第3話 進むべきか、退くべきか──
俺は『えぬ・てぃー・あーる』という能力を与えられた。
この力を使うまでは半信半疑だったが、能力は本物だった。
与えられた能力が本物ならば……あとはこの力に従うだけだ。
──俺を陥れた『藤井則宗』に復讐する。
そこまで考えて、「ちょっと、待てよ?」と思い止まる。
俺は別に、復讐に生きるつもりはない。
藤井の奴が能力を使って俺を陥れたことはムカつく──
だが、ムカついているというだけで、何が何でも復讐してやろうというわけでもない……。
──面倒くさいからなぁ。
それが、俺の本音だった。
俺がこれから復讐に走れば、それは何だか、能力に踊らされているという感じがする……。
不思議な力を手に入れたのだから使ってみたい、とは思うが……。
その力を使って「復讐」するというのは、俺らしくないように思う。
復讐心が萎えてきた俺は、ふと、目の前にいる女性を見た。
彼女は二人の娘を生んだにしては、若く、そして美しい女性だった。
すらりとしたスーツ姿が、大人の魅力を際立たせている。
この女を「寝取る」ための段取りは、俺の能力『えぬ・てぃー・あーる』が全て整えてくれている。
彼女に関する情報は、能力が教えてくれた。
復讐対象とターゲットの情報は、把握済みだ。
ターゲットの名前は、『水谷圭子』というらしい。
最近、再婚したばかりの人妻である。
この女の再婚相手の息子が、俺を陥れた。
俺を陥れた『藤井則宗』は、どうやら義理の母親である『水谷圭子』に恋心を抱いているようなのだ。
この女を寝取って、奴に対して復讐する。
──というのが、『えぬ・てぃー・あーる』という能力が、俺に求めていることである。
だが、俺は復讐などに、労力を割く気はない。
割く気はない、のだが……。
「復讐」とは関係なしに、俺は目の前の女性のことを魅力的だと感じている。
──俺は男である。
良い女を前にして、男の理性などは脆いものなのだ。
状況を整理しよう。
俺は現在、水谷圭子の職場に来ている。
──能力によって、ここまで瞬時に転移させられた。
そして、これまた能力によって、『水谷圭子』は俺のことを、彼女の義理の息子である『藤井則宗』だと誤認している。
「催眠術」のようなものだ。
能力が標的の認識を改変し、寝取るシチュエーションを整えてくれていた。
かなり、何でもありな能力だ。
水谷圭子の認識では、彼女を慕う義理の息子の藤井則宗が、職場まで押しかけてきてしまった。
……となっている。
彼女は「困ったわね」と言いつつも、義理の息子にそこまで慕われて、悪い気はしていない。
……内心は、少し喜んでいるようだ。
今日の仕事は、ほとんど終わっていたので、藤井則宗(俺)のことを、車の中で待たせておいて、終業後、一緒に帰ろうとしている。
俺は水谷圭子に連れられて、会社の駐車場まで移動する。
彼女の後ろについて歩きながら、さりげなく周囲を見回した。
俺たち以外に、人影はない……。
車の並んだ無機質な空間に、二人きりの足音が響く。
能力『えぬ・てぃー・あーる』の効果時間は、1時間だ。
やるとすれば、1時間以内に事を済ませる必要がある。
能力を発動してから、もう10分以上、時間が過ぎていた。
人気のない駐車場──
仕掛けるなら、ここしかない。
水谷圭子の認識では、俺は藤井則宗ということになっている。
これから俺がすることは、藤井がしたことになるんだ。
多少の無茶は、問題ない。
──よし、やろう!
とはいえ……まず何をすればいいのだろうか?
とりあえず、身体に接触してアプローチしてみるか……。
俺は目の前にいる水谷圭子に向けて、手を伸ばす。
……だが、実行できない。
いざ行動に移そうとすると、躊躇いが生じたのだ。
手が、震えていることに気づく。
早くしないと、ターゲットは俺を車に乗せて、ここを去ってしまう。
そうなれば、もう、この女に手出しはできない……。
何もしないまま、時間切れで終わりだ。
…………。
……。
──でも、それで良いのではないか?
そんな考えが、俺の頭をよぎる。
元々俺は、復讐に乗り気ではなかった。
このまま「何もしない」、というのもありだ。
けれど、ここで何もしないのは「もったいない」とも思う。
圭子さんは魅力的な女性だ。
少し手を伸ばせば、そんな彼女に触れることができる。
とんでもないチャンスが、目の前にあるんだ。
このチャンスを掴まなければ、後で、きっと後悔するだろう。
進む理由も、引き返す理由もある。
暫し悩んだ末、俺は決断を下す。
俺の下した決断は────
──── ── ────
── ─── ──
─── ──
能力の効果が切れた。
俺は住宅街の、道の端に立っている。
1時間が経過したようだ。
能力が切れたことで、元居た場所に、転移させられたのだろう。
──時刻は、6時を回っていた。
西の空が赤く染まり始めている。
日が沈みかけていた。
能力が切れれば、彼女……圭子さんの認識はどうなるのだろうか──?
俺の事を、自分の義理の息子だと、思い込んだままなのか……それとも、能力が切れると同時に、認識も書き換わるのか……。
すでに能力が切れてしまったので、その辺りは分からない。
だが、一つ確かなことがある。
それは、能力の効果が切れただけで、『えぬ・てぃー・あーる』という力は、まだ失われたわけではない、ということだ。
連続使用はできないが、数日後には使えるようになる。
──そうなれば、俺は再び、圭子さんに会いにいけるだろう。
俺は両手を上に上げ、伸びをして、身体をほぐす。
「んっ、~~~~っ!」
それから、家に向かって歩き出した。




