12 居酒屋キリちゃん
その日の夜、残務整理を終えた篠原は、部下のインド系の係長と一緒に、オフィル市にある行きつけの和風居酒屋「キリちゃん」で夕食がてら飲むことにした。
昼の立食パーティーでも多少飲んだが、全然酔える気分ではなかったし、愚痴が溜まっていた。
「どうして両市長ともあんなに本国を刺激するようなことを言うかなあ。板挟みになるこっちの気にもなって欲しいよね」
ジョッキのビールを一気に飲み、枝豆を口に放り込むと、篠原が管を巻いた。係長が笑いながら応じる。
「相変わらずいい飲みっぷりですね。ボス。まあ、各市長がああいう態度を取るのは仕方ないですよ。有権者の多くがそういう考えなんですから。僕の愛すべきマンガラ市でも、市長をはじめ文句ばかりですよ」
篠原がビールをおかわりしながら係長に言った。
「それは分かるけどさあ。常任理事国からチクチク嫌味を言われるのはこっちだからね。しっかり火星をコントロールしろって、無理だっつーの。ああヤダヤダ」
「はいよ、ビールと焼き鳥二人前! 相変わらず何やら苦労してそうだね」
店の高齢の大将が篠原達に明るい声でそう言った。なんでも、息子が事務総局のどこかの部署で働いているということで、常連の篠原達を何かと気に掛けてくれていた。
篠原がビールを受け取りながら苦笑いした。
「そうなのよ、大将。色々とやりにくいったらありゃしない」
「ははは、そんなに本国と火星諸都市が揉めるなら、いっそのこと独立すりゃあいいんだよ」
「もう、大将ったらそんな無茶言って。流石にそういう訳にはいかないわよ」
大将の軽口を篠原が窘めた。大将が笑う。
「元々火星の住民は、開拓スピリットあふれる移民の子孫だ。地球が火星の住民の手足を縛るようなことをするなら、火星の住民は戦うぜ。あとは政府が腹を括るかどうかだな」
「そんな腹なんて括れないわよ! ほら大将、向こうのテーブルが呼んでるわよ」
「おお、ほんとだ。ありがとう! まあ、大変だろうけど体には気をつけてな」
そう言うと、大将が去って行った。周囲に人がいなくなったことを確認すると、係長が小声で篠原に聞いた。
「そういえば、アメリカ政府からの照会、あれ何だったんですかね?」
篠原がビールジョッキを置いて小声で答えた。
「ああ、火星の核融合燃料や推進剤の備蓄量についての照会? あんなの初めてよね。何を気にしてるんだろ」
「噂だと、会計課が官房の報償費を使って、今年の初めに軌道上の民間倉庫を借りる契約をしたらしいんですが、どうやらそれが警備隊の燃料や推進剤の備蓄に使われているらしいんですよ」
係長が、焼き鳥を食べながら小声で言った。篠原が驚きつつ小声で話す。
「うそ? この前会計課や警備隊に確認したときには、そんな話でなかったわよ」
「そうなんですよ。まあ、単なる回答漏れかもしれませんが、何故か警備隊の自前の燃料備蓄基地とは別で、しかも普段は他の用途で使っている倉庫を改造してこっそり備蓄しているらしくて……」
係長はビールを一口飲むと、更に小声になった。
「倉庫の規模から考えると、とんでもない量なんですよ。警備隊の全部隊が地球へ全速力で行けるほどの……怪しくないですか?」
「そうね。怪し過ぎる……」
「やはり、近いのでしょうか?」
「ん? 何が?」
係長の問いに、篠原はあえて分からないフリをした。その答えを口にしてしまうと、現実になってしまいそうな恐怖があった。
係長が聞き取れないほどの小声で囁く。
「戦争ですよ。火星独立戦争……はあ、そんなことになったら、政府は、外務局はどうなるんですかね」
「そうねえ……私たち外務局職員としては、交渉で最悪の事態を回避できるよう、最後まで努力することになるでしょうね」
篠原はビールジョッキを手に取った。
「私達は私達に与えられた職責を全力で果たすのみ!」
そう言うと、篠原はビールを一気に飲み干した。




