていた部隊を洞窟内へと侵入させ、一斉捜索に出る。
シルビアたちに同行し、先行して別の場所を探していた部隊は、後続の支援に回り、シルビアたち四人は戦闘の疲れもあって洞窟の外で待機することになる。
「ああ、外の空気が美味い」
「ずっと埃っぽかったからね。まだ口の中に砂の違和感が……」
「どこかで口を濯ぎたいですね」
「近くに川とかないかしら?」
「ちょっと待ってくださいね――うーん、川の音は聞こえませんね」
トモネが耳を澄ませて水の流れる音を探すも、それらしき音は聞こえなかった。
「なら我慢するしかないわね。それより――」
シルビアは周囲を見回し、自分達以外の耳が無い事を確認して全員に顔を近づけるように指示を出す。
それにしたがって四人が円陣を組み顔を寄せ合うと、シルビアは真剣な表情で問いかけた。
「女王様への説明どうするのよ。魔王の心配はなくなったわけだけど、キールさんは捕まえられなかったし……そもそも私たちに与えられた勅命って、キールさんとサーニャさんを女王様の前に引き連れていくことよ。これじゃ任務失敗になっちゃうわ」
「そうは言ってもな……本気で隠れたキールを見つけられるとは思えないしな……カズマなんかいい方法ないか?」
「素直に事の顛末を伝えるのがベストだと思いますよ。まあ、女王様の心のうちに留めてもらうことは絶対になりますが」
いくら魔王の脅威が去ったとはいえ、魔王の因子を持っているキールとサーニャは未だ健在なのだ。
そんなことが国の大臣にでも知れてしまえば、キールたちを討伐すべきだと声が上がってしまう可能性もある。
そんなことになれば、下手をすると、この国が潰されかねない。
「そうね……末端には魔王との戦いで死亡、死体は跡形も無く消滅ってことで何とかなるかしら?」
「大丈夫じゃないですか? 魔獣に死体を食べられた兵士って結構いますし」
「身元不明の死体なんて、騎士団じゃ当たり前だしね。ならそう言うことにしましょう」
「やっと王都に帰れるのか……早くマリアとエリアに会いたい」
「マリアさんは神託の巫女様ですよね? エリアという方は?」
カズマはキールたちと一緒に行動していたため、エースたちの近況を一切知らない。なので、当然エリアという存在も知らなかった。
そのことを思い出し、シルビアが補足する。
「そっか、カズマさんは知らないのよね。エースはマリアと結婚したのよ。で、二人の子供がエリアちゃん」
「おう、今一才なんだけど、スゲー可愛いんだぜ」
「それはぜひとも会ってみたいですね。キールさんたちには置いていかれちゃいましたし、私もみなさんと一緒に王都へ行くとしましょうか」
「就職先なら私がいいとこ教えてあげるわ。王都防衛騎士団っていって常に人手不足なのよ」
「それはちょっと……考えさせてください」
シルビアの言葉に苦笑しながら、カズマは騎士団へのスカウトをそれとなく断った。
一か月。シルビアたちがリズの研究所から王都に帰るまでにかかった時間だ。
来るときこそ、キールを追って強行軍で来たため、二週間とかからなかったが、普通に歩いて帰ればそれぐらいはかかる。
王都にはすでに騎士によって早馬が送られ、勇者パーティーの帰還を盛大に祝われた。
外門から王城への道は地面が見えないほど国民が集まり、手には王国の旗を持って勇者たちの帰還を祝う。
エースたちはあらかじめ用意されていた屋根の外された馬車でゆっくりと王城に向かって進み、王城の前で下車、大臣、神官、その他王城に努める者達全員が整列した城門から王城への道を進んで城へと入る。
そのまま謁見の間へと進み、女王と対面した。
「勇者、並びにそのパーティーの皆さん。楽にしてください」
女王の言葉で顔を上げる一同。
「事は早馬により聞いています。再び迫った魔王の恐怖、それを未然に打ち払ってくれたこと、非常に嬉しく思います。ご苦労様でした」
「ありがたきお言葉にございます」
「あなたたちの働きは後世に語り継がれることになるでしょう。それほどの働きをしたあなたたちにはそれ相応の報酬を用意しなければなりませんね」
「そのお気持ちだけでも十分でございます」
「そう言う訳には行きません。後程報酬は渡しますので、それぞれ受け取ってください。あなたたちも疲れているでしょうから、謁見はここまでとします。この後少し個人的にお話しを聞きたいのだけど、良いかしら?」
「もちろんでございます。我々一同、女王様との会話を楽しみにしております」
「ありがとう。ではご苦労様でした」
「失礼します」
エースが立ち上がり、それに合わせてシルビア、トモネ、カズマの三人も立ち謁見の間から退室する。
「ふう、後はキールさんの説明ね」
「それはシルビアに任せていいか? 俺は気絶してたから良く分からねぇンだ」
「まあ仕方ないわね。気が重いけど、話すしかないか」
この後の女王の心情を考えて、ため息しか出ないシルビアだった。
そして案内された部屋で女王と再び面会し、事の顛末について、本当のことを話していく。
「そんなことが……それでキールさんたちは?」
「また行方不明に。どこかの村で魔王の因子を消す研究をしていると思われます」
「キールさんらしいと言えば、キールさんらしいですね。ただ欲を言えば直接一言、お礼を言いたかったんですけどね」
「それは私たちも同じです。キールさんにはいつも助けられてきましたから」
「そうだったわね。それであなたたちはキールさんを探すのかしら?」
女王の問いに、シルビアたちは首を横に振ることで答えた。
「そうなの? あなたたちのことだから、騎士団を抜けてキールさんたちを探すんじゃないかと思ってたんだけど」
「確かに私たちも最初はそう考えました。けど、それは多分キールさんが望んでいないんじゃないかなって思ったんです」
「なんで?」
「キールさんが、死ぬことを望んでいるからです」
「死ぬこと?」
その言葉に怪訝が顔を浮かべる女王。もっとも自ら命を捨てようとしているのに、好意的な感情を示す者は少ないだろうが。
「私たちはキールさんの過去を知りました。そしてキールさんが何千年も生きてきたという事実を知りました。そしてキールさんは魔王の因子を消す研究をしている。それって、自分の中から魔王の因子を消して、人間として死ぬことを望んでいるんじゃないかって思うんです」
それは、王都に戻るまでに四人で考えたことだった。
そこには、サーニャが話していた普段は見せないキールの姿のこともあるし、カズマが一緒に旅をしてきた中で感じていたことも含まれる。
サーニャが話していた、「魔王の犠牲者は幸せにならなければならない」という言葉の意味、それは魔王になってしまった自分自身にも言い聞かせていたのではないだろうか?
サーニャを研究材料といいながら、必死にサーニャを人間に戻す手段を探していた。それはキール自身が人間に戻る手段を探しているのと同義だ。
人間に戻る事、それがキールの最終目的とすれば、キールがそれを成功させたとき、キールの体はどうなるのだろうか。
おそらく、魔王の力がなくなった時点で止まっていた老化が一気に進み、一瞬でキールの体は朽ちるだろう。
その可能性を考えないほどキールは馬鹿じゃない。
そこまで考えて、四人が出した結論、それは
「キールさんは、きっと人間として死にたいんだと思います。それが長い年月を生きてきて、魔王の力と戦ってきたキールさんの最後の望みなんじゃないかと」
「そういうこと……確かにそうなのかもしれないわね」
「だから私たちはキールさんを探しません。それにキールさんがもし生きていたいと望んでいたのなら、また自然と会える日が来るでしょうから」
シルビアの決意に満ちた笑顔で言う。しかし、その笑顔は見ているだけで涙が出てくるほど、悲しい笑顔だった。
小さな湖のほとり、そこには老朽化した小さなフィロ教の教会がポツリと建っていた。
扉を開ければ中の全てが見渡せてしまう、礼拝堂しかない小さな教会。
そして普通ならマリア像がある場所には椅子が置かれていた。
まるで太い丸太から削り出したような重厚感のある椅子だ。どこかの城の玉座にあったとしても違和感はないだろう。
その教会を発見したのは、湖に釣りに来た近くの村の村人だった。
突然の雨から避難した教会で、村人はその光景を見た。
椅子に座るカソックを着た僧侶の姿。そしてその僧侶の座っている椅子にしなだれかかるメイド服の姿。
白骨化した二つの遺体は、お互いの手をしっかりと握り合っていたそうだ…………
これで僧侶は勇者を恫喝し、魔王を従える。完結となります。
今までおつきあいいただき、ありがとうございました。