メイドは魔物と再会し、僧侶は楽しむ。3
通路には罠の類が何も仕掛けられていなかった。
「注意が甘いですね。自分の能力を過信しすぎています」
サーニャは通路を悠然と進んで行く。そして突き当りの扉を開けた。
中は石造りの部屋だ。一見して研究室のように見える。
大量の試験管と、ビーカー。火に掛けられた釜はグツグツと煮え立っている。
そしてその中に、白衣を着た肌の青白い男がいた。
明らかに人間の肌の色ではない。
もしそんな肌の色の人間がいるのだとしたら、それはすでに事切れた死体だろう。
男はサーニャの存在に気づいていない。
水晶の中を覗きこみながら、真っ青な顔をしている。
おそらく、その水晶に魔獣とキールの戦闘の様子が映っているのだろう。
サーニャも、その水晶を何度か使ったことがあるので知っていた。
そして今回の主犯を確信する。
「久しぶりですね。科学者、ヒストライス・セルン」
その声に驚いたように男が振り返る。
「な! あなた様は――」
「私は、今はマスターの契約者です。その名前で呼ぶべきではありません」
サーニャは自分の名前が呼ばれそうになるのを、上から言葉を被せることで防いだ。
「そんな! 貴方様が何故、契約悪魔などになり下がっているのですか! 貴方様の力があれば、世界を征服することなど造作も無いはず!」
「私の契約者は私を倒した男です。今あなたの水晶に映っているでしょう」
「なっ……この男が!?」
セルンは再び食い入るように水晶を見つめる。
そこではケルベロスとキールの決着がつこうとしていた。
ケルベロスの頭はすでに二つ切り落とされ、残りは真ん中の一つとなっている。
キールには怪我一つ付いていない。
「なかなか楽しめたぞ。魔法をこれほど使ったのは久しぶりだ。だがそろそろお終いだな。その傷では、もう先ほどのようには戦えないだろう」
グルルルルル………
獣の声には、もうあまり力がない。他の切り落とされた首から流れ出る血で、すでに体内の血が足りなくなってきている。
この状態なら、ほっといても時期に死ぬだろう。
だが、キールは魔法を発動させた。
「一瞬で終わらせてやる。楽しませてくれた礼だ。
世界に反して世界を嗤え。重力開放」
すでに弱って、動くことも、魔法を発動することもままならないケルベロスに、キールの魔法が襲いかかった。
重力開放は、重力を操り対象にしたモノに強烈なGを掛ける魔法だ。
あまりにも威力が高すぎて、物体を極限まで押し縮めてしまう。そのため、つかった後に肉眼で確認できるのは、そのモノが流した血の跡だけだ。
ケルベロスもそれにはあたがわず、一瞬の内に圧縮され見えなくなった。そしてまき散らした血の跡だけが遺跡の広間に残される。
「これで終わりか」
キールは首をコキッと鳴らすと、元来た道を戻って行った。
自信作であったケルベロスを難なく殺され、セルンは呆然としていた。
「これがマスターの力です。あなたはこれ以上、ここにいるのをやめなさい。そうすれば危害は加えません」
サーニャが男をやさしく諭す。しかし男はそれに逆らった。
「そう言うわけにはいきません。私はもっと魔法科学を発展させなければならない。そのためならサタン様だって敵に回します!」
「そうですか―――」
サーニャは小さくため息をつく。出来ればセルンを殺したくは無かった。
だが、マスターの道の障害になる可能性があるのなら、それは取り除かねばならない。
「―――では死んでください」
サーニャが手を一振りすると、男の首が飛んだ。
ゴトッと重い音がして、首が地面に落ちる。その表情は焦りに満ちていた。
「これで私の仕事はお終いですね。それにしてもなぜ魔王城にいたはずのセルンがこんな場所に?……」
セルンはもともと魔王城で、魔王のお抱えとして魔法科学の研究にいそしんでいた。
サーニャが水晶の遠視を使ったのも、魔結晶を人工的に作り出せることを知ったのもそこでだ。
それが今ではなぜかこんな辺境の遺跡に隠れて魔獣を作っている。
セルンは変な存在として扱われてはいたが、それでも魔物に貢献はしていたはずだ。普通なら魔王城を追い出されるはずはない。
それがサーニャには気になった。
「魔王城で、何か起きていると言うことでしょうね。私にはマスターがいるから関係ありませんが」
昔の家を思い出しながら、サーニャは隠し部屋を後にした。
サーニャが遺跡の外に出ると、すでにキールが近くの切り株に腰をおろして待っていた。
「お待たせいたしました」
「いい。それで何か分かったか?」
「今回の主犯が判明しました。やはり魔物でした」
「そうか、それで」
「止めて出て行くように行ったのですが、抵抗したため殺しました」
「容赦ないな」
「元魔王ですから」
サーニャはにっこりとほほ笑む。
「あと気になることが一つ」
「なんだ、言ってみろ」
「今回の主犯になった魔物ですが、魔王城で抱えていた科学者でした。どうも魔王城から追い出されたらしいのですが、その理由がよく分かりません」
「魔王城で何かが起きていると?」
「はい。そう思われます」
「なら直接行って調べるだけだ。どうせあいつらも行くしな」
「はい。マスター」
「あら。もう帰ってきたの?早かったわね」
宿に帰ると、シルビアが出迎えた。
エースは未だ意識を取り戻さないらしく、ベッドに寝かされたままだ。
トモネは、露店をぶらぶらと回っているようだ。
「ああ。魔獣は全て倒した」
「やっぱり魔獣だったんだ」
「どれも雑魚ばかりだったがな。はた迷惑な話だ。あんなものも対処できないのか屑どもは」
「まあまあ。それで、もう遺跡は安全って言い方もおかしいけど、今まで通りに戻ったの?」
「ああ、それは間違いないだろう」
「了解。じゃあ、あの露店の人に話してくるわ」
シルビアはそう言い残し、部屋を出て行った。
これでこの村にとどまる理由は無くなった。明日にでも出発することになるだろう。
「サーニャ。明日には出発する。準備をしておけ」
「はい、分かりましたキール様」