17 飲茶
大使達のランチミーティングが行われた四日後、日曜日の昼前。アメリカ領オフィル市の中華街にある食堂「熒惑」の奥の個室で、事務総長が孫達と一緒に飲茶の準備をしていた。
熒惑は、事務総長の実家の店だ。
事務総長は一人娘。若い頃、事務総局職員として多忙な日々を送る中、たまたま実家に帰省した際、店で働いていた若者と恋に落ち、結婚した。
その夫は、五年前に交通事故で亡くなった。火星諸都市間の交通制御システムの規格の違いが引き起こした事故だった。
一部の常任理事国が火星における規格統一に難色を示していた中で起きた事故。規格は未だに統一されていない。
「さあ、そろそろ時間ね。お父さんとお母さんに点心の用意をしてって言ってきてちょうだい」
「はーい!」
事務総長が優しく孫達に言うと、孫達は厨房にいる事務総長の息子夫婦のところへ走って行った。
♢ ♢ ♢
「いやあ、この大根餅美味しいですね! いくらでも食べられそうだ」
桐野が大根餅をパクパク食べながら言った。事務総長が笑う。
「ふふ、そんなに慌てなくても、おかわりはまだまだあるわよ」
個室では、桐野の他、秘書官、火星共同警備隊副司令官、共同警察局長、官房総務課長、そして外務局条約課長が大きな回転テーブルを囲んでいた。
事務総長は、定期的に事務総局職員と意見交換を兼ねた食事をする機会を設けていた。いつもは平日のランチやディナーだったが、今回は、普段なかなか参加できない者のため、休日に開催したのだ。
……というのが表向きの説明だが、今回は、桐野をはじめとした「メンバー」の幹部が勢揃いした初の会合となっていた。
「常任理事国の諜報機関の動きはどうだ?」
東欧系の警備隊副司令官が、大根餅を食べ続ける桐野に聞いた。桐野が口いっぱいに頬張ったまま答える。
「我々の動きに警戒を強めていますが、まだ本気ではなさそうですね。念のため、今日は別の場所で私の部下に怪しそうな会合を開いてもらってます。常任理事国はそちらを注視しているようで、こっちの尾行や監視はゼロですね……私の部下には、たらふく飲み食いしていいと言ってます。お手数ですが、皆様のカンパをよろしくお願いします」
桐野の言葉を聞いて、事務総長が笑った。
「それじゃあ、ここの会計は皆に出してもらうとして、桐野さんの部下達の食事代は私が払いましょう」
桐野がモグモグしながら嬉しそうに頭を下げた。
事務総長がプーアル茶を一口飲むと、総務課長に聞いた。
「常任理事国は、まだ半信半疑というところかしら?」
中東系でヒジャブを着けた総務課長が答える。
「はい、色々理由をつけて重水素・ヘリウム3、推進剤の供給制限をかけてきましたが、それ以外に表立った動きはありません」
それを聞いた警備隊副司令官がホッとした顔をした。
「一番おそれていた早期の火星侵攻は、どうやらなさそうですな。こちらが木星系から重水素・ヘリウム3や推進剤原料を確保したことは、幸いまだバレていないようで良かった」
条約課長が続けて話し始める。
「常任理事国のうち日本については、核融合関連機器や水素自動車等の受注増が見込まれ、木星系開発への参加が継続できるのであれば、火星独立は容認可能という考えのようです。他の常任理事国は強硬ですが、火星やメインベルトの権益についてこちらが大幅に譲歩すれば、交渉の余地はあると思われます」
続いて、秘書官が口を開いた。
「事務次長その他の地球からの出向者の動向ですが、先ほど話に出た『怪しそうな会合』に息のかかった者を送り込んでいる他、特に目立った動きはありません」
「ありがとう。火星諸都市の動静はどう?」
事務総長が共同警察局長に聞いた。西欧系の共同警察局長が、箸を皿に置いて答える。
「火星独立戦線の逮捕を受けて、他の独立運動は萎縮しています。住民の独立運動に対する視線も厳しいようです。ですが、住民の火星独立への想い自体には、大きな変化はなさそうです。何かのきっかけがあれば、世論は一気に独立へ傾くかもしれません」
「なるほどね……そのきっかけになる例の資料はどうかしら?」
事務総長が桐野に聞いた。桐野が最後の大根餅を自分の皿に移すと、事務総長に笑顔で答えた。
「順調です。来週前半には初稿をご覧いただけると思います」
「ありがとう。そうすると、再来週の十月一日が『D-Day』というところかしらね」
テーブルを囲む全員が真剣な面持ちで頷いた。
事務総長が一人ずつの顔を見て言った。
「それじゃあ、警備隊のメンバーは、十月一日行動開始で準備を」
「ハッ!」
警備隊副司令官が敬礼した。
「共同警察局のメンバーは、火星諸都市の治安維持に全力を」
「承知しました」
共同警察局長が頭を下げた。
「官房のメンバーは、十月一日に例の手続を実施できるよう準備を」
「お任せください」
総務課長が笑顔で答えた。
「外務局のメンバーは、引き続き常任理事国の動向について情報収集するとともに、国際法や先例の精査を」
「微力を尽くします」
条約課長が真面目な顔で答えた。
「秘書官は、引き続き事務次長達の行動監視を、そして資料調査部は……」
事務総長は、一気に大根餅を食べすぎて苦しそうな桐野を見て、笑いを堪えながら言った。
「お腹を壊さないように注意ね。大根餅のおかわりを頼んで来るわ。他の皆も遠慮せずにどんどん食べてね」
事務総長は笑顔で立ち上がると、厨房の息子夫婦に追加注文をお願いしに行った。




